私のオミクロン備忘録
コロナに罹ってしまった。
ここは小説家になろうであり、かつては長編を書いたりもした私である。ことの顛末を書くなら小説っぽく……と思いもしたが、そんな余力はない。
時系列に沿って簡潔に記そうじゃないか。
【0日目】
就寝前の夫がなんだか変だった。布団をかけずに丸くなり明かりも点けっぱなしだ。
「寒いよお……」そらそうですわ。
「もうつかれたから寝るね……」布団はかけたらどうかね。
「うんそうする……ゲホゴホゲホ」おやおや咳してんじゃん、寝な寝なおやすみ〜。
思えばこのとき、オミクロンの野郎は我が家に土足で侵入していたのだ。許せん。
【1日目】
午前3時
「悠真ちゃん大変、熱出ちゃった……」「は!?私はまだ寝てんのよムニャ!眠いの!ムニャ」
まじでこんな対応だったらしい。ひどい。
常日頃から怒りに満ちた寝言を言いがち(らしい。なにせ寝てるからわからない)のだが、これはあんまりだ。
「すごい我がまま言ってたよ」とは夫の言である。
午前8時
保健所、発熱外来、職場、子どもの学校、習い事、電話、電話、電話しまくり。
保健所いわく家族も10日は家にいろとのこと。
うちには小6の双子男子がいるのだが、「休みだ休みだ!キャッキャ、キャッキャ」と走り回っている。しかし昼過ぎには「つまんない退屈おやつ食べたい夕御飯なに食べる?」しか言わなくなった……。(パパ大丈夫?とも言っていた。彼らの名誉のため一応追記)
これをあと10日も?無理では??
全員マスクを装備し、あちこちにアルコールを吹いて回る。逃げ切りたい。私はコロナから逃げ切りたいんだよ、何が何でも!
夫は発熱外来へ。近所からはなにやら色々な理由で断られ、結局となりの市まで出向くことに。
私は動けるうちに買い出し(保健所いわく「気をつけて無言で行って」とのこと。いいのかしら)と保存食作りと病人食作りとあとはなんか色々した。この時点で疲労困憊である……これをあと10日も?無理では??
買い出しでは冷たくて甘いものをたくさん買った。
自転車を漕いでいると風は冷たくとも日差しは暖かい。
もうすぐ春。花粉の季節である。
そう思うと、なんとなく喉が痒いような気になった。(フラグ)
夜は子供部屋で寝た。
二段ベッドの上を借りて、双子は下でまとまって寝てもらうことに。
大はしゃぎである。寝やしない。
【2日目】
夫の陽性が確定。やっぱりか。
なってしまったものは仕方がないので、前日からの徹底隔離を継続する。高熱で寒気がするとの訴え。
私の職場のボスからメールが入る。「塚本さんはワクチン一回だし気をつけてね」
そう、私は一回しか注射を打っていない。接種後しばらくしたら全身が紅斑だらけになり、治癒に2ヶ月かかってしまったのだ。まあアレルギー反応である。めちゃ痒かったし皮膚病そのものでツラかった……。
そんなわけで二回目の接種はナシになった。体質は遺伝するので双子の接種もナシである。私たちは丸腰でこのコロナ社会を生きているのだ。(夫だけ二回目も打った)
私もボスに返信。「逃げ切ってみせますよ、まあ見てて下さい」(フラグ)
それにしても換気をすると花粉のやつが入ってくる。喉が痒い。
念の為、双子とは食事の場所を分けることに。彼らはリビング、私は台所の換気扇の下だ。なんともわびしい気持ちになる。
それでも朝昼おやつをこなし、保存食病人食を作り、もう一度買い出しへ。
普段は素通りしてしまう惣菜コーナーにも寄った。なんせヘトヘトだ、夕飯を作る気力はない。
この日は帰り道が異様に遠かった。
自転車を漕いでも漕いでも家につかない。足の動きがやたらと遅い。なんというかほとんど漕げていないのだ。これではおばあちゃんの自転車である。
帰宅して熱を測ると36.2℃。なーんだ余裕余裕!
と思っていたが、やはり何かがおかしい。次は食事がまったく進まないのだ。
小さなコロッケを一口かじって「なんかもういいや」「おなか空かないな」「残っちゃうな」てな具合でる。
もう一度熱を測ると36.7℃、ま、まさか……これはまずいかもしれないぞ。
二段ベッドから私の布団を撤収し、大人の寝室に逆戻り。
双子は大丈夫だろうか。うつしたくない。
もしかしたら私だってコロナではないかもしれないが、このまま子供部屋で寝るなんて怖いこと出来やしない。
夫は高熱と喉の痛みでヒィヒィ言っている。近い未来の私の姿だ。
ボスにメール。「逃げ切れず発熱しました。無念です」
【3日目】
徐々に熱が上がってきた。まだ食べられるうちに、とカップ麺を作る。
「味、するね」「するけど……こんな感じだっけ?」「うーん違うような……」なんて言いながら食べる。
どうも塩味ばかりをキャッチしているようで、その他の旨味や風味が抜け落ちている。
「味気ない」という表現が最も適切であろう、ということでその時は落ち着いた。
午後からは本格的な高熱になった。
節々の痛みと寒気がひどい。食欲などない。カップ麺食べておいてよかった。ゼリー飲料を吸うので精一杯。太ももに紅斑が出てしまった。体への負担を実感する。
夫は喉がもうズタズタらしい。怖い。しかし私と入れ替わるように熱が下がり始め、ネットスーパーであれこれ注文したりと活躍してくれたので感謝である。
子どもはタブレット学習をしたりSwitchで遊んだりYouTubeを見たり……高学年が二人だから親が二人とも寝込んだって、まあ何とかなっている。自分たちでピザトースト作って食べたりしているようだ。
これがまだ小さかったら?
