2 鮮烈な出会い
初等部、中等部、共に順風満帆な生活を送ってきたミレイユ。
中等部に進級する直前から、人間関係は少々複雑に絡み合うことが増えたと感じたミレイユは、人間の心理に関する本も多少読むようにした。そもそも円滑な人間関係を構築するには、人間の心理を掴むことこそ最大の武器になることを知ったのもこの時だ。
ミレイユは八方美人に振る舞った。誰からも疎まれたくない、そして誰からも避けられたくないという一心で。しかしそうすればそうするほど、なぜか一部の人間はミレイユのことを煙たがり、排斥しようと考えるようになる。
その人物に対し特に何かしたわけでもなく、ぞんざいに扱ったつもりもない。むしろ平等に、全てに対して愛想良く振る舞って来たはずなのに。
その疑問はいつも本が解決してくれた。専門家が書く本に勝るアドバイスはないとミレイユは思った。
多感な年頃の女子には特に、男子に人気のある女子は嫌われやすい傾向があるという。
ミレイユにはその感情が理解出来なかった。
何かをしたわけでも、ましてや意地悪なことをしたわけでもないのに。なぜそのような感情を抱かないといけないのか? それが自身にとって何の得があるというのか。
ミレイユにとって、他人が抱く損得以外の感情が理解不能であった。
それでも学院生活に於いて何一つ問題を抱えたくないと考えているミレイユは、とにかく全ての人間に対して認められなければならないという気持ちで一杯になる。
そういった人間に認めさせるには、一体どうすればいいのか。あらゆる本を探り、ミレイユを毛嫌いしている人物の特徴などをよく観察するように努めた。
ミレイユを意味もなく避ける人物に注視し、観察することによって見えてきたこと。そして相手が警戒しない程度に距離感を保ちつつ、さりげなく接する機会を増やしてみる。
もちろん周囲の人間を使ってでも、ミレイユは徹底的に自分を拒絶する相手にアプローチした。
なんてことはない。特に女子の心は掴みやすかった。――共感。
それを利用すれば、相手はすぐに堕ちた。ミレイユはこれを機に、目立ちすぎることを避けるようにする。過剰な注目は反感を生みやすいということを、この時ようやく学んだからだ。
初等部の頃ならば特に問題はなかった。同年代の子供の中でミレイユが最も賢しかったので、嫌われないようにするにはどうすればいいのか単純だったからだ。
しかし成長すればする程、人の心はどんどん複雑化していく。ミレイユの振る舞いもそれに合わせていく必要があった。他人との衝突は最も避けるべき問題だと、幼い頃にすでにわかっていたことだから。
***
高等部に進級した。
この頃から他校の生徒が多くレイリック学院に入学して来る。
ミレイユはずっとこの調子でいくものとばかり思っていた。しかしミレイユも人間だ。年頃の女の子だ。同年代の、思春期の若者が抱く感情をミレイユもまた持ち合わせていた。
(どうしてだろう……。なんだかすごくつまらないわ……)
全てにおいて順調だったはず。なのにどこか、何かが物足りない。これまで感じたことはなかったが、特に異性に対してより強い不満を抱くようになる。
同性に対しては生まれない感情だった。
「ねぇ、聞いた? 中等部で人気があったスザンヌが、高等部の2年の先輩とお付き合いし始めたんですって!」
「知ってる知ってる! スザンヌって顔だけは可愛いものね」
そんな話題をよく聞くようになった頃だった。同じ学年の女子が男子と交際するようになる。これも思春期ならよくあることだ。そのはずだった。なのにミレイユの中ではそれがひどく違和感のある感情であることに気が付いた。
違和感……。中等部に入った直後辺りから、誰かが誰かと付き合ったという話題を耳にして、最初こそ興味のない出来事で聞き流していた程度だった。
それが一人、二人と聞くようになってからだんだんとミレイユの中で、言葉では表現し難い不安がふくらんでいることにうっすら気付き始める。
(私は他の女の子達とは違うのだから、別に興味ないわ……)
自分は誰か特定の人物だけの物になる器ではない。
最初はそう信じて疑わなかった。いや、そうやって自分に言い聞かせていただけかもしれない。
別にミレイユ自身が恋愛というものを知らないわけではないが、まるで自分には無関係な……抱く必要のない感情という認識があったのかもしれなかった。
