八話 楽しいものか
「来たね、クロノス」
三代目魔王、ニルエルヴェール・エルデルガウル殿がそう言って私に紅茶を差し出した。
ここは魔王城の会議室、私は円卓の椅子に腰掛けている。
「いつものクロノスはレイスの捜索の任務に出ているはずだから、君とは八年ぶりでいいのかな」
ニル殿の言葉に「そうだ。久しぶりだな」と、私は頷いた。
「ちゃんとここまで誰にも見られず来たんだろうね。予備の体があることがバレるのはまずいからね」
「問題ない」
私がそう言うと、ニル殿は紅茶をすするような仕草を取った。しかしニル殿には顔がないため、実際に飲めているわけではない。彼自身の能力で紅茶を胃の中へ転移させているのだ。
つまりニル殿は紅茶を味わう事ができない。それでも紅茶を嗜むのは、「そういう気分でいたいから」だそうだ。
ニル殿は奇怪な姿をしている。顔は白い面を被ったかのようにのっぺらぼうで、黒い肌、細い体に金色に光る高貴な司祭のような装束を纏っており、羽が六つある。その羽は白く、先の部分は少し橙の色味がかかっている。
「今からの会議に支障はないかい?」
「それこそ問題はない。古い体の更新は毎日欠かさず行っている」
「なら良かった」
ニル殿は顎に手を当て、顔がないから分からないがが恐らく笑った。
そしてまた、紅茶をすする仕草を取った。
「フィストリエは遅刻だ。少しだけ待とう。クロノスも飲むと良いよ」
私は紅茶に口をつけた。私は猫舌なので、ニル殿はいつも私には冷たい茶を出してくれるのだ。
「五対一、五人ともなかなかの強者揃い、相手にとって不足なし......果たして然し貴公らは、百万年の命にその手を届けること叶うだろうか」
呟きながらクロノスは歩く。私の『天の左眼』だけでは通じないから、『魔力粉砕機』の煙に足を踏み入れるのを待つしか無い。
『封印解除』
『龍の駆脚』
クロノスは己の脚を白鱗で多い、博士の眼前まで一気に距離を詰めた。
一番厄介な『魔力粉砕機』を破壊する魂胆だ。
『科学魔装完全解放、旧式使用』
『鉄拳蒸気機装・秘伝星光拳』
煙が白色の魔力光を放ちその拳に収束する。拳は星のように瞬き、破壊の力を放つ。玖炉に放ったときより遥かに強く輝いている。手加減無し、殺意を込めた『秘伝星光拳』だ。
辺り一面が白く染まる。そして白い光が止んだとき、クロノスの姿が現れた。
回避行動を取ったはずのクロノスは衝撃波だけで重傷を受けた。右の腕が肩ごと吹き飛んで指が血の絵画を描きながら大地に転がり、あばら骨が七本露出し、うち四本は先が消し飛んでいる。踏ん張った左足の膝からは骨が突き出て、顔の半分は筋肉、一部は頭蓋骨が露出し、右目は吹き飛んでいた。
しかし、倒れなかった。
龍の生命力、百万年の経験から来る身体の使い方。そして強靱な精神力が、その身を一寸も動かさず止めたのだ。
「な...…」
博士は驚きの声を上げる。左腕の鋼鉄は砕け散り、骨も拉げていた。必死で放った殺意の一撃は、クロノスの生きた百万年に、惜しくも届かなかったのだ。
クロノスが無事な左腕で鳩尾に一撃を叩きこむと、博士は倒れた。
クロノスはボロボロの体のまま、息を吐いて吸ってを繰り返し、そしてローベイルの方に眼を向けた。
顔が血と肉でグチャグチャだったが、その時のクロノスは確かに微笑んでいた。
ローベイルは拳を構え、右腕と背中の推進器を黄金の炎で滾らせた。揺らぐ光が彼の背丈と同じくらいの長さで翼のように広がる。
見ればわかる。これは『秘伝星光拳』と同等の必殺技。
しかし、クロノスもそれに対するように時の流れを操り始める。この流れは渦巻いている。ぐるぐる、ぐるぐると。
「いけない!」
私がそう言うより早く、ローベイルはその技を叩きこんだ。否、ローベイルが構える前に既に攻撃が終了していた。
超光速の速さで時の壁を越え、過去に直接攻撃を叩きこんだ。これが光すら穿つ『殺戮穿光拳』の最高速度。ローベイルの全身の装甲が弾け飛び、床に気絶して倒れる。
クロノスの頭部がはじけて消えた。クロノスは死んだ、死んだ体は倒れ、床を紅に染める。
しかし、クロノスの体は再生した。博士に攻撃されたばかりのボロボロの姿だ。当然、死体が魔法を使えるはずも無い。しかし渦巻く時間がそこに既に会ったが故に、肉体の再生を為したのだ。ローベイルの装甲も再生していく。
「ナルホド」
ローベイルがそう端末に入力した。
クロノスのいた場所の時だけでなく、ローベイルがいた場所の時も戻していた。恐らくそうした理由は、あの速度を自らの手で破りたいからに他ならないだろう。
もう一度最高速度を叩きこむ。クロノスはもう一度死ぬ。ローベイルは倒れ、時が戻る。
さらにもう一度最高速度を叩きこむ。クロノスはさらにもう一度死ぬ。ローベイルはまたもや倒れ、時が戻る。
さらにさらに......
