第 376 話 タッグマッチ
「加奈さん!」
美咲は加奈が「自分の意思」で動いた姿に感動し、満面の笑みで声をかけた。しかし、加奈の視線は床の上に倒れている小宮直子をジッと見下ろしたままだ。
「今度の『光』も、ちゃんと『輝く』かなぁ……」
光る子どもはその声を残し、姿を消した。
「ん……うぅん……」
苦しそうな呻き声を出しながら、直子が身体を動かす。美咲はその様子に気付くと、必死で声をかけた。
「先生!? 直子先生、大丈夫ですか!」
意識が急にハッキリしたのか、直子が「ガバッ!」と身を起こす。
「痛ッ……ここは?! みんなッ!」
石畳に手をつき、上半身だけを起こし上げた直子は、キョロキョロと周囲を確認する。
「せんせい……」
ポツリと呼びかけた加奈の声に反応し、直子はようやく背後から見下ろす女生徒の存在に気が付いた。
「しば……加奈さん! 良かった……大丈夫?! 怪我は無い?」
美咲たち同様に「転落事故直後」という認識しかない直子は、自分が置かれている状況に混乱している。
「直子先生!」
切羽詰まった声で自分の名を呼ぶ美咲に直子は顔を向けると、驚いた表情で立ち上がった。
「何? え? 美咲さん……どうして……」
「この鎖を外して下さい!」
美咲の声で、とにかく今、自分のなすべき行動を直子は即断する。
「鍵は?!」
「加奈さんが……」
直子の問い掛けを受け、美咲は視線を加奈に向け声をかけた。これまで美咲に対し無反応だった加奈が、その呼びかけに応じスカートのポケットから鍵を取り出す。直子はそれを受け取ると、急いで美咲のそばに駆け寄った。
「何があったんですか?」
美咲の手足にはめられている鎖の錠を解きながら、直子が尋ねる。
「詳しい説明は後で! 私と加奈さんは、佐川さんに監禁されてたんです! とにかく、ここから逃げ出さないと……。」
「佐川さん?」
全ての錠を解き終わり、直子が美咲に疑問の声をかけた。
「あ、バスを運転していたウチの乗務員で……」
答えた美咲がハッと扉に顔を向ける。直子もドアの外に人が近付く気配を感じ振り返った。
「気をつけて下さい……何をされるか分かりませんから……」
危険に備え美咲が直子に注意を促した直後、扉が開く。入って来た男を見た瞬間、直子はその異常な様相に警戒心を高める。
「チッ……『新しい』のを入れるんなら、先に言えよな……あのチビ……」
佐川は長ズボンこそはいているが裸足のうえ、上半身は肌に直接カッターシャツを羽織っているだけの姿だった。手には「想像」で「創造」した酒瓶を持っている。
「もう……あなたの好きにはさせないわ!」
美咲は直子の横に立ち、佐川を睨みつける。未だ状況を完全に理解出来ていない直子だが、明らかに「異常な光景」を前に誰と組むべきかは認識していた。
「どういうつもりですか? 佐川……さん? でしたっけ……」
始めこそ直子の登場に驚きの表情を浮かべていた佐川だったが、思いがけない「新しい玩具」を前にし、嬉しそうに笑いを押し殺す。その様子に、直子は恐怖よりも苛立ちを感じた。何よりも、佐川のそばに立ち尽くす加奈のことが心配になる。
「事故の後……私たちをどこに連れて来たんですか!」
直子の怒声に、佐川はとうとう耐え切れず大声で笑い出した。あまりにも狂気じみた笑い声に、思わず直子がたじろぐ。美咲が肩にそっと手を載せた。
「事情はかなり複雑です。説明は後で……まずはここから逃げましょう……」
「逃げるだと?」
美咲の言葉に反応し、佐川が口を開いた。
「どこに逃げようってんだ馬鹿女。もういっぺん、死んで頭を冷やすかぁ?」
佐川が手を伸ばすと、その手にはいつの間にか拳銃が握られていた。
え?
まるで手品のように現れた銃口から、耳を裂くほどの破裂音と硝煙が立ち上る。同時に「何か」がそばを通り過ぎて背後の石壁に当たる音を聞き、直子は振り返り確認した。
本物の……銃?
