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3 執着と執念

 その日の晩は、それっきりの会話となった。

 むしろあれが会話として成立しているのかどうか。それでもミレイユにとっては、彼――セラ・フォン・アーデルハイドの声を聴けただけでも大収穫だった。

 取り入れたい分野に出会った瞬間に似ている。それを修得したくて昼夜を問わず、寝食すら忘れて没頭していた時と。「夢中になる」という気持ちが、知識や技術の修得と変わりがないのかもしれないと思った。恋愛とはそういうものなんだ、とミレイユはほんの少しばかりがっかりした部分があった。

 友人達がはしゃいでいたように、相手のことを想い過ぎて一喜一憂し、時には胸の苦しさで恋煩いという病に陥ったり。もっとそういった感情がミレイユの中にも迫りくるものだと、なんとなくだが思っていた。

 確かに今までと全く違う感覚はある。あれからミレイユの頭の中はセラで埋め尽くされていたから。

 彼のことしか考えられない。瞳を閉じれば、彼の麗しい姿が鮮明に蘇る。彼の声だって今も耳に残っている。名乗っただけなので、彼のことはそれ以上何もわからない。だから彼が身につけていたものについて考えることで、彼について知った風になってみる。


 あの晩、彼が着ていたスーツは貴族御用達のブランド「ルミエル・エヴァンス」、ファッション雑誌やルミエル・エヴァンスのカタログで探してみた。最上級の生地と、有名デザイナーが手掛けた一級品であることがわかる。それだけで彼がファッションに気遣うタイプ、高位な身分の者、恐らく相当な金持ちであることがわかったが。


(いえ、違うわね。セラ様のあの素振りからして、ああした社交的な場には一切興味がないように思えたわ。かといってセンスまで疑うつもりはないけれど、セラ様が新入生歓迎パーティーで着ていた衣装は恐らく家の者が用意した可能性がなくはない。あの場だけで、あれだけの会話で、セラ様の人となりを推察するにはまだ情報が不足してる……っ!)


 ミレイユは相手の外見、所作、話し方などで色々と分析するところがあった。外見で言えば髪質、肌つや、手の状態、身につけているもの。それらを見て、自分の外見にどれだけ気を使える人物かどうか判断が出来る。

 髪質や肌つやが良ければ、きっと高価なシャンプーやクリームなどを使って手入れしているに違いない。

 手の状態を見ることで、相手がどれだけ手を酷使しているのか。ペンだこがどれだけ出来ているかによって、書き物などでよほど手を酷使していると想像出来る。

 学業に熱心な場合があるし、楽器などを使った手かもしれない。音楽家というものは、それなりの資産がなければ習い続けることが難しい。もしくはネイルのケアなどで、美容にどれだけ興味があるのかもわかる。

 身につけているもの、ファッションに関しても同様だ。自身の外見に気を使えるかどうかで、周囲の視線を気にするタイプなのかどうか。所作ひとつ、話し方ひとつで、その人物の人柄が現れる。

 一概に言えるものではないが、それらを総合した上で実際に接触してみることで、ようやくその人物の人となりを確実に分析することが出来る。

 セラという人物を深く知る為には、あれだけの会話では不足過ぎた。

 これまで抱いたことのない熱い激情、ミレイユがこれほど特定の人物に対して興味を持ったことは一度もない。損得無しに、自分の保身なども関係なく、ただただセラという人物が欲しくなった。

 彼を自分だけのものにしたい。それはつまり同年代の女の子達の話題に度々あがる恋人同士という関係性のことを言っているのだと、ミレイユは強く感じた。

 そう、自分は生まれて初めて異性を好きになり、その人物を彼氏にしたい。彼女になりたいと思えた。そしてそれはセラという人物以外にあり得ないことも。


 その日から、ミレイユの猛進が始まった。


 ***


 入学してしばらく経つと、部活の勧誘や見学が始まる。特に必要性を感じなければ、ミレイユは部活に入ろうとは思っていなかった。むしろ部活ではなく、生徒会を選んでいただろう。

 ミレイユは同じクラスになった女子生徒に誘われ、色々な部活の見学へと連れ回された。人間関係に波風を立てないように。だがそれ以上に上級生と接する機会となるかもしれないという思惑もあり、ミレイユは快く受け入れながら渡り歩いた。

