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3-23

エラヴィア「……おかしいと思ったの」


夜風が吹き抜ける静寂のなか、エラヴィアがふと呟く。


ノクス「おかしい?」


ノクスが問い返すと、エラヴィアはゆっくりと頷いた。


エラヴィア「これまでにもベルが“揺り籠”から目覚めた後のしばらく、眠ることが増えることはあったわ。

でも……今回は違うの。まるで引きずられるように意識を落として、しかも夢でうなされてる。あの子の魔力が、わずかに揺らいでいる」


ノクスは唇を引き結び、しばらく沈黙した後、静かに言葉を紡いだ。



ノクス「……それが、俺の話した“呪いの糸”のせいかもしれません」



ノクスの脳裏に、ベルが“揺り籠”から目覚めた直後の光景がよみがえる。

黒き観測者の襲撃――その後、彼女が目を覚ますまでに、確かに眠りに落ちていた。



ノクス「この呪いの糸は、ベルの命、生命の根幹に絡みついています。普通の術式では解けない。彼……死の神でも、触れただけで彼女に苦痛を与えてしまうほどに……」



ノクスはそこでふと口を止め、目を細めた。




ノクス「……それと、思い出しました。先ほど、ミィナが言っていたんです。この森で“黒い影”を見たって」



エラヴィア「黒い影?」


エラヴィアの眉がわずかに動く。



ノクス「ええ、先生とミィナが出会った時の話です」



エラヴィア「ああ、あの時は、慣れない道で迷って怯えていたあの子のもとに、風が導いてくれたの」



エラヴィアは懐かしむように目を細めたが、その瞳はすぐに真剣な光を帯びる。



エラヴィア「まさか、その影というのが……」



ノクス「ええ、“やつ”だったのでは。ベルを呪いで縛っ

た本人——“慟哭ノ従者”だったのではないでしょうか」



エラヴィア「ありえないわ」



エラヴィアは静かに首を振った。



エラヴィア「私もこの森へは何度も足を運んだもの。そのように邪悪な考えを持つものがいれば、すぐに風が知らせてくれるはず」



もちろん、ノクスもそのことは理解していた。

風の精霊に愛されるエラヴィアは、その気になれば森の隅々に至るまで、その変化を感じ取れる。

けれど、だからこそ——。



ノクス「それでも……思えないのです、あの狂った騎士が、ベルを諦めたのだとは」



ノクスの声は低く、苦みを帯びていた。

彼の脳裏に蘇るのは、揺り籠の夢の中で追体験した、愛という名の狂気。




エラヴィア「……あれから、“黒き観測者”の噂は鳴りを潜めている」


エラヴィアはさらに続ける。


エラヴィア「同時に、“慟哭ノ従者”の消息も途絶えたまま」


エラヴィアは黙して目を伏せた。

否定する言葉が出てこない。

噂がないということは、死んだという確証もまた、ないということ。


ノクス「セラフが……あの男が、ベルの姿を見るためにこの森を訪れていたのだとしたら」


ノクスの目が細められる。


ノクス「やはり今も、生きていて……あの“赤黒い呪いの糸”でベルを縛り続けているのかもしれない」



エラヴィア「……ベルがまだ、あの男に囚われている……」


エラヴィアの声は震えていた。

まるでその想像だけで、森の空気が凍りつくかのようだった。



ノクス「風が何も告げてこないのなら、奴は“風”さえ欺く術を手に入れたか……あるいは、もっと深い“影”に潜んでいるのかもしれません」



エラヴィアとノクスは、行き詰まった会話をひとまず切り上げて隠れ家の中へと戻った。



そこには、静かな寝息を立てて眠るベルの姿。

その傍らで、手際よくテーブルに食事を並べているミィナが振り返った。



ミィナ「わっ、ちょうどよかった!今から呼ぼうと思ってたんだよ〜!」



ミィナは笑顔でそう言いながら、料理の器を整える手を止めずに続けた。



ミィナ「ベルね、さっきちょっとだけ目を覚ましたの。だから気分が楽になるように薬湯を飲ませてあげたの。

うん、ちょっと苦かったみたいだけど、がんばって飲んでくれたよ」


少し声のトーンを落としながら、耳と尻尾をほんのり垂らす。


ミィナ「……なんだか、すごく怖い夢を見てたみたい。起きた時、ちょっと震えてたから……」


