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3-34

ベルは外の空気を深く吸い込み、辺りに視線を巡らせた。

廃村というよりは、もはや村の残骸。脱け殻と呼ぶ方がふさわしい場所だった。


人目を避けて過ごすことの多いベルは、こうした廃墟や人の寄りつかぬ村を寝床として選ぶ傾向がある。

その理由の一つに、この村を彷徨う異形の魔物たちの存在があった。

彼らの姿はあまりに醜悪で、生者の目を逸らし、足を遠ざけるには十分すぎた。


異形の魔物。

それはこの地に溢れる“死”そのものが形を得た存在と考えられている。

死者の未練、断ち切れぬ感情、呪い、狂気。

それらが寄り集まり、やがて肉を持ち、動き出す。


異形の魔物と呼ばれる存在には明確な分類はなく、姿も性質も一様でない。

人間の姿を残したまま正気を失った者、動物の形をした者、あるいは影のように形を持たぬ者さえいる。

共通しているのは、生者の気配に強く反応するという曖昧な本能。

そしてその反応は、生前に抱えていた感情や記憶に左右されるとも言われている。


だが、ベルのように生と死の境界に立つ者に対しては、彼らは本能的に距離を置く。

死の匂いを強く纏ったベルの存在は、異形の魔物たちにとって、認識すらできない異質なものなのかもしれない。


今もまた、醜悪な四足の異形が、ベルの傍を通り過ぎてゆく。

崩れかけた肉塊のようなそれは、獣のようにも、人の成れの果てのようにも見えた。

だがベルに興味を示すこともなく、よろめくようにして暗がりへと消えていく。


生と死の狭間を彷徨うようなその存在に、ふと自分を重ねる。

未練、感情、呪い、狂気――

それは、永劫ともいえる時の中で、幾度となく彼女に向けられてきたもの。


ただ一つ、決定的に異なるのは、彼らには“終わり”があるということ。

ベルには、それが時折ひどく羨ましく思える瞬間がある。

彼女はそっと手をかざし、魔法の剣を虚空に浮かべた。


ベル「終わりをあげる」


低く、静かに囁きながら、魔力を込めた剣を、先ほど傍を通り過ぎた四足の魔物に突き立てる。

刃に纏わせた魔力は、肉を裂くのではなく――物質の結合そのものを奪い、存在を内側から断ち切るようにして、ゆっくりとその体を開いた。


魔物は何が起きたのか理解できないまま、呻くような声を上げた。

濁った瞳がベルを捉え、重く引きずるような脚で反撃の姿勢をとる――その前に、ベルの指先がわずかに動く。


彼女の手に浮かぶ黒い光が空気を奪い、空間が裂けた。

無言のまま放たれた魔法の一閃が、魔物の胸を斜めに走る。

その体は崩れ落ち、音もなく地に伏した。


終わった命に、ベルは一歩だけ近づいて見下ろす。

その表情には怒りとも、悲しみともつかない、濁った感情が宿っていた。

それは彼らがあまりにも簡単に終わることへの怒りか。

あるいは、自分には決して訪れない“終わり”を彼らが手にできることへの、羨望か。


ベル「……」


何も言わず、ベルは顔を伏せるようにして背を向けた。

そして、気配を探る。

すぐに、別の異形の存在が朽ちた民家の影から蠢き出てくるのを感じ取った。


背を丸め、脚が人のように関節を持たず、ずるずると地を這うその姿。

一度人間だったものが形を保てずに崩れたような、異形の魔物。


ベルはその場を蹴る。

舞い上がる枯葉と砂埃。

地を滑るようにして間合いを詰めると、魔法の刃を再び手に浮かべる。


魔物が口らしき裂け目を開き、咆哮のような、呻きのような音を上げる。

ベルはそれを黙って見据えたまま、剣を一閃。


ベル「終わって」


短く、呟いた。

その瞬間、魔法の剣が淡く光ると、魔物の頭部は中心に広がるようにその体が砕けた。

内側から消えていくように、音もなく、塵へと還る。


一息の間を置いて、また一体。

今度は、倒壊した井戸の影から蠢き出た、腕の異様に長い影。

それを視界の隅に捉えると、ベルは迷いなく足を向ける。


ひとつ、またひとつと命を終わらせていく。

何のために、誰のためにと問う声はもう、彼女の中にはない。

ただ“終わらせる”ことだけが、今のベルを動かしていた。


無駄なことだとは分かっていた。

この地に染みついた呪いは、彼女には清められない。

たとえ何体倒しても、また新たな異形が産まれてくる。


それでも、歩みは止まらない。

ベルは魔物を追い払いながら、崩れかけた村の道を進んでいた。


ねっとりと肌に残る魔物の体液を手の甲で拭い、ふと、さっき見た夢の断片が脳裏をよぎる。

押し込まれるような感覚。耳の奥に焼きついた囁き。

胸の奥がひどく冷たくなり、背筋を伝う悪寒に、彼女はひとつ肩をすくめた。


見上げれば、朽ちかけた教会が静かにそびえていた。

屋根は歪み、窓には蔦が這っている。鐘楼は崩れ、もはや神の名を呼ぶこともできない。


それでも——。

ベルはこの廃れた教会が嫌いではなかった。


崇める者も祈る者も消え去ったその空間は、まるで心の奥にぽっかりと開いた空洞のよう。

神のいない教会。

それは、自分と同じ空虚を抱えているような気がするから。


ゆっくりと扉を押すと、木の軋む音が重く響く。

中に満ちる冷たい空気が、まるで霧のように彼女の頬を撫でた。


そして——祭壇の前。

そこに、ひときわ異様な気配が蠢いていた。


それは、肉と鉄とが癒着したような塊だった。

どこまでが鎧で、どこからが肉なのか。

元の色など分からないほどに、血と泥に染まりきったそれが、ぐしゃりと蠢くたびに、教会の空気さえ濁っていく。


ベルの瞳が静かに細められる。

手のひらの上に、無音で魔法の剣が生まれた。


蠢く肉塊が軋む音を立てて動く。

それはかつて「人間」だった形の残滓。


ベルは無言で手をかざし、光を編む。

魔法の刃が彼女の指先に浮かび上がる。

だが、放とうとしたその瞬間。


——ちらりと、金属の鈍い光が視界の端に映る。


光を受けて鈍く反射する、それは胸部に埋まった一枚の鉄片。

血と泥にまみれたそれは、歪みながらも確かに、紋章を刻んでいた。


ベル(……あれは)


魔法を解き、ベルは静かに目を細める。

その印に見覚えがあった。


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