様々な本を読んできたミレイユは、当然恋愛小説なども読んできた。紆余曲折ありながら、最後には無事に結ばれるハッピーエンドから。涙なしではいられない悲恋の物語まで。
それでも、ミレイユはなぜか恋愛というものに惹かれなかった。サクセスストーリーや、推理小説、冒険もの、そういった作品はあれだけ面白かったというのに。
やがて自分が恋愛ものに興味を惹かれないのは、単純に興味がないから……という理由を付けて受け流していた。だが中等部の最後の年になれば、だんだんクラスの女子から聞かれるようになる。
「ミレイユは好きな人とかいないの?」
「あれだけ男子から人気があるんだから、引く手数多よね」
「羨ましいわ」
次第に出てくる話題は恋愛話が増えてきた。これまでは勉強や本、ファッション、スイーツ、アクセサリーといったものが主だったのに。口を開けば誰々はかっこいいだの、スポーツが出来る人がいいだのと、異性の話題が大半を占めてくる。
ミレイユは人を良く見る能力に長けていたので、そういった話題について行けないわけじゃない。ただ「興味がない」だけだった。心の底から「関心がないからつまらない」だけだった。
中等部の頃は心の底からそう思っていて、それでも話題に入れない状態だけは許せなかったので、周囲に合わせて会話することは可能だった。
しかし自身にその経験がないせいか、そういったことを聞かれるとどうしても曖昧な返事になってしまう。ミレイユが「親しみやすい友人」という植え付けには成功しているので、誰もが踏み込んだことを聞いてきたりはしなかったが。時々、一抹の不安がよぎる。
陰で何か言われているかもしれない、と。
男子のことは深くは知らないが、とかく女子は陰口が大好きなものだ。対面している時は笑顔で接するくせに、その人物がいなくなった途端に陰口大会が開かれる。
ミレイユは陰口が大嫌いだった。双方にとって何の得にもならないからだ。だから大体は聞き流すか、曖昧に受け流すか、過剰だと感じれば自分に当たり障りない程度に諫めるか。そうやって何度も乗り越えてきた。
そういった経験があるからこそ「恋愛」という、ミレイユにとって最も興味のないジャンルで、友人達から陰口を言われているかもしれないという不安材料だけは取り除きたかった。
(だけど……、これは問題ね)
そう、ミレイユはとにかくプライドが高かった。
恋愛話に花を咲かせるという理由だけで、適当に交際相手を見繕うには異性のレベルが低すぎたのである。しかも自分は今や誰もが羨む才女だ。その点のみであるならば自分でも自覚しているが、外見には残念ながら恵まれなかった。だがそれを遥かに凌駕する程の実績を積み重ねて来ている。
容姿だけで言うなら、話題に上がったスザンヌが最も男子に好かれる要素を持っていた。だがミレイユはのっぺりとした相貌に、そばかすだらけの頬。肥満は以ての外なので、体型維持に気を使ってはきたものの胸が大きく膨らむようなことはなかった。
その点スザンヌは顔の愛らしさはもちろん、スラリとしたスタイルに似つかわしくない大きな胸。くびれた腰、丸みのある綺麗なお尻、細長い足。身体の造形だけは生まれつきだ。個人の努力でどうにかなるようなものではない。こればかりはミレイユも身の程を弁え、せめて太らないようにすることしか出来なかった。
(男子というものは、とにかく女子のことを外見だけで判断しがちね……)
確かにミレイユのことを特別視してくる男子はいる。しかしそれはあくまで成績優秀、品行方正、模範的な女子として。どんな話題でも盛り上げることが出来るトークスキルで、楽しく会話が出来るという快楽の為だけに寄って来る者ばかりだった。
そこからミレイユに恋心を抱く男子が、果たして何人いただろうかと自分でも思う。
だがそれ以上にミレイユは周囲に存在する男子全てが、全員同じに見えた。どんなに顔が整っていようと、頭が良くても、家柄が良くても、スポーツが出来ても、会話が弾んでも、何一つ惹かれることがなかったのだ。
これはひとえに「ミレイユが異性に興味がない」という理由で片付くのだが、誰よりも優れていたいミレイユにとって、それは許されざる案件だった。
しかしどうしても世間体という理由だけで、恋愛感情なんてこれっぽっちもない相手と付き合うなんてミレイユは考えられなかったのだ。
だから恋愛に関しては、悔しいがひとまず諦めることにした。顔が良いだけの人間と、頭が良いだけの人間と、家柄が良いだけの人間と、そんな相手と付き合っても自分の価値が下がるだけではないか?
