桃太郎、誕生の秘密
「あ、あたっ、あ痛たたたぁ……」
孫悟空は下界に落ちた刹那、強打した腰をさすりながら立ち上がった。
――いったい、ここはどこだ?
悟空は周囲を見回した。
空が、高い。
妙に潮っぽい臭いがし、少々ジメジメとするが、とても穏やかな土地だ。
「――っうう……」
背後でうめき声が聞こえ、悟空は警戒して飛びのいた。
全身が羽毛で覆われた、奇妙な男が倒れていた。
「何者ッ」
悟空が問うと、羽毛男は頭をさすりながら起き上った。
「……ちょ、ちょっとちょっと、おサルさん、ひどいじゃないですかぁ」
その顔を見て、悟空は驚いた。
「お、お前、猪八戒じゃないか?」
羽毛男は眼を丸くして答えた。
「はい? チョハッカイ? 何を仰ってるんで? あっしはパパゲーノ、鳥刺しですよ」
パ、パパゲーノ?
これまた妙ちくりんな男だ。
三蔵法師様との壮大な旅を終え、孫悟空はお釈迦様より闘戦勝仏なる立派な仏名を与えられ、穏やかな日々を過ごしていた。しかし、そんな日々が数年続くと、悟空は旅への渇望を覚えた。退屈し切った悟空は、未知なる国へ新たな冒険に出たいと、お釈迦様に頼み込んだ。
お釈迦様は悟空の申し出を聞くと、神通力を手放すことを条件に、地上の東の果ての国に行くことを許可してくれた。
こうして再び天界を出て、落ちてきたのがこの土地だった。
パパゲーノ、と名乗ったこの男も、悟空の少し前に天界からやってきたらしい。
奇妙な羽毛で覆われた衣服を着たパパゲーノは、天界の西の果ての方にある国で、鳥刺し、という仕事をしていたという。鳥刺しというのは、森などで美しい鳥を捕まえて、観賞用に女王に献上する職業らしい。パパゲーノは西の国の女王の寵愛を受けていたが、ある時、女王が大切にしていた魔法の果実を盗んだことがばれて、この地へ突き落されてきた、ということだった。
犯した罪がなんとも小さいが、かつての悟空のような成り行きだ。
パパゲーノは、地上へ落とされ茫然としていたところ、上から悟空が落ちてきて衝突し、気絶してしまったようだ。
偶然とはいえ、悪いことをした。
それにしてもパパゲーノの顔――かつての仲間、猪八戒にそっくりだ。
「で、パパゲーノ。その魔法の果実ってのは、何だ?」
「え? ああ、はい。これです」
パパゲーノは羽毛で覆われた懐をまさぐって、小さな丸いものを取り出し悟空に渡した。
「ん? なんだこれ。仙果の種みてぇだな」
「センカ? 何ですかそれ? これは、プフィルズィッヒの種ですよ」
「プ、プフィル……? パパゲーノとかプフィル何とかとか、お前はややこしい名前ばっかり言うなぁ」
悟空は頭を掻いた。
「プフィルズィッヒですよ。甘くて、美味しい木の実なんですけどね。あっしはてっきりただの果物かと思って盗っちまったんですよ。そうしたら、女王が大事にしてた魔法の実だったらしくて……。女王がそりゃもう、もの凄いお怒りになりましてね。こんな知らない地上の国に、落とされちまったんです」
「そいつぁお気の毒に。で、この実には、どんな魔法があるんだい?」
「それが、あっしにもわかんないんですけどね。なんだか、大切な人の命が宿るとか何とか……」
命が宿る魔法の実――やはり、仙果か……?
