四話 きらきら光る
Twinkle, twinkle little star,
歌が聞こえてくる。
右脚に空いた水の滴る穴を抑える私の頭上から、玖炉は少女のように歌っている。一人では眠れなくて母親の子守歌を真似るように。
何処かで聞いたことがある。でも『思い出せない』
How I wonder what you are,
玖炉はもう一回銃を構えた。傷口の痛みを大人達に隠すように、何かを紛らわすように歌う姿は、銃を構えるには相応しくなかった。
それでも撃った。私の左脚に穴が開いた。
私は体を支えられなくて転んだ。
Up above the world so high.
玖炉は私の頭を銃身で殴る。私に体は潰れるように倒れた。私には玖炉の顔は見えなくなった。彼女はまだ歌っている。心地良い音色だった。痛みに薄れる景色と相まって、眠ってしまいそうなほどに。
Like a dia……
歌声が止まった。同時に、力強い声が響く。
「そこまでです。魔物狩りさん!」
正義のために走る警察のように。芸術家が夢を語るように、スーパーヒーローが子どもを守るように、真っ直ぐな声が聞こえる。
私は右手をたてて顔を上げた。
私の視界を黒い翼が横切った。レイスは拳を構えていた。
「レイス・フォトンクロスがお相手します」
その声を聞いて、私は立ちあがった。動かしにくい両脚でも、まだ立てる。まだ動ける。
「私も……」
私がそう言うと、レイスは少し笑った。
「助かるぜ。一緒に戦ってくれ」
「助けられたのはこっちだよ」
私がそう言うと、レイスは首を軽く振った。
「俺もリベンジしたいと思ってたんだぜ。だから、ちょうどいいんだ」
気を遣わせないように言ってくれているのだと思う。
「……敵同士でしょ、君たちは。バカじゃないの」
そう言いながら、玖炉は銃をもう一度構えた。
『閃光の魔弾』
銃口から放たれる閃光が、私の目を潰した。
見えない視界にたたみかけるように、声が聞こえる。
『爆ぜる魔弾』
目が慣れたのと同時に、爆音と二度目の閃光が一瞬見えた、風のように黒い翼が覆い隠した。
レイスは私を庇ったのだ。痛みに耐える顔を私が見たことに気づくと、平気そうに取り繕って笑った。
「カッコつけないでよ、正義気取りッ!」
玖炉が叫んだ。怒っている。
何を怒っているのだろう?玖炉は何者なのだろうか。考え始めた瞬間、遮るようにレイスの声が聞こえた。
「正義であるつもりはありません。約束を果たす、義理を重んじる。どれも当然のことですから」
レイスの言葉に、玖炉は更に怒った。
「反吐が出るよ。ボクには何もなかったくせにッ!」
玖炉は銃弾を放つ。レイスはそれを翼で受けた。翼から煙が出ている。彼は、私を守るために躱せないのだ。
「あなたの過去は存じませんが、何か辛いことがあったと言うことはわかります。誰かに裏切られたのですか?」
レイスが聞くと、玖炉は諦めるように笑った。
「正義に」
玖炉は言った。静かに、重く。そして鉄球のように黒い左眼を瞑って照星を右眼で覗いた。
『貫通の弾丸』
レイスが同じように防ごうとすると、銃弾は翼を貫通した。そして、私の胸を貫いた。
痛みはある。でも大丈夫。氷の体に心臓はない。
「大丈夫か!?」
レイスが聞いた。「大丈夫」私はそう言った。
大丈夫。痛いだけだ。
「ボクの銃は良いだろう」
玖炉は自慢げに語り出した。
「無敵の科学魔装、銃腕魔弾機装。特性は自在に使い分けれる百万種の魔法の弾丸。この武器に隙なし死角なし……」
その後はよく聞いていなかった。ちょうど一段落したところで、レイスが口を開いた。
「ええ、ですが。あなた自身に隙があるようで」
私は、玖炉が話しているうちに詠唱をしていたのだ。
『連鎖爆雷』
玖炉が爆風に包まれた。油断してくれて助かった。傷ついた私と、それを庇わなければいけないレイスが正面から勝てる相手じゃなかった。
勝ったと思った。だが、煙の中から声が聞こえた。
「『盾の魔弾』。死角なしだって言ったろ?やっぱり、ボクの話を聞いてなかったのか。君もそうなんだね、悔しいよ」
玖炉は無傷で立っていた。
「怒ったからさ、本気で行くよ」
そう言いながら、玖炉は銃口を地面と水平に構えた。
