第 97 話 青二才
崩落は……収まったのか……?
篤樹はゆっくり目を開いた。目の前に濃い金髪の頭部が見える。天上の崩落から庇おうと、覆いかぶさった女児妖精の頭部だ。両腕にその子の温もりと震えを感じる。
「……大丈夫?」
篤樹は静かに声をかけた。女児妖精が首を縦に動かしたのを確認し、篤樹はゆっくりと立ち上がる。
……立てる……助かった……のか?
周囲を確認すると、天井はまるで篤樹と女の子を避けて落ちたかのようだ。周囲2mほどの床の上には瓦礫が一つも落ちていない。女児妖精も目を開き立ち上がると周りを確認する。
「君の……防御魔法か何か?」
「ううん……何にもしてない……」
その割には、明らかに不自然な「空間」だ。ほぼ円形の無被害地の真ん中に2人は立っている。篤樹はハッと「 渡橋の証し」を服の上から握った。
湖神様……先生の力なのか……?
地下通路は前後左右完全に瓦礫で埋もれてしまっている。篤樹は上に目を向けた。高さは分からないが、上部にポッカリと開いた穴からは外の光が射している。その穴までの途中には、他の地階が在るようだ。
「ハルさんの声だ……」
女児妖精が呟く。篤樹も耳をすましてみた。かすかだが、瓦礫の奥から篤樹の名を呼ぶ遥の声が聞こえる。
「遥ァー! 聞こえるかー?」
篤樹は瓦礫の隙間に向かい声をかけた。
ダメだ……瓦礫が厚過ぎる。ちゃんと聞こえないし……届かない……
「あの……」
女児妖精が篤樹の外套を引っ張り語りかける。
「あ、うん? なに?」
「多分……届くよ……。伝心で……」
え?……そうか……妖精同士だから……
「じゃ……じゃあさ……こっちは無事だって伝えてくれる?」
「うん!」
女児妖精は、瓦礫の先からかすかに聞こえた遥の声を頼りに向きを変え、グッと目を見開いた。数秒後……
「……カガワにそこから出られそうか聞けって」
出られる……か?
篤樹はもう一度上を見た。一番上の穴まではとても登れそうに無い。でも5m位上に別の階層と思われる横穴が見える。あそこまでなら……
「途中の階までなら上がれそうだって伝えてくれる?……5m位上に横穴が見えるって」
女児妖精はコクンと頷くと、さっきと同じように遥に伝心を送る。
「分かったって。……ハルさんたちは上がれる階段を探して行くから、しばらく伝心は無理かもって」
「うん。分かった。ありがとうね」
篤樹は周囲に崩れ落ちている瓦礫を注意深く観察する。上まで登るにしても、市の体育館にあるボルダリング施設みたいな、安全に設置されている突起物やくぼみがあるわけではない。下手な場所に体重をかけて……落ちるだけならまだしも、さらなる崩落を引き起こしてしまう可能性もある。それに……
どこか安心した様子で、篤樹からの指示を待っている女児妖精に視線を向けた。
「えっと……君、名前は?」
「リエン」
「オッケー、リエンね。俺は……」
「知ってるよ。カガワでしょ? ハルさんが呼んでるもん」
それはそうなんだけど……何か……明らかに見た目年下の女の子から名字で呼び捨てにされるのはちょっと……
篤樹は変なこだわりを感じ、訂正をいれる。
「うん……カガワなんだけど、それは名字で……篤樹って言うんだ。ア・ツ・キ」
「ア・ツ・キ?」
「そう! 篤樹。よろしく!」
「分かった。よろしくね、カガワアツキ」
いや……フルネームってのもなんか……。ま、いいや……
「えっと……リエン? 足の具合はどう?」
「足?」
「ほら、転んだ時に……」
軽い捻挫くらいなら何とかなるけど……剥離骨折とかしてるかも……
篤樹は心配そうに訊ねた。リエンは思い出したように右足を確認し、ん? という感じで左足も確認する。
「分かんない……どっちだったけ?」
は? 治ってるって事?
