第 390 話 拒む者の声
「『声』……ですか?」
ゲショルの滝口から少し離れた「崖道」を見下ろし、和希がバルーサに尋ねた。一樹たち4人の姿は眼下に広がる森の木々に阻まれ、もう確認出来ない。
「ああ……」
バルーサは携行袋を整理しながら応える。
「お前たちにはイメージし難いだろうが、我々が使う『伝心』のように直接頭の中に届く『声』だ。ただ、これに強力な攻撃力が伴っている」
「それが『他の種族を近付けぬ特殊な者たち』の正体……なんですか?」
エルフ女性たちと共に食料採集袋を準備していた美月も、会話に加わって来た。
「正体? いや、私らもヤツラの『正体』までは誰も知らないさ。ただ、滝口から下に足を踏み入れた者は、全員、その声……『伝心』みたいな形で、頭の中に直接『声の攻撃』を受ける。『立ち去れ!』ってね。頭が割れそうなほどの痛みを加えて来やがるんだ、その『声』は……」
和希はバルーサの話を聞きながら、情報を整理する。
「『伝心』を使うってことは、崖下の領域に居るのはバルーサさんたちとは別のエルフ族……とかですか?」
「さあね……」
バルーサは立ち上がって和希に向き直ると、軽く笑みを浮かべ応えた。
「獣人族や小人族の連中も、下の領域には入らない。同じ『攻撃』を受けるからね。『伝心』を使わない種族にまで『伝心』を送るってのは、私らエルフには出来ない技だ。それに頭ん中に響いて来る『声』は、たとえるなら『伝心』みたいって言ったが、似て非なるモノだ」
「『テレパシー』みたいなモノかなぁ……」
いまいちイメージが湧かないが、和希なりに理解してうなずく。美月は他の事が気になった。
「その『声』に敗けて、みんな、先に進むのを諦めて引き返すんですか?」
「そういう事だね。まあ、昔は『肝試し』なんかもやってたらしいよ。誰が一番奥まで進めるか、とかね。馬鹿な話さ」
和希と美月は、バルーサの口から「肝試し」という言葉を聞き、何となく微笑みを交わし合った。しかし、当のバルーサの表情はいたって真面目なままだ。
「エルフ族の『肝試し』でも、『拒む者たち』の正体までは突き止められなかったんですか?」
笑みを浮かべて尋ねる和希に、バルーサは少し驚いた表情を見せる。
「だから、言っただろ? 拒む者たちは頭の中に直接『攻撃的な伝心』で警告を送って来るって」
「でも、その頭痛を堪えれば……」
美月の言葉で、バルーサは和希たちに話が通じていなかったことを理解し、呆れた様子で苦笑いを見せた。
「頭が割れそうなほどの警告の『声』に聞き従わず、痛みを堪えてさらに先まで進んだ連中はどうなったと思う? みんな頭が弾け飛んで木霊になっちまったんだよ! 瞬殺されちゃ、相手の正体なんざ確認しようも無いさ……」
そこまで語ると、バルーサの表情が険しくなる。
「そっか……カズキたちには『拒む者たちの声が聞こえたら、無理せず引き返せ』と伝えたが……お前たちは『我慢してでも先に進むんで相手を確かめる』って考え方をするのか……アイツら、ちゃんと約束を守ってくれればいいが……」
洩れ出るバルーサの懸念の言葉に、和希と美月の表情は青ざめ固まった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「とりあえず……ここまでは大丈夫みたいだな」
上田一樹は振り返り、最後に崖道を下りた牧野豊を確認する。
「こんなの……『崖道』なんて言わずに、ただの『崖』って言うべきだよ……」
30メートルほどの高さがある、ほぼ垂直な断崖絶壁を改めて見上げ、大田康平は大袈裟に苦情を口にした。小平洋子も背負っていた槍を杖のように両手に持ち直して息を整える。
「例の『声』は、早い時には崖道を降り始めてすぐに『聞こえる』って言ってたけど……上田くんが言ってたように、こっちの世界の種族にだけ届く『攻撃』なのかもな」
肩から帯で提げていた棍棒を右手で握り、左手の平を軽く打ちながら豊も所感を述べた。
「とにかく、どんなヤバイ敵が居るか分からない世界だからな……気を抜かずに行くぞ……どんな連中なのかだけでも確かめてやる!」
一樹と康平も、自分の腰に差している剣を鞘から抜き、皆に注意を促す。
「戻る時間を考えても、滝つぼと周辺を捜索出来るのは2時間くらいしかないわ。急ぎましょう……」
洋子の言葉を合図とし、4人は 瀑声の響きを頼りに森の中へと分け入って行った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
メシャクたちの集落は、にわかに活気付いていた。近隣に集落を持つ獣人族や小人族から100人以上の戦士たちが集まっている。東方への遠征途上で合流する戦士たちと、サーガから襲撃を受けている地域にいる戦士たちを含めれば、500人近くの「異種族合同部隊」となる予定だ。
「チガセはどこに居るんだ?」
各部族長らが協議をしている「族長の間」に、大柄な狼人系種族の戦士が顔を覗かせ尋ねた。
