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3-49

ここは、近く深くに穿たれたかつて聖堂と呼ばれた場所。

今やその名残は歪みに満ち、闇の祈りの器へと変貌している。


暗い部屋の中、空気は重く、ぬめるような熱が壁を這う。

天井から垂れる鎖がかすかに軋み、石の壁に彫られた古の呪紋が、血のように濡れた光を灯していた。


静けさの中には、幾重にも重なった囁きが渦巻いている。

それは言語ともつかぬ呪詛であり、時折、それに呼応するように空間が微かに脈打った。


床に刻まれた円陣には、赤黒い斑点が染み入り、古く乾いたものと新たな犠牲の血とが幾層にも交じりあっていた。

その中心には、ひときわ深い闇を宿す黒水晶が鎮座し、触れぬはずの声を発している。



その周囲を取り囲むように、灰色のローブに身を包んだ影たちが立ち並ぶ。

数はもはや数えることすら無意味だ。


人の形をしていても、人ではない者が混ざっている。


長く歪んだ手。骨のように細い頸。爛れた皮膚の下で脈打つ、何か異なる鼓動。

かつて人だった何かが、今なおその意志のままに、そこに立っている。


その最奥、黒水晶の陰から歩み出たのは、一人の少年。

金の巻き毛を揺らし、まるで天使の像のような顔を持ちながら、その瞳には底冷えするほどの老いと飢えが宿っている。


玄宰げんさい

支脈の呪徒を導く存在。

肉体の老いを封じ、少年の姿を保ち続ける異端の長。



玄宰「現れたのだ……」



その囁きに、空間の温度が歪む。



玄宰「再び……あの娘が」



不死の少女。

死神の祝福を受け、永遠を歩む存在。

その声は乾いて軋みながらも、信仰にも似た熱を含んでいた。



昼間、彼の手がすれ違いざまに少女のフードを捲り上げた瞬間。



そこから溢れ出したのは、淡い紫の光を帯びた髪。

薄汚れた街の中、広がったその色は瞬く間に通りの視線を奪い、空気を凍らせた。


忘れ得ぬその色。死なずの少女。不死の器。




玄宰「彼女を贄に捧げ、不死の血を我らの中へ。

永遠の命と繁栄、この街の復活を……」




玄宰の声に呼応するように、空間が低く唸る。

ローブの下から洩れる呼吸は徐々に荒くなり、影たちの輪が密度を増して揺れる。


狂気が波となって集団を打ち、沈黙の中に奇怪な熱が沸き上がる。

誰かが嗤い、誰かが舌を垂らし、誰かが目を潰しながら歓喜の咆哮を押し殺す。



玄宰「交わればいい。不死と。血と。魂と。そのすべてを我がものとするのだ」



玄宰の微笑みは、神童のようなそれではなく、奈落の口のようだった。

その声音に含まれた狂気は、炎のように空間を満たしていく。


そして、部屋の中の熱が――血よりも濃く、意思よりも歪に――確かに、ひとつへと収束しはじめていた。




やがて、金の巻き毛の少年――玄宰が、ゆっくりと片手を掲げる。

その身は天使のように清らかであっても、その口から漏れる声は、古びた棺の中で腐敗を深める魔術書のように、重く、艶めかしい。



玄宰「懐かしいな……百年ほど前の話だ。

まだこの街が、魔導都市として輝いていた頃のことだよ」



声が、聖堂の空気を滑って広がる。灰のローブたちは息を呑み、息を止め、狂おしいほどの憧憬をその言葉に重ねる。



玄宰「街は光に溢れていた。魔道の灯が大通りを照らし、空中を浮遊する魔石の光が、夜を昼のように彩っていた。

人は笑い、技術を誇り、夢を語り、そして……己の力を信じていた」



玄宰の瞳が細くなる。

その顔はまだ子どものはずなのに、その表情にはあどけなさの中に、かつての光を喰らい尽くした者だけが知る、奇妙な哀愁が滲む。



玄宰「だが……その輝きは、何もないところから生まれたわけではない。

人々の“わずかな魔力”を、ほんの一滴ずつ、ほんの少しずつ……吸い上げていたのさ。

