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※内容に変わりはありませんが、文章を整えました。
地の底のような静けさが、ベルの身体を包んでいた。
息を潜め、魔力を抑え、鼓動すら音を立てぬよう――己の存在を消してこの場所に溶け込む。
けれど、意識の奥底にある想いまでは、押し殺すことができなかった。
ベル(……また、巻き込んでしまった)
手のひらを見つめる。
あの時、塔の中で崩れ落ちたエラヴィアを助けようとしたとき、溢れ出たあの光。
それは、通常の魔力とは根幹から異なる、“祝福”とも“呪い”ともつかぬ、死神由来の力。
神性すら帯びた異質な輝きだった。
あの光景を目の当たりにした者たちは、もはやベルをただの旅人としては見ない。
《黒き観測者》は神に選ばれし存在ではなく、神意を乱す“異端”として彼女を追い、
《蛇の法衣》は彼女を、解き明かす対象として執着のまなざしで捉える。
長い時を生きる中で、相手が変わっても、似たような理由で追われ、逃げ、そして隠れ続けてきた。
関わった者たちは皆、何かを失い、人生を歪めていく。
――だから誰とも、深く関わるべきではなかった。
ベルは何度もそう悟ってきた。
関わった人々は皆、やがて彼女を残して逝く。
それが人の理ならば、ベルに課された理は、忘れられること。孤独に耐えること。
けれどその中で、エラヴィアだけは特別だった。
彼女は、最も長く共に時を過ごした、かけがえのない存在。
ベル(……エラヴィア)
優しすぎる笑みを思い出す。
時に姉妹のように、時にただの友として、何も言わず、ただ隣にいてくれた彼女。
言葉を交わさずとも、ベルの抱える孤独を、まるで自分のことのように理解してくれていた。
だからこそ、もっと早く離れるべきだったのだ。
もしエラヴィアに、自分のせいで何かが起これば、
その後悔を、ベルはまたひとつ、永遠に心に刻むことになるだろう。
夢の奥。
深く、深く――まるで水底に沈んでいくような、精神の海。
その中で、エラヴィアは静かに目を開けていた。
“誰か”の想いが、眠りの膜をそっと揺らしている。
澄んでいながら、凍てつくような孤独。
長い年月を、たった一人で彷徨い続けた者だけが抱える、決して言葉にはできない“痛み”。
それが誰の痛みかを、エラヴィアは知っていた。
エラヴィア「……ベル」
微かに唇が動く。まるで返事をするように。
その名を呼んだ瞬間、遠い記憶が波紋のように静かに広がっていく。
――まだ、共に旅をしていた頃。
夜の焚火を囲み、見上げたあの星空の下。
エラヴィア「……こんな星空、百年ぶりくらいかしら」
そう言って微笑んだエラヴィアに、ベルはそっと呟いた。
ベル「私は、覚えてないわ。星を数えても、時間がわからないから」
それは何気ないやり取りのようでいて、彼女の深く閉ざされた心の一端が垣間見える、静かな言葉だった。
しばしの沈黙のあと、エラヴィアは空を見上げたまま言った。
エラヴィア「……じゃあ、今夜の星を覚えておいて。
今日が始まりだと思えばいいの」
ベル「それに、何か意味があるの?」
問いかけに、エラヴィアは肩をすくめ、屈託のない笑みを浮かべた。
エラヴィア「意味なんて、なくていいわ。
いつ、どこにいても……今日、私と見たこの星空が、ベルにとっての“初めての星空”。
永遠を生きるなら、最初をどこに置いてもかまわないでしょう?」
ベルは言葉を返さなかった。
けれどそのとき、彼女の目に映る星は、ほんのわずかに滲んでいたことを、エラヴィアは、忘れずにいた。
礼拝堂の隠し部屋。
ベルは、そっと目を閉じていた。
そして、あの星空を眺めた夜を、まるで自分の夢のように想い返していた。
夢のように儚い、けれど確かな記憶の欠片。
共に焚火を囲んだ夜。共に見上げた、あの星空。
“今日が始まりだと思えばいい”
彼女がくれたその言葉が、今も胸の内で静かに響いている。
ベル(もう……動くべきなのかもしれない)
このまま身を隠していれば、次に狙われるのは、またエラヴィアかもしれない。
そう思った時、ベルの瞳が静かに開かれた。
静寂を裂くことのないまま、そこには、確かな決意の光が宿っていた。