4-7
エラヴィアの隠れ家からナヴィが魔法ギルドへ戻って以来、ベルとミィナはふたりきりの時間を過ごすことが多くなっていた。
柔らかな陽だまりが差し込む静かな部屋。
ミィナは、ふと懐かしげに微笑む。
ミィナ「ねえ、あのとき渡した薬草たち、役に立ったでしょ?」
ベルは小さく頷いた。
気配を消す粉末は追手から逃れるときに、心を落ち着かせるハーブティーは暗い夜のさなか、震える心にぬくもりを与えてくれた。
けれどその話題に触れるたび、ふたりの会話にはいつも、ひとり分の沈黙が入り込む。
薬草の効果を即座に見極め、迷いなく使ってくれたのは今も消息の知れない、ノクスだった。
彼の姿はどこにもない。
けれどその手際、声、体温までもが、ふたりの記憶に深く刻まれ、今も消えることはなかった。
ベルはどこか遠い目をし、視線を窓の外へと彷徨わせる。
ミィナもまた、俯いたまま静かに息を吐いた。
ベル「私、そろそろここを出ようと思うの」
ふいに告げられたベルの言葉に、ミィナの表情にほんの少しだけ、悲しみの色が濃く滲んだ。
ミィナ「うん……そうだよね。けど、やっぱり少しさみしくなっちゃう」
ベルの体は、不死の力によってすでに回復していた。
彼女は元々、どこにも定まらず当てのない旅を続けてきた存在。
けれどこの隠れ家には、いつになく長く留まっていた。
それは、今回の旅を支えてくれたエラヴィアとミィナの二人に、せめてもの感謝を伝えるため。
そしてもう一つエラヴィアが「まだ気がかりがある」と、言葉少なに彼女を引き留めていたからだった。
だがそのエラヴィアは、その言葉を最後に、数日間、隠れ家へ姿を見せていない。
気がかりなこと。それはベル自身にもわかっている。
未だ外れることのない、左手の薬指に絡む呪いの糸と、セラフの存在。
残された最後の一本の糸は、「命を結ぶ糸」。
かつてのように夢や感情を縛ることはなく、今のベルの心や体に直接の影響は感じられない。
だが、このままその糸が繋がり続ければ、セラフもまたベルと共に、永劫の時を歩むことになってしまう。
その事実が、ベルの胸にじわりと重くのしかかっていた。
そして、セラフという存在自体が、ベルの心の深くに沈む「恐怖」をいまだに静かに揺さぶり続けている。
かつて「支脈の呪徒」たちの襲撃の中で、瀕死のベルを救ったのはセラフだと聞かされている。
だが、それさえもあの歪んだ愛がもたらす、ただの破壊と救済の“自己満足”ではなかったのか。
そんな疑念が、ベルの心に影のように張り付き、離れなかった。
しかしベルは、もう迷ってはいなかった。
あの狂気に呑まれた男、セラフと再び対峙し、そしてベルを再び救ってくれたノクス。
今度は、自分が彼を救う番だと、そう強く決意していた。
ベルのように不死の力もなく、竜人族のナヴィのような頑強な身体も力も持たぬ彼が、誰よりも傷つき、誰よりも戦い続けていた。
脆く、儚く、それでもなお踏み出す姿を、ベルは何度も目にしてきた。
かつて、ベルは思っていた。
なぜ、ノクスはそこまでして自分を助けようとするのか。
ほんの一瞬しか生きられない人間が、なぜ誰かのために命を差し出すようなことができるのか、と。
けれど今は、少しだけわかる気がする。
それは力や寿命の問題ではなく、
その瞬間に、誰かを救いたいと願う「意志」の強さなのだと。
それが、ベルの中に静かに芽吹いているのを、彼女自身が確かに感じていた。
ベルの横顔を見つめていたミィナが、ふと何かを決意したように口をひらいた。
ミィナ「ねえ、ベル……ミィナも、一緒に行っちゃだめかな」
その言葉に、ベルは思わず目を見張る。
予想もしなかった申し出に、返す言葉が見つからない。
ベル「ミィナ……でも、それは……」
戸惑いながらも、ベルは言葉を選ぶ。
だがミィナは小さく首を振って、静かに続けた。
ミィナ「ミィナも旅には慣れてるし……それに、ね」
言いながら、ミィナはそっと隠れ家の窓の外に視線を向けた。
ミィナの「もともとミィナがここにいたのは、エラヴィアに頼まれて、ベルとノクスが眠っていた“死神の揺り籠”を見守るためだったの。
管理人っていうか……ただ、それだけの役目」
微笑むミィナの表情に、どこか寂しげな色が差す。
ミィナ「でも、ベルが目覚めて、ノクスももうここにはいないなら……ミィナがここにいる理由も、なくなっちゃうでしょ?」
その声には、ただの同行の願いではない、何かを覚悟したような強さが宿っていた。
ベル「そうね、ミィナが来てくれたら、嬉しいわ……でも」
ベルはふと目を伏せ、言いかけた言葉を飲み込むように、そこで止まった。
ベル「私には、ミィナを守る自信がないの。
今までは自分のことで精一杯だったし……ううん、自分のことさえ、ろくに守れてなかったかもしれない」
その声には、幾重にも積み重なった傷と後悔がにじんでいた。
ミィナは思い出す。
時折、エラヴィアがぽつりと語っていた、ベルの長い旅路。
不老不死という祝福に見せかけた呪いの中で、彼女がどれほどの孤独と痛みに耐えてきたのか。
ミィナ「ミィナはこれでも、ノクスよりは強いと思うんだけどなあ」
そう言って、わざとらしく拗ねたように唇を尖らせるミィナ。
その仕草に、ベルはふっと微笑んだ。
ベル「ミィナ。ひとつだけ、約束して」
そう言って、ベルはまっすぐにミィナを見つめる。
ベル「何があっても、自分の安全をいちばんに考えて。
絶対に、自分を犠牲にしないって、約束できる?」
ミィナはベルの言葉にぱっと顔を輝かせ、大きく頷く。
ミィナ「ミィナは、自分のことちゃんと守れるよ!それに……ベルを一人にしたくないの。きっと、何があっても一緒にいられるって信じてるから」
明るい笑顔に、芯の通った決意が重なる。
その勢いのまま、彼女は旅立ちの日取りや持ち物の話を始め、あたふたと支度に取りかかる。
ベル「ミィナ、さすがに今すぐってわけじゃないのよ。エラヴィアに会ってからでないと……」
ベルが苦笑混じりに声をかけると、ミィナは手にしていた鞄を抱えたまま、くるりと振り返る。
ミィナ「うん、わかってる。でも……なんだか落ち着かなくて。こうしてる間にも、どこかでノクスがベルのこと、待ってるような気がして」
胸に手を当ててそう呟くミィナの横顔に、ベルは静かに目を細めた。