五回繰り返して、クロノスは初めて死を回避した。未来から来る拳の位置からその身を捻ることで回避に成功した。
「素晴らしい」
クロノスは己の酷く醜い傷を治すと、横たえているローベイルに向けて賛辞の言葉を向けた。
「貴公は五度も、百万年に届いたぞ!」
褒め称えながら、鋭い爪で止めを刺そうとする。その背後をレイスが襲い掛かる。
クロノスはその攻撃を躱し、三歩分距離を取った。そしてちょうどそこにあった、堕ちた指を拾うと、クロノスはその指の時を戻し、再生させた。
クロノスは二人になった。
増えた方のクロノスは魔力残量が魔法一回分しか無い。時を戻しても魔力は回復しないから、再生前の指に宿っていた分しか無いはずだ。
『再封印』
二人のクロノスはそう言って、全ての能力を解除した。魔力の温存のため......というのもあるだろうが、私たちには使う必要もないと言われているようにも感じ、少し腹が立った。
「私に届きうる二人はもう倒れた。貴公らはどうだ」
クロノスのその挑発とも取れる言葉に、レイスは冷や汗を掻いている。私も怖い。当然のことだ。彼は私たちと違う次元にいる存在。永劫の時を生きる、怪物だ。
しかし、レイスは笑って見せた。
「父上、手合わせ願います」
その言葉に対して、クロノスは手招きで返した。同時に、魔力の少ない方のクロノスがこちらへ向かってくる。
『天の右眼』で見えた相手の移動先に、爆弾、剣、トラバサミ等様々な物を生み出すが、どれも間一髪で避けられる。
気づけば距離は詰められていた。私とシロはバックステップで退き、氷の翼で空を飛び距離を取る。上空からミサイルを生成しぶつけるも、クロノスは距離を取り身をかがめることで爆風のダメージを完全に抑えた。そして瓦礫を投げて氷の翼を砕く。私たちは大地に落ちるもトランポリンを生成して落下の衝撃を消した。
「......もっと、この力は活かせるはず」
そう思ったとき、繋いだ手から声が聞こえた。これはシロがいつも言っていた、シロの中にいる『思い出せない』誰かの声。繋がりあったことによって、繋がったのだ。
「見た物全て、忘れてはいけないよ。どこにだって何かはある」
何かが分かった。
周囲を見ると、博士が視界に映った。
先ほど右眼に映った『鉄拳蒸気機装』の仕組み、機構を私は『理解』している。『理解』を元にこの左眼であの腕を作り出してぶつければ、彼に届くはずだ。
「シロ」
「わかってる」
シロは氷を張り巡らせ、クロノスの動きを制限する。私は氷の右腕に機械仕掛けの鎧を纏っていく。表面を生成した後、腕を返して裏面を生成した。
クロノスは氷を破りながら進む。あえてこの一撃を正面から受けようと立ちはだかってくる。笑っているのだ。博士やローベイルに向けられていた笑顔が、私にも向けられた気がする。私には、その笑顔がわからない。私は戦いが嫌いだ。シロもそうだ。死ぬのは怖い。殺すのだって怖い。死にたくない思いでなんとか戦っているだけだ。
「ねえ、戦うのってそんなに楽しい?」
私が聞くと、クロノスは拳を強く握り、笑いを解いた。
「楽しいものか」
私は少し驚いてしまった。彼が戦いを好んでいると思ったからだ。
「じゃあ、なんで笑うの?」
私の問いに、クロノスは答える。
「楽しむために」
クロノスはまた笑った。年に合わない若い顔で、老人のように優しく。
私も笑った。笑うと、少し楽になった気がした。
拳を突き出すと、同時に白い光が放たれる。目が潰れるような瞬きを、私はずっと眼を開けてみていた。
星というのは、間近で見るとこのような色をしているんだ。このような感じに世界を照らし、白く染め上げているんだ。
『天魔創世』
『秘伝星光拳』
星の輝きが消えた頃、クロノスの姿が見えた。彼は吹き飛ばされていた。右腕が折れているのが見える。次の瞬間、私の腕が砕け散った。体中にヒビが入っている。恐らく体に適合しない『科学魔装』を使った代償......
