第 46 話 移住者学習
「『ミシュバット遺跡』ってとこまで、どのくらいかかるんですか?」
篤樹はほろ付き荷馬車の手綱を持つエルグレドに尋ねる。
「そうですねぇ……タグアから考えると、大体300kmほど離れてますので……準備していただいたこの『ほろ馬車』だと6日か7日ってとこでしょうか。駅馬車を使えれば3日、法力馬の早馬なら2日もあれば十分なんですけどね。予算もありますから……」
篤樹は何となくエルグレドを「良い人だけどセコい人」と認識するようになっていた。
何か買う時は安いのを選ぶようにしよっと……あ、そう言えば……
「……すみません。もう1度『ミシュバット遺跡』までの距離を教えてもらえますか?」
少し気になった事を確認するため、篤樹はエルグレドの口に注目する。
「え? ああ、正確には分かりませんが300kmくらいですよ。何か?」
エルグレドも篤樹が知りたいのは「距離」の事ではないと気付いて聞き直す。
「やっぱり……あのですね『300km』って距離の言葉、これも違うんです。その……僕の……僕がいた『世界』の発音と」
エルグレドは道の前方に障害が無い事を確認し、御者台の隣に座っている篤樹に顔を向けた。
「『変換』されていましたか? 例の湖神様の魔法で」
「そうみたいです。ほら『さんびゃくきろ』」
篤樹はエルグレドに向かって口の動きを見せながら答える。
「なるほど……確かに」
そう言うとエルグレドは微笑み、前方に向き直った。
「口の動きが違いますね。きっと『さんびゃくきろ』が、アツキくんには別の言葉で聞こえているんでしょうね。いや、ホントに便利な魔法です」
篤樹も、先生がかけてくれたこの「言語適用魔法」に助けられていると実感する。これがなかったら、知らない単語やらの説明でどれだけ不都合を感じていたことか! でも……ホントにそれで良いのか、少し不安にもなる。
「しかし……」
篤樹の思いと同調するかのように、エルグレドが口を開いた。
「大変便利ですし、おかげでこうして私たちも支障無く会話する事は出来ますが……私はアツキ君の世界の『言葉』を学びたくても学べません。それが残念です」
「そう! そうなんです! 僕もそう思ったんです」
自分の中に在る「不安」をエルグレドが理解してくれたと思い、篤樹は嬉しくなった。
「目を閉じてたり、よそ見をしてたり……まあ、普通は気にならないんですけど、やっぱり皆さんの話しを聞いてる時に口の動きを見ちゃうと『あれ?』って違和感を感じる時があるんです。ホントは……こっちではみんな、なんて言ってるのかなって……」
エルグレドは前方を見つつ微笑を浮かべる。
「『文法』や『接続詞』とか、とにかく大体は同じなんですよね。だからアツキくんがこちらの言葉……というか『発音の違う単語』を覚えれば会話も十分に可能だと思うんですが……そうなると逆に、その『全ての言語を変換する魔法』が効いてる間は、学ぶことさえ出来ないのかな? と思うんです」
「ですよねぇ……」
篤樹は、せっかく先生からもらった恩恵に感謝しつつも、感じている「好奇心」を満たせないことを少し残念に感じた。
「……もしかするとアツキくんの『言葉』の中に『チガセ』伝説のヒントだってあるかも知れない、そう思うと……正直、私としては湖神様に『アツキくんの言語適用魔法を解いて下さい! 私がちゃんとこの世界の言語を教えますから!』と訴えたいところです」
……えっとぉ、家庭教師? それは……ちょと……
エルグレドの「冗談とは思えない発言」に、篤樹は少し身を引き気味に愛想笑いを浮かべる。篤樹はとりあえず「ですね……」とだけ答え、話しを変えるネタを探す。
ほろの中を振り返ると、エシャーがレイラにもたれかかって眠っている。レイラは手に持っている小さな本に夢中なようだ。
「レイラさんは読書が好きなんですか?」
篤樹の質問にレイラは本から目を離さず答える。
「エルフは『森の賢者』なんて言われてるけど、生きてる時間があなた方より多いだけ。だからその時間を退屈しないため、色々と知識を学ぶのよ。人間が『本』を発明してくれて以来、すごく助かってるわ。昔だったら村の御老人方の『知識』を何時間も何日も何年も、目の前に座って聞かないとならなかったから」
エルフの「昔」って、何年くらい前のことを言ってるんだろう? 篤樹は曖昧に笑い、前方に向き直った。
「『この世界』の歴史って……その……教えてもらえませんか?」
篤樹はエルグレドに尋ねる。学校で習ってきた世界史や日本史は、ここでは全く役に立たない。でも自分が「今、どこに在るのか」を知るためにも、歴史を学ばないと今に結びつかないと感じていた。
「この世界」の「どこ」に自分は在るのか……時間は十分にあるだろう。こんなゆっくりした移動なら。ほろ馬車はのどかに、ゆっくりと道を進んで行った。
―・―・―・―・―・―・―
「7000年……ですか……」
篤樹は御者台に座ったままエルグレドの話に耳を傾けていた。
「ある程度信頼のおける考古学資料を基に計算すると……って事ですけどね。この世界に、ある程度の文明が生まれたのがおよそ7000年前って事になります。共通基幹暦では今は5120年ですから……基幹歴制定より、さらに2000年近く昔になりますね」
「共通基幹暦?」
篤樹は聞き慣れない単語に反応した。こういうのは変換されないんだなぁ?
