本編エピローグ ―― 新たな出会い ――
「外交官なら、自分の『お国』が車を用意するもんじゃ無いんですか? 主任」
ワイシャツの袖をまくり上げ、返却されたレンタカーの清掃を行いながら話しかける若い社員に、少し年上の男は顔を向けた。
「ん? さっきSUV借りて行ったお客さんか?」
「はい……職業欄見たでしょ? U国の外交官って書いてありましたよ」
「ああ……」
質問内容を理解した「主任」は、特に興味も無さそうにバインダーへ目を落とした。
「大体、芸人コメンテーターじゃあるまいし、あんな真っ赤なド派手スーツなんか着ますかぁ?『外交官さま』が……」
「そんなのイチイチ気にすんな! 良いんだよ、ウチは……。貸したモノを事故無く・犯罪使用無く、キチンと料金添えて返していただけりゃそれで。あんな綺麗な女の人が一緒ってことは、お忍びデートにでも使いたいんだろ? 『お国』の経費じゃデート代は落とせないって!」
バインダーに 挟まれた返却確認項目にチェックを入れながら「主任」は応じる。
「ほんと……綺麗な女性でしたねぇ。あ、でも……お腹目立ってましたよ? 気付きました?……ってことは恋人じゃなくって夫婦なのかなぁ……」
手を休める部下の背後に回り、主任はバインダーで軽く頭を叩く。
「痛ッ!」
「手を休めるな。あと、お客様を変な目で見るんじゃねぇよ。ほら、早いとこ終わらせろよ!『時は金なり』ってな!」
主任はそのままバインダーを運転座席に置くと、事務所に立ち去って行った。
「はーい」
その背を見送り、若い社員は返事をする。
それにしても、ホント美人だったよなぁ……まるで「黒髪のエルフ」みたいで……
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「夜までには、ちゃんとあの子と合流出来るのかしら?『スレーヤー大佐』さん?」
風になびく長いストレートの黒髪を左手で 弄びながら、助手席に座る女性はサイドミラーに目を向けている。運転席に座る「真っ赤なスーツ」を着た大柄な男は、慌てふためきながらも慣れないレンタカーのナビゲーションと前方を交互に見つつ、さらに女性にも顔を向ける器用さを見せていた。
「そんなに責めんで下さいよぉ、 麗蘭さん……大丈夫です! 道は必ず 英紗んとこまで繋がってますから!」
男が慌てるその姿に女は満足そうな笑みを浮かべ、右手を自分の腹部に載せた。
「あなたのお父様は相変わらずのおっちょこちょいでしてよ……先が思いやられますわねぇ……」
「いや、だから……まだこの国の文字に慣れてないだけですからぁ! えっと……あ! これだ! この道に入れば大丈夫です!」
ようやく見慣れた道路を見つけたのか、男は安堵の表情でこめかみの汗を拭い、助手席の女性に笑顔を向けた。
~ ~ ~ ~ ~
男は、U国の外交官という肩書を与えられているが……数ヶ月前、隣の女性と共にU国の内戦地で保護される以前の記憶は 曖昧だ。「兵士であった記憶」はあるが、銃を扱った記憶は無い。自分たちが何者で在るのかという記憶も定かでない2人に、なぜかU国政府が「偽の経歴」を与えてくれた。
ほどなくして、2人と同じように保護された記憶喪失の少女が連れられて来た。女と少女にはアジア系U国人姉妹という経歴が与えられた。初対面であるにもかかわらず3人はすぐに打ち解け合い、U国政府が用意した生活基盤に定着する。そして……3人ともに |何故か日本語に長けている《・・・・・・・・・・・・》という理由で、男はこの春から外交官として、女はその妻として、少女は留学生として日本に住む事となった。
~ ~ ~ ~ ~
「英紗が迷子にならないか心配だったけど……こちらが先に迷子になってしまいましたわねぇ……」
なおも右手でお腹をさすりながら「胎教」を続ける女に、男は苦笑しつつ話題の変更を試みる。
「もう大丈夫ですって! K市は高速使やぁ1時間もかかりませんから!……で、どっちか聞いたんすか?」
