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3-26

空は茜から紺へと、ゆるやかに色を変えていく。

西の地平には、まだわずかに陽の名残があり、雲の端が金色に縁どられていた。

小屋の窓から漏れる淡い灯りが、揺れる草の影をやさしく照らしている。


隠れ家の台所では、ベルがミィナの横でぎこちないながらも一生懸命に野菜を刻んでいた。湯気の上がる鍋の中には、香ばしい匂いとともに、季節の恵みがことことと煮込まれている。

ノクスは隣室で、薬草を広げた布の上にしゃがみ込み、一枚一枚、葉の形や色を確かめながら選別していた。ミィナに教わった通りに、正確に、丁寧に。


扉がわずかに開き、外の風がふっと一瞬だけ吹き込みカーテンが揺れる。

その風とともに、エラヴィアが戻ってきた。足音もなく、まるで風の一部のように。


エラヴィア「ただいま。遅くなったわ」


エラヴィアが扉口に立ち、ふっと微笑んだ。


薄明かりに照らされた彼女の姿は、背後に淡い影を落としている。

けれど、台所のあたたかな灯りと、そこに満ちる三人の気配が──その影をそっと溶かしていく。


エラヴィアの表情には、かすかに疲労がにじんでいた。けれど同時に、安堵と喜びが柔らかに混ざっていた。


エラヴィア「ベルが料理をしているなんて……初めて見る光景ね」


上着を脱ぎながらそう言うと、ベルは小さく肩をすくめる。


ベル「そうだったかしら? これでも昔、城で女中のような仕事をしていたこともあったのよ」


エラヴィア「ベル、あなたの言う“昔”って……いったいどれだけ昔の話なのよ?」


ベル「……思い出せないくらい、ずっと前のこと。でも、確かなのは──今の私は、ミィナに教えてもらうことばかり、ってこと」


そう言って、ベルはミィナに向かってふわりと微笑みかけた。

ミィナは胸を張ったものの、照れたように耳をぴくりと伏せる。


その小さな仕草さえも、やさしく、あたたかい空気の中に溶け込んでいた。


やがて食卓には、温かなスープと焼きたてのパン、野菜と香草の香りがふんわりと立ち上る一皿が並んだ。


空はすっかり夜の帳に包まれ、窓の外には星がひとつ、またひとつと浮かび始めていた。

食後の片づけを終えたあと、焚き火の灯りのようなランプの下で、それぞれが思い思いの席につく。

ベルは静かに椅子に腰かけ、ノクスは床に膝を抱えて寄りかかっていた。


そして、しばらくの沈黙ののち。

エラヴィアがふと顔を上げ、静かに言葉を切り出した。


エラヴィア「今日、いろいろと調べてきたの。これからのことについて、話したいわ」


エラヴィアが少し硬い声で切り出す。

ミィナは、エラヴィアの表情を見て何かを察したように、少し考えるそぶりを見せてから立ち上がった。


ミィナ「あっ! 難しいお話なら、ミィナはやることがあるから、お部屋に戻るね!」


真剣な面持ちのエラヴィアを見て、遠慮をしたのだろう。けれどその表情は明るく、気遣いに満ちていた。


エラヴィア「悪いわね、ミィナ」


ミィナ「エラヴィアが二人のことを、ずっと待ってたのをミィナはちゃんと見てたからね。何かできることがあったら、いつでも言ってにゃ!」


そう言ってミィナは、先ほどノクスが選別した薬草の入った袋を小脇に抱えると、軽やかな足取りで部屋を出ていった。

扉がパタン、と優しく閉まったあと、ふと場の空気が静まる。


ノクスがその沈黙を破るように口を開いた。


ノクス「今日一日で、先生がミィナを信頼してる理由が、よくわかりました」


ベルも小さくうなずいた。


エラヴィアは、どこか安堵したように微笑んだ。


ミィナが食後に用意してくれた温かなハーブティーのカップを、両手で包むように抱きながら、そっと口を開く。



エラヴィア「まずは……呪いのことからね。ベル、自分で何か感じてる?」


ベル「ええ。なんというか、心の奥が何かに引かれているような……引っ張られる感覚があるの」


エラヴィア「その呪いには名前があるの。“永縁のえいえんのいと”って呼ばれているわ。

……相手の感情や行動に緩やかに干渉して、時には意志すら縛ることがある。まるで、見えない糸で心を繋がれているように」


ベル「……あいつらしいわね。陰湿で、根深い呪い」


エラヴィア「詳しい事は、実際にその“糸”を視認しないとわからないみたい。

私もいろいろ調べてみたけど……残念ながら、私は呪術の専門じゃないの。風と自然の魔法では、対処しきれない」


そう言うエラヴィアの声は穏やかだったが、言葉の端に悔しさがにじんでいた。

彼女は自然と調和するエルフの魔法を得意とする。負の感情に根ざした呪術とは、本質的に相容れないのだ。


ノクス「では──その話をしてくれた方に、ベルを見てもらうのはどうでしょうか?」


ノクスの提案に、エラヴィアは一瞬だけ視線を伏せ、そっと首を横に振った。


エラヴィア「……それは難しいわ。その子は、“永縁の糸”について知識として知っていただけ。

記されていたのも、誰にも読まれなくなった古い本の、ごく一節だけだったの」


エラヴィアの声が静まると、場の空気にも小さな沈黙が落ちた。


エラヴィア「そして、この呪いは……糸が“見える者”にしか扱えない。

つまり――その糸を見ることができる呪術士を探すこと。それが、今の私たちの目的ね」


ノクスの脳裏に、ルーヴェリスの姿がよぎる。

ベルに絡みついた糸を、一本ずつ繊細にほどいていった神の手。

それでもなお残された、赤黒く粘つく呪い――

神ですら断ち切れなかった、あの“糸”を。果たして誰が解くことができるのか。


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