「エルフ族や人間……その他の『文明』を持つ種族で申し合わせて決めた、共通の暦の数え方ってことよ」
ほろの中からレイラが答える。エルグレドは苦笑いしながら口を開いた。
「レイラさん。あなたが代わりにアツキくんに教えて下さいますか?」
「ご遠慮しますわ。私も『人間側』の歴史認識を学ぶ良い機会ですから、御一緒に御教授下さいな」
レイラは本から目を離さずさらりと応えた。
「でも、補足・訂正があればその都度発言いたしますのでお気になさらずに」
一言添えるのも忘れない。エルグレドはタメ息をつくと説明を続ける。
「共通基幹暦は人間側から提唱し、諸種族の了解を得たものなんです。群を抜いて長命なエルフ族は最後まで不要論を主張してたのですが……結局『エルフ族協議会』の発足の時に導入が決議されたんです」
「エルフ族協議会って、カミーラ大使の? でもそれは1000年前って……」
篤樹は宵暁裁判でのカミーラの発言を思い出していた。
「ええ、約1000年前です。そこで定めた基幹年が今から5120年前の『エルフ族と人間の交流開始伝説』の年なんです」
「『伝説』ではなくて史実ですわ」
ほろの中からレイラが口を挟む。エルグレドは構わず続けた。
「人間からの提唱を受け『共通基幹暦』の制定を承認する代わり、『基幹年』はエルフ族が提案する、ということになったんです。そして提案されたのが、エルフ族と人間の異種間交流が始まった年……今から5120年前を『基幹元年』として『共通基幹暦』が始まりました。だから制定された時点で、すでに『共通基幹暦4139年』だったんです」
「へ……え……」
篤樹は数字の羅列に頭が混乱してきたが……理解した範囲で確認する。
「とにかく、もし誰かに『今は何年ですか?』って聞かれたら『5120年です』って答えれば良いんですね?」
「そうです! 理解出来ましたか?」
……なんか俺、相当理解力低いって思われてないかい?