それならミレイユですら納得のいく相手が見つかるまで、高嶺の花で収まる方がいくらか拍が付くのではないだろうかという結論に達したのだ。
そしてそれはひとまずではあるが、なんとか無事に成功させることが出来た。
『優秀なミレイユ・アストゥリアス伯爵令嬢に見合う異性など、そう簡単に現れるはずがない』
誰よりも一線を引いた、しかし親しみやすい人柄として。高等部でもそのままで終わると、ミレイユ自身がそう思っていた。
だけれど新入生歓迎パーティーで、その全てが覆った。
***
高等部の新1年生を主に歓迎するのは、2年生の役割だ。先輩である男子が、後輩の女子を必ずしもエスコートするという決まりはない。男同士、女同士でエスコートする組み合わせが一般的ではあるが。
「中等部での活躍、我々高等部の間でも当然知れ渡っているよ」
「君がかの有名なミレイユ伯爵令嬢だね? 良かったら俺にエスコートさせてもらえない?」
「貴女のような女性に出会えて光栄だよ。是非エスコート役を僕にしてくれないか?」
群がるように寄って来る2年生の男子生徒達。こういう場面に出来ることなら出くわしたくなかったのだが、自分の存在をアピールするには打ってつけの場となっては参加しない手はなかった。
しかしそれにはリスクの方が大きかったのかもしれないと、ミレイユは5、6人の男子生徒に囲まれながら痛感する。
視界に入る程度に離れた場所では、男子生徒にエスコートしてもらいたかったであろう一年生の女子生徒がやっかむようにミレイユを睨みつけていた。完全に不可抗力とはいえ、こういった形で敵を作りたくなかったミレイユは心の中で舌を打つ。
正直、どの男子生徒も野菜か雑草にしか見えなかった。一応それなりにファッションに気を使っているであろう彼等は、自分に自信があるからこそレベルの高いミレイユのエスコート役を勝ち取ろうと声をかけてきたのであろうが。
下心は見え見え、自身の評価を上げる為にミレイユをその道具に抜擢しただけの男達。とはいえ、ミレイユはそんな彼等の思惑が悪いことだとは決して思わない。その道具にミレイユを選ぶのは当然だろうとさえ思っている。
ただミレイユにとってあまりにもプラスにならない彼等に対して、気安く尻尾を振る気にはなれなかった。それだけだった。
――そんな中、ミレイユは一際目を引く人物に気が付く。
彼を目にしたその瞬間、ミレイユの時は止まった。小説などでよくある表現方法だが、まさか自分がその表現ぴったりの状態に陥るなんて思っていなかった。それほどにミレイユの瞳は彼に釘付けになっていたのだ。
流れるような輝く金の御髪、透けるような白い肌、男性とも女性ともつかない中性的な顔立ち。氷のように鋭い瞳は、見つめられただけで石か氷に変えられてしまうのかと思う程に、冷たい美しさを放っていた。そんな彼は誰ともつるまず、ただ一人壁際に立っていた。素知らぬ顔でどこともなく、ただ一点を見つめているだけ。
新一年生はエスコート相手に声をかけられるまで、全員がほぼ一列になって隣り合った者と会話をしたり、誰か素敵な人物はいないのかと視線を泳がせている。
二年生も仕草は一年生とほぼ同じで、誰に声をかけようかと一年生の顔を吟味しては誰をエスコートしようかときょろきょろ見渡していた。