「ふ~ん。その、お前さんとこの女王の、知り合いの命でも宿ってるのかね?」
「さぁ……いずれにせよ、食っちまって、今は種だけです。それにしても、ここはどこでしょうねぇ、悟空さん……」
「さぁなあ~」
その時、パパゲーノのお腹がぐうとなった。
「あ、あのう悟空さん。ところで、何か食べるものはお持ちでないですか?」
「ねぇなぁ。残念ながら、手ぶらできちまった」
今回の旅はほんの退屈しのぎの遊びのつもりだ。悟空は食べ物はおろか、如意棒や筋斗雲なども全て、天界に置いてきてしまった。
「俺も腹減ったな。よしパパゲーノ。天界から来たもん同志だ。仲良くしようぜ。とりあえず、何か食うもん探しに行こう」
「そうですねぇ。あっしも地上に一人っきりじゃあ、どうしていいやら分かりません。悟空さん、お供さして頂きます」
こうして、悟空と奇妙な鳥刺し・パパゲーノは一緒に旅に出ることとなった。
悟空とパパゲーノはしばらく周囲を歩いてみたが、誰かに出会うこともなく、食べるものも見つからなかった。さらに歩いて、ようやく2人は川を見つけた。
「は~。何にもないですねぇ。いったいここはどこなんでしょう」
水を飲んだパパゲーノが、川べりにへたり込んで嘆いた。
「そうだなぁ……」
悟空も水を飲んでから、立ち上がって周囲を見回した。
「あ、おいパパゲーノ。あの木の上に鳥がいるぞ。お前、鳥刺しだろ? あれ獲ってくれよ」
「あ、ホントですね。あっしの国では見たことないような、なんだか地味な色の鳥ですけど。分かりました」
そう言うとパパゲーノは懐から小さな矢じりのようなものを取り出し、ひゅいっ、っと投げた。
ところが矢じりは、鳥が止まる木の方向とは大きく逸れて、遠く川上に立つ2つの影の方へと消えた。
「あちゃあ~」
パパゲーノは顔を覆った。
「おいおい、あちゃあじゃねえよ、使えねえ奴だなぁ……」
悟空は矢じりが消えたあたりの2つの影を、目を凝らして見た。
「ん? ありゃ人間みたいだな。ちょっくら行ってくる」
悟空はパパゲーノにそう言い残し、ひょい、っと跳躍して川上へ向かった。
2人連れの男だ。
2人は、突然目の前に現れた悟空を警戒するように、片足を退けた。
1人はかなりの長身で、もみあげを頭の両側で奇妙な形に結っている。
もう一方は長髪を垂れ流し、黒々としたひげを蓄えている。
ん? この2人――。
その顔を見て悟空は驚いた。
「あ、あれ? お2人さん、ま、まさか……」
2人が茫然とした顔で悟空を見ている。
「沙悟浄と……三蔵法師様ではあるまいか?」
悟空は2人の顔に、懐かしさを覚えた。
「こ、この奇妙なサルめ……無礼者。何を訳の分からぬことを」
沙悟浄――に、そっくりのひげ面の男が、悟空を睨んで身構えた。
「え? お、お前……沙悟浄じゃないのか?」
「さ、サルめ……」
敵意をむき出しにしたひげ面の男が、腰の刀に手を掛ける。
もう一方の、三蔵法師様そっくりの長身の男が口を開いた。
「この矢じりを放ったのはお主か?」
手に、パパゲーノが放った矢じりを持っている。
「いや、俺じゃなくって、俺の相棒だけどよ……。お前さん、それ、素手で掴んだのか? すげえなぁ」
「無礼者!」
沙悟浄似のひげ面が声を荒げた。
「いやあ、すまない。すまないついでに、俺たち腹が減っててさぁ。なぁ、お2人、そのお腰につけた巾着。食べ物が入っているのでは? ちょっと分けてくれまいか?」
悟空がそう言うと、沙悟浄似のひげ面が刀を抜いた。
「ミコト。この無礼なサル、私が成敗してみせます」
「ふふ。まぁよいだろう、腕試しだ。ただ犬飼よ。命までは助けてやれ。無駄な殺生は避けよ」
三蔵法師様――に、そっくりな、ミコトと呼ばれた男が答えた。
