五話 誇りなき幽霊(レイス)
音が部屋を埋め尽くしていた。六つの砲身から放たれる銃声に途切れはなく、シロの氷は砕け、レイスの鱗は割れて、壁には無数の穴が空き続けていく。そんな破壊の音の中に、小さな歌声は響き続けていた。
玖炉は俯いたまま歌い続けているのだ。ローベイルは玖炉の背後に佇んでいる。
私が感じていた勝機は、玖炉の魔力切れが前提だった。だからこの弾幕は完全に想定外だ。こんな狭いところでこの量の弾幕、逃れられるはずがない。
シロの氷と、レイスの翼と腕が弾幕を防いでいるが、時間の問題だ。
「一度離れるぞ!」
銃声の中でも聞こえるように大きく博士が言った。
「しかし、そんな隙ないぜ!」
レイスがそう返した。未だ銃声は止まない。
「私が隙をつくるよ」
シロはそういって、氷をより一層大きく周囲に広げた。
それらを魔弾が打ち壊すが、打ち壊されるたび氷を生み続けていた。
無理をしている。明らかに血の消費が激しいはずだ。少しずつ氷を生み出すのが遅くなっている。シロの体はふらついている。
「ス……シロ君ッ!」
博士が叫んだ。何か一瞬言い換えていた。
「大丈夫、行って」
シロがそう言った。私はきっと考えがあるのだと思った。
「行くよ!」
私がそう言って走り出した。
私が走り始めてしばらく立つと、頭に何かがゴツンとぶつかり、ぼとりと後ろで何かが落ちる音がした。
振り向いて下を見るとシロの生首が転がっていた。
「うわっ」
私はそう言いながら拾い上げた。生首は少しずつ再生している。
「血、持ってきてない?」
私が博士に言うと、博士は血液パックを私に差し出した。私はその血をシロの生首に飲ませる。シロはみるみる再生していった。
「全身打ち抜かれる前に、頭を後ろに投げたの」
シロが走りながらそう言った。
「そうか、無事で良かったぜ」
レイスがそう言うと、「これも修行の成果」とシロは返した。
「博士」
シロが博士に呼びかけた。
「なんだ」
「さっき言いかけてたのって、私の本当の名前?」
シロがそう聞いた。その声は静かだが、シロのその目は聞き逃すまいと真剣だった。
「忘れろ」
博士がそう言うが、シロは諦めない。
「なんで、隠そうとするの?」
シロのその言葉に、博士は返答を渋る。
走り続けると、光が見えてきた。出口だ。外に出ればまだ勝機はある。
そう思った瞬間、シロの体を音速の拳が貫いた。
「ローベイルッ!」
博士は叫んだ。
私たちの目の前に、彼はいた。機械の右腕についた返り血を振り払い、表情の灯らない顔で立っている。
すると、博士の背中に魔弾が直撃する。衝撃で背をそらせたあと、また振り向いた。
「衰えたね錬司、ボクは今ので君を殺せた」
玖炉がそう言った。突撃銃に戻した腕を構えながら。
「挟まれたか」
博士がそう言った。
正面には玖炉、背面にはローベイル。この通路からの脱出は難しい。
「だが、この状況では千滅魔光砲は使えない」
博士は冷静に告げる。確かに、あれは今使うとローベイルを巻きこみかねない。
「今のお前にはいらないよ」
玖炉は冷たく言い放った。
ローベイルの方を見ると、レイスとにらみ合っていた。
『封印解除』
『龍の鉤爪』
レイスは腕を龍へと変える。黒い鱗に怪しい光沢が輝く。
「……あなたの相手は私が努めます」
レイスがそう言った。
「大丈夫?」
私が言うと、レイスは頷いた。だが傷だらけで、魔力もほぼないレイスに、任せられるだろうか。
「考えならあるぜ。涼歌は博士の援護をしといてくれ」
レイスはローベイルだけを見つめてそう返す。私は玖炉の方へ向き直した。
だがすぐ、レイスの方を軽く向いてしまった。言葉がするりと思考を通り抜けるようにもれた。
「なんでそんなに、頑張るの」
俺は何故戦っているのだろう。体中血みどろで、魔力もあまり残されていない。それでもここで戦わなければならない。
俺は涼歌にこう告げる。
「俺がレイス・フォトンクロスだからだ」