篤樹はエルグレドが嬉しそうに褒めてくれたことで複雑な気分になる。
「『共通基幹暦』というのは大事な知識の財産なんですよ。様々な種族が、様々な出来事を同じ時系列で理解しあうために必要な基準なんです。今ではエルフ族の方々もこの基準を喜んで下さってますよ。ねえ、レイラさん」
エルグレドは、何だかちょっと嫌味の混ざった言い方でレイラに声をかけた。
「別に『喜んで』はいませんわ。ただ決まった事にとやかく言う時間の無駄をかけず、むしろ有効にその『知恵』を用いているに過ぎませんことよ。隊長さん」
レイラは至って冷静に答えを返す。エルグレドは「ま、いいか」とでも言うように肩をすくめる。
「つまり、エルフ族と人間の交流が始まった5120年前、そこから遡って1900年ほど前、それが『この世界の歴史の始まり』だと考えられている、という事です」
「じゃあ、7000年前までの歴史は大体ハッキリと分かってるけど、それ以前の歴史はよく分かっていないって事なんですね?」
篤樹の確認にエルグレドは頷く。
「人間はもちろん……エルフ族にだって、そんな古い過去を知っている者は誰もいません。ですから7000年前を『神話と歴史の境目』と考える研究者が多くいるんです」
「そう……なんですね……」
「とは言っても……」
篤樹の相槌にエルグレドが続ける。
「7000年前の事だって、全てが分かっているわけじゃないんです。文字や遺跡や記録などの『歴史の証拠』がいくつか発見されているだけで……300年前のサーガの『大群行』だって、今の人間では資料で残されているものから調べた内容しか分かりません。その資料の『行間・文字間に隠れている歴史』の全てを知ることは出来ないでしょう。あくまでも『知り得る事の出来る歴史上のおもな出来事』をもって『全ての歴史』とは言えないんです。そこで……」
エルグレドは篤樹に顔を向けてニッコリ笑みながら、一気に語り始めた。
「今から簡単に歴史を……初歩的な『大きな出来事』をお話ししますね。共通基幹暦前1800年頃に『神話時代』が終わりました。今から7000年前です。そして、共通基幹年にエルフ族と人間の交流が起こります。基幹暦1133年には『エルフ・ルエルフ・人間』の3種族会議が始まり、3897年にイグナ王国が、3912年にサルカス王国が、それぞれこのエグラシス大陸に誕生しました。イグナ王国とサルカス王国が大陸の東西を分けてしばらくは統治していましたが、南方のグラディー族が勢力を拡大し、イグナ王国・サルカス王国のお家騒動の間に、この三つの勢力による混乱の時代が続きます。その混乱の中、新たな王を立てて建国したのが前エグデン王国……基幹暦4129年の事です。4139年に『エルフ族協議会』が設立されましたが、この時、ルエルフ族は協議会に含まれなかったということです。しばらくエグラシス大陸は、この『人間の3国・1族』で4分割統治状態となっていました。しかし……4341年に『共和国』として一つにまとまる事で、名実共に大きな国、現在の『エグデン王国』が誕生したのです」
そんなの……一度に言われたって覚えられない!
篤樹は試験前の「歴史の一夜漬け」の恐怖を途中で思い出し、時系列を頭の中で描け無かった。そんな様子を、エルグレドはちゃんと理解している。
「……というものを、口頭で語ってもなかなか頭に入らないでしょう? ですから宿についたら紙に書いて差し上げますよ」
「すみません……あっ! でも僕……この世界の『字』も読めないんですけど……」
エルグレドは篤樹に顔を向けてニヤリと笑う。
「さっきの件、良い方法を思いついたんですよ」
「さっきの……件?」
「ほら、湖神様の言語適用の魔法です。筆談ですよ筆談!『音』は無理でも『文字』なら勉強出来ます! 私が書いた年表を、私が読みながら説明しますから、アツキくんはそれを聞きながら自分の世界の『文字』で書き写すんです。そうすれば『文字と文字の比較』で、それぞれの世界の『言葉』を『文字』で理解出来るじゃないですか? 頑張ってお互いの文明を学び合いましょう!」
嬉しそうなエルグレドの横で、篤樹は……ゲンナリとなる。
「さあ、陽が沈む前にはテリペ村に着きますよ。着いたら早速お勉強をしましょう!」
なんで異世界にまで来て勉強なんか……いや、違う! やらなきゃいけないんだ! やりたくないけど……でも……
篤樹の心は複雑な苦しみを感じていた。この世界から元の世界に帰る方法を見つけ出すためには、先ずは「この世界」で学ぶべきことがたくさんある……と、頭では理解出来ている。気持ちも決心した。だけど……「勉強」はやっぱり好きじゃない!
「テリペにお寄りになるの?」
篤樹の悶々《もんもん》とした気分を他所に、レイラが嬉しそうな声でエルグレドに尋ねる。
「ええ。今夜はテリペに宿の手配をしていただいています。レイラさんはテリペは初めてですか?」
「ガラス練成魔法発祥の村なんでしょ? 噂にしかうかがっていないので、一度は訪ねてみたいと思ってましたの」
ガラス練成魔法? 篤樹は2人の会話に心が向いた。
「『ガラス』を作る魔法が生まれた所なんですか!?」
エルグレドは笑顔で頷く。
「珍しいものが見られるかも知れませんよ。さあ、あと少しです!」




