湯を入れる電波
主人公の電波具合に馬鹿じゃねーのと思ってください。笑
最後にどんでん返しになるように書いていました。
短い作品のためサクッと呼んでみてください。
これは世界を変える男の物語だ。
「あのー、すみません」
「……」
頬を赤らめた女性が戸惑いながら俺に話しかける。
だが俺は視線を合わせず、返答もしない。
偉大で威厳ある男というものは、間を大切にするものだ。
そして、観察眼も重要である。
女性は何度かこちらに呼びかけると、戸惑ってあたりをきょろきょろと見まわした。
次第に返答しない俺に怒りの視線を向けるようになる。
予想通りだ。
「あのーっ! 聞いてますか!?」
ああ聞いているとも。
そこでやっと返答をする。
「820円です」
俺は日帰り入浴一人分の料金を告げる。
女性はため息をつき、財布から1000円札をカウンターに置いた。
「お釣りになります」
俺はそう言って150円を返す。
戸惑った女性は手のひらの上の小銭を見て、一瞬硬直した。
そして、ゆるゆると首を振り、自分は間違っていないと確信を持つ。
「820円ですよね。お釣り180円じゃないですか?」
「正解です」
この女、なかなかやるじゃないか。
そう思うのは、何も女が計算ができたからじゃない。
俺だって馬鹿じゃないんだ、お釣りの計算くらいできる。
間違えたのはわざとだ。
そして、この女の『正解』は「お釣り足りないんじゃないですか」と聞かなかったことだ。
もしそう聞いたなら、具体的な金額を言うまで、俺は10円もしくは5円ずつ返却しただろう。
釣銭を正しく返却された女性は
「馬鹿じゃないの。信じられない」
と言って、湯上りよりも頬を真っ赤にさせて。帰っていった。
これで今日のノルマは達成した。
俺は1日10回は今のように釣銭をあえて間違えている。
女は俺を罵ったが、俺は当然馬鹿ではない。
温泉ソムリエの資格だって持っている。
凡人には偉人の成そうとしていることが見えないのが世の常。
偉人変人奇人なんて言われたりもする。
だが気にしない。
ダヴィンチやピカソの気持ちは凡人には分かりっこないのさ。
次の客は常連の男だ。
「よう。湯入れの電波」
「……」
男の気安い呼びかけを俺は3年前から変わらない沈黙で返した。
こいつのせいで常連の中では俺の呼び方が、なんとも不本意な『湯入れの電波』で定着してしまっている。
こいつらは温泉に湯を入れているエキセントリックな青年という意味で俺のことを読んでいるが、いつか人類を根絶やしにする壮大な俺の計画を知らないから、親しげに阿保面さげて呼んでいられるのだ。
俺が計画を達成した時には全員が青ざめるだろう。
「おい電波。料金はいくらだ」
3年も通っていて値段を知らないはずはないが、この男は毎度俺に質問する。
俺とのやり取りを楽しんでいる表情が、不快で不可解で不気味だ。
この男は俺の壮大な計画に気付いているのではないかそう思えてならない。
こいつのせいで俺は何人もの常連にからかわれ、怒らせて帰らせることに失敗している。
こいつにだけは負けられない。
「3000円になります」
「おいおい、値上げしすぎだろ。640円だろ?」
やはり知っているのではないか。先ほどの女のようには騙されない。
「これまで無銭で入浴した3回分が上乗せされています」
「ああ確かにそれくらい払い忘れてるわー」
と呑気につぶやきながら、男はスマホの計算機を開く。
「今回ので2560円だから、440円高いよね? やっぱ値上げした?」
男は本当に値段が上がったのではないかと思いはめたようだ。
税金も上がってるからなーとつぶやいて再度計算している。
計算が合わないことに気付いて顔を上げる。
「割り切れないじゃん! 3000円、640円で割り切れないじゃん!」
騒ぐな。やかましい。
「利子があります」
