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束の間の静寂を破ったのは、ミィナだった。


ミィナ「ねえ……さっきエラヴィアに軽く紹介されたんだけどさ……えーっと、ごめん、名前……もう一回聞いてもいい?」


薬草袋を抱え直しながら、ミィナは少し照れたように笑う。

その素直な様子に、ノクスも自然と口元を緩めた。


ノクス「俺の名前は、ノクス・アスフォデルム」


その声には、まだわずかな戸惑いが混じっていた。

つい最近、新たに与えられたその名は、まだ彼の舌に馴染みきっていなかったのだ。

まるで、自分に言い聞かせるように、静かにその名を口にする。


ミィナ「ノクス・アスフォデルム……うん、いい名前だね!」


ミィナは嬉しそうにその響きを反芻し、目を輝かせて続けた。


ミィナ「ノクスは“夜”、アスフォデルは冥界に咲く花。そしてエルムは“守り”の象徴。

夜を照らす冥界の花を守る、静かで強い道標みたい!

君の名前自体が、まるで物語みたいだね!」


ノクス「……君、意外と博識なんだな」


ノクスの言葉に、ミィナは得意げに胸を張った。


ミィナ「ミィナは植物のことなら誰にも負けないよ!それに……花にはね、たくさんの想いが込められてるんだ」


そう言って、薬草袋の中から一輪の白い小花を取り出す。


ミィナ「これは〈ルーナグラス〉。夜の風が吹く場所にしか咲かない、月の光を蓄える草なんだって。

この花の香りには、安眠と癒しの力があるの」


その言葉に、ノクスはどこか遠い景色を思い起こすように、小さく頷いた。

――ルーヴェリスが与えたこの名前に込めた意味。

それを、少しずつ胸の中に受け入れていくように。


ミィナ「ノクス、中に入りにくいなら、ミィナのお部屋に来る?」


ミィナがぱっと顔を上げてそう言った。


ミィナ「エラヴィアが、ミィナにこの隠れ家の管理を任せるために、お部屋を作ってくれたの!」


その瞳は好奇心と期待にきらめいていて、気を利かせたというより――

ただ自分の部屋を誰かに見せたくて仕方がない、そんな無邪気な子どものような笑顔だった。


ノクス「それじゃあ、お言葉に甘えて」


ノクスが立ち上がると、ミィナも跳ねるように勢いよく立ち上がり、薬草袋をぎゅっと抱え直した。


ノクスに「じゃあ、ついてきて!」


そう言うやいなや、彼女は猫のようなしなやかな動きで、隠れ家の屋根へと飛び移る。


ノクス「えっ、ミィナ、ちょっと待って!」


ノクスが慌てて声をかけると、ミィナは肩越しに振り返って、いたずらっぽく笑った。


ミィナ「ミィナのお部屋は、屋根からも出入りできるのが自慢なんだよ!」


大きく膨らんだ薬草袋を抱えたままでも、彼女の動きには一切の無駄がない。

ノクスも慌ててその後を追いかけるが、慣れない隠れ家の曲線と滑らかな屋根に、やや手こずる。


それでも、幸いにも半球状の構造は比較的登りやすく、なんとか彼女のあとを追って屋根にたどり着くことができた。


ちょうどそのとき――空が茜色に染まりはじめていた。

風が少し冷たくなり、日中の陽気が嘘のように引いていく。

森の上に広がる広大な空が、まるで液体のように、ゆっくりとオレンジから紅へと溶けていくその光景は――

言葉を忘れるほど、美しかった。


ミィナ「ね、見て見て。夕焼け、すごくきれいだよ」


ミィナが隣に並んで、ノクスと同じ方向を見上げる。


ミィナ「秋になるとね、ミィナの毛の色も紅葉みたいに変わるんだよ。この夕焼けと、同じ色合いになるの。すごいでしょ?」


得意げに微笑むミィナを見て、ノクスはふっと笑みをこぼした。


ノクス「それは……見てみたいな」


ミィナ「ふふーん、楽しみにしてて!」


しばし、ふたりの間に静けさが流れる。

聞こえるのは風の音と、遠くで鳥が巣に戻る羽音だけ――。


ミィナ「じゃあ、そろそろお部屋に行こうか!」


ミィナが意気揚々と、屋根の中央にある小さな出入り口の扉を開く。

勢いよく中に入ろうとしたそのとき――

抱えていた袋の口がほどけて、薬草がバサバサと中へこぼれ落ちた。


ノクス「うわっ!? ちょ、ちょっとミィナ、部屋の中が……!」


ミィナ「わーっ、やっちゃったー!」


ふたりは慌てて部屋に飛び込む。