「おいおい、待ってくれよ……」
「ヒトの言葉を話す奇妙なサルよ。では、この犬飼を倒して見せたら、飯を分けてやろう」
ミコトと呼ばれた男が言った。巨躯と奇妙な髪型。そして、矢じりを素手で掴む身体能力。顔はそっくりだが、確かに三蔵法師様とは別人だ。
「分かった。このイヌ何とかを倒しゃあいいんだな」
突然の展開に、悟空は胸の高鳴りを覚えた。天界に神通力は置いてきた。如意棒などの武器もない素手の状態で、どれだけ自分の力を示すことが出来るか。
イヌ何とかというひげ面が、両手で刀をつかんで身構えた。
悟空も半身を切って、戦闘態勢となる。
ひげ面男の眼を凝視する。
刹那、男の眼が見開いた。
来る――。
ズッ――っと男が間合いを詰めたと思うと、刀を悟空に向かって縦にひと振りした。
悟空は瞬時に飛びのき、刀を躱した。かすかに、衣服の胸元のところが切れた。
「ほう――。イヌとやら。下界の人間にしちゃあいい動きだな」
悟空は感心した。この腕前。どこまでも沙悟浄にそっくりだ。
イヌは右回りに旋回すると、先ほどよりも強い勢いで、刀を横殴りに振った。
悟空は上半身を後ろにエビ反り、イヌの攻撃を躱す。上半身を起こすと、間髪を容れず、イヌが右に左にと刀を振って迫ってくる。その刀から放たれる風圧だけでもかなりの威力だ。
悟空はひょいひょいと撥ね跳び、攻撃を避けた。
「やぁッ!」
と叫んでイヌが斜めに大きく一閃すると、悟空はひと際高く跳躍し、イヌを飛び越え背面に降り立った。
「小癪なサルめ――」
振り向きざま、イヌが呟く。
「へへへぇ。体が温まったぜ。次は俺から行くぜ」
悟空はそう言うと、ずん、とイヌの胸元に迫り、男の右手に手刀を食らわせた。すると、イヌが刀を落とした。すかさず悟空はそれを拾うと、柄の部分でイヌの腹部を思い切り突いた。
うッ――と呻くと、イヌは崩れて、その場に腰をついた。悟空はくるりと刀を反転させると、
「俺の勝ちだな」
とイヌの首元に刃先を突き付けた。
「やややや……、悟空さん。いったいこれは何の騒ぎです?」
そこへ、パパゲーノが羽毛をバサバサさせながらやってきた。
「ほう、サルの相棒とはキジか。面白い。次は私が相手しよう」
そう言うと、今度は三蔵法師様そっくりの長身の男が、パパゲーノの方を向いて身構えた。
「ひゃあッ! よ、よして下さい。悟空さん、助けて下さい」
パパゲーノが慌てて悟空の背中に隠れた。
「何だよ、パパゲーノ。お前、戦えないのか?」
「ら、乱暴なことはご免です」
「そっか。なぁ、三蔵……じゃなくって、ミコトだっけ? 俺がもう一戦やるよ」
悟空は刀をイヌに返すと、長身の男――ミコトと向き合った。
「ほう、威勢がいいな。では、私も素手で勝負しよう」
ミコトも悟空と向き合った。
パパゲーノは震えながら後ずさり、2人と距離をとった。
イヌも立ち上がり、刀を腰にしまうと2人から離れた。
悟空は、ミコトと呼ばれた長身の男をじっと見た。奇妙な髪型、衣服の上からも分かる強靭な肉体――それでいて、顔は三蔵法師様と瓜二つ。やりにくそうだ。
ミコトは両足を大きく開き、腰を落とすと両手を拳にし、左の拳を地面に着けた。
何だ、この構えは――。明らかに素手でありながら、イヌとは比べ物にならないほどの殺気を、悟空は感じた。
悟空も腰を低くし身構えた。
来い――。
ミコトが右の拳も地面に着いたかと見えた刹那、凄まじい勢いで突進してきた。避けきれず、悟空は後方に突き飛ばされる。
倒れそうになるところを何とか両脚で踏ん張るが、さらに間合いを詰めたミコトが、右手で強烈な張り手を食らわせてきた。
悟空は顔面を強打され、右に吹き飛ぶ。眼にも止まらぬ速さ、そして圧倒的な力だった。
