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※内容に変わりはありませんが、文章を整えました。
蛇の法衣の密偵との接触を終え、まだ朝の冷たい空気が街に残っていた。
ベルは静かに、街の外へ抜ける道を探っていた。
だがすでに、すべての出入口は《黒き観測者》の監視下にある。
いかに気配を断とうと、完全に痕跡を消しきることはできない。
多少の追跡なら、もう織り込み済みだった。
その時――空気の流れに、微かな歪みを感じ取る。
ベル(……異様な気配)
魔力がわずかに淀んでいる。
辿っていくと、目立たぬ路地に埋もれるように設置された魔導具があった。
外見はただの廃材。しかし、内には明確な魔力の気配。
ベル「……これは」
そっと手をかざし、掌から生み出した魔力の剣でそれを貫く。
一閃。
音もなく、黒い靄を散らして崩れたそれは、完全に消滅した。
ベル(やっぱり……この街の魔力の流れを濁らせていたのは、これ)
その魔導具は、街の魔力網に紛れ込むように配置されていた。
単体での効果は微弱だが、術師の術式を補強し、対象の精神に緩やかな干渉を与える。
高位の魔術師であっても、複数の干渉が重なれば、気づかぬうちに影響を受ける。
あの夜、エラヴィアが苦しんでいた理由が、今ならわかる。
ベル(数で押すだけじゃない……やつらは、街そのものを絡め取るつもりだったのね)
ベルは歩を進めながら、感覚を研ぎ澄ませていく。
やがて気づく。魔導具の気配は、ひとつの場所を中心に環状に並んでいた。
ベル(……エラヴィアのいる塔を囲むように)
それらは巧妙に隠され、魔力の痕跡も極めて薄い。
だがベルの感覚は、それらの“微かな濁り”を確かに捉えていた。
そのまま、一つずつ破壊していく――
風の通りが、少しずつ変わっていく。
空気に漂っていた重苦しさが、ゆっくりと薄れていった。
そして最後のひとつを砕いた時、ふっと空が澄んだ。
夜の帳の中に、透明な光が滲んでいく。
それは、塔に眠るエラヴィアの魔力が、再び街に満ち始めた証だった。
ベル「……これで最後。よかった……エラヴィア」
胸の奥に刺さっていた棘が、ひとつだけ抜け落ちる。
けれど、空にはすでに月が浮かび、日はとっくに暮れていた。
ベル(……また、夜を迎えてしまった)
一つの街を抜けるのに、これほどまでに時間がかかるとは思わなかった。
それほどまでに、この街にベルを引き止めようとする者たちの執念を感じる。
魔導具の破壊、蛇の密偵との接触。
このまま留まれば、観測者も蛇も、確実に動きを変えてくる。
ベルは空を見上げ、決意の息を吐いた。
ベル(今のうちに……出なくては)
街の門には、不穏な気配も、警備の強化も見られなかった。
ベル(……罠?)
だが構わない。街さえ出てしまえば、必要とあらば力を振るえる。
それでも可能な限り穏やかに出たい――
この街は、エラヴィアが愛する場所だから。
ベルは静かに、しかし確かな歩調で進んでいく。
やがて、雲間からのぞいた月が石畳を照らす。
ラベンダーの髪が夜風にそっと揺れた。
静かに街を離れていくその影は、もう振り返らなかった。
少女の背を照らす光だけが、しばらくその場に残っていた。