狭い室内の床に、色とりどりの薬草が舞い落ち、まるで緑の花吹雪のようだった。

呆然と立ち尽くすふたり。


そして、ふと顔を見合わせ――


ノクス「ははっ……なんか、にぎやかな歓迎だな」


声を揃えて笑い出した。


ミィナとノクスは、床に散らばった薬草や花々を、香りや色、効能ごとに手際よく分けていた。

ノクスの様子を見ていたミィナが、ぱちりと目を丸くする。


ミィナ「ノクスって薬草の扱い、慣れてるんだね」


ノクス「錬金術も、治癒の魔法も少し学んでたから。……昔、魔法ギルドにいた頃に、エラヴィアから教わったんだ」


ミィナ「へえー、エラヴィアが先生かあ。なんか、想像できないなあ。もっとこう、のほほんとしてるっていうかさ」


ミィナは楽しげに笑いながらも、器用な手つきで薬草の束をまとめていく。

その笑顔に、ノクスもつられて少しだけ口元をゆるめた。


ミィナ「ミィナね、最初にこの森に来たのは……たしか、五年か六年前くらいだったと思う。旅の薬師としていろんな土地を巡ってて、薬草を探してたんだけど」


ミィナの声が、ふと少し低くなる。


ミィナ「ある日、森の奥で見ちゃったんだよ。黒い影みたいな……なんていうか、ただの動物とかじゃなくて、すごく冷たい、気配だけで肌が逆立つような“何か”」


その言葉に、ノクスの手がぴたりと止まった。

心の奥に焼き付いた、あの人影が脳裏をよぎる――


妖しく光る瞳。

歪んだ鎧。

狂気に囚われた忠誠の影。


慟哭ノ従者――セラム。


ノクス「……それで、どうしたんだ?」


ノクスが静かに問いかける。


ミィナ「ミィナとっても怖くてさ。慌てて逃げようとしたんだけど、気づいたら道に迷ってて……」


ミィナの声が少し震えを帯びる。


ミィナ「そのとき、優しい風がふわって吹いて……すぐそばに、エラヴィアが現れたの。まるで、森が呼んだみたいに」


ミィナは、あの時の記憶を抱きしめるように笑った。


ミィナ「怖がってるミィナに、すごく静かに、穏やかに話しかけてくれた。風みたいな声でね。それで、気づいたら安心してたの。不思議だよね……初めて会ったのに、すごく安心できたの。


それから少しの間、一緒に森を歩いたの。それが、この場所に来るきっかけになって……今じゃ、こんな立派なお部屋までいただいちゃって」


ノクスは、ミィナの柔らかな口調に救われるように息を吐き、再び手を動かし始めた。


胸の奥に疼く痛みはまだ消えていなかったが、それでも今この部屋にある静けさが、ほんの少しだけ、その痛みを和らげてくれる気がした。


ミィナの語りの続きを待ちながら、ノクスはふと、「黒い影」という言葉の残響に囚われる。

森を彷徨う、正体の知れぬ存在。

そして、心の奥底をかすめる慟哭ノ従者セラムの影。


……まさか、あの存在が。


言葉にしようかと迷っていた、そのとき。

不意に、外から落ち着いた女性の声が響いた。


エラヴィア「ミィナ、少し良いかしら」


ミィナ「エラヴィア!入っていいよー!」


ミィナの元気な返事に続いて、エラヴィアが軽やかに部屋に入ってくる。

散らばる薬草の山と、それを仕分ける二人の姿に、彼女は小さく微笑んだ。


エラヴィア「ノクス、ミィナのお手伝いをしていたの?」


その声色はまるで幼い子どもに話しかけるかのように柔らかく、ノクスは少し戸惑ったように笑みを返す。

千年を超えて生きるエラヴィアにとって、この二人の若者もまだほんのひよっこに見えているのだろう。


エラヴィア「ミィナにお願いがあるの。ベルが少し疲れているみたいだから、何か薬を作ってもらえる?」


ミィナ「お薬?まっかせて!」


頼られたことがよほど嬉しかったのか、ミィナはぱあっと顔を輝かせると、棚や籠を引っ掻き回してあちこちから材料を取り出し始めた。


エラヴィア「その間にノクス、少し良いかしら」


エラヴィアが視線を移してノクスに語りかけると、ミィナは「にゃーっ」とまるで猫のように返事をする。

それが「行ってらっしゃい」の意味だと、ノクスもすぐに理解した。


ノクスは一つうなずくと、立ち上がりエラヴィアのもとへ向かう。

彼女の表情は、どこか真剣なものに変わっていた――何か、話があるのだろう。



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