「くッ――!」
再び脚で踏ん張り、態勢を戻そうとするも、痛みで視点が定まらない。そこへ、今度はミコトの左腕が突き出てきた。
悟空はなんとか両手でそれを受け止め、ミコトの両腕からの攻撃を避けるべく屈みこんだ。そして、左手を地に着け、それを軸にし、回し蹴りでミコトの足首を払おうとした。
だが、ミコトはひょいと飛び上がると悟空の攻撃を躱し、そのままドス、っと悟空の上に落ちてきた。ミコトの両膝と脛が、悟空の四肢を封じる。
巨体に抑えつけられ、悟空は身動きが出来ない。三蔵法師様そっくりの顔が、悟空を見下ろす。
シュッ――と空気を裂く音がして、ミコトの手刀が悟空の首元で止まった。
「サルよ――私の勝ちのようだな」
恐ろしい――悟空は、かつて感じたことのない恐怖を抱いた。
「ま、参った――。俺の負けだ……」
悟空が告げると、ミコトは立ち上がり、悟空の体を自由にした。
起き上がると、悟空は四肢に強い痺れを感じた。
「いやぁ、参った。あんた、すげえ強いな」
悟空が言うと、
「サル。お主もなかなかのものだ。まさか、この犬飼を素手で圧倒するとはな。約束だ。これはやる」
ミコトはそう言って、腰につけていた巾着を悟空に投げてよこした。
「お、くれるのか? 有難え」
悟空は受け取り、巾着を開けた。中から、大きな団子が2つ出てきた。
「お、うまそうな団子だな! ほらよ、パパゲーノ。出てこい。飯だぞ、1個やる」
そう言って、木の陰に隠れていたパパゲーノに向けて、団子を1つ、投げてやった。
悟空は一口で団子を丸のみにした。
「う、うめえ!」
それを見ると、ミコトは笑って答えた。
「これは、大和一の黍団子だ」
ヤ、ヤマト……?
「私は大和の国から派遣されてきた、五十狭芹彦命と申す」
ミコトはそう答えた。
「私は、命のお供をする、犬飼武」
ひげ面の男も続いて名乗った。
「あ、俺は天界から来た闘戦勝仏・孫悟空だ。で、こいつは、俺もさっき知り合ったばかりなんだけど、天界の西の方から来た鳥刺しで、パパゲーノって奴」
こうして、五十狭芹彦命、犬飼武と、孫悟空、パパゲーノは知り合った。
ミコトの話によると、悟空とパパゲーノが落ちてきたこの国は、吉備という国らしい。ミコトと犬飼は、この吉備より東方にある、大和という国から来たという。2人は大和の国で、一、二の強者。そこで、この吉備の国で人々を苦しめている、温羅という魔物を退治するために派遣されてきた。今まさに、その温羅が根城にしている鬼ノ城へ向かっているところだったという。
「へぇ、そうなのか。で、そのウラ? ってのは、何者なんだ?」
「数年前。多くの兵を率いてどこからともなくやってきて、あっという間にこの吉備の国を制圧した魔物だ。人2人分を超すほどの大男で、吉備の人民から金品を略奪し、圧政を強いている。我ら大和の国へも、挑発行動を繰り返している天敵だ」
ほほう……。悟空は冒険心が刺激されるのを感じた。
「ソンゴクー、とか言ったかな? お主もかなりの腕の持ち主。我らと共に、鬼ノ城へ、温羅征伐に行かぬか?」
「えっ! いいのか? 行く行く! ぜひ!」
悟空は胸の高まりを抑えられなかった。
「あ、あっしはご免ですよ、悟空さん。暴力沙汰は勘弁です」
パパゲーノが慌てた様子で、全身で拒絶の意を表している。
「何言ってんだよ、パパゲーノ。お前、俺のお供する、って言ったろ? 大丈夫だよ、俺も沙悟浄、じゃなくってイヌもいるしよ」
「犬飼武だ」
犬飼武は、イヌと呼び捨てられることが不快そうに口を挟んだ。
「はいはい、タケル君ね。それに、何てたって、俺よりもうんと強い、ミコトも着いてんだ。お前、西の国を追放されたんだろ? 温羅ってやつを倒しゃあさぁ、きっと功績を称えて戻してくれるって。俺が、お釈迦様に頼んでやるよ」