「ロウ! 大人しく待ってろと言ったはずだぞ!」
銀色のたてがみを持つ狼人が一喝すると、ロウと呼ばれた戦士はすごすごと顔を引っ込めた。
「まったく…… 形だけはデカいクセに、いつまでもガキのままで……」
ロウを一喝した狼人が、ブツブツと言い分けのように呟く。
「だが……」
鷹の頭部を持つ鳥人種の戦士が、翼を「腕組み」したままメシャクに語りかける。
「乱世を鎮めるために現れたという『チガセ』が、どこにも見当たらないというのは不可解だな? メシャクよ」
「ガイム……我が部族長に対し、その物言いは聞き捨てならんぞ?」
即座にシャデラが鋭い視線を向けて応じた。当のメシャクは意にも介さない様子で、部屋の中央に置かれたテーブル上の地図を見ている。
「本当に居るぞ、ガイム。俺たちはチガセと会った」
白く長い髭を右手で掴み遊びながら、壁際の椅子に座っている小人族戦士が応じた。
「今回の遠征は……」
小人族戦士の声に被せるように、鳥人ガイムが口を開く。
「サーガの大量襲来という前代未聞の危機は、異種族が一致協力して防がねばならぬ強大な災厄……だが、我ら鳥人族には他の地へ移り住むという選択肢もある。その道を選ばずこうして共闘に加わるのは、エルフの長が『伝説のチガセ』たちを旗印に迎えたと言ったからだ。よって、古の女神たちと同じ血をひく特別な人間種との共闘ならばと、我らも参戦を承諾したのだ」
口をはさんだ小人族戦士にガイムは目を向けた。
「お前が出会ったというチガセは、では、今どこに居るのだ? 小さき戦士よ」
問われた小人族戦士は肩をすくめ、視線をシャデラに向ける。
「準備のためにゲショルの滝に行った。昼には戻って来る。しばし待て、ガイム」
机上の地図に手を載せ、メシャクが顔を上げて応えた。ガイムは感情の読めない鋭い視線をメシャクに向ける。
「いつの間に、エルフの時の数え方と我々鳥人種の時の数え方が変わったのだ? メシャク。陽は天の真上よりとっくに下り始めたぞ?」
一瞬、不穏な空気が流れたが、すぐにメシャクは微笑み応じる。
「案ずるな、ガイム。もう集落の入口に戻ったそうだ。すぐにここに来る」
同じ伝心をバルーサから受け取ったシャデラはガイムをひと睨みすると、一行を迎えに族長の間から外へ出て行った。
―――・―――・―――・―――
「脳への損傷は無かったが、2人とも鼓膜が割けて出血していた。崖下からの救助に手間がかかったせいで、結果的に予定より遅れてしまった。すまない……」
バルーサからの報告を受け、メシャクは和希たちに視線を向ける。両耳に治療布を当てた一樹と豊を支えるように、洋子、美月、康平が並び立っている。
「無理はするなと約束したはずだ、カズキ……」
メシャクは鋭い視線を一樹に向けた。しかし、鼓膜の破れが完治していない一樹は、自分に語りかけられたと気付かず、視線は初めて見る鳥人種に向いていた。
「すみません、メシャクさん……ほら、一樹! ちゃんと謝れよ!」
代わりに和希が応え、すぐに一樹の胸板を小突く。
「痛ッ! なんだよ? あ……っと……遅くなってすみませんでした……」
和希に苦情を訴えようと視線を戻した一樹は、メシャクの表情にようやく気付き頭を下げた。メシャクは溜息を吐き、天を仰ぐ。その様子を見ていたガイムは呆れ声で口を開いた。
「過剰な期待は持っていなかったが……伝説のチガセとは、ただの若く未熟で愚かな人間種ではないか。『拒む者』の声に従わず、先に進み害を受けるなど……防衛本能の欠片も無い愚か者が旗印に立つだと?」
あからさまな期待外れ感を前面に出す言葉に、和希は苦い笑みを浮かべ軽くうなずくほか無い。尚も苦言を発そうとするガイムの前にシャデラが進み出る。
「チガセは 数多の試練を越える者であり、開眼時には大いなる力を発する者だ。『拒む者』の声に打ち勝って帰還した彼らの活躍に期待しようぞ」
「ともかく……」
シャデラの言葉に続き、メシャクが口を開く。
「ここで無駄な議論に時を費やすほど愚かなことは無かろう。チガセも揃い、戦士は整った。すぐに出立だ!」
メシャクは一同に視線を巡らせ、威厳のこもった声で号令をかけた。各部族の代表者ら10人ほどが仕切り直しの様子で息を吐くと、それぞれの眼に鋭さが宿る。
「伝説は、しょせん伝説か……」
和希たちを一瞥し、ガイムが族長の間を出て行く。数種の獣人族も、これからの戦いで旗印となる者たちを見定めるように視線を向けつつ、外に向かう。
「鳥の難癖なんか気にするな。期待しとるぞ、若き戦士たちよ」
小人族戦士の2人が一樹と豊の膝を軽く叩き、ニッコリ笑みを向け励ました。
「さあ、行こう! サーガの群れを駆逐し、新たなチガセ伝説を共に生み出すぞ!」
メシャクとシャデラも笑みを浮かべ、和希たちに外へ向かうよう促し歩き出す。最後尾についた一樹と豊はお互いの顔を窺い、今の話の流れを掴めていないのは自分だけでは無いことを確認し、苦笑を交わし合った。