「あら? やっぱり気になるのかしら? 異国の産院に、妻を独りで行かせるような外交官さまでもぉ……」
悪戯っぽく顔を向ける女の視線を感じつつ、男は苦笑する。
「すんません……」
「ふふ……男の子よ」
素直に詫びた 御褒美とでもいうように、女はすぐに答えを与え、満足げな笑みを向ける。
「そ……そっすか! 男ですか!」
女の返答に喜びと驚きの声を上げた男の顔に、何とも言えないニヤけた笑みが浮かんだ。
「 陽遊人……」
男の反応に、女はポツリと声を洩らす。
「え? 何すか?『ヒュウト』……って?」
「お名前よ。この子の……」
立て続けに聞かされた情報に困惑し、男は助手席に顔を向ける。
「前を向いてて下さるかしら?!」
「はい!……って……えっと……もう名前、考えちゃったんですか?」
女からの要請に応え前を向き、運転に気を向けながらも男は尋ねる。
「決めては無いわ。案よ、案……決めるのは2人の合意事項ですもの。ただ……」
少し間を置き女は続けた。
「せっかく日本生まれになるのなら、日本名も良いかしらと思いましたのよ。『陽の光の下で元気に健やかに遊ぶ子であって欲しい』……そんな願いを込めましたの……。いかが?」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
つい先ほどまで元気に遊ぶ子どもたちの声が響いていた公園も、陽の光が濃いオレンジに変わる頃には誰一人訪れる者も居なくなった。
賀川篤樹は、ようやく訪れた「いつもの時間」にホッとする。
人工的に作られた小高い丘……剥がれかけた芝生が覆い、計画的に植えられた木々が、時折り吹く優しい風に枝を揺らす。
退院後の日常リハビリとして、朝夕の「散歩」を心がけていた時に見つけた場所だ。丘の上に座り、沈み行く夕陽を眺めるのが日課となっていた。
この景色は……なぜか心が騒ぎ……そして……安らぐ。
事故の直後は「何か」を覚えていたハズなのに、何回目かの 意識混濁の後、その「何か」を忘れてしまっているような気がする。
絶対に忘れない! 忘れるはずが無い! いつまでも……
それが「何」であるのか……その答えが、ここに……この景色にあるような気がしていた。
卒業までには、思い出せそうな気がしてたんだけどなぁ……
いつの間にか身についてしまっている「胸板の服を掴む癖」を、今日もやっていたことに気付き、ひとり苦笑する。
「あ~あ……何をやってんだか……」
自分の「おかしなルーティン」を声に出して 嘲り、オレンジ色の光が照らす丘を下りようと立ち上がった。ふと、丘の正面に見える公園の入口から誰かが入って来る姿に気付く。
誰だろ……こんな時間から1人で……
篤樹はその人物と顔を合わせないように立ち去ろうと思った。だが、いちど目についたその人影に対する関心のほうが強くなる。
華美で無い青系ワンピース姿の少女……篤樹と同年代くらいだろうか? 夕陽のせいかも知れないが、髪色がエメラルドグリーンに輝いているように見える。少女は夕陽を背に立つ篤樹に気付いたのか、一瞬、足を止めた。
あ……やばい……。変な奴と思われたら……
いよいよ少女から視線を外そうと思う……だが理性や常識とは裏腹に、篤樹は夕陽を受けて輝く少女の顔から目を離すことが出来ない。心臓が高鳴り、呼吸が大きくなって来る。抑えきれない感情が、涙となって 零れ出す。
な……んで……こんな……涙が……嘘だろ? ヤバいって!
少女は不思議そうに篤樹を見ながら、真っ直ぐ近寄って来る。その少女の姿、表情、瞳が鮮明になるほど、篤樹は 堪らなく切ない思いで胸が張り裂けそうになってしまう。
ダメだ……知らない子の前で……これじゃ俺……ホントに変な奴だと……
サクッ……
丘の手前で少女は立ち止まり、軽く首をかしげて篤樹を見つめた。
「どうして泣いてるの? アッキー……」
(エピローグ ―― 新たな出会い ―― 完 )




