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※内容に変わりはありませんが、文章を整えました。
魔術ギルドの塔を出たベルは、街の空気に微かな違和感を覚えた。
空気が、わずかに重たい。
まるで目に見えぬ網が、街のあちこちに張り巡らされているかのように、奇妙な視線がまとわりついてくる。
表向きには、街はいつも通りの日常を保っていた。
けれどその裏では、確かに異質な気配が広がりつつある。
エラヴィア(……エラヴィアの言葉通り、やはりこの街には観測者が潜んでいた)
そう考えていたはずなのに、実際にその気配を肌で感じた瞬間、ベルの背筋を冷たいものが這った。
ベル(……でも、これは……あまりにも動きが早すぎる)
エラヴィアの異変から、まだ一日も経っていないというのに。
すでに彼らは街全体に手を伸ばし、じわじわと包囲を進めていた。
綿密に練られた計画、組織がベルを追い詰めるために重ねた執念の深さを感じる。
塔に現れた偽の聖職者。
その存在を思い返しながら、ベルは思考を巡らせる。 騒動の前から入り込んでいた者たちが、今回の“異変”に乗じて一斉に動き出したのだ。
たとえば――
「おや、最近よくお見かけしますね。巡礼の方ですか?」
通りの角で声をかけてきたのは、聖堂の僧衣をまとった男だった。
にこやかな笑みを浮かべながらも、その目には一切の温かみがなかった。
言葉の端々に、相手の反応を探る意図が見え隠れする。
ベルは、ごく自然に微笑みを返した。
ベル「ええ、少しだけこの土地に用があって。すぐに去りますよ」
「そうですか……では、良き導きがありますように」
男は軽く会釈し、背を向ける。
ベルは、その背が角を曲がって完全に消えるまで、視線を外さなかった。
ベル(……本物の僧侶なら、私の正体など気にも留めない)
彼らは、すでに“気配”を嗅ぎつけている。 神の祝福を帯びた異物――世界の理から外れた“異端”の存在を。
ベルは足早にその場を離れ、細い路地を抜けて別の区画へと足を向けた。
けれど、もはや完全な死角は残されていない。
神殿の広場では、誰も知らぬ新任の助祭が、毎朝の祈りを導いていた。
街の出入り口では、旅人への尋問がわずかに厳しさを増している。
《黒き観測者》による包囲は、静かに、だが確実に進行していた。
――そして、その影のさらに裏側で。
《蛇の法衣》の密偵もまた、目を凝らしていた。
街の外れ。 とある魔道具店の地下に設けられた隠れ家で、ローブを着た男が机に向かっていた。
「……神の系譜でも、精霊の加護でもない。この構造……根本が違う」
フードを深くかぶった錬金術師風の男は、緑がかった碧眼を細め、魔石の表面を注意深く見つめる。
それは、塔の一角に残されていた魔力の残滓から、彼が回収してきたものだった。
「本当に奇妙で……不吉で……だが、確かに存在しているとはな」
その言葉には恐れも混じっていたが、それ以上に、研究者としての興奮が静かに滲んでいた。
「観測者どもが動きを強めている。あれが少しでも“反応”を見せれば――観察する価値はある」
“反応”とは、対象が魔力を使い、消耗すること。
ベルはただ存在しているだけでは感知されにくい。
だが、一度でも力を振るえば、わずかな痕跡でも残る。 その瞬間を待つのだ――混乱の中で、彼女が消耗する、その時を。
密偵は、ゆっくりと古びた写本の端に指を滑らせる。
埃にまみれたその一文は、遥かな昔、禁術として封じられた不老不死よ研の究の残滓だった。
だが今、それが再び動き出そうとしている。
ベルは、まだ気づいていない。
彼女はすでに二つの異なる勢力に包囲され、 それぞれに異なる“意図”を持って、静かに追い詰められつつあったのだ。