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※内容に変わりはありませんが、文章を整えました。
扉の前で、ベルは一度だけ振り返った。
エラヴィアはまだ目を覚まさない。けれど、その表情は穏やかで、先ほどまでの苦しみは幾分和らいでいるように見えた。
静かに息を吸い込み、ベルは指先を掲げる。
淡く光る紫の魔力が空間ににじみ出し、ゆっくりと部屋の入り口を中心に広がっていく。
見えない結界が部屋全体を包み込むように張り巡らされた。
それはベルにしか扱えない、異質な魔力。
奪う力、終わらせる力。不吉な魔力。
その力を持つことが、死神の祝福を受けている根拠の一つだと、ベルも思っている。
だが、それが友人を守るためにならば、たとえ不吉な力であろうと構わない。
魔力の波はやがて静まり、扉の縁にだけ淡い光の痕跡を残して消えた。
それは、エラヴィアの眠る部屋を包み込む柔らかな、守るための檻。
この部屋の気配を奪ったことにより、エラヴィアの信頼するものにしか知覚できない状態となっていた。
ベル「この結界は、力を取り戻すまで、貴女を守るわ」
ベルはそっと微笑み、言葉を置いた。
返る声はない。ただ、どこか遠くから微かに風の音だけが響いていた。
扉を閉じるその瞬間、ベルの表情に一瞬だけ、年相応の柔らかな色が滲んだ。
けれどそれも束の間、すぐに消え去り、代わりに冷えた沈黙がその顔を覆う。
――黒き観測者が、この街で動き始めている。
街角の祈祷所が、理由も告げられぬまま閉鎖された。
人の絶えなかった露店は、ある日を境に影も形もなくなった。
そして夜になると、見慣れぬ修道服を身に纏った者たちが、通りを巡回するようになった。
表向きは、宗教団体から派遣された僧侶。
だが、彼らの目は一切笑っていない。そこには信仰の光も、救いの気配もなかった。
ベル(……聖職者の面を被った、狩人たち。黒き観測者)
ベルは顔を伏せ、フードを深くかぶる。
まるで、誰の目にも映らぬように。
そうして、冷たい石畳の通りを静かに歩いていった。
その背中を、誰かが見つめていた。
街の片隅、朽ちかけた工房の陰。
フードを目深にかぶった、錬金術師風の人物。
彼の着るローブの胸元には、金色に鈍く光る二匹の蛇と古代魔法の紋様がつけられている。
「あの魔法の残滓、あの少女が……」
呟きは風に消え、彼の姿も闇に溶け込むように消えた。
――ベルを追うもう一つの影、《蛇の法衣》の密偵もまた、動き出していたのだ。