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3-39

ベルのその声は、あたたかく、けれどどこか切なげだった。

まるで――幼い妹を懐かしむ姉のような、あるいは母のような、柔らかい響きだった。


ナヴィは一瞬、視線を逸らす。

焚き火の明かりに照らされたベルの横顔は、少女のそれだった。年若く、華奢で、儚げで――

けれど、その口から語られる“過去”は、あまりにも深く、遠い。


ナヴィ「……やはり、あなたは彼女よりもずっと長く生きているんだな」


ナヴィのその言葉に、ベルは答えなかった。

けれど、ふとした沈黙が、すべてを語っていた。


やがてベルは、焚き火の炎を見つめたまま、ぽつりと呟く。


ベル「……時間はね、人を強くもするけど、鈍くもするの。覚えていたいことより、忘れなきゃいけないことのほうが多くなるから」



ナヴィは言葉を失う。

不死という運命の、その重みの一端に触れた気がした。


風が、ふたりの間をすり抜ける。

それでも、焚き火は静かに燃え続けていた。


言葉が途切れ、静寂が降りる。


ナヴィの心に浮かんだのは、エラヴィアの書庫の深部に封じられている一冊の手記だった。

エラヴィアが、ベルとの旅を通して記していたもの。

不老不死の少女について、彼女が何を見て、何を思っていたかが、丁寧に綴られていた。


手記の内容をナヴィはすべて把握しているわけではない。


ただ、ある日エラヴィアがその一部を読み聞かせるように語ってくれたのだ。

死ねない身体、不吉な魔力、そして周囲の人間が彼女に向ける、説明のつかない渇望。

ベルはその始まりを「覚えていない」と言っていた。

いつから自分が不死となったのかも、誰によってそうされたのかも。

記憶の断片すら欠けているその姿に、エラヴィアは深い戸惑いと痛みを抱いていた。


エラヴィア「知りたかったの。あの子が何を背負っているのか、どこから来たのか……

調べるしかなかったのよ。ベル自身が知らないのだから」


そう語ったときの、エラヴィアの目の奥にあった焦りを、ナヴィは今でも忘れられない。


やがて、彼女はとある森へと通い始めた。

かつてベルと一人の青年が眠る「死神の揺り籠」を見守るため。

ナヴィはそれとなく理由を聞いたが、エラヴィアは多くを語らなかった。


けれど、ふとした瞬間に漏れた独り言が、ナヴィの記憶に強く残っている。


エラヴィア「……死神は、彼女の運命を悪戯にねじ曲げたのではないのかもしれない。

彼女を助けるために、禁忌にまで手を伸ばしたのだとしたら……」


その呟きのあと、しばし黙し、そして静かに続けた。


エラヴィア「……それでも、私は死神を許せない」


その想いが葛藤に満ちていたことを、ナヴィは理解していた。

相談してほしかった。

少しでも彼女の重荷を分かち合いたかった。


だがエラヴィアは、街の人々、ギルドの仲間たち、自分の届く範囲にいる者たちのことばかりを気にかける。

自分の奥底にある最も大切な「想い」を、言葉にすることはめったになかった。


そしてその想いの中心には、あの不死の少女――ベルがいたのだ。


ナヴィはこの旅で、ベルという存在を自分の目で見極めようとしていた。

だが実際に向き合ったとき、その考えは砕けた。

見た目は幼く、表情は静か。けれどその奥に潜むものは、ナヴィの想像をはるかに超えていた。


エラヴィアでも――

いや、エラヴィアだからこそ、あの手記を綴り続けずにはいられなかったのだろう。



ノクス「……ナヴィ?」


その声が、霧のような意識の深みからナヴィを引き戻した。


ゆっくりと目を開けると、朝の陽が斜めに差し込んでいた。光の筋が舞い上がる塵を照らし、あたたかな風が顔を撫でる。


ノクスがこちらを覗き込んでいた。いつもの冷静さは変わらないが、どこか気遣うような気配を帯びている。


ナヴィは上半身を起こし、無意識に頭を振る。足元には毛布がかけられていた。



ナヴィ(……俺は、いつ眠った?)


記憶がない。意識を手放した瞬間の記憶が、ぽっかりと抜け落ちている。旅の疲れもあるにはあったが、眠気を感じていたわけでもない。

なにより、竜人族である自分が、こんなにも無防備に――。


ノクス「ベルが……謝っていたよ」


ノクスが、言葉を選ぶように口を開く。


ノクス「疲れているように見えたから、勝手に休ませたって。気を悪くしないでくれ、と」


そのとき、ふと視線を感じてナヴィは振り返る。


少し離れた場所、木漏れ日の中。

そこにベルがいた。

膝を抱えて座りながら、こちらを見ている。


そして――微笑んだ。


やわらかく、あたたかく、けれどどこか遠くを見ているような、感情の焦点がわずかにずれたような微笑み。

それは慰めにも、優しさにも、あるいは罪悪感の仮面にも見えた。


ナヴィの胸の奥が、鈍く疼いた。


竜人族は魔法への耐性が高い。炎や雷といった物理的な現象であれば傷つくこともあるが、精神に干渉する類の術は、よほど大規模なものでなければ届かない。


それでも――彼女は、自分を眠らせた。


意識を”奪う“、死神の魔力。


その気配が、今もまだ、体の奥に微かに残っているような気がしてならない。


ナヴィは小さく息を吐いた。


ナヴィ(俺は……何を守ろうとしているんだ?)


問いは浮かぶが、答えは見えなかった。

ベルの微笑みは、まるでそれを見透かしているかのように、静かに揺れていた。


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