悟空はパパゲーノを説得した。
「……わ、分かりましたよ……。悟空さん、助けて下さいよ?」
「おう、任せとけ。ってことで、ミコト、タケル君、俺たちもお供するぜ!」
悟空は立ち上がり、両手を差し出した。渋々、パパゲーノも両手を差し出す。4人はそれぞれ、手を握り合った。
こいつらと、魔物退治か――。
悟空は、五十狭芹彦命、犬飼武、そしてパパゲーノの顔を見、かつて三蔵法師様、沙悟浄、猪八戒と出会い、天竺へ旅した時と同じ高揚を感じていた。
一行は鬼ノ城に着くと、まず俊敏な悟空が石垣を越え、物陰に隠れながら敵地を偵察して来た。
石垣を上ると大きな門があり、その前後に数人の兵が構えていた。兵たちはみな、全身を鉄製の甲冑と薙刀で武装していた。門を抜ければ広い敷地と、奇妙な蔵がいくつかあるが、いずれも警護はさほどではない。首領らしき温羅は、中央にある大きな屋敷にいるようだ。
報告するとミコトが言った。
「よし、たとえ数では勝れど、戦力では我らに勝ることはないであろう。正面から一気に攻めるぞ。まず、お主ら3人で門を突破し、門番どもをひきつけよ。その隙に、私が温羅の下へ行き、制圧して見せる」
「はっ!」
犬飼武が力強く応じた。
「単純明快。いいねぇ」
悟空も俄然、闘志を燃やした。
「ひ~っ!」
パパゲーノだけが震えあがっている。
「行け!」
ミコトのかけ声とともに、悟空と犬飼は一気に石垣を這い上がり、門の正面に立った。
「何奴!」
と門の両脇から迫る2人の門番を、
「えいっ!」
という気合を発するだけで、犬飼武が気絶させてしまった。
「おお、やるねぇタケル君」
犬飼の技を称えつつ、悟空が門扉を蹴破った。
武装兵5人が奇襲に驚きつつも、さっと薙刀を身構えた。
悟空は中央の1人に狙いを定め、腕を蹴り上げる。相手が思わず薙刀を落とすと、悟空はそれを奪った。
「へへ、こいつさえありゃ、怖いもんナシだぜ」
悟空は薙刀を如意棒の如く振り回し、あっという間に近くの2人を倒した。
同時に犬飼も、1人、また1人と刀で倒す。
残りの1人が慌てて退き、「ピーッ」と笛を吹くと、さらに10人ほどの武装兵たちが悟空と犬飼を囲んだ。
「いよいよだねぇ、ワンちゃん」
「犬飼だ、サル」
悟空は薙刀を、犬飼は刀を構えると、敵兵との距離を見ながら背中合わせになった。
「パパゲーノの奴、逃げたな」
「引きつけるだけなら我ら2人で問題ない。行くぞ!」
犬飼が言うと、悟空は薙刀を振り回しながら敵を蹴散らし、犬飼も気合を発しながら刀で武装兵たちを圧倒させた。
2人の猛攻に武装兵たちの足並みが乱れ隙間が出来ると、ザッ、と砂煙が舞ってミコトが現れた。ミコトは脇目も振らず、敷地内中央の温羅のいる屋敷へ、猛然と駈けて行った。
何人かの兵士が、ミコトを追おうとする。悟空は薙刀で抑えていた2人をえいやと倒し、ひょいと飛び上がると、ミコトを追う兵士の前に降り立った。
「俺が相手だ」
悟空は薙刀を突き付け、追手を挑発した。前方の犬飼を見やる。門のところに残った兵士数人に囲まれながらも、退かずに威圧していた。
その時、ズン、っと轟音が響いた。
ミコトと、温羅の対決が始まったようだ。
ミコトは一気呵成に中央の屋敷に突入した。
壁を突き破ると、噴煙の中から巨体が現れた。
温羅だ――。
ミコトは抜刀し、温羅に飛び掛かった。
「ええいッ!」
と不気味な低い叫びを発し、温羅が右手でミコトを振り払う。
圧倒的な力に、ミコトは吹き飛ばされた。
噴煙が治まり、温羅の全身が露わとなった。
人2人分どころか、5人分ほどの巨体。
頭から足先までが黒々とした鉄製の鎧で覆われ、岩山のようだ。