『科学魔装完全解放:銃腕魔弾機装・千滅魔光砲』
玖炉の左腕が変形していく。
銃口は幾つも増え、銃身は巨大に組み変わっていく。その腕は回転式機関砲のような姿となった。玖炉はその砲身をずっと水平に構えている。それ自らの背丈より大きいから、腕を降ろすことができないのだろう。
左肩にも、何かが組み立てられていく。腕のものより一回り大きな砲身が、二つ同時に作られた。そしてその前方に砲口は一つずつ形作られていく。三つの砲身から無数の砲口に、無数の砲口が生えていた。玖炉は右手も地面と水平に構え始めた。
右腕、右肩も同じように変化していく。回転式機関砲は六つになった。
無数の目が私たちを見つめていた。
「私も本気で行かせてもらいます。紋章にかけて負けられませんので」
レイスは空を飛びながら、空中で言った。
『封印解除』
『閻魔黒龍』
レイスの体は完全に龍となった。鱗は黒く、鋭く、精密に重なっている。黄金の瞳の回りも黒く、その色彩の差で瞳は眩しく光って見えた。
牙と爪は真っ白で鋭い。どんな物でも切れそうだ。そしてなによりも巨大だ。頭の先から尻尾の先まで家三軒分ほどある。
空を舞う龍の影が私の周囲を覆った。
「これが……」
私は思わず声を漏らしていた。初めて会った龍のその姿が放つ、全身に剣を突き立てられたような緊張感に私は震えていた。
突如、視界に明滅する閃光、鼓膜に途切れぬ轟音が響いた。
飛来する魔法の弾丸が、天を埋め尽くす。それは、淡い桃色に光って、着弾と共に小爆発を起こした。
もし、流れ星の全てが砲撃なら、夜空はこんな色なのだろう。
レイスは痛みに咆哮する。鱗が砕け欠片が地面に落ちる、血が滴り赤い雨のように私に降りかかる。だがレイスは後退などしない。
龍は右腕を振り上げる。その動作は一見重々しい。だが、瞬きすれば見逃すほど速い。
『麻痺の魔弾』
玖炉の言葉で魔弾の流星群は雷光の蒼白色に変わった。
それが当たるたび、龍の右腕は遅くなる。色が変わってから二秒でその動きは完全に止まった。
『貫通の魔弾』
玖炉がそう言うと無数の砲口は一斉に赤く輝く。止めをさすつもりだ。
その魔弾の特性は『貫通』、龍の皮膚さえたやすく貫いてしまうだろう。
危ない。私は玖炉に向かって飛び込んだ。
「涼歌ッ!」
レイスが叫んだ。
私が玖炉にぶつかると、砲口は全て私に向いて……
止まった。
「やっぱり、私を殺せないんだ」
玖炉には私の頭を打ち抜くチャンスはいくらでもあったはずなのに、私は未だ死んでいない。きっと私を生かす理由があるのだ。
ガトリングで殺さないよう狙うなどどんな銃の達人でも不可能。だから玖炉は撃てないのだ。
玖炉は巨大な砲身を大剣のように大きく振るい、私を殴り飛ばす。
私は地面を転がる。その途中で、レイスの左前足が振り下ろされるのが見えた。
玖炉はかろうじて左前足を避けたが風圧で吹き飛び、廃工場の壁にぶち当たった。
そして壁に大きな穴が空いた。玖炉の体はその奥に隠れた。
穴の中から、薄緑色の弾丸がレイスを一斉に襲った。
『再封印』
レイスが能力を一部解除すると、翼だけを残して人型の体に戻った。的が小さくなったことにより、弾は当たらない。
だが、弾はレイスの後ろで180度旋回した。
「誘導弾かッ!」
レイスはそう言いながら縦横無尽に飛び回る。だが、どこへ逃げても弾丸は飛んでくる。
私は詠唱を始めた。誘導弾を受け止めるための防御の魔法だ。
『霊峰劈く、天地の境』
レイスは逃げ続ける。だが疲れてきたのか少し遅くなった。
『木魂を返す、天地を縫って』
少しずつ誘導弾が追いついてきた。私は呪文を唱える口を少し速くする。
『受け止めたまえ、優しき大地よ』
レイスに一撃命中する。翼に大きな穴が開いた。後ろには数え切れない量の銃弾が控えている。レイスは飛べず、落ちていく。
『聳えろ』
『御守山』
私が詠唱を終えると、尖った山がレイスと誘導弾の間にそびえ立った。
山は弾丸を全て受け止めた。
私は落ちていくレイスに駆け出す。レイスの体を受け止めると、レイスは少し驚いた顔をして、そしてすぐに私の腕から下りて立ちあがった。
「ありがとう。見苦しいところを見せたぜ」
「まさか、かっこよかったよ」