一人っ子だったら?
子どもが一人だけ陽性だったら?
まあ、まず無理だわな……とはいえ前述のとおりワクチン未接種の我が子たちである。何が何でも逃げ切ってほしい。
心を鬼にしてリビングの扉を締める。
ガラス越しに手を振り合うことだけが親子のコミュニケーションだ。さみしい……。
【4日目】
ネットスーパーと市役所からレトルト食品がたくさん届く。ありがてぇ、ありがてぇ。
夫はほぼ平熱になった。とはいえ咳と喉の痛みはまだ残っている。加えて「悠真ちゃん、おなかこわしちゃった。これもコロナの症状みたいよ」だそうで、もはや戦々恐々である。
私は相変わらず高熱でメタメタ、ときどきゼリーを吸い、アイスを舐め、次の解熱剤のタイミングをただただ待ちわびて過ごしていた。
あとにゃんこ大戦争でちょっと遊んだ。
スマホのある時代で良かった。
午後から痰の絡んだ咳が出始める。喉の痛みもつらくなってきた。腿の紅斑がどんどんひろがっていく……。
双子はだいぶ退屈しているようだ。無理もない。
熱でも風呂に浸かるマンの私が入浴中、バーン!と扉を開けるので(母ちゃん相手だと性別の概念&自他の区別がなくなる)そっと閉めたら「えーん!」とか「うわーん!」とか言いながら地団駄を踏んでいた。
仕方ないので、扉越しだが久しぶりにおしゃべりをした。本当はタブレットで作った面白い何かを見せたりしたいらしい……すまんのう、もう少し堪忍やで。
夜、おなかこわす。コロナめ次から次へと……。
【5日目】
夫、平熱になる。私も午後には解熱に向かう。
熱が落ち着くと食欲が少しずつ戻ってきた。レンジでチンするご飯にレトルトカレーを乗せて夫と半分こする。
今度は塩味以外もキャッチすることができた。良かった。
サトウには切り餅でばかりお世話になってきたが、今回初めて「サトウのごはん」を食べることになった。
テレ東の番組(たしかカンブリア宮殿)で開発秘話を見ていたので「ほうほう、これが例の」などと盛り上がる。いい製品だ。正直、うちの炊飯器で炊くより美味しかった。どうして?炊飯器古いからかな?
喉の痛みが酷い。とくに痰を切るような咳をしたときが酷い。喉の皮ぜんぶズル剥けなんじゃないかと思う痛さである。本当に酷い。
この日はお風呂でむせ込んでしまい「ゲー!グワー!ガー!」みたいな音を出していたら、双子がすっ飛んできた。
「ママどうした!」「ママ大丈夫か!」「なにがあったー!」そりゃそうだ、私普段こんな音出さないもんな……。
【6日目】
平熱に戻る。ヤッター!
しかし喉は相変わらずで、声もすっかり枯れてしまった。「弱くてごめんね……」のときの伊之助より酷い声である。
そして痛い。痰を切るときもそうだが、くしゃみをするときも尋常ではなく痛い。
夫は咳だけが残っている。なんとこの日からリモートで仕事復帰だ。双子との隔離はもうしばらく続くので、寝室で仕事をするという……仕方なく私もなにかすることにした。リビングにも台所にも行けないので、スマホで備忘録をつけることに。
おなかの調子は相変わらずPPだ。腸内細菌もきっと絶滅寸前に違いない、援軍を送りこもう。ビオフェルミンの粉あるし。
しかし、咳が出るときの粉末は危険である。
大いにむせ込み苦しむ羽目になったし、何より子どもを飛沫感染のリスクに晒してしまった。つらい。自分が許せない。次にビオフェルミンを買うときは錠剤一択だ。
【7日目】
喉の痛みが多少マシになった。おなかはPPのままだ。声はまだ出ない。
しかし生きようという気力の表れなのか、この日の私は活動的だった。0日目以来の掃除機をかけ、パソコンを寝室に持ち込み、ノートとペンも持ち込んだ。
こんなに時間の空くことは今後そうそうないだろう。少しは創作をしなければなるまい。そう思ったのだ。
まあ一文字も書かなかったわけだが。
時間とやる気があっても体力がなければ、人生の充実は有り得ないのだなァ……。
結局布団にくるまって咳き込みながら一日がまた溶けていった。
【8日目以降〜】
私のオミクロン備忘録はここで終了だ。
咳、声がれ、おなかPPは治っていないが、そのうち軽快するだろう。
これ以上記録をつけていても「布団で咳込んだ」以上の出来事はきっと起こらない。双子も逃げ切ったし。良かった良かった。
罹患してしみじみと思ったのは「インフルエンザでいうイナビル的なものがほしい」ということだ。
インフルエンザのように、町医者で診察して検査してイナビル吸い込んで数日後には社会復帰、という流れになってほしい。
そもそも症状がつらいので何とかしたい。
イナビル的なものがほしい。喉から手が出るほどほしい!
今はまだ渦中だが、「そんな時代もあったね」と語れる日が来るのを待つばかりである。