「さぁて……おい、加奈」
佐川の呼びかけに、加奈の肩が一瞬「ビクッ!」と反応する。
「なぁんで、アイツの鎖が外れてんだ? 鍵はぁ?」
突然の銃撃のショックで呆然と立ち尽くしていた直子の視線が加奈に向く。佐川は左手に握る酒瓶を、テーブルの縁でゴリゴリこすっている。右手の銃口は、まだしっかり直子と美咲に向けられていた。
「お前が渡したのかぁ? 良い子なら、ちゃんと言い付けを守ら無いとなぁ……それがルールだろ、加奈ぁ」
「あ……ご……ゴメンなさ……い」
パリーン!!
佐川は突然、左手で握っていた酒瓶をテーブルの角で叩き割る。そのまま、注ぎ口を握った状態で、鋭利なガラスの断面を加奈の眼前に突き付けた。無表情だった加奈の顔が、見る見る恐怖に歪み青ざめて行く。
「誰が悪いんだぁ?」
「ゴメンなさい『お父さん』! 私が悪い子でした! ゴメンなさい!」
恐怖に震える加奈は慌てて石床に突っ伏し、佐川に土下座をする。
「何を……」
銃声に硬直していた直子が、目の前の光景に我を忘れ抗議の声を上げようとした。しかし、佐川の銃が2度目の火を噴き、その声を掻き消す。
「キャッ……」
隣で身をよじった美咲に、直子は顔を向けた。壁に背を預けて踏み止まった美咲は、左腕を抑え苦痛に顔を歪めている。
「黙ってろよ、センセェ。これは俺と加奈の問題なんだからさぁ」
異常な狂気に光る佐川の目が、直子を睨みつける。しかし直子は、銃口と美咲を結ぶ線上に身を動かし、佐川を睨み返した。
「その子は私の生徒です! あなたこそ何なんですか! すぐにやめて下さい! こんな暴力を振るって……恥ずかしく無いんですか!」
言葉を終えるより早く、佐川の左手から割れた酒瓶が直子に向けて投げつけられた。しかし直子が身を避けるまでも無く酒瓶は脇に逸れ、石壁に当たり砕け落ちる。
「やっぱ先生にも、ここのルールを身体に覚えさせなきゃ分かん無ぇかぁ? 立て! 加奈」
臆することなく両手を広げ美咲を守りつつ、真っ直ぐ睨みつける直子に対し、佐川は銃口をしっかり定めたまま加奈を立たせた。
「その子に手を出さないで!」
直子の絶叫に、佐川はイヤらしく笑う。
「大人の言う事をちゃんと聞く『良い子』だぜぇ、コイツは。ちょっと、頭が弱い馬鹿だけどよぉ」
「何を……」
抗議を発しようとした直子は、加奈に差し出す佐川の左手に目を向けた。いつの間にかその手には日本刀が握られている。
「……何でも……創り出せるんです……佐川さんは……」
背後から美咲がささやいた。異常なことが起こっている……直子はとりあえずそれだけを理解する。
「今から……」
佐川が加奈に日本刀を持たせた。何をさせられるのか分からず、加奈はおどおどとした表情で佐川と直子を交互に見る。しかし佐川は、刀を握る加奈の手を左手でポンポンと軽く叩き言葉を続ける。
「今から加奈がお前らを斬るから、何もせずに大人しくしてろ。俺は加奈の頭に狙いを定めておくから……お前らが抵抗したら、加奈の頭が吹き飛ぶぞ? さ、加奈……20秒でやって来い」
「加奈さんはマインドコントロールされてるんです……助けて上げないと……」
美咲からの情報に直子はうなずいた。指示を出された加奈の目から光が消える。刀を握り、ゆっくり近付いて来る加奈を見つつ、直子はこの状況から逃れる術に思いを巡らす。
「私が佐川さんを止めます。先生は加奈さんの武器を……」
背に隠れて美咲が早口に指示を出した。直子はうなずき、視線を加奈にだけ固定する。刀の間合いまであと数歩と近付き、加奈は両腕を持ち上げた。
「はいっ!」
