第 7 話 二日目の朝
篤樹はベッドで上半身を起こした。使い 慣れた掛け布団ではなく、少しゴワつく 薄いタオルケットのような布をめくり 辺りを見回す。見覚えの無い部屋だ。
ああ、そうか……俺はまだ「ここ」にいるんだ……
まるで保健室の 簡易ベッドのように、クッションの 効いていないベッドから足を下ろし、へりに 腰掛ける。角部屋の二面の壁にある窓から外の光が 射しこんでいた。
今何時だろう? 篤樹は部屋の中に時計が無いか見回すが見当たらない。
そうか……この村には時計が無いんだった……
とても眠ることなんか出来ないと思っていたが、どうやらいつの間にか深く眠っていたようだ……
―――・―――・―――・―――
昨夜は夕食に呼ばれ下に降りる前に、ルロエから服を借りて着替えさせてもらった。篤樹の学生服はエシャーの母エーミーが「可能な限り」 補修してくれると言って預かってくれた。
エシャーの家族と共に夕食を食べたあと、様々な話に花が咲いた。篤樹は知りうる限りの「自分の世界」のことを語り、「この世界」についてはルロエたちから聞かされた。お互いの「世界」に共通して存在しているものはすぐに理解しあえた。だが、全く想像も出来ない、もしかすると自分の世界には存在していないものについては、お互いの説明では到底理解し合えなかった。
大部分においては「言葉が通じる」ことに安心したが、様々なモノの単語が違う事で会話が噛み合わないことも多く、やはり文化の違いに困惑を覚えた。
特にここは「この世界」の中でもさらに「別の世界」と言えるルエルフの村だからなおさらだ。
一体何時間位そんな話を続けただろうか、とにかく会話を重ねる中で、篤樹は自分が置かれている状況を少しは整理することが出来た。
すでに分かってはいたが自分が「別の世界」にいるという事実。その「世界」にもまだまだ未知の 領域(ルロエ達が知らないだけなのかも知れないが……)が多くあり、世界がどのような姿なのかを、誰も完全には分かっていないということを知った。
その世界には人間だけでなく、 獣族と呼ばれる人間と同じ知性のある動物たちや精霊族、妖精族、小人や巨人といった「人間と同じような姿のサイズ違いの種族」などが 混在しているらしい。
エルフ族は世界の何箇所かに分かれて暮らしているが、この村のような「エルフ族の亜種である『ルエルフ』の村」は他には無く、ルエルフ村は「別の時間の流れ」の中で存在している。
また、「サーガ」という得体の知れない「悪しき存在」が世界を 脅かしているということ……
話をしながら篤樹は卓也……ゲームオタク・アニメオタクの友人、相沢卓也のことを思い出していた。もっとアイツの話を聞いてりゃよかった……姉ちゃんのファンタジーな漫画もしっかり読んどけばよかった、と後悔しつつ、ルロエからの話を聞いた。
だからあんたは半オタなのよ!
姉弟喧嘩のときに姉から言われた一言を思い出す。あれはなんでだったかなぁ?……別に大したことじゃ無かったはずなのに、ついつい姉ちゃんが嫌がってるのが面白くって、意地悪でなんか言っちゃったんだよなぁ……ってか、俺、別に「オタク道」を 究めたいわけでもないのに「半オタ!」なんて言われる筋合いは無いんだけどなぁ……
だが篤樹のもっている「半オタ」知識でも、この世界は「あの」ゲームやアニメ・童話などで見聞きした生きもの達が「実在する世界」だと理解する。作り話、非現実的な空想の世界……
「現実世界ではなんの役にも立たない空想の世界」と馬鹿にしながら、でも、どこか興味をもって軽く触れたことのある程度の知識……今、自分がそんな世界に居るということが、どうしても素直に受け止められない。しかし、目の前にいる「エルフの特徴的な耳」を持つ親子3人を見ていると、受け入れざるを得ない現実なのだと思い知らされる。
「ところで 湖神様ってどんな方なんですか?」
真夜中になって(といっても正確な時間は分からなかったが)篤樹はルロエに 尋ねた。エシャーは母親の肩に寄りかかり、とっくに夢の中だ。
「湖神様かぁ……どんな方かと言われても、説明は難しいんだが……」
ルロエは温かな飲み物(たぶんコーヒー的な……)が入っている木製のコップを両手で持ち、コツコツと指で側面を叩きながら答える。
