表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
157/321

3-66

マルベラの頭にふとよぎる考えがあった。


――もし、この糸で、トーノとベルを結ぶことができたなら。


残り少ない命の灯火を抱えるトーノ。

この街の片隅で生まれ、名前すら「失敗作」として捨てられた哀れな少年。

もしベルの生命のほんのひとかけらでも、彼に分けることができれば――

それが叶うなら、彼に未来を与えられるのではないか?


その考えが頭をもたげた瞬間だった。


赤黒い《命を結ぶ糸》が、まるでその思考に呼応するようにうねりを増す。

蛇のように艶やかに、魅惑的に。

「望めば叶う」とでも囁くように、その端がマルベラの指に絡みつこうとした。


読まれている。

そんな気がした。


それとも、ただの思い過ごしか。

いや、どちらにせよ、これは誘惑だ。

禁じられた力。手を伸ばせば、彼女自身もまた呪われる。


マルベラは強く頭を振った。

その思考を、心から追い払うように。


マルベラ「それは……違う。赦されるべき選択ではない」


声にはならない呟きを胸の奥に沈め、再び《命を結ぶ糸》に向き合う。


マルベラは心を引き締め、最後の呪いの糸に手をかけた。

その糸の誘いは依然として強いが、彼女はそれを無視するように静かに集中した。

魂を傷つけぬよう、解きほぐすように、糸を扱うその手は慎重だった。

だが、次第にその手に力が入らなくなり、次第に意識が朦朧としてきた。


その瞬間、異変が起こった。


ルクシアの燈芯が急に光を失い、マルベラの右目の魔晶石もまた、光を失った。

燈芯は燃え尽きていない。しかし、燃料である彼女自身の魔力が尽きてしまったのだ。

それに呼応するように、五重螺旋の光も消えていく。


マルベラはその場に倒れ込むように、力尽きて崩れ落ちた。

その音は重く、部屋の静けさを破るように響く。

燭台が倒れ、冷えた火のない空気に包まれると、その音を聞きつけて、トーノとノクス達が急いで部屋に駆け込んできた。


マルベラ「……最後のやつが強敵でね、少し休憩をさせてくれ」


マルベラは何とか笑顔を作ろうとしたが、その顔には深い疲労が色濃く刻まれていた。

それでも、微笑みを浮かべて言う。


マルベラ「私も歳をとったものだ、ね」


マルベラの言葉が途切れると同時に、彼女の身体が力なく傾ぐ。


トーノ「マルベラ!」


トーノが駆け寄り、支えるように腕を差し出した。

だが、彼女の身体はまるで糸が切れたかのように重く、思っていた以上に冷えていた。


ナヴィ「部屋へ運ぼう」


ナヴィが静かに言うと、ノクスは無言で頷いた。


ノクスがマルベラの肩を、ナヴィが足元を支え、慎重に彼女を抱き上げる。

その動作は極めて静かで、重みを受け止める二人の手には焦りよりも、深い敬意と労りが宿っていた。


マルベラの頭がノクスの胸元に傾き、白髪がかすかに揺れる。

トーノが先に立ち、ベッドの脇を整えると、そっとシーツを引いて準備を整えた。


ナヴィとノクスは、息を合わせてマルベラをベッドに横たえる。

彼女の顔色は青ざめ、呼吸も浅い。

だが、それでも彼女の眉間にはどこか凛とした意志の痕跡が残っていた。


マルベラ「大丈夫だよ、ただ少し休むだけ」


そう言って、マルベラは力なく微笑む。

トーノはマルベラの様子を心配そうに覗き込んだ。

その瞳の奥に、溢れそうな感情を押し込めているのが見て取れた。


ノクスとナヴィが儀式の間に戻り、静かにベルのそばへと腰を下ろした頃。

トーノは、体の温まる薬湯に蜂蜜を溶かしたものをマルベラに手渡した。


マルベラ「ありがとう、トーノ」


マルベラは湯気の立つ杯を受け取り、一口すする。

ほんのり甘い香りと共に、その疲れた顔に微かな笑みが浮かぶ。


ふと、部屋に漂う香ばしい香りに気づき、目を細めた。


マルベラ「この匂いは……焼菓子だね。少し休んだら、食べさせてもらおうかね」


トーノの瞳には、まだ消えぬ不安の色が宿っていたが、それでもマルベラの言葉に小さく笑みを返した。

マルベラはその手を握られたまま、安らぐようにそっと瞳を閉じる。


その頃。

儀式の間では、ノクスとナヴィが魔法陣の光が消えた床に膝を折り、静かに眠るベルを挟むように座っていた。

燃え尽きた燭台の影が壁に伸び、空気はまだどこか緊張を含んでいる。


ノクスは静かにベルの肩に毛布をかける。

冷え切った肌に、少しでもぬくもりが伝わるようにと。


ナヴィは沈黙の中で思案していたが、やがてぽつりと口をひらいた。


ナヴィ「……自分は呪いに詳しいわけじゃないが、あれほどまでに消耗するものなのか。解呪の儀式ってのは」


ノクスは短く頷く。


ノクス「解呪にもいろんな流派や術式がある。でも、マルベラの使うそれは……自分の魔力で呪いの形を浮かび上がらせ、そこに光の神の力を通して清めていく術だ。

二つの性質の異なる力を、まるで刃を素手で握るみたいに扱って……命を削るようなやり方だよ」


その声には、言葉にならぬ敬意が宿っていた。


ナヴィ「その対価に……トーノに街の外を見せてほしい、か」

ナヴィの視線はどこか遠く、儀式の間の外を見つめるようだった。


マルベラがトーノに託した願い。

あの少年に、今まで見たことのない世界を、生きた証を残させるために。

それはまるで、何かを覚悟していた者の願いのようでもあった。


沈黙が落ちる。

まるで場の空気が深く沈むように、儀式の間に重い静けさが広がった。


――その時だった。


ごう、と鈍い音を立てて、儀式の間の壁が小さく震えた。

砂粒のような欠片が天井から舞い落ちる。


ノクスが反射的に立ち上がる。


ノクス「……今の、何だ?」


ナヴィも素早く立ち上がり、魔力の流れを探るように目を細めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