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※内容に変わりはありませんが、文章を整えました。
光の差し込まぬその場所で、なぜか闇に紛れてもなお、彼女の存在感は揺らがなかった。
重力に引かれて物が落ちるように、視線は自然と彼女に引き寄せられる。
逸らそうとしても、逸らせない。
――それが、最初の印象だった。
華奢な身体。わずかに波打つラベンダー色の髪が肩に触れ、白磁のような肌にそっとかかる。
年若い顔立ちにはあどけなさすら残っていたが、その瞳だけは、違っていた。
深く、澄みきっていて、底知れない。
その瞳に射抜かれた瞬間、カイルは言葉を失った。
たしかに、少女の姿をしている。だがそこには、言葉にできぬ“何か”があった。
齢を重ねた者にしか纏えない、沈黙の重み。無理に装ったのではなく、自然にそこへ溶け込んだ孤高さ。
空気に溶けるように漂う魔力は、まるで忘れ去られた祈りの余韻のように、静かで重い、
それは、カイルがこれまで出会ったどんな魔でも感じたことのない、異質な感覚だった。
ベル「……蛇の法衣、やはり動いていたのね」
ベルの声は穏やかだったが、その奥に拒絶の色がにじんでいた。
それはまるで、静かな湖面に一滴の音が落ちたような、澄んだ静寂を揺らす響きだった。
――なぜ、彼女は自分の正体を見抜いたのか。
紋章もなければ、気配すら消していた。
それなのに、彼女はまるで最初から全てを知っていたかのように言った。
ベル「貴方たちには独特の気配、良く知っているわ。今は、捕まるわけにはいかないの」
そう言って、彼女は腰に帯びた短剣にそっと手をかける。
カイルの視線が柄に滑り、背筋に緊張が走った――が、ベルは抜かなかった。
彼女はただ、静かにその意思を示しただけだった。
カイル「待ってくれ……俺は今、君を捕らえるよう命じられてはいない……」
ようやく絞り出すように告げる。
与えられた任務は、あくまで“観測”。ベルと、《黒き観測者》の動向を追うだけ。
けれど、いずれその命令が“観測”で終わらないことを、彼は心の奥で理解していた。
ベル「私の邪魔をしないのならば、構わないわ」
その言葉だけを残し、ベルはゆっくりと背を向けた。
その背には、幾重にも重なった孤独が、薄いヴェールのように揺れている。
カイルはただ、息を呑むしかなかった。
記録では決して伝わらなかった“何か”が、そこにあった。
恐れでも、崇拝でもない――名前のつけられない、胸の奥をかき乱すような感覚。
飾り気のないその佇まいに、力と年月と哀しみが、織り込まれている。
それはまるで、悠久の時を超えてなお消えない残響。
触れることも、見切ることもできない、深淵のような存在感。
彼女は人の輪郭をしていながら、人の理から逸れたものだった。
まるで触れれば壊れてしまいそうな、透き通る硝子細工。
けれど、きっと壊せはしない。
……いや、もし壊せたとして、俺はどう思う?
カイル(……欲しい、と思ってしまった)
それは研究者としての“知の欲求”か、それとももっと原始的な、剥き出しの“所有欲”か。
彼女の魔力を解析できれば、組織の研究は確実に飛躍する。
彼女の魂の構造を解き明かせれば、不死の理へ、また一歩近づける。
けれど、それ以上に――ただ、彼女をこの手の中に閉じ込めてしまいたい。
誰にも触れさせず、誰の目にも晒さず、自分だけが知っていたい。
そんな、名もなき渇きが胸を満たしていく。
言葉の端々に漂う、孤独の香り。
背中に滲む、果てしない時間の重み。
それを壊して、泣かせてみたいと、ほんの一瞬思ってしまった。
けれど、同じだけ強く守り通したいとも思った。
相反する衝動に、心が軋む。
カイル「……君はいったい、何なんだ……」
誰に問うでもなく、漏れたその声は、朝霧の静寂に吸い込まれて消えていった。
答えは、返らない。
気づけば、ベルの姿は――すでに消えていた。
まるで最初から、祈りの像のようにそこに佇んでいただけの幻想だったかのように。