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※内容に変わりはありませんが、文章を整えました。
魔法ギルドの塔――その最上層にある私室で、エラヴィアは静かに横たわっていた。
容体が安定すると人々は部屋を後にし、静寂だけが残された。
カーテン越しの淡い光が、昼と夜の境を曖昧に染め、室内に柔らかな陰影を落としている。
その傍らの椅子に腰かけ、ベルはただ黙って彼女の寝顔を見つめていた。
呼吸は穏やかだが、魔力の揺らぎはまだ完全には収まっていない。
風の精霊たちが耳を澄ますように、空気には微かな緊張が漂っていた。
無理に引きずり出された魔力の痕は、確実にエラヴィアの身体を蝕んでいた。
街の空気を操る風の魔導師としての彼女の力を、誰かが意図的に利用したのだ。
魔力の流れを淀ませることで彼女を苦しませ――そして、それに反応するベルの存在をあぶり出そうとした。
ベル「……風の流れを操る者にとって、街の空気そのものが毒となるなんて」
ベルは小さく息をつき、静かに立ち上がった。
窓辺へと歩を進め、遠く街を見下ろす。
塔の上からでも感じられる――街に流れる気配の歪み。
目を閉じ、感覚を研ぎ澄ます。
だが、ベルには風の囁きが届くことはない。エラヴィアのように精霊と通じる術は持たなかった。
それでも、空気の重さ、光の鈍さ、そして魔力の痕。
それらが微かに訴えていた。
この異変はまだ終わっていない、と。
(……何かが、探している)
静かに意識を巡らせながら、ベルは確信した。
かつて自分を追って現れた、あの男。
聖職者を装った《黒き観測者》。
《黒き観測者》
神に由来する祝福や、世界の理から外れた存在を監視し、記録し、時に“排除”する者たち。
今まさに、彼らは塔の外を包囲し、気配を張り巡らせていた。
その視線の主たちは、もはや“確信”を得ている。
エラヴィアが命を削って隠し通そうとした“客人”こそ、異端。
神に与えられた祝福、死神から授けられた、不老不死の力を持つ存在。
ベルの気配は、通常の魔術的感知では捉えられない。
神の祝福によって変質したその存在は、世界の理から外れた“歪み”として存在している。
だからこそ彼らは、傍にいたエラヴィアを狙った。
そして、ベルが魔法を使った瞬間。
その力の痕跡を、あの男――潜入者の一人が確かに目撃していた。
ベル(……うまくやられたものね)
ベルは乾いた吐息を洩らした。
エラヴィアを救ったその行為が、同時に“異端”としての自分をさらけ出す結果となった。
神の祝福を受けた者、死を超越した者。
彼ら《黒き観測者》が最も忌み嫌う存在。
ベル「……迷惑を、かけてしまった」
その声は、彼女の胸の奥底から、自然とこぼれ落ちていた。
視線をエラヴィアへと戻し、微かに伏せたまま目を閉じる。
そして、静かに決意する。
この街を去らねばならない。
塔の外は、すでに包囲されつつある。
だが、脱出は不可能ではない。
問題なのは、これ以上ここに留まれば、ギルドが――エラヴィアが、再び危険に晒されるということだ。
彼女は知っていた。
“異端”として生きるということは、関わる者すら巻き込むということ。
ベル(……だから、私は)
静かに唇を結び、ベルは窓の外を見つめた。
遠く、まだ薄明の気配を残す空に、風がゆっくりと揺れていた。
次の波が近づいている。
それはもう、すぐそこまで来ている。