「マジ?」
「あとは迷惑料です」
存在自体が迷惑なんだ。文句を言わずに払え。
「利子もとってるのに、何が迷惑料なんだよ」
「顔面が迷惑です」
「ひどっ!」
そう言いながらも男は楽し気に笑い、少し考えて財布を開く。
わざとらしく言った。
「あーすまん。手持ちないわ。カード払いでいい?」
良い訳あるか! うちみたいな零細銭湯はアナログなんだ。
この世知辛い資本主義の時代にクレカの手数料を負担させられるこっちのことも考えろ。
店長のオヤジは「客に商品を渡してから料金を取る。これは譲らん。」と訳の分からない信念を持っている。そんなオヤジにクレカだの、ペイだのの導入を依頼することだなんてできない。
「商品とサービスを受けた客がその対価として払うのが金だ。その感謝の気持ちをデジタルな数字で受け取って、感じ取れるのか?」とまさに言いそうである。
だがここで「カード払いはできません」とは言えない。
この男に負けるわけにはいかない。
思い出した。こいつは過去にもカード払いを確認してきたことがある。
その時は、次回まとめて俺ではなくオヤジに料金を支払っていた。
今回も同じ手だろう。
どうするべきか。俺は考えた。
客の忘れ物の中にたばこがあった。
その箱をカウンターに出す。
当然男は「ん?」と俺の出方をうかがっている。
「こちらにカードをお通しください」
俺はたばこの箱を少し開く。女性が吸うような細身の加熱式たばこの箱は、ちょうどカードが入る大きさだった。
男は「そう来たか」と楽し気につぶやいて、クレカを言われるがままにたばこの箱に差し込んだ。
何が、そう来たかだ。お前がたばこの箱を指摘しなかった瞬間、試合開始のゴングと、俺が勝利したファンファーレは鳴っているんだよ。
「暗証番号をどうぞ」
そう言って俺は「暗証番号が見えないように配慮してますよー」といった具合に手で目を覆った。
俯き気味に覆うことでニヤける口元も隠せる寸法だ。
当然指の隙間から、男の表情を窺っている。
さあ、どう出る。ここで「いや、無理でしょ。たばこの箱だよ」なんて言ってみろ。
一度は乗った勝負。今更常識人ぶったって、もう遅い。
クレカは差し込まれてるんだよ!
「ぴっぴっぴっぴ。支払いが完了しました」
男は当たり前の顔でそう言った。
な、なんだと?
支払いが終わっただと!?
踏み倒す気満々かっ!
どうにかしなければ……
「え、エラーです。支払いは―――」
「払い終わったよ。目閉じてたから電波は見てないかもしれないけど、暗証番号も押したし、支払いも終わったよ。それでも支払いが終わってないっていうなら、証拠見せてよ」
あ、悪魔の証明か!?
支払った証拠も支払わなかった証拠も当然無い。
それに、俺は見ていた。こいつは暗証番号すら押してない。素振りすら見せてないじゃないか。
ただ口で「ぴっぴっ」と言っていただけだ。
なんということだ。
何て恐ろしいやつなんだ。
俺は「見ていた」とも言えず、エラーの証拠も提示できず、あまつさえ自分から仕掛けたんだ。
今更、「あ、これ実はただのたばこの箱だったんですよ。ハハハ……」とも言えない。
絶対言えない。俺のプライドが、俺の温泉ソムリエとしてのプライドが許さない。
はるか昔どこぞやに、湯王という開祖がいたようだ。
いうなれば俺は現在の湯王!
そして人々にストレスを与え、世界を人類から救うために立ち上がった天才。
そんな俺がここで屈するわけにはいかない。
俺が人類の寿命を短くするため、ストレスを生み出し、俺からストレスを受けた人々は、ねずみ講式に、また周囲にストレスを与え、寿命を削る。
いつしか俺が生み出したストレスが伝播することで、人類の寿命が尽き、根絶させる。
そんな壮大な世界を変える計画を思いついた男なのだ。
湯王で伝播なのだ。
ここで負けるわけにはいかないのだっ!