私がそう言うと、レイスは少し微笑んだ。よく見れば体中ボロボロだ。血をポトポトと地面に滴らせている。
「攻撃が止んだな」
レイスがそう言った。確かに、追撃の気配がまるでない。
「魔力切れでしょ。あんな量の銃撃、ずっと打ち続けられるわけない」
私がそう言うと、レイスは一歩踏む出した。
「今がチャンスだ。まだ廃工場に居るはずだ。追いかけるぜ」
そう言ってレイスは歩き出す。血みどろの体をふらつかせながら。
「だめだよ」
私がそう言って止めると、レイスは首を横に振った。
「魔物狩りは俺の仲間を何人も殺した。あいつは俺が倒す。魔の紋章に誓って」
「それでも……」
私がそう言おうとすると、後ろから声が聞こえた。
「ならば戦え、レイス君」
博士の声だ。振りかえると、博士とシロが居た。
「間に合った」
シロは小さく笑った。
博士は口を開く。レイスの目をじっと見つめながら。
「あとどれくらい龍になれるかわかるか?」
「一分だ」
「レイス君、ついてきてくれ。私たちで敵を倒そう」
「ああ」
レイスの黄金の目は鋭く真剣に輝いた。
「涼歌、魔力辿りだ。奴を追うぞ」
博士がそう言った。私は詠唱を始める。
『風を示して道標。その機を示して砂時計』
『犬を従えその地を巡る。その血を嗅いでその道を行く』
『大地の裏まで逃がしはしない。星を追うなら天の果てまで』
『魔力辿り』
魔力の道筋が私の目に映った。この道を辿れば、玖炉がいる。
「レイス、本当に大丈夫?」
私がそう聞くと「当然だ」とレイスは即座に答えた。
「なら、ついてきて」
私は歩き出した。玖炉と決着をつけるために。決着をつけたら、聞きたいことがいろいろある。
私たちは廃工場へ歩き出した。
「使える魔法、多いんだな」
そう、レイスが言う。すると、何故かシロが自慢げな顔をした。
「そう、すごいでしょ」
「俺は軍神系列の攻撃魔法しか使えないからな。羨ましいぜ」
レイスはそう言いながら、自分の手を見つめる。
「龍は鱗の色によって、使える魔法が違うんだっけ」
私がそう言うと、博士は眼鏡をクイッと直した。
「龍の成り立ちは創成三千年後から、神が己の領地を守るために作り出した兵器だ。鱗の色は龍がどの神の管理下にあるかを示している。色の違う龍は完全に別の生き物、別の神の管轄だ。他の神の魔法は覚えたくても覚えられない」
博士がそう言うと、シロはたいして興味なさそうに「そうなんだ」と言った。
扉が目の前にある。私は立ち止まった。少し遅れて皆も立ち止まった。この扉の先に、玖炉がいる。
「開けるよ」
私がそう言うと、皆身構えた。
ドアを開けたその瞬間、一発の魔弾が放たれた。それを躱して前を見つめると、武装を戻した玖炉がいた。
そしてもう一人、長身の男がいた。サングラスをつけていて肌は浅黒い。口は閉ざされたまま、一切動きを見せていない。男には一切表情が無かったのだ。
右腕に流線型の武装を纏っている、肩には二つの推進機がついていた。博士の鉄拳蒸気機装とは真逆の、鋭くスマートな武装だった。
「増援?」
私が呟く。その瞬間、私は男に殴られた。
私は吹っ飛び、壁にぶち当たった。
「ッ!?」
レイスが声にならない驚きを見せた。シロが私に駆け寄る。この男は、レイスよりも速い。何せ移動の過程が全く見えなかったのだ。きっとこの場に居る、誰にも。
博士は、静かに口を開いた
「鉄拳噴流機装……音速の科学魔装、久しぶりに見たよ。ローベイル」
ローベイル、それがきっとこの男の名前だ。
ローベイルと呼ばれた男は、何も言わずただ頷いた。
「そっちは新屋敷か、随分と変わったな」
玖炉は少しうれしそうに微笑んだ。すぐに、敵意の目を私たちに向けた。
「変わりたくなんてなかったよ、そうだろ、錬司?」
玖炉は博士にそう言った。私は初めて、博士の名前を知った。
玖炉は首筋に注射をする。中には緑色の液体が入っていた。
「魔力増幅剤……!」
博士がそう言った。玖炉は悪辣に笑った。そして、血を吐いた。すぐに顔を上げて、血が顔にこびりついたまま悪辣に笑い続けた。
『科学魔装完全解放:銃腕魔弾機装・千滅魔光砲』
もう一度、六つの砲身が私たちを見つめる。
歌声が聞こえる。
Twinkle, twinkle little star……