第 426 話 気付き
思いが伝わらない「言葉」なんか要らない……人を騙す「言葉」なんかがあるから、私の「声」に誰も気付いてくれないんだ……。見えてるハズなのに……分かるはずなのに……みんな簡単に、お母さんや「あの人」の「言葉」に騙される……
もう、ずいぶん長いあいだ忘れていた「色の在る世界」を見ていた柴田加奈の視界は、徐々にまた色を失い始めた。セピア色からモノクロへかすんでいく景色を前に、加奈の意識は静かに分離していく……
誰か……助けて……
加奈は「お母さん」を求める。拠り所はそこにしかない。自分という存在を認識する以前から存在していたのは「お母さん」だから……。その声・言葉・感触、そして、与えられた「糧」によって「生かされて来た」のだ。
この存在から切り離されては生きて行けない……
それは、小さな命が感じ取る「生存本能」だ。「お母さん大好き」という言葉は、教え刷り込まれて来た表現語に過ぎない。「ごめんなさい」も「ありがとう」も「分かりました」も、それを言わなければ「生きることを奪われる」という恐怖・不安に対する生存本能から発していただけだ。自分を「生かすことの出来る存在」は「お母さん」だけ……だから「お母さん」から嫌われたら、痛みと苦しみの中で自分は「消えていく」……加奈は恐怖と不安の中で「生かされて」来た。
『カナのお母さんは確かにカナを産んでくれた女の人だよ。だけどさ……カナはカナ、お母さんはお母さん……別々の存在だよ?』
あの子の声が、返しの付いた釣り針のように耳に残っている。
『カナを大事に想わない人の事なんか、カナが大事に想う必要なんか無い……そんな人のところに戻る必要は無いよ! そんなところ……カナの居場所なんかじゃない!……カナはカナを大事に想ってくれてる人のところに行って良いんだよ?……自分の居場所は自分で決めて良いんだよ!』
目の前に現れた、綺麗な緑髪の少女の言葉……お母さんから「離れたって良いんだ」という招きが、加奈の心を縛っていた鎖を解くカギとなった。「自由」とされる喜びを感じた。
この喜び……この嬉しさ……何だろう……「懐かしい」……
心のどこかに感じる「 既知の喜び」に、加奈の本能は「警戒」を完全には解く事が出来なかった。
この光は……いつか消える……この喜びは……すぐに奪われる……「あさくらせんせい」の時と同じように……
そして……本能が感じていた「警戒」は、すぐに「現実」となっていく……
―――・―――・―――・―――
篤樹は直子や美咲、そしてエシャーに向かい、必死に「佐川の無実」を訴える。あくまで佐川「本人」も被害者であり、光る子どもという「得体の知れない化け物」が嘘をついて皆を騙しているのだ……佐川からもたらされたこの「新事実」は、篤樹の心を強く動かした。
この世界に来て以来、心から頼りとしていた「オトナ」……エルグレド・レイラ・スレヤーと離れている現状は、篤樹の中に「頼る者」を求める思いを掻き立てる。
神村勇気の情報伝達魔法で「見せられた」この世界の歴史、柴田加奈に対する佐川の行為は、篤樹にとって信じ難い・受け入れられない「非人道行為」だ。でもそれが「フェイクニュース」なのだとしたら……佐川良一という「人間」が行ったおぞましい行為でなく、あくまでも光る子どもが創った「偽の情報」なのだとしたら……それなら「敵」は光る子どもであり、佐川は……「頼りになるオトナ」として仲間になってもらえる……いや……これで「責任」を負ってくれる大人の背後に隠れられると、篤樹は無意識下に安心を求めていたのかも知れない。
「……アッキー……何を……言ってるの?」
呆然と見つめるエシャーの瞳が、篤樹の安直な希望論を弾き返した。
「どうして……どうしてそんな話になるの?! 見て来たじゃない?! 聞いて来たよね? サーガワーの姿も、声も、カナやミサキさんに何をやって来たのかも……カナがどれだけ苦しめられて来たのか、見て来たよね?!」
「あ……いや……」
エシャーから浴びせられる視線と言葉は、篤樹の想定をはるかに超える怒りと疑念に充ちたものだった。「ちゃんと説明すれば説得出来る」と、どこか「簡単な仕事」と思い込んでいた篤樹は、エシャーのあまりの剣幕にたじろぐ。
「賀川くん……」
2人のやり取りに、小宮直子が口を開いた。
「佐川さんから何を聞かされたのか、大体わかったわ。でもね……私も、美咲さんも……柴田さんも……『彼自身』の手で傷を負わされて来たのよ? その体験を『記憶の情報』として残して来たし、それを神村くんもあなたたちに伝えたのよ。それでも……被害を受けた私たちの証言より、佐川さんの言葉が正しいと思う?」
静かに優しく、しかし、真実を 毅然と伝える直子の声に、篤樹は尚も目線を泳がせつつ言葉を返す。
「でも……先生たちを苦しめた『佐川さん』ってのが……そもそも光る子どもが創った『偽物』かも知れないじゃ無いですか……」
「ハァ……」
堪え切れず、美咲が呆れ声で溜息を吐く。
「賀川くん? あなた、根本的なところが分かって無いわね?」
