第 6 話 エシャーの家
長の家を後にし、2人はエシャーの家に向かい歩いていた。
「さっきは、その……ごめんね。なんか……」
「ん?」
篤樹の呼びかけにエシャーが 振り返る。太陽がルエルフの森に沈み、残されたオレンジ色の光も、すり 鉢状のルエルフ村から急いで離れようとしていた。エシャーの顔は、その残された光の最後の一点のように輝いて見える。
「いや、さっきは……ついつい気持ちが焦ってさ……」
「ああ、別に……気にしないで! 私たちだって何も分からないのにって、ちょっとイライラしただけ」
「そう……だよね……結局、おじいちゃ…… 長も僕の身に何が起こってるのかは分からないみたいだったもんね」
「そうかなぁ……」
エシャーは腕を組んで右手の人差し指を 唇に当て、何か考えるような 仕草をした。
「何かあるの?」
「うーん……おじいさまのあの 態度、なんか怪しかったのよねぇ……いきなり『小人の 咆眼』を使ったり……何かを知ってる、でもそれを言うべきかどうか迷ったような……」
確かにルエルフ村の長、シャルロは言葉通りに「何も知らない、考えもつかない」という訳ではなかったように篤樹も感じはした。でもあの「 眼」が……
「大体、人間の……それもまだ子どもに向かって『小人の 咆眼』を使おうとするなんて、いつものおじいさまらしくなかったわ。いつもはすごく可愛いのに……」
「すごく可愛い」という表現に、篤樹はつい吹き出してしまう。
「『すごく可愛い』って、おじいさんに失礼じゃない?」
篤樹は笑いを飲み込み、言葉を続ける。
「でも、確かに最初、僕も『可愛い小人のおじいさんだな』って思ったけどね……」
「アッキーの世界にも小人族がいるの?」
「え? 小人族? うーんと……実在するんじゃなくて、童話のキャラクターだよ。なんていったらいいかなぁ、作り話の中の人物っていうか……」
「えー。カギジュもルーも無いし、小人族もいないの? 人間しかいない世界なの?」
「いや、人間だけじゃないよ! 生きてるのは……鳥や魚や動物、色んな生き物が生きてるよ」
「じゃあ獣族はいるのね?」
「はい?」
「動物がいるんだったら獣族はいるんでしょ? 精霊は? あとぉ……エルフ族!」
「うーんとね、その辺は全部お話の中でしか出てこないかなぁ……本当の世界にはいない、作り物のお話の中の生き物だね」
「えー、つまんない世界ねぇ」
篤樹は自分の世界を「つまらない」と言ったエシャーの言葉になんとなく同意する気持ちだった。
父さんも母さんも 極普通の親だと思うし、姉ちゃんも妹も普通、まあ、姉ちゃんはちょっと学力レベルの高い高校に入ったとはいえ特に「天才」ともてはやされる様な学力でも無い。
篤樹に対しても両親は、別にそれほど高い 成績を期待してはいない。学力を 諦めてるわけでもないだろうが、必要最低限、とにかく、 出費の少ない、ある程度の学力レベルの 公立高校に行ければ家計的にも助かるし、まあ、 偏差値50から55くらいはキープしてねと言ってるくらいの期待度だ。
普通に生きて普通に学校を出て、ある程度の収入がある仕事に 就いたら……あとは働けなくなるまで働いて、 退職後は年金をもらいながら残りの人生の日々を過ごす。そして、いつか死ぬ……
「そう……だね。つまらない世界……かもね」
つい口から 漏れた言葉に、エシャーが責任を感じ反応した。
「あ、えっと、ごめん! 全然、全然つまんなくないよね! 別に 獣族もエルフ族もマフーもなくても、アッキーの世界だもんね! うん、楽しそう! そうだ!『サーガ』もいないんでしょ?」
「え? 『サーガ』?」
「ね、ね? サーガもいないんでしょ?」
エシャーがニコニコと問いかける。
「何? サーガって?」