彼はそのどちらでもない。なぜこんな場所に来ているのか、それすら不思議に思う程に彼はこの場で最も浮いた存在となっている。両腕を組み、壁にもたれ、うんざりとした表情で状況を窺っているように見えた。
ミレイユが彼をじっと見つめていると、彼と同級生なのだろう。友人らしき男性二人が歩み寄って何やら会話をしている様子だ。軽く笑み、それから肩を竦めて会場を去る素振りを見せた。
その瞬間、ミレイユは無意識に動いていた。駆け寄り、自分でも驚く程に浮ついた声で話しかける。
「あの……っ! 初めまして、新一年生のミレイユ・アストゥリアスです」
「どうも、僕は二年のロイ・オルファウス。よろしくどうぞ」
「同じくギャリー・ヴィルヘルムだよ、よろしく」
(あなた達じゃなくてよ!)
ミレイユは満面の笑みを崩さず、心中では罵詈雑言を吐いていた。照れ笑いの仕草をしつつ、ちらちらと我関せずを貫いている彼に視線を送り続けた。しかしその視線を視界に入れようともせず、瞳を伏せたままロイという人物に渡されたグラスを受け取って口を付ける。その仕草ひとつひとつがなぜか不思議と色っぽく見えた。
このまま待ち構えているようでは自分の存在に気付いてもらえないと察したミレイユは、周囲の人間の誰が見ても明らかな位に真正面に、完全にロックオンした状態で向き合って声をかけた。
「ミレイユ・アストゥリアスです。先輩のお名前を窺ってもよろしいかしら」
ちら、と一瞥する。それだけだった。全く興味を示さない。こんなことは未経験だ。ほとんど初めての経験過ぎて、ミレイユは絶句した。いつも真っ先に注目を浴びてきたミレイユ、どんな時も優先され、特別扱いされ、目立たないわけがない存在感を放ってきた。
無視、という経験は生まれて初めてのことだったミレイユにとって、彼の態度は衝撃なんてものじゃなかった。
誰もがミレイユと仲良くなろうと、おこぼれをもらう為に近付こうと、そんな人間ばかりを相手にしてきたので驚きを隠せなかった。と同時に……。
ミレイユの胸が……、心臓が高鳴った。これも初めての体験だ。
彼を見つめていると体中の体温が急上昇していくような感覚。瞳を逸らせない。彼の声をもっと聞きたい。会話をしてみたい。どんな話し方をするのか、彼に対する興味がどんどん湧き上がってきて抑えられなくなってくる。
知りたい、この人のことを……全て!
熱が込められた瞳で見つめられ続け、友人の言葉でようやく覚悟を決めたのか。彼はあからさまに大きなため息を吐いて、笑顔も何もなく、ただただ無表情のまま。愛想のかけらもない顔で名乗る。
「セラ・フォン・アーデルハイド」
セラ・フォン・アーデルハイド……。
セラ・フォン・アーデルハイド……!
白い肌と美しい相貌に合った、透き通るような美声。高過ぎず低すぎない、耳障りの良い声にミレイユは全身が震えるようだった。
そしてミレイユは知る。即座に察した。間違いないという確信しかない。
私は彼に……、セラ様に恋心を抱いたんだわ。
これが恋? 恋愛感情というものなのね?
自身の中に芽生えた初めての感情。
ミレイユという人間を形作る、ありとあらゆる感情と欲望の全てがセラ一人に注がれた。
私は彼が欲しい。
いいえ、絶対に手に入れてみせる。
だって私は、何があっても全てを手に入れるミレイユ・アストゥリアスなんだから……っ!