温羅の低い声が響いた。
「奇襲とは卑怯な奴め!」
「何を言う。お前こそ、吉備の国を蹂躙した、侵略者め!」
ミコトは構えを直して、温羅と対峙した。
顔面まで鉄面で覆われ、表情が見えない。
これが吉備の魔物――温羅か。
鉄と鉄が擦れる音がし、温羅が動いた――と見えた刹那、温羅は両手を振り上げ、その勢いだけで、屋敷を吹き飛ばした。
暴風が吹き荒れる。
悟空は薙刀の柄で左の敵を、刃先で右手の敵を次々突き倒し、犬飼のもとへ向かった。
犬飼も、四方から迫る敵の攻撃をくるくると体を旋回させながら躱すと同時に、2人、3人と刀で斬り倒していった。
ミコトと温羅が竜巻を、悟空と犬飼が二柱のつむじ風を起こすが如く立ち回る。
嵐のように砂塵が舞うなか、再び悟空と犬飼が背中合わせになった時、警護の武装兵たちは既に皆、地に倒れていた。
「やっと雑魚を片付けたな」
悟空が構えを解く。
「ああ」
と言って犬飼が額の汗を拭った。
そこへ、ズドン、ズドンとした爆音が響く。
「ありゃとんでもねえな」
「ああ……」
見ると、黒々とした巨人が、ミコトを相手に拳を振り回していた。
「タケル、まだ行けるか?」
「望むところだ」
犬飼武の返事に、悟空は片頬が緩む。
2人は倒れた兵士から新しい薙刀を奪うと、ミコトを援護すべく走った。
温羅は、凄まじい勢いで両の拳を放ってくる。
ミコトはそれを右に左に飛んで避ける。
温羅の拳が地を叩くたび、地震の如く大地が揺れ、噴煙が上がった。
防戦の一方だ。攻撃の糸口が見えない。
ミコトは温羅の腕に飛び乗り駆け上がると、頭上を飛び越え背面へ降り立った。
さっと走って距離を取る。
温羅が振り向く。
ミコトは、さらに距離をとって、温羅の全身を見た。
鉄の鎧を突き破ることは出来そうにない。しかし、関節部分には継ぎ目、顔面にはいくつかの通気口がある。そこを攻めるしかなさそうだ。
温羅が再び向かってくると、ミコトは両脚を踏ん張り敵の拳を迎え、打たれる寸前、温羅の指の関節部分へ刀を突き刺した。
「ウッ」
と呻いて温羅の動きが止まる。
「ミコト!」
その時、悟空と犬飼も駆けつけてきた。
温羅の拳を見ると、指を覆う鉄の隙間から、血が流れているのが見えた。
「ひゃあ。鉄の化け物も、血を流すのか……」
悟空が感心した。
敵に一太刀浴びせたものの、ミコトの刀は折れてしまった。
「ミコト、他の敵は倒しました。助太刀いたします」
犬飼が言う。
ミコトは折れた刀を捨て、近くに倒れていた敵から薙刀を2本奪い、両手に持った。
温羅が再び構えた。
来る――。
ズドン、ズドン、と温羅は鉄腕を繰り出し、ミコト、悟空、犬飼を攻めた。
「えいっ!」
犬飼が温羅の右手に飛びつき、気合を発した。
すると、先ほど傷ついた指のあたりから、ガラリと音を立てて、鎧がこぼれた。
悟空はひょいひょいと温羅の体を飛び回り、次々と関節部分に薙刀を突き刺して行った。
悟空と犬飼の攻撃に、温羅の動きが乱れる。
それを見切ったミコトは、両手に構えた薙刀を、2本同時に温羅へと放った。
1本が顔面の鎧に当たって落ちた。
しかし、もう1本は通気口をすり抜け、鉄面の中に突き刺さった。
「ううッ……」
鮮血が鉄面から飛び散り、温羅が呻いた。
「ミコト、やりましたね!」
悟空が笑顔を見せる。
その時、ズン、という不気味な音が空気を裂いた。
薙刀が、ミコトの体を貫いていた。
鉄面に当たって落ちた方の薙刀を温羅が拾い、突き刺したのだ。
「ミコト!」
犬飼の叫ぶ声が聞こえた――。
「畜生っ!」
悟空は薙刀を思い切り振り上げた。
温羅の首元部分に、わずかに鎧の継ぎ目が見える。
悟空はそこをめがけて、渾身の力で薙刀を突き立てた。