明らかにウンザリした声で語る美咲に、篤樹は眉根を寄せ視線を向けた。
「何が……ですか?」
「光る子どもが佐川さんの偽物を『創った』? 無理無理! あの子は何にも創り出せない『空っぽの神さま』よ。何も想像出来ない、自分で創り出せない、空っぽの存在……だから『想像の力』を持ってる私たちを……人間を連れて来たのよ! そんなヤツが『フェイクニュース』だとか『偽物』だとか、創れるはずがないでしょ!」
美咲の言葉に篤樹はハッと目を見開く。光る子どもが自分で考えた世界を創り出す力があるのなら……僕らを連れて来る理由は……確かに無い……
「じゃあ……あれ? それじゃ……佐川さんは……なんで僕にあんな話を……」
希望の期待が突然絶たれた篤樹は、状況の脳内処理が追い付かず混乱する。
「佐川さんは……『 狡猾なオトナ』よ」
困惑し目線を泳がせる篤樹に、直子が静かに語りかけた。
「言葉巧みに自分の正当性を相手に刷り込み、支配し、コントロールする……そういう『狡猾なオトナ』に 抗うのは……子どもにとって簡単なことでは無いわ」
「コント……ロール……って……え? じゃあ、僕は佐川さんから……」
直子は寂し気な笑みでコクリとうなずく。隣の美咲も苦笑しつつ篤樹に告げる。
「良いように騙されて使われたってことよ」
「そ……え? 何のために……」
篤樹は自分の「役目」が分からず、直子と美咲に尋ねようと顔を上げた。だが、2人の表情と視線に気付き、急いで背後を振り返る。
「ぎュヴぁッ! バぁ! ファ!」
すぐ真後ろの地面から、泥土の気泡が弾ける音が響く。篤樹は慌てて跳び退き、エシャーの横に並び立った。
「まだ……残ってたんだ……」
すっかり周囲への警戒を怠っていた篤樹は、地中から浮かび上がって来た「泥土の邪神顔」に目を見開き呟く。
「アッキー……こっちを見ないでね……」
エシャーからの声に、思わず篤樹はエシャーの横顔を確認する。
「え? あっ! エシャー、目が……」
「見ないで!」
「はいッ!」
小人の 咆眼に意識が飲み込まれる間を置かず、篤樹は慌てて視線を外した。
「えっと……エシャー?」
「あのね……」
問いかけようとした篤樹の声に被せ、エシャーは意図を説明する。
「フィリーが言ってたよね? あのサーガワーは本体だけど、まだ完全体じゃ無いって……。アッキーが塔の中に入ったあと……フィリーが木霊になって……私、1人で泥土の邪神を相手にしたんだ……その時『この眼』を開いて見たの。泥土の邪神はサーガワーの分身体で、それぞれがアイツの『力』を持ってる……その『力』を地上に運び、本体に送り込んでいく……コイツもそうだよ……」
エシャーが語っている間に、新たに現れた「泥中の邪神」は泡のように弾け消えた。しかし小人の咆眼は、その弾けた泡から黒霧のような靄が飛び出し、塔の入口へ流れ込んで行く姿を捉えている。
「今も……サーガワー本体に向かって『力』が流れて行ったよ……あの塔の入口の中に……」
ほんの一瞬目を閉じ、小人の咆眼を解除したエシャーが篤樹に顔を向けた。
「アッキー……もう、大丈夫だよね? サーガワーの言葉より、私たちの言葉を信じてくれるよね?」
濃いエメラルドグリーンの 虹彩を持つ大きな瞳で、エシャーは真っ直ぐ篤樹を見つめる。その訴えかける視線に、篤樹は佐川に簡単に騙された自分を恥じ、エシャーから目をそらそうとした。しかし、すぐに思い直す。
「ごめん……俺……どうかしてた……うん! もう、騙されない! これからは……気を付けるよ……」
しっかり目線を合わせ、途中から少し恥ずかし気に応える篤樹を、エシャーは嬉しそうに笑みながら見つめ続けた。その決意が「真実」であることを、エシャーの目は読み取る。
「誰かに助けてもらいたいと願うのは当然のことよ……」
2人のやり取りに、直子が優しく語りかけた。
「困っている時、誰かに助けを求める……それは間違いじゃない。人が1人で負える問題には限界があるわ。だから協力し合って担い合い、共に歩んで生きる道を切り拓くのが人間の本質的な関係よ。……ただ、助けを求める相手をキチンと見極める知恵は必要よ。助けを求める相手を見誤れば……簡単に食い尽くされてしまうわ」
直子の言葉に、篤樹は小さく「はい……」と応じる。佐川という「オトナの男性」の表面的な「力」を頼り、簡単に盲従してしまった自分の愚かさを恥じ、直子の言葉を噛みしめた。
「加奈さん!」
突然、美咲が驚きの声を上げる。その声に、篤樹とエシャー、直子は背後を振り返った。
「そん……な……」
黒水晶の中に立つ、うつろな瞳と無表情な柴田加奈の姿に気付き、エシャーは声を洩らす。
「カナ! ダメ! 目を開けて!」
危うく、黒水晶に手を触れそうになったエシャーを、美咲が抱き止める。
「触れちゃダメよ!」
舞い落ちた葉が黒水晶に触れ、一瞬で焼失した。4人は呆然と加奈を見つめる。
「なん……で……」
力無くつぶやいたエシャーの声に応えたのは……笑いを 堪える佐川の声だった。