気づかれないほどの量で。

何も失っていないと錯覚できるほど慎ましく……だが確実に。

街の至る所に設置された魔道柱が、吸い上げられた魔力を光に変え、昼夜を問わず幻想的な輝きを放った」



背後の呪文のさざめきが、どこかうっとりとした音に変わる。



玄宰「そして……その影に、我々“支脈の呪徒”がいた。その頃はまだ技術者と呼ばれる名もなき存在だった

蛇の法衣――かの権威と禁忌に縛られた魔法機関から離れ、

より深く、より自由に、古代の知と接しようとした者たちの集いだった」



聖堂の中心、黒水晶が鈍く鼓動するように震えた。


玄宰「始まりは、ただの無もなき技術者の集まりだった。

古文書を読み解き、失われた術式を試し、魔道具を解体し、再構築する。

ただそれだけの、取るに足らぬ集団。


だが、人々の期待が我らの探求心を煽った。


探求はやがて歪み、境界を越えた――神の領域にさえ手を伸ばすほどに」



声が少しだけ低くなる。



玄宰「そんな折だった。この街に“彼女”が現れた。

昔蛇の法衣に属していた我々は、彼女の正体を知っていた。

濁りなき紫の髪。夜よりも静かな瞳。…そして、時を拒むその姿。」



部屋の空気がどろりと沈み、狂気の熱が天井を溶かさんばかりに渦巻いていた。

灰のローブたちが、声もなく息を呑む。



玄宰「我らは気づいてしまった――“彼女”こそが、この街に必要な“永遠の心臓”なのだと」



玄宰の言葉が、だんだんと震え始める。

だがそれは怯えではない。

歓喜だった。欲望の果てに行き着いた者だけが知る、完全な確信。



玄宰「街はついに完成した。永遠の魔力循環。夜がなく、疲れがなく、死がない。

あの子の中で、我々の“回路”は繋がれた。静かに、正確に、美しく……冷たく。


しかし、その異質な魔力は我々に扱うことはできなかった」



玄宰の声は静かだったが、その目は爛々と光を宿していた。

微笑みは、まるで甘い毒のように滲んでゆく。



玄宰「魔道塔は崩れ、光の街は燃え、灰になった。

街の者の叫びと、焼け爛れる音、砕けた骨と、溶けた石……そのすべてが私の耳を満たした。


そして――その中心に、彼女はいた」



彼は口元を指先でなぞるようにして、うっとりと笑った。



玄宰「肉は焼け、骨は爆ぜ、白煙が立ちのぼった。

だが崩れた少女の体は……やがて、まるで嘲笑うかのように、再構築されたのだ。


その光景の、なんと神聖で、なんと狂おしかったことか――」



灰の記憶の中に微笑む玄宰は、恍惚としていた。

まるで失った恋人の名を呼ぶように、静かに、狂おしく。



玄宰「この百年、私は街を甦らせて一から再構築し、魔力網を修正した。

すべてをあの日の続きを成すために。


そして今日、ようやく私は――」



彼の表情が、凶器のように鋭く歪んだ。



玄宰「再びその姿を見たのだ。

昼間、あの子のフードを外したとき……あの髪が風にふわりと広がった瞬間……見たかい?

街の者たちが、どうしたか。


あれは……記憶だよ。魂が覚えていたのさ。

あの輝きこそが、かつての魔導都市を甦らせると。


あの命こそが、我々の渇望を満たすと」



言葉の終わりに、聖堂の中が熱を帯びる。

誰かが嗤い、誰かが呻き、誰かが喉を鳴らしながら、血の匂いに満ちた空気を吸い込んだ。



玄宰「彼女が再びこの地に現れたのは、偶然ではない……それは、この街の意思だ。

不死と交わることで我らもまた、不死へ至る。


我らの悲願は、いまここに――成就の時を迎えるのだ」



そして再び、熱が燃え上がった。

彼らの中にはもう理性などなかった。


ただひとつの願望だけが脈打っていた。

少女の永遠を、都市の永遠に変えること。


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