滂沱の如く血を流し、温羅が倒れた。
巨体が地面にぶつかる衝撃で、温羅の全身の鎧が壊れる。
轟音が響き、砂塵が舞う。
その刹那、温羅が猛禽に化けた。
「あ、逃げる気だな!」
バサバサと音を立てて猛禽が飛び立つ。
「くっそう! 筋斗雲があればなぁ」
悟空は歯ぎしりしながら、空を舞い逃げる猛禽を遠目で追った。
猛禽が石垣の上空を越えた時、何かが突き刺さり、羽を散らしながら猛禽が落ちて行った。
まさか――。
悟空は石垣の方へと走った。
すると、石垣の下から、傷ついた猛禽を抱えてよたよたとパパゲーノがよじ上ってきた。
「パ、パパゲーノ!」
鳥刺し、パパゲーノが、上空を逃げる温羅を矢じりで突き刺したのだった。
パパゲーノは石垣を上ると、荒れ地となった鬼ノ城の敷地内を見て呆然としていた。
「ひゃ、ひゃあ……。これは恐ろしい」
「パパゲーノ、説明は後だ。ミコトが……」
悟空とパパゲーノはミコトのもとへ走った。
犬飼が、ミコトを抱いている。
ミコトは、胸から血を流していた。
「おい、ミコト。大丈夫か?」
悟空が訊く。
ミコトは、力なく目を開けた。
「……悟空、パパゲーノ。有難う。お主らの援護がなければ、我らは温羅を征伐出来なかったであろう」
悟空は、息絶えようとするミコトの顔を見た。
三蔵法師様……。やはり、その顔は三蔵法師様にそっくりだ――。
「ミコト――」
犬飼が、目に涙を浮かべ、ミコトの手を握った。
その時、悟空はあることを思い出してパパゲーノを見た。
「あ、そうだ魔法の実! おい、パパゲーノ。お前、持ってたろ? プフィル何とかって。あれ、命がどうのこうのって。ミコトの命、救えないか?」
「あ、え? プフィルズィッヒのことですか?」
戸惑いながら、パパゲーノが懐から魔法の実の種を取り出した。
犬飼が、その種をパパゲーノから奪い取る。
「こ、これは……ミコト! これは、桃の種です!」
「モ、モモ?」
悟空とパパゲーノが疑問の声を揃えた。
ミコトが、虚ろな目で、犬飼が手にした種を見た。
「おお……桃か――。命を宿すという、桃の実。間もなく、私の命は尽きるだろう。だが、私の命は、今ここで、この実に託したい。犬飼よ。温羅が去り、平穏になった吉備の国に、この桃の実を植えてくれ。いつかまた、吉備の国に災いが訪れた時、私の分身がこの実から生まれるだろう。犬飼、そして、悟空、パパゲーノよ。生きながらえて、その桃から生まれた分身を、また私のことのように守ってくれ――」
言い終えると、ミコトは目を閉じた。すると、ミコトの体が光を放ち、吸い込まれるように魔法の実の種のなかへと消えた。
「ミコト――」
犬飼は、その種を両の手に握りしめた。
戦いは終わった。
戦闘中、絶えずパパゲーノは怯え木陰に隠れていたという。だが、たまたま上空を猛禽が通りかかった時に、襲われるのを恐れて矢じりを投げた。それが見事に命中したらしい。
あとで悟空に聞いてそれが温羅の正体と知ると、
「ひゃあぁっ」
と気味悪がり、猛禽の死体を放り投げた。
悟空は、犬飼に別れを告げると、パパゲーノを連れて天界に戻った。そしてパパゲーノが西の国の女王に許してもらえるようお釈迦様に経緯を話し、免罪符を書いてもらった。
それを持って、悟空は筋斗雲に乗せて、パパゲーノを西の国に送ってやった。
パパゲーノは東の果てにある地上の国を守った英雄として西の国への再入国を許された。
五十狭芹彦命は、吉備の国を守った英雄として「吉備津彦命」と呼ばれ、祀られた。
犬飼は、吉備津彦命の功績を語り継ぎ、桃の実を植えた。
時は流れ、再び吉備の国を鬼が襲った時、桃の実から吉備津彦命の分身が生まれ、彼は桃太郎と呼ばれた。