4-13
ルクシア「ベルは呪いの糸を解くための儀式を受けているわ、場所は――エン=ザライア。
禁忌の魔術と呪いが集う、忌まわしき地。
そして、そこにいる呪術師は、私の信徒。
私の名を込めた術式で祈り、解呪を試みている。」
“信徒”――ルクシアの。
ベルを自分から遠ざけようとしている者。
ルクシア「その呪術師を救ってあげなさい」
セラフは、混乱のなかで問いかける。
セラフ「……救う……?」
自分とベルの糸を断とうとしている相手を、なぜ救うべきなのか?
セラフ「迷っていますね、セラフ。けれど救いは、正しき者にしか与えられない。
あなたが彼女を救えば、その分だけ、新たな“力”を手にするでしょう。その力こそ、あなたとベルの未来を繋ぐ道標となるわ」
ルクシアの言葉は、静かに、深く、セラフの心の底へと染み渡っていく。
ルクシア「その呪術師が願っているのは、自分よりも先に愛しい者を死なせたくないという祈り。
短い命を定められた少年。彼を生かしたいと願う、ただそれだけ」
そこには、確かに奇跡のような慈しみがあった。
けれど、どこか歪んだ輝きもまた、そこに混ざっていた。
ルクシア「エン=ザライアに潜む、“ベルの不死の力の片鱗”に触れた者たちにも、あなたの手を――」
その声は、雪のように無垢で、美しく、けれどその奥に宿るのは、容赦なき神の意志。
ルクシア「運命から解き放ちなさい。救いの名のもとに、すべてを赦し、すべてを正しなさい……セラフ」
セラフ「……ベルに、触れた?」
その呟きは低く、感情を抑えた静けさを帯びていた。
だが、その奥底には炎のようなものが燃えていた。
怒りでも悲しみでもない、ただひとつの激情。
それは、狂おしいまでの独占欲。
誰にも触れさせたくない、誰にも奪わせたくない。
彼女は、自分だけのもの。
それは祈りにも似た、穢れなき執着。
ルクシアは、その視線を正面から受け止め、ふふ、と喉を鳴らした。
ルクシア「ええ、けれど心配いらないわ。あなたほど、彼女を想っている者はいない。あなたの愛は、美しいもの――」
それは、神の言葉だった。
どれほど歪んでいようと、それもまた“救い”の形であると、女神は、静かに肯定した。
次の瞬間、セラフの足元に光が満ちる。
それは、かつて彼が巡った教会のひとつ。
エン=ザライアにほど近い、廃れた礼拝堂へと繋がる転移陣。
ルクシアの声が、響く。
ルクシア「行きなさい、セラフ。あなたの愛が、彼女を導く」
セラフは、目を伏せた。
それは迷いでも、疑念でもない。
すべてを受け入れ、委ねる者の祈りだった。
やがて光の粒が舞い、彼の姿は、そのまま光の中へと、静かに消えていく。
転移の余韻が消えたあと、神殿に残されたのは沈黙だけ。
だが、その静寂の中で、ルクシアは再び微笑んだ。
その表情は、限りなく優しく、限りなく恐ろしい。
この世界の理すらも、己の意志で染め上げようとする、絶対の神の貌だった。
彼が立ち寄ってきた各地の教会に記された転移の魔法陣。
そのうちのひとつ、エン=ザライアに最も近い礼拝堂の魔法陣が、淡く光を残す。
ルクシアは、慈しむように、その光を見つめた。
まるで、幼子を導く母のように。
けれど、その目に宿る光は罠にかかった獲物を見つめる、猛禽のような鋭さを秘めていた。
ルクシア「セラフ……あなたはやはり、私のもっとも愛しい子」
その囁きは、優しい愛情のように響いた。
けれど、そこに潜むのは、神にしか持ち得ない傲慢な感情。
剣に選ばれ、魔法に恵まれた少年。
まだ彼が聖騎士になるずっと前から、ルクシアは、彼を見つめていた。
その血筋、その魂、その瞳に宿る意志。
すべてが、“神の愛し子”としてふさわしかった。
本来であれば、彼は誰よりも純粋な信仰者として、神の栄光を継ぐはずだった。
――けれど。
ルクシア「……あなたは、心を奪われた」
思い浮かべるのは、あの淡い紫の髪を揺らし、静かに微笑む少女。
ベル。
不死にして永遠。
死神ルーヴェリスに愛された、世界の理をも変えうる少女。
彼女の中には、確かに〈彼〉の気配がある。
封じられた存在――死神ルーヴェリス。
神々の座を追われた、封じられた神。
彼の力は、少女に宿された祝福という形で今も息づいている。
ルクシアの微笑が、深まる。
ルクシア「ふふ……まるで、お気に入りのおもちゃを隠して遊ぶ、子どもみたいね。ルーヴェリス、あなたって本当に可愛いわ」
その声に悪意はない。
ただ、無垢な愉悦だけが、そこにあった。
ルクシア「でもその子は、私がもらう」
まるでそれが初めから決められていたことのように。
自らの意志が、世界の理を形づくるのだと信じる、神ならではの確信。
ルクシア「セラフは、彼女を深く、深く求めている。
魂すら縫い合わせて、共に在ろうとするほどに」
その想いは激しく、どこまでも純粋だ。
ルクシア「そんなにも激しく想われるなんて、どれほど幸福なことでしょう。
ねえ、そう思わない?」
返答はない。
それでも、ルクシアはゆるやかに語り続ける。
ルクシア「ベルは、死神のもとにいる限り、永遠に囚われてしまう。
けれど、セラフのもとなら――
彼の愛に抱かれ、守られ、すべてを注がれて、やがてきっと“救われる”」
それは疑いようもない“神の真実”。
愛されることこそが救いである、と神はそう定めたのだ。
ルクシア「そう……これは、救済なのよ。
彼女のためでもあるわ。なにも間違ってなんていない」
その声は祈りのように澄み切っていた。
だが、その底にあるのは、狂気を孕んだ独善。
それでも、そこには絶対的な“正しさ”が宿っていた。
だからこそ、それは、美しくも、狂っている。
ルクシアの視線は、遠く、夜空を見つめる。
ルクシア「もうすぐ、“紅い月”の夜が来るわね」
魔力が乱れ、現世と神の領域の境が最も曖昧になる夜。
ルクシア「その時を使いましょう。
彼女に最も近しい存在に、私の声が通る“道”を開いてあげる」
その囁きは、まるでひとつの運命を導くように。
この世界に生きるすべての命を巻き込む、神の手が、静かに動き出す音だった。