それに俺の鋭い観察眼は見逃さない。
ヤツが無造作に首にかけている手ぬぐいは温泉ソムリエに贈られる手ぬぐいだ。
俺はたばこ型カードリーダーからヤツのクレカを抜いて返却した。
「支払いは完了しました」
「サンキュー電波」
男はニヤニヤしてクレカを受け取る。
これは負けではない。引き分けだ。
後でレジにこっそり金を補充するだけだ。
そうすれば、オヤジにどやされることもない。
俺は去っていく男の背に言った。
「またのお越しをお待ちしております」
認めるしかない。やつは宿敵だ。
また戦おう。次こそは3年に渡る因縁の対決に終止符を打とう!
俺の言葉を背中で受け止めた男は、振り返らずに手を振る
「またな湯入れの電波。俺以外の悪いやつに気をつけろよ」
「余計なお世話だ」
つぶやいた声は彼には届かないだろう。
だが、宿敵からの忠告だ。
念のため、森の女神さまに祈りを捧げ、神託を得よう。
俺が務める実家の銭湯の裏には森が広がっている。
そこで摘んだ果物や薬草もとい雑草を浮かべた湯は、案外人気がある。
俺が愚か者たちにストレスを与える機会に困らないのはこのためだ。
そして、俺が森の女神さまに出会ったのも、その森だった。
3年前、働き始めたころの俺は出来心から、女湯を覗い―――いや、
顧客が当店のサービスにどのような反応を示しているのか、リアルな情報を収集していたのだ。
不運が重なり、オヤジにも、女性客にもボコボコにされた。
オヤジの指示で森に採集に向かった時、俺は森の女神さまの声を聴いた。
女神さまは言った。
「森を、地球を汚す人類を滅ぼしなさい。温泉ソムリエのあなたならできる。私は信じているわ」
この神託を受けて確信した。
そして、壮大で緻密な計画を思いついたのだ。
―――チリン
ひと気のない森に厳かな鈴の音が響く。
今日は運がいい。
いつも女神さまに会えるわけではないが、今日は神託を得られるようだ。
俺は宿敵からの忠告を受けて、少しナーバスになっているようだ。
膝をついて森の女神さまに問いかける。
「おお女神さま。俺、いや私はあなたの示す道を歩めているでしょうか」
女神さまは澄み通った声音で答える。
「さすが私が見込んだ温泉ソムリエ。あなたは頑張っています。計画は順調に進んでいます」
俺は内心歓喜に震えた。
女神さまは続ける。
「ただ、大いなる目的のために、もう一押し必要なのは、あなたもわかるでしょ?」
「と、言いますと?」
当然俺はわかっているが、念のため女神さまの言わんとしていることを伺った。
「ここには、人間が忌み嫌う植物があります。温泉ソムリエのあなたなら、もうわかるでしょ?」
「やはりそうでしたか」
女神さまは毒のある植物を、湯に浮かべろと仰っている。
計画が最終フェーズに移行したいうことだと俺は察した。
「必ずやあなた様の意に沿える結果にします」
―――チリン
もう一度鈴の音が響くと女神さまの気配はなくなった。
俺はそこらに生えている毒草を大量に採取し、銭湯へ駆けた。
―――チリン
少し後、外の騒がしさを感じながら女は言った。
「あの馬鹿息子のお陰で、私たちの銭湯が今日から一番になれるのね」
女の手のひらには、180円分の小銭が乗っていた。
湯王= ×ゆおう 〇とうおう が本当の呼び方です。
温泉ソムリエは実在の資格ですが、本作品はフィクションです。
暖かい目で見守りつつ、温泉ソムリエについてググり、時代に求められる行動に沿って温泉や観光を楽しんでいただきたいと思います。