美咲からの合図で、直子は加奈に向かって飛び掛かる。刀を振り下ろす間も無く、加奈は直子と共に床に倒れた。
「この!」
まさか直子がこんなに早いタイミングで抵抗すると思っていなかった佐川は、銃口を定めるまでの間が開いた。その間に、美咲は足元に落ちていた酒瓶の口部分を拾い、思い切り佐川の顔を目がけて投げつける。
「ガッ……」
予想外の方向から、ガラスのかたまりを右目と鼻の間に投げつけられた佐川は、呻き声を上げ顔を押さえた。その拍子に、銃を取り落とす。加奈を組み伏せた直子は、とにかく夢中で床に投げ出された日本刀を掴み立ち上がった。
「先生、ナイス!」
美咲も駆け出し、佐川が落とした銃を足で蹴りはらう。銃は直子のそばまで滑って行く。
「クソッ!」
状況を察知した佐川は、目を閉じたままで美咲の気配に腕を振りはらう。だが美咲はその脇を抜け、直子たちのそばまで駆け寄った。
「先生、加奈さん! 早く逃げましょう!」
美咲は2人に声をかけ、扉が開いたままの部屋の出口に向かう。直子は刀を左手で持ったまま、床に倒れる加奈に右手を差し出した。
「加奈さん! 立って!」
半ば強引に加奈を立たせ、刀を佐川に向け反撃を警戒しつつ、直子も入口に移動する。
「馬鹿がッ!」
しかし、すでに目を開いていた佐川が両腕を前方に差し伸ばすと、両手には新たな銃が握られていた。
「いっぺん死んで来い!」
佐川はためらわずに引き金を引いた―――だが、佐川と直子たちの前に突然現れた「光の壁」が銃弾を消し去る。
「え……」
「はぁ?」
直子と佐川の驚きの声が同時に発せられた。光る子どもの顔は「3人に対し正面を向いて」ニンマリ笑みを浮かべている。
「テメェ……」
「誰……」
3者3様に応じると、光る子どもは語りかけた。
「やっぱり、この2人はボクに返してもらうよ」
「はぁ?」
光る子どもからの突然の宣言に、佐川は困惑と不服のこもった声を洩らす。
「馬鹿野郎! 今からが『お楽しみ』だってのに……」
「大丈夫だよ。キミはこの先も『楽しめる』から」
佐川の苦情を光る子どもは一蹴した。
「じゃ、行こうか」
ニンマリと笑む光る子どもの言葉に、美咲は「ハッ!」として加奈に顔を向けた。
「加奈さんも! さあ!」
美咲が笑顔で手をさし伸ばす。直子も振り向いて加奈に声をかけた。
「一緒に行くわよ、加奈さん」
光る子どもは口角を上げたまま何も言わない。加奈は2人の声に応じ手を差し出そうとした。
「加奈!」
佐川の怒声が響く。上げかけた加奈の手がビクリと止まった。
「おい、加奈ぁ……お前は『お父さん』を裏切るのかぁ? そんな悪い子には、もっとちゃんと言い聞かせないとなぁ!」
「ふざけたこと言わないで!」と直子は叫ぼうとする。しかし、声が出せず、身体も動かせない。視界の端に映る美咲も、どうやら状況は同じようだ。
加奈さん……
佐川はその状況を理解したのか、ますます歪んだ笑みを浮かべた。
「加奈ぁ……悪いヤツらが連れ去ろうとしたら、お前は何て言うようにお母さんから教わったんだぁ?」
その問いかけに、目の光が消えた加奈は淡々と応える。
「私は……お母さんやお父さんと……一緒に居たいです」
何言ってるの加奈さん!
直子と美咲の心の声は発せられることが無い。ただ、目の前で行われているやり取りに困惑と怒りを感じていた。
「さあ、『お父さん』のところへおいで、加奈」
佐川の招きに、加奈が応じ進んで行く。その背を、直子は何もできずに見送るしか無かった。
「じゃあ、行くよ」
光る子どもは直子と美咲を包み込むと、瞬時に姿を消す。佐川が創り出した古めかしい拷問部屋で、その場に残された加奈の頬を涙が伝い落ちた。