「湖神様は、陽が1番高く上る時間に『 臨会の橋』の湖面においでになられる。1日に1回だけ1人の村人のお伺いに答えて下さるんだ。誰も橋に行かない日は湖神様もおいでにはなられない。湖神様にお伺いをたてに行く者は数年に1人いるかいないかだから、湖神様も数年に1度お出でになられるかどうかってくらいだね。それに、橋を渡れる者は 長から許可をもらった者に限る、という決まりも定められているから誰も勝手に橋を渡ることは出来ない。今回はすでに父……長からの許可を君は受けているから、明日は君だけがあの橋を渡ることが出来る。自分の目で確かめてくると良いよ」
「え? 僕だけ……えっと、誰か付いてきてくれないんですか?」
ルロエはキョトンとして、それから首を横に 振った。
「君1人だけだよ。当然じゃないか。君の行くべき道、君の知りたい情報をお伺いするのに、なぜ他の誰かがついて行く必要があるんだい?」
「いや……その……初めての事だし……ルールとかもよく分からないんで……」
「そうか……」
ルロエはコップを近くの台の上に置くと座り直し、両手を組んでジッと篤樹を見つめた後、静かに口を開いた。
「私は18の時に父と共にこの村へ来た……」
自分自身の経験を篤樹に伝えようと、ルロエはゆっくり噛み砕くように語る。
「昼間、父からも聞いたかも知れないが……母はルエルフの森の中で 木霊となった。私も母も、あるとき外界で大きな怪我をしてしまってね。父は死にそうな私たちを連れて外界からこの村に……というか、ルエルフの森に戻って来たんだ。森の定めによればどんな大怪我であっても、生きてさえいれば『生者のルー』があらゆる怪我や病を回復してくれるからね。だが……残念ながら、母は森に入る前に……息絶えてしまっていたそうだ」
篤樹は村の長……エシャーのおじいさんの話を思い出していた。結局、長もルロエさんも二度と外界へ戻ることが出来なくなった日の話を。
「私は父と共にこの村に入った……父は自分より30歳も若い昔の友人たちに懐かしそうに迎え入れられたが、私は違った。この村で生まれた者ではなく外界で生まれたのだから、誰からも『お帰り』とは言われないし、私にとってこの村は『突然投げ込まれた別の世界』だったんだ。だから、今の君の気持ちも少しは分かるつもりだよ……まあ、もちろん私の 傍には父がいたので全くの独りぼっちという気持ちではなかったが……とにかく、母が死んで木霊になってしまったことや、突然、見ず知らずの村に住むことになったことは、私にとって大きなショックだったんだ」
ルロエは台の上からコップを取ると一口飲み、両手で包み持ったまま話を続ける。
「誰にも相談することが出来ない苦しみ……父には何度も 悪態をついたよ……なぜこの村に入ってしまったんだ! どうしてルエルフの森になんか入ったんだ!……とね。頭では分かっていたはずなんだ…… 瀕死の重傷だった母と私を連れて、あの体で……ほら、父は小人族の血が 濃いだろ? あの小さな体で、 無駄に大きく育った私と、母を連れて森まで 辿り着くためにどれほど苦労したか……何としてでも私たちを助けたいって父の気持ちはちゃんと分かってはいたんだ。しかし……もう戻すことの出来ない『時の責任』を私は父に押し付け、父の判断が間違っていたのだと責め続ける日々だった……そんな時、先代の長、父の前の長から『湖神様にお伺いを立てろ』と言われたんだ。私は父への怒りを湖神様にぶつける気持ちになった。なんで私を外界に戻してくれないんだ、と。この村出身の父は別として、村の勝手なルールに私まで縛り付けて外界への道を閉ざすとは何事だ、とね」
篤樹は驚いた。今のルロエからは想像出来ない「怒りに満ちた感情」を若い日のルロエに感じたからだ。
「えっと……神様に文句を言ったんですか?」
ルロエは笑った。
「いやいや、意気込みだけだよ。若い日の私は『自分がなぜここにいるんだ、いなきゃいけないんだ』って、 理不尽な状況が不安で不安でしょうがなかったんだろうね。だからその思いを神様とやらにぶつけてやる、なんていきがって見せてたんだよ」
「お父さんにですか?」