「ほら、やっぱりいないんだ! 人間と動物だけの世界なら、絶対にサーガもいないって思ったんだ!」
エシャーはこの世界に昔から存在している「サーガ」というものについて語り出した。
それはいわゆる<悪しき存在>らしい。「 概念としての存在」ではなく「実体を持つ生物」として、サーガと呼ばれる者たちが世界中にいる……トロルや獣人やエルフや小人族など、様々な種族の中からある時「サーガ」に変化する者が現れる。
そいつらは自己の欲望のままに 破壊・ 殺戮・ 略奪を 繰り返す「完全無慈悲なバケモノ」であり、生者を脅かす存在らしい。
「さっきの 腐れトロルも『サーガ』に 堕ちたトロルよ。普通のトロルはあそこまで凶暴じゃないし、そもそも『死の 塊』のような波長は出さないわ。おじいちゃんやお父さんから聞いた通りだった……」
エシャーの話を聞きながら、篤樹は今の自分の状況を改めて確信した。姉の大好きなオタク系の漫画やアニメや小説のような世界……相沢卓也が好きなファンタジーな世界……ここはそういうのが「現実」の世界のようだ。
―――・―――・―――・―――
丘の 斜面を平らに切りならした場所に、エシャーの家は建てられていた。家の 四隅には屋根に届くくらいの高さの木が植わっている。
「ただいまー!」
「はい、お帰りなさい」
エシャーの声に 即座に答える女性の声。エシャーの母エーミーの声だ。
「あの……お 邪魔します」
エシャーの背中に 隠れるように身を屈め家の中に入り、篤樹も 挨拶をする。扉から入ってすぐの場所が広い部屋(と言っても7~8m四方の)になっており、右側の 壁に流し台、部屋の中央にテーブル、奥にリビングという造りになっている。左側には2階へ上がる階段がある。
「あら、いらっしゃい。あなたがアツキさんね」
エーミーは台所から振り向くと、笑顔で篤樹を歓迎した。エシャーが大人になったらきっとこんな感じになるんだろう、と想像できるくらい良く似た母娘だ。
髪の色はエシャーと違って、金と銀を織り交ぜたような色合いで1つに束ねているが、 解けばきっとエシャーよりもずっと長いだろう。優しく 微笑む瞳はエシャーとそっくりな緑色。こんな 綺麗なお母さんだったら、 授業参観とかに来ても目立つだろうなぁ、でも「エルフ耳」だと別の意味で目立っちゃうか、などと篤樹は考える。
「さあさあ、エシャー。手を洗ってらっしゃい……と、その前にアツキさんをお父さんのところにお連れしてご挨拶を、ね?」
「はーい。行こ、アッキー!」
篤樹は 促されるまま、エシャーの後について階段を上がる。
エシャーのお父さんかぁ…… 怖い人だったら嫌だなぁ。ん? ってか、おじいさんが小人族とルエルフ族の間に生まれた子どもって事は、お父さんも小人族の 血筋? ってことは……
2階に上がると廊下が左右に伸びている。2階は4部屋くらいに分かれているようだ。エシャーは廊下を左に進み、突き当たりの部屋に向かう。
「お父さんただいまぁ! 連れてきたわよ!」
「おお、お帰り。さあ、アツキくん、入りなさい」
部屋の中からかけられた声に 従い、篤樹は扉の横に立っているエシャーの前を通り抜けて部屋へ足を 踏み入れた。
奥の 机の上に置いてある鉄網ランプの明かりだけしか 灯っていない部屋は薄暗い。篤樹は部屋の天井中央辺りを見た。
元の世界なら、普通はどの部屋にも 在る電灯は付いていない。当然、壁にスイッチなんかも無い。
「ありがとうエシャー。母さんを手伝ってきておあげ」
「はーい。じゃ、ごはんの準備が出来たら呼ぶねー」
エシャーは篤樹にウインクをし、小走りで廊下をかけて階段を下りて行った。篤樹はあらためて部屋の中をサッと見回す。
部屋の広さは篤樹の部屋より少し 狭いくらいか? 父さんからは8畳の部屋って聞いてたから……この部屋は6畳くらいって感じかな?