「……痛くないの? どっちの足も」
「うん。ほら!」
リエンはその場で足踏みをし、ピョンと両足飛びを見せた。
……これも先生が「ボタン」にかけてくれてる魔法の効果?……まあいいや。
「じゃ、大丈夫だね。それじゃあね……あそこの横穴、見える?」
篤樹は縦穴の途中に見えるくぼみをリエンに指し示す。身長の違いで上手く確認出来ないリエンはしばらく首を左右に伸ばしながら確認する。
「あ! 見えた」
「よし。今からあそこの横穴まで一緒に登るよ。……たぶん、あそこの階から横に道がつながってるはずだから」
「分かった!」
リエンは篤樹が指示を出す前に、瓦礫の山を足台にして縦穴の壁を登り始めた。
「おい……気をつけて! 手に体重をかける前にしっかりと確認をして!」
篤樹はハラハラしながらリエンを見上げる。もしも落ちてきたら受け止めなきゃ! 後を追うよりも、篤樹はリエンの落下に備え真下で両手を広げ様子を見守った。しかし、篤樹の心配を他所に、リエンはスルスルと縦穴の壁をよじ登り、確認していた横穴に姿を一旦消し、すぐに顔を覗かせた。
「カガワアツキの言う通りだったよ! ここ、通路になってる。カガワアツキも早く!」
「呼ぶ時は『賀川』か『篤樹』のどっちかで良いから!……よし、じゃ、すぐに登るから穴から離れてちょっと待ってて!」
万が一の二次崩落にリエンが巻き込まれないように注意を与える。リエンが顔を引っ込めたのを確認し、篤樹は縦穴の壁に手をかけた。
……レンガじゃなくって石なんだ……大丈夫かなぁ……
改めて間近に縦穴の構造を確認する。手がかり、足がかりになりそうな突起やくぼみはあるが、果たしてそれが篤樹の体重を支えられるのかが心配で、ジワジワとしか体重をかけていけない。
ようやく2mほど登り、次の手がかりに体重をかけ始めた時だった。
「あっ!」
右手でつかんでいた突起石がガクンと下がり、そのまま自重を支えられずにガコンと壁から抜けてしまった。結構な石の重みを感じ、篤樹は慌てて手を離す。石はそのまま下の瓦礫の山にゴン! と音を立てて落下した。その石がはまっていた壁辺りから、小石や砂が篤樹に降りかかって来る。
ヤッベー! 怖ぇー!
篤樹はとりあえず右手を近くの石に添えると、気持ちを落ち着けるために大きく深呼吸をした。
「カガワー! アツキー! 大丈夫―?」
リエンが横穴から顔を出して声をかけて来る。
「ちょっと……危ないかもね……。離れて待ってて!」
もう呼び名はどうでもいいや! 好きなように呼んでくれ……
篤樹は気持ちを落ち着けると、さらに慎重に壁をよじ登り始めた。
余計な事は考えずに……足もとをよく見て……親指に力を入れて……ハシゴを上るように……。何だっけ? 三点支持?……もうちょっと話しをちゃんと聞いときゃよかった……
市の体育館で、遊びで挑戦したボルダリング講習を思い出しながら、篤樹は少しずつ、着実に上を目指して登り続ける。
あと……少し……届くか?
目指していた横穴の「へり」に手が届きそうになった時、篤樹はつい欲を出して、無理に右腕を伸ばしてしまった。必然的に、他の腕と足にも力が入る。左手でつかんでいた石が、何の前触れもなくスッと壁から抜けるの感じた瞬間、篤樹は何が起こったのか分からなかった。
ヤベッ!
感覚としては……確実に落下するタイミングだったのに、上体をそらす体勢のまま左足と右足の支えだけで身体がもっている。ほぼ「宙に浮いてる」ような感覚……いや、命綱で引っ張られている感覚だ。
「賀川……早ぉ……」
横穴から遥とリエン、モンマが顔と両手を出して覗き込んでいるのが見えた。
妖精の……力? 魔法?
篤樹は自分の体重が半分以下に減ったような感覚を覚え、さっきのリエンよりも軽がると残り1メートルほどの壁を登り切り、遥たち3人の妖精にぶつかる様に横穴へ転がり込んだ。
「……こ……怖っ……助かったー!」
腰が抜けたように両足を投げ出し、座り込んだまま息をつく。遥と2人の妖精も転がるように穴から離れる。
「リエン……モンマ……ありがとな」
遥は2人の妖精に声をかけ、篤樹に顔を向けた。
「賀川ぁ……どや? 飛べたか?」
笑顔で問いかける遥に、篤樹も笑顔で答える。
「……どちらかと言えば、引っ張り上げられた感じだったかなぁ。体重が半分位になった感覚だった……。ありがとな」
「……身体測定で、女子に人気の魔法になりそうやね。……ありがと。リエンを守ってくれて……」
「ハルさん! カガワアツキはすごいですよ! 防御魔法で石を全部弾いてくれたんです!」
名前を出されたリエンが、崩落から助かった経緯を報告する。遥は笑いながら篤樹に視線を戻す。
「 何気にフルネーム呼び?……ま、2人とも無事でホント……良かった……」
遥の目から涙がこぼれた。
無事に……助かった……か
篤樹はたった今登って来た「崩落した床の穴」と、その上の穴から射しこむ光に目を向けた。妖精王の暴走を果たして無事に止められるだろうか……
「ハルさーん! 裏は大丈夫でしたー!」
崩落した穴とは反対に続く通路の奥から、男児妖精の声が響いて来た。
「よし! とにかく無事に合流出来たし……みんな、行こか!」
遥は王女様のようなドレスに付いた土埃を、両手でパンパン叩き落としながら指示を出す。リエンとモンマ、篤樹も立ち上がる。改めて妖精遥との身長差に新鮮な感動を覚えた。
「ありがとな……」
篤樹は遥の頭にポンッと手を置いて感謝を伝える。遥は黙って頷いた。そのやり取りを、リエンとモンマが羨ましそうに見ていることに気付いた篤樹は、2人の頭にも片手ずつポンッと手を置く。
「2人ともありがと! 重かっただろ?……おかげで助かったよ」
リエンは嬉しそうな笑顔を向けて答えた。
「ウン!」
モンマは逆に恥ずかしそうに目線を下に向けて答える。
「ハルさん1人じゃ……重いだろうから……手伝っただけ……」
なんだコイツら……かわいいとこあるじゃん!