「父だけではない。私を心配してくださっていた先代の長にもね。でもね、慌てふためいて『そんな 罰当たりな真似はやめろ!』とでも言われるかと思ったら『ではそのようにお伺いを立てるが良い』と言われてね。なんだか、変にいきがってる自分を『ああ、私は子どもだ……』って感じたよ。そうしたら……急に湖神様に会うってことが怖くなって来たんだ。1人であの橋を渡る事がね」
え? 怖かったんだ、ルロエさんも……
「それまで私は結局、外界でもこの村に入ってからも、父や母に守られて生きている存在だったと思い知らされたんだよ。『自分でなんでもやれる、外界での 成者の儀式も終えている、自分は一人前の大人なんだ』と思い込んでいたんだね。でも違った……私は結局、自分自身が『今在る』ことの責任を常に誰かに押し付けていたんだ。母に、父に、そして先代の長に『私がここにいる責任をあなたが取れ』と押し付けようとしていたんだ。自分の人生を自分の足で歩こうとしていなかったんだね。その時、気づいたんだ。『ああ、私はなんて 愚かでちっぽけな子どもなんだろう』とね」
暖炉にくべていた薪が「カタッ!」と 崩れる音が聞こえた。ルロエは立ち上がると、暖炉の前で 乾かしている薪を2本取り、焚口に追加する。
「それでね……私は父に『絶対について来るなよ! 俺は1人で湖神様に会いに行くんだからな!』と強がりを言い続けたんだ。まあ、どっちみちあの橋は1人で渡る決まりだから、私が何と言おうが言うまいが1人で行くしかなかったんだがね。父も長も、そんな私の強がりを見抜いていたんだろう…… 励ましも慰めも 戒めもなく、ただ『ウム』とうなずくだけだったよ。いや、今にして思えばもう少し励ましてくれても良かったんじゃないか? と思うけどね。まあ、そんなんで結局『自分の道は自分で歩むしかないんだ』って事をその時に自覚したんだ」
ルロエは暖炉の前に立ったまま語り続けた。
「いいかい、アツキくん……私たちは誰も1人では生きていけないし、1人では存在し得ない者だ。それは弱さではなく強さであり、貧しさではなく豊かさだと思う。だが、そのように『共に生きる』1人1人は同時に、自分自身で自分の歩む道を選び立つ者でもなければならない。誰かに導かれ、誰かに言われる通りに生きている限り、ただ『生かされているだけの幼い子ども』のままなのだよ。親に教わろうが誰に教わろうが関係ない。キチンと立ち方・歩み方を教えてくれる親も多くいるだろうが、大して教えてくれない親だっている。それでも私たちは 成者となって自分の足で立ち、自分の 選択、自分の責任で歩き出す……その時に初めて『自分』という存在を自覚出来るようになるんだよ」
ルロエは温かな笑みを浮かべ、篤樹の目を見つめた。
「……誰かに自分の選択の……自分の存在の責任を押し付けている間は、本当の自分の価値を生み出す成者とは成りえない。自分という『個』が成者となって初めて、人は新しい世界を誰かと共に作りだせる存在となるんだ。だからアツキくん……明日、湖神様にお伺いをたてに行くのは誰でもない、君自身の責任ある一歩なのだという意識を持ちなさい。長や私たちが『行け』と言ったから行くのではなく、私たちからの情報を君自身が良く考え、自分の選択として選び取って歩み出しなさい。いいね」
「……はい……」
篤樹はルロエが何を言いたいのか、完全には理解できなかった。とにかく、今一番情報をもっているであろう「湖神様」とやらに会えば、もしかすると元の世界に帰るための方法が……直接で無くても手がかりくらいは聞けるかもしれない。その方法・手がかりを必要としているのは誰でもない、篤樹自身だ。だから自分で責任をもって行動すべきだ、って事が言いたいのだろうと理解した。
「ついでに言うと……」
ルロエがふと真顔になって言葉を続けた。
「まあ、あくまでもついでの話だから……あまり気にしないようにして良いと思うが……」
「なんですか?」
「湖神様は……伺いを立てに来る者の心の状態を反映するお姿で現れる。ある者は……その姿を見た途端、橋の上で息絶えて木霊となったそうだ」
「は?……死んじゃうんですか?」
「まあ、我々ルエルフは『死ぬ』とは言わず木霊になると言うんだがね。いや、とにかくこれまで何人かは不幸にも『在るべきでない心』で湖神様の前に出たために『木霊になった』と言い伝えられている」
篤樹はゴクリと 唾を飲み込んだ。そんな……聞いてないよ!