扉の横と左側の壁には 本棚があり、様々なサイズの本がビッシリと並べてある。突き当りの壁に窓があるが、板で 塞ぐだけの造りのようだ。その手前に横長の机が置いてあり、その上には色々な道具がおいてある。その中でも一番大きなモノ……弓矢の 銃のようなモノが目につく。
机の前の丸椅子には「普通の」ルエルフ男性、エシャーの父であり 長の息子であるルロエが、座ったままこちらに体を向けていた。
小人族の血を引いてるっていうから、てっきりお父さんは「おじいさん似」かと思ったけど……
「やあ、いらっしゃい」
「あ……どうも、お邪魔します。えっと、僕は……」
「立ってるのもなんだろう。そこの椅子にでも座りなさい」
ルロエは本棚の前に置いてある丸椅子を指さした。すると、丸椅子がフワリと浮き上がり篤樹の目の前に移動してきた。
うわ、この人も魔法使いなんだ……
篤樹は驚きつつも、両手でしっかり丸椅子の座面を 握って安定を確認し、恐る恐る腰を下ろした。
「ははは、そんなに怖がらないでいいよ」
ルロエは篤樹の心を 見透かしたように言葉をかける。
「さて、君の事情は父からの『 伝心』で大体分かってるから安心したまえ」
「え? 伝心?」
「そう。父から『 歓迎と 祝福』を受けただろ?」
篤樹は何のことかと考えた。あ、そういえば部屋を出る時に何か不思議な「 輪」が……
「小さな村とは言っても、ここは数百人のルエルフが住む村だからね。色々な情報を共有しておかないと、共同体としての社会が成りたたない。一人ずつに情報を伝えていくのは時間差もあるし、情報が間違ってしまう場合もある。そこで便利なのがこの『伝心というルー』なんだよ」
「ルー」……古代から在る精霊やエルフ達の魔法みたいなものだって言ってたアレかぁ。おばあちゃんの所の「町内放送」みたいなものかなぁ? あ、それでさっき、初めて会ったエシャーのお母さんからも名前で呼ばれたのかぁ……
「という事で、君も私のことは父から簡単には聞いてるだろう? エシャーの父のルロエだ。初めまして」
ルロエは椅子に座ったまま篤樹に 握手を求めてきた。「あ、ども…」と篤樹も手を差し出す。ルロエの手からガッシリとした力強さを感じた。保体の岡部よりよほど力強い手だ。父さんよりも大きい手だ。
「ところで、君は何歳だい?」
「あ、14……もうすぐ15歳の誕生日です」
修学旅行が終わって10日もすれば15歳の誕生日を迎えるはずだった。受験生だから「絶対にダメだ」と言われてた誕生日のプレゼントのリクエストも、結局は後期から受験が終わるまで 封印するという約束で、最新のテレビゲームを買ってもらう予定だった。買うと決まったらネット通販で買ったほうが安いって、父さんと母さんがパソコンやスマホで調べてたよなぁ。もう注文したのかなぁ……
「そうか15歳か……エシャーも今年で15歳になる。同じ歳なんだね。この村で今年15歳になるのはあの子だけなんだよ。まあ、ここにいる間は仲良くしてやってくれ。ところで君たちの世界では『成者の儀式』は何をするんだい?」
「は? シゲルモノの儀式、ですか?」
「ん? いや、15歳なら 成者だろ? 大人として歩み出す大事な 節目だ。何も無いのかい?」
「大人……あ! 成人式ですか?」
「セイジンシキ? それが成者の儀の名前か? いや、お互い別世界だから勝手が違うなぁ」
「あ、いえ。あ、と……僕はまだ成人式には出ません……っていうか出られません15歳なんで……」
「なに? 15歳は大人の仲間入りの歳……では無いのかい?」
「はい。僕らの世界では18歳……いや、20歳? えっと、どっちかです」
「成者の歳が決まっていないのか?」
「そうじゃなくって……前は20歳って決まってたんですけど、法律が変わって18歳になったんです。でも、20歳は20歳で意味があるからって……それに18歳だと受験生が成人式に出るのは 難しいから……」
「分からん!」
ルロエは 怪訝そうに顔をしかめた。
「いくら違う世界と言っても、大人と子どもの区別くらいはキチンとつけていなければ社会が混乱するんじゃないのか?」
「そうは言われても……」
あれ? なんで俺が怒られなきゃいけないんだ?
