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3-32

ノクスは、ナヴィを知っていた。いや、思い出したという方が近いだろう。

かつて「カイル」として魔法ギルドに在籍し、エラヴィアのもとで学んでいた頃――ほんの数度、言葉を交わしただけの間柄にすぎなかったが、あの鋭くも澄んだ眼差しと、静かな気配は印象に残っていた。


ノクス(覚えていないのか、それとも……)


ノクスは一度だけナヴィを見上げる。その視線に気づいたのか、ナヴィもちらりと視線を返した。


ナヴィ「……会うのは初めてじゃない、気がするんだが」


ナヴィがぼそりと呟いた。だが、それは確信ではなく、どこか曖昧な響きを帯びている。


ノクス「昔、ギルドで……十年以上は前になるのか……少しだけ言葉を交わしたことがある」


ナヴィ「そうか。悪いな、記憶が曖昧で。あの頃は色々と立て込んでいた」


軽く目を伏せるナヴィの声に、わずかな疲労と懐かしさが滲んでいた。


――そう、ナヴィは当時から“蒼風の守り手”として各地を駆けていた。

ギルドに籍を置いていたとはいえ、ノクスのような新米を記憶に留めておく余裕など、きっとなかったのだろう。


だが、忘れられていても無理はない。彼はノクスが生まれるよりも前から、エラヴィアの右腕と呼ばれる存在だった。


見た目こそ青年だが、ナヴィは滅びの運命にある銀竜族の末裔であり、その血を引く彼の年齢は、すでに150年を越えていると言われている。


ノクスにとってエラヴィアは魔法の師であり、深く尊敬する存在だったが――ナヴィにとってはそれ以上の存在なのだと、今ならわかる。


遥かな孤独の放浪を経て、彼はエラヴィアに出会い、救われたのだという。その恩義を胸に、ナヴィは“蒼風の守り手”の名のもと、彼女の盾となり剣となり続けてきた。


ナヴィはベルを見つめ、淡々と口を開いた。


ナヴィ「貴方には礼を言いたい。あの忌々しい、あの街の風を汚した出来事のことだ……俺はあの日も、仕事で街から遠く離れていた」


黒き観測者と名乗る組織が、街に滞在するベルをあぶり出すために、エラヴィアの街の風を呪術と魔導具で淀ませ、彼女の命を危険にさらした。

ベルは自分の居場所や正体が明かされることを恐れず、死神の異質な魔力でエラヴィアを救ったのだ。


ナヴィは少しだけ言葉を選びながら続ける。


ナヴィ「エラヴィア様を救ってくれたこと、感謝している」


ベルは肩の力を抜き、静かに応えた。


ベル「それは私のせいでエラヴィアが苦しんだことだから、当然よ。それに、エラヴィアは大切な友達だから」


ナヴィ「エラヴィア様の友人である貴方も同じくらい大切な存在だ。この旅の間、この命を賭けてでも守らせてもらう」


そう言うと、ナヴィは静かに膝をつき、ベルの手を取った。


その時だった。

ベルの目が見開かれる。


瞳の奥に、魔法を使うときと同じ紅の色がにじみ出た。

赤紫に揺れる光が、静かに彼女の視線を染めていく。


だが、それ以外に彼女の体は一切動かなかった。

時間だけが止まったような、異様な静けさ。


ノクス「ベル……?」


ノクスが立ち上がる。

すぐに駆け寄り、彼女の傍らにひざまずいた。


その光景は、既視感のあるものだった。

隠れ家で、エラヴィアと三人で話をしていたとき。

幼い子どものように、ベルが怯え、泣いていたときと――同じだった。


魔力を使っている様子はない。

それなのに、瞳の色だけが変わっている。


ナヴィもその異変に気づき、息を呑む。

静かにノクスに問いかける。


ナヴィ「ノクス……彼女に、何が起きている?」


ベルは、ナヴィに握られていた手を振り払った。

言葉もなく、大粒の涙をこぼし始める。


体が小さく震え、やがて膝を抱えて、己を包み込むようにうずくまった。


ベル「……いや……いや……」


何かを否定するように、か細くつぶやきながら首を横に振る。

ノクスはそっと背中に手を添え、優しくさすりながら声をかけた。

またか、とノクスは隠れ家での夜を思い出す。


ノクス「ベル、大丈夫だ……君を傷つけるものは、ここにはいない」


その言葉に、ベルの肩がわずかに揺れる。

反応が返ってきたのを確認して、ノクスはさらに言葉を重ねる。


ノクス「ああ……だから、もう泣かなくていいんだ」


ベルの涙は止まらないまま、しかしその言葉にすがるように目を伏せる。


ノクスは小さく息を吐き、彼女の髪をそっと撫でながら、静かに詠唱を始めた。

短い眠りの魔法。彼女の心を少しでも休ませるために。


やがてベルの身体がゆっくりと崩れ落ちるように、ベッドへと倒れ込んだ。


ノクス「……ナヴィ」


ノクスは声を落とし、隣に立つ彼にだけ聞こえるように言った。


ノクス「俺にも、先生……エラヴィア様にも……彼女に何が起こっているのか分からないんだ」


ナヴィは深く眉を寄せた。

倒れて眠るベルを見つめ、その姿にかすかな痛みを覚える。


ナヴィ「まるで、別人のようだった」


その言葉が空気に沈む中、ノクスは静かに目を閉じた。

ひとつ、思い当たることがあった。


――赤く揺れる瞳。

あれは前回の時にも見た。


エラヴィアと三人で、ベルの“呪いの糸”について話していた夜。

そして、今はナヴィがベルの手を取り、騎士のように誓った直後だった。


ナヴィは黙ってベルの寝顔を見つめていた。


ナヴィ「ノクス……これは、普通じゃない」


低く、押し殺した声でナヴィが口を開く。


ナヴィ「言えるところだけでもいい、俺にも教えてくれないか?

これでは彼女を守れない」


ノクスはわずかに目を伏せ、言葉を選ぶようにしてから静かに口を開いた。


ノクス「ベルの言葉や思考……そこに出てきた何かが引き金になり呪いの糸が……彼女の魔力を捉えて混乱させた?」


ノクスは思考をまとめるようにゆっくりと話す。


ノクスの「いや、むしろベルに自分を思い出して貰ったこと、それが呪いの糸を伝い向こうに……」


ノクスの中で徐々に形が出来ていく。

ベルに名前を呼ばれただけで、その瞳に自分を映しただけで歓喜に震える狂気の男。

彼のかつての聖騎士の頃を思わせる動作、それが先ほどのナヴィの誓いと重なって、ベルは思い浮かべてしまった。


ベルの言葉、記憶、五感すべてに呼応するように糸を引く姿。

慟哭ノ従者セラフ。

その姿がノクスの頭に不吉な色を含んで浮かび上がる。

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