3-19
ノクスは、ベルとエラヴィアの会話には加わらず、目の前の風変わりな建物に視線を奪われていた。
ノクス「この森の植物素材……それに、先生の魔力をよく通す風の結晶。でも、まだあるな……」
彼は外壁にそっと手を添え、感触を確かめるようにゆっくりと指を滑らせた。
ノクス「やっぱりだ。魔物避けと気配遮断の薬草が編み込まれてる……」
思わず口元がほころぶ。
未知の仕掛けを見つけた時のような、研究者の好奇心がにじむその瞳は、どこか無邪気に輝いていた。
「正解っ!」
ぱっと風が弾けるように空気が揺れた。
木漏れ日のような声とともに、ノクスの視界に鮮やかな若葉色が飛び込んでくる。
枝の影からふわりと舞い降りたのは、一人の少女だった。
風に乗るような軽やかな動き。
猫の耳を思わせる長く柔らかな毛並みの耳が頭上でぴくりと揺れ、背後では、絹糸のような毛並みのしっぽがくるんと弧を描く。
鮮やかな若葉色の髪は、風を受けてさざ波のように揺れ、その瞳はまるでいたずらを思いついた直後の猫のように、細く、楽しげに輝いていた。
「へぇ〜、やるじゃない。七年も寝てたっていうのに、勘は鈍ってないんだ? ねぼすけさんのくせに!」
あまりにも自然に、あまりにも軽やかに現れたその姿に、ノクスは思わず一歩だけ後ろへ身を引いた。その反応に、エラヴィアがくすりと微笑む
エラヴィア「紹介するわ。彼女はミィナ。この隠れ家を造るのを手伝ってくれたの」
エラヴィアが微笑みながら少女の肩に手を置いた。
エラヴィア「森を旅していた猫の獣人族の薬師よ。素材の選定や、建材に混ぜる薬草の知識は、彼女のもの」
「ミィナ」と呼ばれた少女は、エラヴィアの言葉が嬉しかったのか、猫のように細めていた瞳をぱっと丸く見開き、長い耳をぴくりと立てながら、満面の笑みを浮かべた。
ミィナ「えへへっ、照れるじゃない。まあ、当然よね? ミィナの薬草調合と構造設計の腕がなきゃ、この隠れ家の結界、半分も完成してなかったはずなんだから!」
尖った猫耳がぴくりと動き、長い尻尾が得意げに揺れる。
その仕草に合わせて胸を張る姿は、自慢の獲物を見せびらかす猫そのものだった。
ベルはそんなミィナの様子に思わず口元を緩め、ノクスもつられるように小さく笑みを漏らす。
ノクス「薬草と結界の知識に、設計の技術まで……ただの薬師ってわけじゃなさそうだな」
ノクスの言葉に、ミィナはにやりと牙を覗かせるような笑みを返し、ふわふわと尻尾を一振り。
それが褒め言葉だと分かっているのか、全身から「もっと言って」と言わんばかりの空気がにじんでいた。
エラヴィアは、そんなミィナにベルとノクスを紹介する。
だが、あらかじめ事情を知っていたのか、それとも本当に気まぐれなのか、ミィナは「うん、わかった」と気の抜けた返事をするだけで、特に反応を示さなかった。
ミィナ「つもる話があるだろうから、ミィナは薬草集めに行ってくるね!」
そう言うと、ミィナはひらりと身を翻し、猫のようにしなやかな足取りで庭へと向かう。
庭の一角、苔むした石畳の中央に刻まれた転移用の魔法陣へと軽やかに跳ねるように乗ると、振り返って尻尾を一度くるりと巻き、悪戯っぽくウインクしてみせた。
ミィナ「じゃ、いってきまーす!」
明るい声とともに魔法陣が淡く光を放ち、ミィナの姿はふわりと風に溶けるように掻き消えた。
ベル「にぎやかな子ね」
ベルはどこか楽しげに、ミィナが消えた場所を見つめながら呟いた。
その横顔には、少しの安らぎがそっと滲んでいた。
ミィナが転移の光の中に消えたあと、三人は静かに隠れ家の中へと足を踏み入れた。
外観からは想像もつかないほど、内部は広々としており、いくつかの部屋へと続く扉が整然と並んでいる。
天井は高く、木の香りと薬草の匂いがほのかに漂っていた。
エラヴィア「ミィナには、この隠れ家の管理も任せているの。ああ見えて、きれい好きで気が利くから助かってるのよ」
エラヴィアが柔らかな微笑を浮かべながらそう語る。
天井近くに明かり取りの小さな窓がいくつかあるだけだが、室内は驚くほど明るかった。
壁や天井に織り込まれた風の魔力の結晶が、淡く優しい光を放ち、全体を穏やかに照らしている。
昼でも夜でもない、静けさに包まれた幻想的な空間だった。
ノクスはふと足を止め、その光を湛えた壁に目を向けた。
無意識に、かつてルーヴェリスと過ごしたあの客間――冷たくも静謐で、時間の流れすら凍りついたような空間を思い出していた。
その横顔を見て、エラヴィアがそっと声をかける。
エラヴィア「おかえりなさい、二人とも。……あなたたちに何があったのか、話してくれるかしら?」
その声は静かで、けれど深い余韻を含んでいた。まるで、ずっと待ち続けていた誰かに向けた祈りのように。