篤樹が面白く無さそうに顔を曇らせたことに気付き、ルロエは口調を改める。
「ああ、スマない。じゃあ、確認だが、アツキくん……君はまだ、君の世界での成者の儀を終えていない『子ども』なんだね?」
「あ、はい。そうです」
「そうか……」
ルロエは何かを考えるように口を右手で 覆った。何だろう? 子どもだと何か問題でもあるんだろうか? ルロエが口を開くのを待つ。1~2分ほどの時間が、篤樹にはとても長い時間のように思えた。
「明日……」
ルロエが口を開く。
「明日、湖神様のもとにお伺いに行くから、きっとその時にハッキリするとは思うのだが……」
「はい?」
「うん……君も父から聞いたように、私たちルエルフはこの村から生涯に一度だけ外界との往復が許されている……というか、許されることもある。全員じゃないんだ。許しをいただけるのは……」
「……というと?」
「うん……いくつか条件がある……みたいだ」
「条件?」
「そう。定めるのは 湖神様自身なので、私たちがその全てを知るわけではないが……とにかく、今まで外界へ行くことが許されたのは全て『成者の儀』を終えた者、つまり15歳以上の『大人』であることだけは絶対の条件のようなのだよ」
「大人? 15歳?」
「そう……それで、とにかく君の求める答えは、この村の中では得られないだろうから外界へ行くしかないとは思う。だが君はまだ君の世界でも子どもだというし、この世界でも15歳に数日満たないという。それが気になってねぇ……」
「じゃあ……僕はこの村から明日は出ることは出来ない、ってことですか?」
ルロエはおもむろに机の上に置いていた 棒弓銃を持ち上げた。別に、何か意味が有るわけでもなさそうだ。ただ、考えをまとめる間の「もてあます時間」を棒弓銃で 紛らわそうとしている様子だ。
「それは分からない……なにせ決めるのは湖神様だからなぁ。ただ、成者の儀を終えていない者が外界への旅を許可された前例がない、って事は覚えておいたほうが良い。場合によっては君が15歳を迎える日まで、あと……」
「12日……くらいです」
「うん。その間は許されないかも知れないな……」
12日……ってことは10倍で120日!
「そんな、困ります! そんなに長い間帰らなかったら……」
父さんや母さんに心配をかけてしまう! ニュースでも行方不明の中学生として有名になっちゃうかも知れない。それに……高校受験の中学三年生なのに3ヶ月以上も授業が遅れたら……志望校のランクも下げなきゃいけないし……
「とにかく、どうなるかは分からない。明日、湖神様にお伺いするまではね。あと……」
ルロエは机の上に置いていた小さな布を手にとると、棒弓銃を 磨くように撫でながら続けた。
「君は『自分の世界』に帰りたいというが、この村を出て外界に行ったとしても、そこは『君の世界』ではなく私たちの『世界』、まあ、この村を 含めて私たちが生きている『世界』だ、という事を忘れてはいけない」
そうだった……この村から出たら元の世界に戻れるという保証は無いんだ……篤樹もそのことは心の片隅で理解していた。でも「たった数時間」の間に起こった、あまりにも突然の 奇妙な出来事にまだ頭がついていかないのだ。
もしかすると事故で頭を強く打って、悪い夢を見てるだけなのかも知れない。でも「夢」というにはあまりにも意識がハッキリとしている。それとも俺は……実はもう「死」んじゃってて、ここは死後の世界とか? いや、それにしちゃみんな「普通に生活」をしている。エルフとか小人とかだけど……
「それはそうですけど、ここにずっといるわけにはいきません。ここで答えが分からないなら、別の場所……外界……で何かヒントを探さないと……」
「確かにそうだね……うん。行くしか道は無いんだがねぇ……」
ルロエは棒弓銃を元の場所に置きなおした。
「どんな結果が出ても、気を落とさずに次の手を考えていくことを覚えていて欲しいんだよ。そうすれば一度の『結果』で絶望せずに、その『経過』の先に別の『結果』を見つけ出す希望を 抱き続けることが出来るのだからね」
「……はい」
ルロエは篤樹の返事に微笑んで 頷く。
「さて、つまらん不安感を与えてしまったね。お? そろそろかな?」
階段を駆け上がってくるエシャーの軽やかな足音が聞こえてきた。
「ごはんできたよー!」