レイス・フォトンクロス俺の名前だ。父さんに拾われるまでは、ただのレイスだった。
その時の俺だったら、こんなふうに戦えなかった。
俺は、昔の惨めな自分を思い出していた。
親も友も言葉も知らず、廃れた町に住み着いて、店を襲って生きてきた。姿は誰にも見せず、見られてしまったら打ち倒す。魔界の端っこの孤独な化け物。噂話の中の不明瞭な幽霊。
だが、父さんはオバケみたいな俺に実体を与えてくれた。俺にフォトンクロスの姓を与えてくれた。正しい飯の食べ方と、魔族の誇りを教えてくれた。
戦うたび、思い出す。俺は、父さんがくれた名前と誇りを守るために、気高くあるために戦っているのだ。
「私はレイス・フォトンクロス。ローベイルさんで、よろしいですか?」
ローベイルさんはこくりと頷くと、左腕でズボンのポケットから板状の端末に何か入力した。
入力されるたびに一文字ずつ音声が流れる
「ローベイル・ルーベル」
抑揚のない機械音声が聞こえた。表情はやはりない。名前だけでは彼がどんな人なのかわからなかった。
「君ハ」
言葉が続く。端末からのその音はあまりにも静かでどこか胸がざわつく。
「知恵ト勇気ハ持ッテイルカ」
その言葉を聞いて、俺は本能的に封印を解いた。
『封印解除』
『龍の鉤爪』
同時に、音速の風が俺を襲う。
俺は左腕を前に突き出す。突き出した左腕に拳が当たる。
メキメキ軋む左腕。だが止めた。
彼は後ろに飛び体制を立て直そうとする。俺は一歩踏み込み右の拳で頬を殴った。
彼は体制を崩しながらも左の拳で追撃する。俺はそれを喰らって少し体がぐらついた。
その体にもう一度、音速の拳が襲い掛かる。左腕で止める。左腕がグシャリと折れる。だが止めた。膝を撃ち込む。怯ませた。
そこに撃ち込む後ろ回し蹴り。相手は少し吹き飛び、両脚で着地されてもなお十センチほど地面を滑った。
もう一撃音速の拳。俺はそれを躱し、右腕でカウンター。
ローベイルはそれを後ろ飛びで躱すも、爪がかすれて血が噴き出した。
そして俺は封印を解いてから初めて呼吸をした。
疲れがたまっている。視界がぼやける。
だが止めれた。だが躱せた。
「真っ直ぐにしか進めないんですね……」
俺がそう言うと、ローベイルは頷く。そして科学魔装を解除した。
「良いんですか?」
「知ッテイルカ」
端末からの音。感情が乗らないはずなのに彼の殺意を感じた。
「素手デノ龍ノ殺シ方」
彼の、息づかいが変わった。
一歩、俺は踏み込む。全く同時に一歩、彼は踏み込む。それだけで懐に潜り込まれた。
何かがおかしい。
拳を腹に叩きこまれる。俺はそれに耐えながら右腕を振り下ろす。同時に、彼は俺の右肩へするりと抜ける。
何かがおかしい。
脇腹に肘鉄が叩きこまれる。俺は肘をつきそうになった。だが耐えて後ろに下がる。同時に、彼は一歩踏み込む。
何かがおかしい。
ジャブで追い払おうとするも、同時に彼は手を上げて、俺の腕を払った。
何かがおかしい。
そして彼は飛び上がり、腿で俺の頭を挟んだ。そのままバク宙の容量で体を返し、俺の頭を床にたたきつけた。
頭が割れそうだ。今にも倒れそうだ。
俺は立ちあがろうと力を振り絞る。
「1」
端末の機械音声が数字を告げる。俺はまだ立ちあがれない。折れた左腕は使い物にならず右腕には力が入らない。
「2」
カウントは続く。立て、立て、俺はそう力を込め続ける。ふと上を見る。ローベイルさんは感情の見えない顔で俺を見ていた。
「3」
戦いの音が聞こえる。涼歌たちも戦っているのだ。俺が戦わなくてどうする。俺は一度、命を助けられた。だから一度、彼女たちのために戦うと決めたのだ。
「4」
それが俺の誇りなのだ。気高さなのだ。気高さがなんなのか、父さんが語って聞かせてくれた。
「気高さとは思いの通りに貫くことだよ」
父さんの言葉が脳裏によぎった。
「5」
だから立ちあがれレイス・フォトンクロス。ここで立てなければ格好悪いぞ。お前はただの幽霊に戻りたいのか?
