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※内容に変わりはありませんが、文章を整えました。
蛇の法衣の密偵、カイルは、人気の少ない墓地を訪れていた。
朝霧に包まれたその一角は、大通りの喧騒から遠く離れ、世界から切り離されたような静けさが満ちている。
その場所からも見える魔法ギルドの高塔を一瞥し、彼は複雑な感情を胸に息を吐いた。
昨夜、ギルドの塔が襲撃された。
街では“狂った異端者の暴走”と囁かれているが、カイルの目は欺けなかった。
彼は常人とは異なる精度で、空気に溶け込んだ魔力の残滓を感じ取ることができる。
それはまるで、風に交じる音の微細な変化すら聞き分けるような、繊細かつ鋭敏な知覚だった。
カイル(……この魔術の痕跡。神の名を媒介にせず、意志のみで編まれている。観測者の術式だ)
そしてもう一つ――
そこには、魔術と呼ぶにはあまりに静謐で、沈黙に近い幻術の“余韻”があった。
気配を消すための術、ではない。
それは最初から、“気配という概念そのものが存在しなかった”かのような不在の痕跡。
冷たく、深く、底知れない“闇”を孕んだ魔。
まるでこの世界に本来「在ってはならない」ものが、一瞬だけ確かに“いた”という証。
カイル(……彼女、なのか?)
けれど幾度となく、古文書の断片や封じられた報告書の中に現れていた“異質な魔力を持つ不死の少女”。
死を超え、理を歪め、根源の祝福に触れた者。
この百年ほどは言葉や書物でしか語られなかったその伝説が昨夜、確かにこの街に“触れていた”。
彼女はどこへ向かったのか。
街に散った幻影たちは、門に辿り着く前にすべて霧のように消えていた。
だがその中に、一つだけ――禍々しさとは異なる、静かで深く、重さを帯びた痕跡が、墓地の方角へと伸びていた。
濁った水に沈められた氷のように、音もなく、しかし確かに浮かび上がる道筋。
それを感じ取れたのは、他ならぬカイルの感覚があったからこそ。
カイル(……ここにいる)
確信を胸に、カイルは崩れかけた礼拝堂の扉に手をかけた。
古びた木が軋む音とともに、霧の中で静かに開かれていく。
そして――彼は見た。
まるで一枚の絵画のように、最初からそこに存在していたかのように、
ラベンダー色の髪を揺らし、祈りのような静けさを纏って、少女は佇んでいた。
闇に溶け、光を拒み、けれど確かにそこに“在る”。
息を呑んだ。
数年前、カイルが《蛇の法衣》の末席に加わって以来、
禁術や古代の魔法文明の残滓を漁る中で、幾度となく断片的に見たその存在。
神の器、死を超えし少女、死神の魔力を宿す者。
文献の中では、どれもが神話か虚構のように扱われていた。
だが今、目の前にいるこの存在は――
どの記述よりも、どんな名よりも雄弁に、その“真実”を語っていた。
世界の理が、一歩、彼女を避けている。
それほどまでに、圧倒的だった。
カイル(……間違いない)
瞬間、すべての疑念が霧のように晴れた。
――これが、伝説に語られた存在。
静寂の中、少女は何も語らず、何も動かず。
ただそこにあるだけで、世界の重力が少しだけ傾いて見えるような――
それほどまでに、幻想的で鮮烈な“現実”だった。