篤樹は急に嬉しくなって来た。
よし! コイツらの大好きな妖精王も、みんなで助けて、笑顔でこの暴走事件を終わらせてやる!
俄然やる気が出て来た篤樹を囲むように、遥と妖精達は裏の出口を目指して通路を奥へと進んで行った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「なんだ! あの音は!」
仮設救護テントで椅子に座っていたギルバートは、突然聞こえた爆発音のような巨大音と振動に、思わずミシュバット遺跡の地図を広げているテーブルの端を掴んで叫んだ。少し間をおき、大小の地響きが連動して聞こえてくる。
大通りに立っている兵士と法暦省職員達が、ミシュバット最深部街方向を指差しながら騒いでいるのが見える。
「一体何ごとなんだ! 報告しろ!」
ギルバートの声に気付いた兵士が、通りからテントへ駆け込んで来た。
「少尉! 先ほどの音は町の最深部……王宮方向から聞こえました。近くの遺跡がその衝撃で連鎖的に倒壊・崩落したものと思われます! 現在、市街最深部方向にはかなり大量の粉塵が舞っているようです!」
「王宮跡ぉ……?」
ギルバートはテーブルに広げている遺跡市街地図で確認する。
「……立入り制限区域だぞ?」
「例の大臣補佐官と襲撃犯が戦ってるのでしょうか?」
ギルバートの傍に立つ小隊長の1人が尋ねた。
「クッ!……大臣補佐官か何か知らんが、法暦省のポッと出の青二才めが……。何を企んでるんだ……。おい! 文化部のミゾベを呼べ!」
ギルバートは報告に来た兵に指示を出すと、椅子から立ち上がり地図を上から再確認する。
三方を山に囲まれた扇形に広がるミシュバット遺跡———現在、調査隊が「入口」と呼んでいる大通りは、市街地最深部の王宮跡から放射状に伸びる3本の大通りの内の1本……ミシュバの町に一番近い南線だ。
仮設救護テントの位置からだと、8キロほど離れた所に王宮が建っているはずだが、最初の概略地図を作って以降、市街地深部での調査は全く進んでいない。遺跡倒壊の危険性があまりにも高いため、崩落防止の措置が済んでいない地区には制限をかけてきたのだ。
「……どこを進むのが一番安全か……」
ギルバートは地図に描かれている、ほとんど信用出来ない街路線をいくつかなぞりながら作戦を考える。
補佐官と襲撃犯は仲間というワケではない様子だった……しかし、明らかにお互いを知っている関係……何か裏があるハズだ! あんな若造が大臣補佐官なんてのも気に喰わん! こっちは30数年軍部に仕えて少尉止まりだぞ!……ヤツの弱み……秘密を握れば……
「少尉!」
指示を受けてミゾベを呼びに行った兵士が駆け戻って来た。
「あん? ミゾベはどうした?」
「は!……いないそうです……どこにも……。しばらく前から誰も所在を確認していないとの事でした!」
ギルバートはポカンと口を開く。
「こんな……時に……馬鹿か!」
力任せに両手をテーブルに叩き付ける。組み立て式テーブルの脚の留め具が外れ、勢いよく倒れた。周りの兵士達はギルバートの立腹声に驚き振り向いたが、とばっちりを避けるため、すぐに目をそらした。
倒れたテーブルを意にも介さず、ギルバートはテントの入口に向け外を睨む。
「……法暦省の……青二才どもめぇ……」