 そんな中で出会った幸運、ミレイユは運命と感じた。

 創作クラブという、いわゆる小説やイラストなどの制作を主に活動内容とする部活に……彼はいた。ミレイユにとってはにわかに信じられなかったが、実際に彼は部室にいたのだ。

 少なからず複雑な感情を持ったミレイユは、その気持ちを一瞬にして払拭させる。ミレイユが創作クラブにセラがいたという事実をすぐに受け入れられなかった理由は、その部活の色にあった。

 曰く特殊な人種が集う場所、曰く根暗な人間が馴れ合う場所。創作クラブは一次創作を主に活動する場、つまり世間一般的にはオタクという人種がわいわいと寄り集まって、一般人には理解が追いつかない内容の話を一方的に喋りまくる――協調性もコミュニケーション能力も欠けた人間の居場所という認識がされていたのだ。

 そんなオタクが集まるような場所に、憧れのセラが所属しているという現実。当然、セラ以外の部員は全員揃いも揃ってファッションセンスのかけらもないような、芋臭い格好の男ばかり。少しは外見に気を使おうとしている一部の人間も、そもそもファッションより創作物の方に興味が強い為、センスのズレた格好をしていてより一層哀れな姿となっていた。

 女子部員に関してもそうだ。創作の中に存在する王子様でも追いかけているんだろう。自分の外見をどうにかしようともせず、創作物に没頭する余り分厚いレンズのメガネをかけている姿が残念でならなかった。髪の手入れもろくにしないせいで、ツヤがなくパサついて言うことを聞かない髪を無理やり整えようとした結果が、ポニーテールをするか三つ編みをするかの二択になっている。

 彼女達は創作の中に身を置いているのだろうか、肌の手入れもされておらず化粧っ気もない。そばかすやにきびを隠すことすらせず、それに関しては実に堂々とした立派な態度だった。

 そして男女共に共通していることが、華やかさに欠けるという点だ。さらには明るさもなく、新一年生が見学に来たというのに、歓迎の言葉と態度を示したのは部長と副部長のみ。他の部員は自分の存在感を消そうとでもしているのか、それともミレイユ達新一年生の存在を認識していないのか。

 誰もが本やスケッチブックに目を落としたままで、挨拶の言葉も会釈もない。

 完全に住む世界が違うと感じたミレイユだったが、憧れのセラもまた読んでいる小説から目を離すことなく見学者を無視している様子だったので、部員の態度がここではごく一般的なものなんだと先入観をすぐさま捨てた。

 部長にこっそり尋ねると、現在この部室にいる者全員が部員なのだと聞いて、ミレイユはその場で入部を決めたのだった。


「皆さん、初めまして。ミレイユ・アストゥリアスです」


 外見だけで言うならミレイユもさほど華やかさを持ち合わせてはいないが、それをカバーする為の努力は惜しんでいない。高級シャンプーやトリートメントを使って髪ツヤを維持し、それをメイドに綺麗に編み込んでもらっている。顔に関しても、外見至上主義な女子生徒のように厚化粧するのではなく、あくまでナチュラルメイクを貫いた。ミレイユのようなパッとしない顔立ちが無理して濃い化粧をすると、かえってみっともなく見えてしまう。必要最低限、きれいに整える程度、それだけで随分と顔の雰囲気は変わるものだ。

 チークやアイシャドウ、口紅に関してもミレイユは研究してきた。カラーコーディネイトを独学で身につけ、自分の顔の雰囲気にあった色合いのメイクをすることで、より自然な華やかさを演出することが出来たのである。当然、レイリック学院の制服の色も考慮して、顔だけ浮くようなことがないように。

 ミレイユはどこからどう見ても、部内で一際目立つ存在となった。女子部員と比較して格上とまではいかない配慮、やりすぎてしまえば部の雰囲気を壊してしまいかねない。創作クラブには創作クラブの色というものがある。しかしそこからほんの少しだけの差し色、といった存在がミレイユになるように。