「まあ、そういう言い伝えもあって、誰も軽々しく湖神様にお伺いをたてに行こうとはしない。本当に心から必要とした時にだけ、長の許可を得てあの橋を渡ることになる」
「あの!……えっと、ルロエさんは昔、湖神様にお会いしたんですよね? その……今ここにおられるってことは、大丈夫だったんですよね?」
「ああ、もちろん……まあ、死ぬほど驚く姿だったけどね」
「その時、湖神様はどんなお姿だったんですか? 何て言われたんですか?」
「……語られた言葉はほんの一言だけだったよ。まあ、内容は恥ずかしくて言えないが……その一言で私はこの村で生きていく決意をした。で、先代の長の娘だったエーミー……妻と結婚し、エシャーを授かったんだ」
ルロエは、奥の長椅子で座ったまま眠っている妻子を 愛おしげに見つめた。
「え? 先代の長の……娘さん……だったんですか?」
「そう。エーミーは村一番の美人でね。そりゃ、当時は他の若い連中から殺されるか、ってくらいに反感を買ったもんだよ。まあ、でも結婚するまでは色々あったからね。 随分助けられて、迷惑をかけて……それでも一緒に生きていく最良の相手なんだとお互いを認めてね。その頃にはもう、村中の人々が私たちの結婚を心から祝福してくれたものさ……さてと」
ルロエは 窓辺に置いていた鉄網のランプを手に取り、篤樹に手渡した。
「随分遅い時間になってしまった。今夜はもうお休み。明日はゆっくり起きるといい」
―――・―――・―――・―――
篤樹はベッドに腰掛けたまま頭を振った。
結局、あの後この部屋に来てランプを窓辺の机の上に置き、ベッドに横になった。とても眠れる気持ちではなかったが……結局、ランプを消すこともないまま眠ってしまったようだ。
「……時間が分からないって 不便だなぁ……」
篤樹は声に出して呟く。「ゆっくり起きるといい」とルロエさんは言ってたし……もう一度寝ようか? と横になって目を閉じてみる。でもすっかり頭まで目覚めてしまった。
ベッドから起き上がると篤樹は窓へ近づいた。板を開閉するだけのすっぽ抜けの窓だ。寝る前に閉めるように言われていたけど、窓も閉めないまんまだったなぁ……でも、ちょうど良い気温だ……
すり 鉢状のルエルフの村。その 中腹より少し上のほうに立つエシャーの家の窓からは「すり鉢の底」にある湖がよく見える。
村を囲む 外輪山のようなルエルフの森から顔を出し始めた太陽の光が、湖面にキラキラ反射している。点々と建ついくつかの家々の 煙突から煙が立ち上っているのが見えた。
毎朝、父母に代わる代わる声をかけられながら起こされる朝を思い出す。昨日の朝だって、修学旅行出発の朝だというのになかなかベッドから起き出せなかったのに……篤樹は声に出して 呟く。
「ほら。起きようと思えば、自分でちゃんと起きられるんだよ。何度もうるさく起こそうとされるから、また寝ちゃうだけなんだ……」
1日……たった1日の間に起こった突然の出来事……本当なら修学旅行2日目の朝を、クラスメイト達と一緒にホテルの部屋で迎えるはずだった朝……急に篤樹は自分が「独りぼっち」である現実に悲しくなって来た。
みんなに会いたい……家に帰りたい……涙が目から 零れ落ち頬を伝うのを感じた。
急いで両手で顔を 覆って涙を拭く。絶対に帰る方法はあるはずだ! 篤樹はそう信じ歩み出す決心をした。両手で頬をバチンと叩くように包む。
とにかく湖神様とやらに会うのが第一だ!