その言葉にノクスが目を向けると、ベルの枕元に白い花が一輪、そっと置かれているのに気づいた。



ルーナグラス――先ほどミィナが「安眠と癒しの魔力を持つお花」と教えてくれた、淡く光る白い花。



ノクス「ありがとう、ミィナ」


ノクスが静かに言うと、エラヴィアもそっとミィナの頭に手を伸ばし、優しく撫でた。


ミィナ「うんっ……えへへ」


ミィナは照れたように笑いながらも、どこか誇らしげに鼻を鳴らした。




テーブルの上には、香ばしく焼かれたパンの香りがほんのり漂っていた。

ミィナが森で摘んできた木の実を練り込んだ生地は、ところどころ艶のある赤や紫の粒をのぞかせている。



ミィナ「はい、これ!木の実パンと、温かいスープ!あと、野草のサラダもあるよ」



ミィナは誇らしげに胸を張りながら、席に着くノクスとエラヴィアに料理を差し出す。

器のひとつひとつに、野花をあしらった布が敷かれており、素朴ながらも丁寧な心配りが感じられた。


ノクスはパンをひとくち口に運び、ゆっくりと噛みしめる。



ノクス「……ほんのり甘い。木の実の香りが生きてる。美味しい」



ミィナ「えへへ、でしょ? その実、さっきのルーナグラスの近くに落ちてたやつなんだ。甘くてね、焼くと香ばしくなるの!」



エラヴィアも静かにスープを口に含み、ふっと小さく息を吐く。



エラヴィア「ミィナ、ありがとう。……こんな時でも、あなたのおかげでほっとするわ」



ミィナ「うん、わたしも、こうしてみんなで食べられて嬉しいんだよ。ベルのこと、心配だけど……明日の朝はベルも一緒に食べられるといいな!」


ミィナはそう言って、小さな手でお皿を押さえながら、控えめに笑った。

その声には、まだ幼さを残す不安が滲んでいたが、それ以上に、誰かを守ろうとする意志のこもった強さがあった。



エラヴィア「そうね、ミィナ。明日また来るわ。それまで、二人をお願いしてもいいかしら?」


エラヴィアの問いかけに、ミィナはピンと背筋を伸ばし、大きく頷いた。



ミィナ「もちろんだよ、エラヴィア!この隠れ家のことならミィナが一番わかってるんだから!まかせて!」



尻尾を軽く揺らしながら胸を張るその姿に、ノクスもわずかに微笑む。

エラヴィアは立ち上がりながら、静かに語り始めた。



エラヴィア「ベルの状態も、あの男の動向も、今はまだ不確かなまま。無闇に動くのは危険だわ。……でも、呪いについて心当たりのある人物がいるの。調べてくる」



そう告げると、エラヴィアは杖をひと振りし、床に淡く輝く転送陣を描いた。

静かな光が彼女の身体を包み込み、次の瞬間、ふっとその姿が消える。



一瞬の静寂が訪れた後、ミィナはそっと食器を重ねながら口を開いた。



ミィナ「……ノクス、不安なの?」



彼女は無理に明るくしようとするでもなく、ただそっと問いかけるような声で。

耳を少し伏せながら、それでも手を止めずに、丁寧に片付けを続けていた。



ミィナ「この隠れ家はね、本当に“隠れ家”なんだから! 森のどんな獣たちよりも見つけにくいよ! ミィナとエラヴィアでばっちり隠したんだから、安心していいの!」



ミィナが胸を張って言うその様子に、ノクスは思わず笑みをこぼす。



ノクス「……なんだか、本当に大丈夫な気がしてきたよ。ミィナにそう言われるとね」



もちろん、ノクスの心の奥に巣食う不安はそれだけではなかった。けれど、ミィナの明るさが、少しだけその闇に光を差してくれる。



ミィナ「何かあったら、お姉さんにまっかせなさーいっ!」



ノクス「……お姉さん?」



ミィナ「えっ、聞いてなかった? エラヴィアが言ってたと思ったけどなぁ。ま、獣人族って年齢わかりにくいってよく言われるし!」



ぺろりと舌を出して悪戯っぽく笑うミィナ。その耳が、嬉しそうにぴくぴくと動いている。


そのあとも、ふたりは肩を並べて片付けをしながら、他愛もない話を続けた。



森の中にひっそりと灯る明かりと、静かな寝息を立てるベルの気配。

不安の夜に、わずかでも温かさが残る――そんな、やさしい夜がふけていった。

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