私の倒れそうな体を、シロは支える。
クロノスは私に少しずつ近づいた。シロはそのクロノスを睨んでいる。私は死んでしまうのだろうか。それは嫌だ。
「まだやれるよ」
声が聞こえた。玖炉の声だ。戦う力を失って座り込んでいた玖炉が、魔力増幅剤を投げた。玖炉は科学魔法装備を展開している。それは傷と封印によって使い物にならないが、私の『天の右眼』で理解することはできる。私はそれを撃ち込み、そしてシロと繋いだ手を離す。即座にシロは鍵としての繋がりを保つため私に抱きついた。
この左腕に回転式機関砲を纏い、クロノスに向ける。
『天魔創世』
『千滅魔光砲』
クロノスは身構えた。私は笑った。何を怖がっていたのだろう。楽しめばよかったのだ。
楽しくないことでも楽しめば、世界は良いことで満ちている。そうやってきっとこの男は、退屈のない百万年を過ごしてきたのだ。
『爆ぜる弾丸』
流星のような赤い魔力光が強く瞬いて、それらが全て緋色に爆ぜた。煙は黒く天へと上がり、溶けた氷は水となり、爆風で舞い上がって雨となった。
私の左手も砕け散り、ヒビが広がった体が少しずつ崩れていく。シロは私のその姿を見て強く抱きしめた。
「大丈夫さ、君たちは運命に好かれているから」
『思い出せない』がそう言った。
クロノスは火傷と裂傷だらけの体で私に近づく。
......敵意を感じない。私の近くに座り込んだ。
「殺さないの」
私が聞くと、クロノスは笑って、なけなしの魔力で詠唱を始めた。
この至近距離での詠唱はあり得ない。恐らく、敵意はない。
『左に回した針の音。四番の道の標識よ』
詠唱をするクロノスの声は、父親のように優しい。
『足を踏み出すこの者は、戻れぬ道の哀れ者』
隣でもう一人のクロノスとレイスが戦っている音が聞こえる。それに相反するように、今の私は暖かい魔力光に包まれている。向こうのクロノスはまだ十分な魔力があるから、今私が戦ったクロノスよりも強いはずだ。
『愛ある貴方の慈悲深き、救いの願い告げ想う』
シロが私の顔を覗き込んだ。私は大丈夫だよと言った。
『傷つき倒れた後悔の、一つ前へと案内せい』
魔力光が収束し、私の身体の時が戻っていく。
『時戻し』
私の体は何もなかったかのように元通りになった。水晶のような氷は綺麗に地に影を映す。
「......なんで、治したの?」
私が聞くと、クロノスは私の頭を掴み、首をレイスの方に向けさせた。
「見ていてくれ、私のレイスを」
私は頷いた。化け物に見えていたこの人が、少し私と近く思えた。息子の勇姿に微笑む彼は、父親の顔をしていたからだ。
ここは魔王城の会議室。四天王の全員が揃った。フィストリエ・バーンアウト殿の仕業で壁に大きな穴があき、部屋の中は土埃が舞っている。
「フィストリエ、ちゃんと入り口から入りなさい」
ニル殿がそう言うと、フィストリエ殿は朱色の髪の頭の、角の辺りを掻いた。荒々しい淑女は顔を不満げにゆがめている。蒼眼を軽く閉じ、口は少し納得いかなそうにつぐんでいる。
「入り口探すのめんどくせぇし、アリシアかクロノスが治せんだから別に良いだろ?」
フィストリエ殿がそう言うと、ニル殿は「しかし......」と続けようとした。
「フィスに...言っても...無駄...なの」
アリシア殿は夜空のような髪の隙間から、白黄の瞳を覗かせている。幼い顔を眠そうに揺らしながら言葉を発した。
フィストリエ殿はアリシア殿の言葉に対し、「るっせえなあ」(うるさいなあの意)と言って椅子に腰掛けた。
「さて.、会議を始めよう。魔物狩りたち、『新勇者軍』についてだが......」
ニル殿がそう言うと、フィストリエ殿は食い気味に言葉を発した。
「正面から突っ込んで、全員オレがブッ殺す」
「......異論はないよ」
ニル殿がまた、紅茶を飲むふりをした。