 特別目立つわけではないけれど、なぜか視線がミレイユを追うように。しかしそれは男子部員全員に向けたものじゃない。ただ一人、セラにさえ通用すればそれで良かった。

 ただやはり、ミレイユはまだセラのことを図りかねている部分があった。果たしてセラは、特別と思えるような女性が好みなのかどうかだ。ミレイユがこれまで見てきた男性は、こぞって特別感のある女性を好んだ。外見、性格、才能、会話、そのどれかがマッチすれば大抵の男性は簡単に落ちる。

 しかしセラに至ってはまだ何もわからないも同然、むしろこれから知る為に近付いているのだ。スタートラインにすら立てていないミレイユは、出だしをしくじるわけにはいかなかった。

 だから創作クラブという、唯一上級生であるセラに正当な理由で近付ける理由を手に入れた。問題はここから先だった。初対面の時に感じていたことだが、きっとセラは他人に興味がないのだろう。関心がないのだ。そんな人間相手に、ミレイユは必要な範囲でしか接してきた経験がない。

 もっと言うなら、他人……ミレイユに関心のない人間は無害にも等しいので、険悪にならない程度の距離感でしか相手をしたことがなかった。しかし今回ばかりはそうはいかない。誰よりも特別視してもらう必要があるからだ。

 そうとなればきっかけはやはり、この部活内容によることは明白だった。それとなくセラが読んでいる小説の背表紙を確認して、タイトルと著者名を記憶した。

 そこから同じ作家の作品、同じジャンル系統の小説を読み漁る日々を過ごす。当然ながら成績は常に上位をキープした状態で、睡眠時間を削ってまで読書に没頭した。学校内ではクラスメイトとの交流で忙しい。とても読書に割く時間は作れない。人間関係の構築を疎かにすることなく、ミレイユは少しでも多くセラに関心を抱いてもらう為の足がかりを作る為に、その努力を惜しまなかった。

 明確な目標がある時のミレイユは、自分でも驚く程に集中力と体力に限界がなかった。


 読書しながらも、セラへの接触ももちろん行なっていた。

 人間関係構築に大人顔負けの能力を発揮してきたミレイユだが、一つだけ自分自身も気付いていない弱点があった。


「セラ様、ミヒャエル・リムがお好きならトルスク・スタインの著書もおすすめですわ」

「……もう全作読了済みだよ」


「家庭科実習でアップルパイを焼いたんですけど、よかったらどうぞ」

「甘いものは苦手でね、結構だ」


「父が旅行のお土産に買ってきてくれたエルストイ製の万年筆なんですけど、私はもうお気に入りのペンを使ってるので差し上げますわ」

「生憎エルストイ製の万年筆は、手に馴染まないから使わないんだ」


 梨のつぶて、いや……それ以前の問題だった。

 ミレイユはセラのことで頭の中が一杯になり過ぎて、周囲が見えていなかった。これは今までの人生でなかったことでもある。常に周囲の視線を意識してきたミレイユが、恋に盲目的になり過ぎた為の失敗。

 どうにかセラとの接点を見つけたくて、セラに関する情報を知りたくて、親しい仲になりたくて、ミレイユは事あるごとにセラへの猛アタックを毎日のように決行していたのだ。


 そのせいで一部の人間から「ミレイユはセラに想いを寄せている」のだと、勘付かれてしまっていた。


 ミレイユの行動が第三者に勘付かれるということは、当然セラ本人の耳にも入ることになる。

 だからといってミレイユの行動が制限されるのかと思えば、そうはならなかった。

 セラへの恋心は加速度的に大きくなり、もはやミレイユがこれまで積み上げてきた「高嶺の花」という地位すら、彼女にとってどうでもいい肩書となる。

 何をしても、何を言っても、セラがミレイユになびくことがなければ心を開く素振りすら見せない。

 そんな日々からミレイユは見境がなくなり、情熱的な恋する乙女モンスターと化すまで時間はそうかからなかった。


 ミレイユの弱点……。

 誰にも何も感じることのなかった人間が、ある日突然恋に目覚めると歯止めが効かなくなる。

 盲目的な恋の狩人となったミレイユは、狙った獲物は一生逃さない……。

 自分が誰よりも熱い心を持った人間だったことを、後になって思い知るのであった。

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