「6」
誇りを捨てた者は、未練を一生抱えて生きる。己の生き方の実体を持てず、まるで幽霊のように彷徨うだけだ。
「7」
右腕に、足に、力を込める。
誇りを貫くために、成し遂げるために、あの人のように格好良くあるために。
「8」
少しだけ体が起き上がった。
「9」
後は立つだけだ。そこで俺の誇りは貫ける。
「10」
「カンカンカン、K・Oダ」
機械音声がそう告げる。それでも俺は立ちあがった。
「プロレスじゃ……ないんですよ」
俺がそう言うと、やはりローベイルさんは頷いた。
「頑丈ナモノダ」
機械音声が冷淡にそう言った。
「殺されたら死んでます。なんで殺さなかったんですか」
ローベイルさんは答えない。
「なぜ戦うのですか」
俺は質問を変えた。彼は何処かで迷っている。そう思ったからだ。
「階級ハ」
機械音声が聞く。
「最上級騎士総長です」
「ナラバ『勇者軍』ニツイテハ聞カサレテイルナ」
勇者軍、魔王軍での重要機密情報の一つ。二十年前の戦争の中、二代目魔王を打ち倒した百人の英雄。そして二代目の呪いを受け皆の記憶と記録から抹消された悲劇の軍隊。
「俺ハ口ノ機能ヲ奪ワレタ」
ローベイルさんはそう続ける。
「呪イノセイデ俺ノ戦イハ忘レラレテ、話スコトモ食ウコトモ出来ナクナッタ」
感情の灯らない声。動くことのない表情。どう思っているのか読み取れない。サングラスを外してほしい、この人の感情が知りたい。
「俺達ハ不幸ダ。正義ノタメニ戦ッタノニ」
「ダカラ悪ノ方法デ幸セニナルシカナイ」
彼の端末を握る手が少し強くなった気がした。
「それで、貫けるんですか」
俺がそう言うと、彼の手は止まった。
「あなたが悪を貫いているなら、もう俺は死んでるはずだ」
ローベイルさんは端末をしまった。
そしてまた、息づかいが変わった。
彼は走り出す。俺が一歩後ずさると、同時に踏み込んだ。
やはり、おかしい。
俺の腹に拳が重くめり込む。吐いた血がべたりと床を汚す。
俺は反撃のため拳を上げるが、その時にはすでに奴の手は俺の拳を止める位置にあった。
俺の体は蹴り飛ばされる。俺は地面を転げ回り出口を抜けて青空の下に来た。
俺は日の光を浴びながら、地面に這いつくばっている。
「1」
機械音声が時を刻み始めた。
俺の中で感情がわき上がる。「俺をなめんなよこの野郎」そう、心が言っている。
「いらないですよ、そんなの……」
俺がそういって立ちあがる。そして、血みどろの口で笑って見せた。
「ミスったぜ、お前」
そう言った後に気づいた。思わず素が出た。まあいいや。なんでも出来そうな気分だ。広い空を背に俺は立っている。
これだけ広いなら、使える。
『封印解除』
『閻魔黒龍』
俺は龍となり、大空へ舞い上がった。
口から魔力光線を吐きつける。衝撃波が空高くまで届く。辺り一面の雲が消し飛ぶ。光が止んだときローベイルの姿は消えた。きっとを跡形もなく消し飛ばした。
そう思ったとき、俺の頭に陰がかかった。
頭上から彼は振ってきた。拳が俺の頭に振り下ろされる。ぐらつく俺の頭。そのまま奴は俺の角を掴み、空中で一回転した。
俺の視界も、同時に一回転する。投げ飛ばされたのだ。俺の体は市街地に叩きつけられる。
「光線の衝撃に乗って、空まで飛んだのか……」
強烈な身体的ダメージにより魔力が途絶えた。体は龍の姿でいられなくなり、人の姿に戻る。
俺の息が荒れている。少しずつ、ゆっくり整える。
ローベイルは少しずつこちらに近づく。息づかいを少しずつ変えている。
二人の息が重なった。
息、そうか。気づいた。
ローベイルは俺と同じ間隔で呼吸をしている。行動のリズムをそうやって合わせ、俺と同時に動いていたのだ。
視界がぼやける。頭がガンガンする。耳だけがまともだ。
ローベイルがグッと踏み込んだ。
今度は、俺が呼吸を合わせる!
"同時に"叩きこまれる拳。
交差した拳は、互いの胸部に抉るようにめり込む。
二人の男は大地に倒れた。
俺は意識を失った。
そして俺は、柔らかいベッドの上で目ざめた。ここは……俺と父さんが暮らしている屋敷の中だ。
「起きたか」
声が聞こえる。この声は上級騎士ミクルアンテ。種族は鬼。小柄だが俺と同い年。学生時代の学友であり、俺の部下の一人だ。
「連絡が取れなくなったので、捜索命令が出てたんです」
俺の補佐官、騎士総長ノリト・フーレットがそう言った。かぼちゃ提灯の女性である彼女は、かぼちゃを頭に被っている。
「親父さん怒ってたぞ。共通の敵が出たとはいえ、殺すべき標的と協力するのは、よした方が良い」
ミクルアンテがそう言った。俺は上体を起こす。
「そうだな。だが覚悟の上さ」
俺がそう言うと、ミクルアンテは呆れた。
「お前のことだから、どうせ助けられて優しくされて絆されたんだろ」
「標的がどうなったか、わかりますか」
俺がそう言うと、ノリトは冷静に答えた。
「氷宮涼歌、シロの両名の殺害任務は現在クロノス様が引きついでいます」
その言葉を聞いて、俺はマズいと思った。
父さんなら本当に二人を殺してしまう。
俺はまだ、二人を助けきれていない。
「ちょっと留守にします」
俺がそう言って立ちあがると、ノリトは止めた。
「治療をしたばかりですよ……」
「父さんの治癒は時間魔術によるもののはず、確実に完治しています。今から問題なく活動できる」
「しかし……」
そう言いながらノリトは俺の腕を掴んだ。その腕をミクルアンテが外す。
「行かせてあげよう」
ミクルアンテがそう言う。俺は少し嬉しかった。
「格好いいよ。レイス」
そう言いながら親指を立てるミクルアンテに、俺は手を振った。
「たまってる仕事、ちゃんとやれよ」
ミクルアンテにそう告げると、彼女は面倒くさそうな顔をした。
「ノリトさん、やっといて」
「私の方が……偉いんですけど……」
そういう風に話す二人を背に、俺は進む。