第 36 話 無知なる者
ガラスは嫌い……
え?……誰の声だ? 篤樹はまるで、 鉛のように重たい身体を、必死に動かし声の 主を探そうとした。だが、全く身体を動かせず、 瞼を開く事さえ出来ない。
どうして……ガラスを作ってしまったの……
もう一度あの声が聞こえる。何の話だよ?……これ、誰の声だ? どこかで聞いた事が……篤樹は 薄暗い部屋の中で目を覚ました。
えっと……ここは……?
柔らかなベッド。薄いが 肌触りの良い、少し冷んやりとしたかけ布団……
片辺が壁に沿って置かれているベッドの逆辺には、1mほどのスペースが通路としてとられている 狭い部屋……薄暗いのはカーテンが閉められているからだ。篤樹はベッドから降りるとカーテンを開く。
途端に、陽の光が部屋の中を明るく照らした。篤樹は 眩しさに思わず目を細める。しばらく待つと、少しずつ目が慣れてきた。
あれ……ガラス?
目の前に窓がある。篤樹は手を伸ばし、そっと窓ガラスに触れてみる。
やっぱりガラスだ……。在るんだ……この世界にも……。でも、あの声は……
篤樹はもう起き抜けの奇妙な「夢」を忘れかけていた。ただ、馬車の中で感じた疑問をひとつ解決出来た気がした。この世界にも「ガラス」は在るのだと。
窓に背を向け部屋の中を改めて確認する。縦長な部屋……左側の壁に寄せてベッドが置かれ、右側は真っ 直ぐ3mほど続く通路。そして扉……
コン、コン
その扉をノックする音が聞こえた。
「あ、はい!」
篤樹はドアに近づきながら返事をした。扉が外から開かれる。
「やあ、アツキくん。時間ですよ。少しは休めましたか?」
エルグレドがニッコリ 微笑みながらそこに立っていた。裁判所にいた時とは服装が違う。カミーラたちが着ていた、エルフ族のようなゆったりした上下の服の上に、フード付きの 外套を羽織っている。手には麻布製の袋が握られていた。
「あ、はい。大丈夫です。あ! それ……」
篤樹はエルグレドの手に持たれている袋に気付き笑顔になる。
「はい、これ。大事な服なんでしょう? ちゃんと管理をしておかないと」
「すみません。ありがとうございました!」
あの後、カミーラたちと裁判所で別れ、王室非常時対策室が借りている宿へ移動して来た。移動の馬車の中で「こちら側」には時計があるということを篤樹初めて知った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「そうですか……では「時間」の 概念はアツキくんの世界と、こちらとは同じ……だという事ですね」
裁判所帰りの馬車の中―――篤樹はエルグレドから「この世界」の時間概念について説明を聞き安心した。ただ、時計事情には大きな違いがある。この世界の時計は電池では無く魔法力により動作するもので、形状が多種多様なのだ。
「これは私の『 懐中時計』ですが……」
エルグレドは上着の内ポケットから 定規のような細長いモノを取り出した。両面に12本の太い目盛り、その目盛りと目盛りの間に細い目盛りが5本描かれている。それぞれの太い目盛りには篤樹が見知らない文字が描かれていた。規則性がありそうな文字形なので、それがこの世界の「数字」だとピンと来る。他にも文字は刻まれているが、篤樹は当然読めない。
「今、この『7』の部分に赤い点があるでしょう? これが『時間』です。で、この青い点、細い線が10分単位なので……今は……10分過ぎ。7時10分を少し過ぎたくらいの時間ですね」
見慣れない形の時計と見知らぬ数字を使い、この世界の時計と時間のミニ講座を受けながら、篤樹は小学2年生の頃を思い出していた。
丸型で針のついた「見慣れた形の時計」なら、数字が読めなくても一目で時間が分かるだろうが……こんな 奇妙な形の時計ばかりでは自分で時間を読むのも難しい。はじめて「時計」を学んだ時のように、こちらの世界の時計を読む勉強も必要だな、と感じる。
でも……時計だけじゃなく、この世界のことを色々と覚えないと!
裁判所での「感情爆発」で吹っ切れたのか、篤樹は「帰りたい!」という気持ちを超え「帰るために、やるべきことをやる!」という気持ちに切り替わって来ていた。
「あっ!」
「どうかしましたか?」
篤樹は「帰る事」を思い出したと同時に、学生服を入れた袋を裁判所に置き忘れて来たことを思い出す。
「あの、すみません………裁判所に忘れ物をしちゃったみたいで……」
焦りながらエルグレドを篤樹は見る。家に帰った時、学生服を無くしたなどと言えば……母親にどれほど叱られるか!……実際には「帰れる」かどうかも分からないし、その時に学生服を着ていようがいまいが、両親がどんな反応をするかなんて分からないが……とにかく自分が自分であるためにも、学生服は絶対に必要なものだと感じていた。
何より、エーミーさんとの大事な思い出の品となってしまったのだから……
篤樹は向かい合って座っているエシャーに視線を向ける。父親……ルロエの腕に頭を預け、窓の外から入ってくる風に目を細めながら、エシャーはジッと外を見ていた。裁判所以来、篤樹とは目も合わせてくれない。篤樹は自分の情け無い「感情爆発」を後悔する。あの時に発した言葉……
『 探索なんかやってる暇は無い!』
あれはマズかったよなぁ……絶対。エシャーが怒るのも当たり前だ……お父さんの自由と命がかかっている、重大な探索なのに……そんなこと『なんか』とか『暇は無い』とか……俺ってどんだけ自分勝手なんだろ……どんだけ~!
「大丈夫ですよ!」
尋常じゃない篤樹の落ち込み方に気を 遣い、エルグレドが声をかける。
「宿に皆さんをご案内した後、私も 残務整理があるのでもう一度裁判所に戻りますから。必ず見つけてお持ちします。ご安心下さい」
「え? あ……はい! スミマセン。お願いします!」
そっか、学生服……袋のことか。うん。ホントにあれがないとへこむや!
篤樹はエルグレドの 勘違いと、心遣いに感謝し、安心した。
「では宿に着いたら手続きをして……そうですね……11時までには戻るので、それから打ち合わせをして……お昼には出発するようにしましょう。 徹夜でお疲れでしょうから、少し休んでおかれて下さいね」
少しは……って……3時間くらいかぁ……
対面に座るエシャーは目を閉じている。眠ったのかな? 篤樹は馬車に差し込む朝日に目を細めつつ、とにかく早く横になって休みたいと願った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あの……どこに忘れてました? これ……」
左右に数部屋の扉がある宿の中廊下を歩きながら、篤樹はエルグレドに尋ねた。
「あ、それですねぇ……裁判所ではなく、詰所から大臣と一緒に乗ってこられた馬車の中にあったそうですよ。 御者が朝方に届けてくれたそうです。おかげで私も探す必要もなく、裁判所に戻ったらすぐに受付の方から渡されました」
馬車の中……そっか、元々持って降りるのを忘れてたんだ。間抜けだなぁ。自分がどこに忘れたのかも分かってなかったなんて……
2人は廊下の端にある階段を下りる。宿は木造の古い建物だ。古いというよりは「歴史を感じる」と表現すべきかも知れない。外から見ると3階建てだが、中は1階から広めの階段が2回曲がりで直接3階までつながっている。吹き抜けのホールに階段は設置されていた。2階部分は宿の主人一家と、従業員住居が設けられているため外階段を使っているらしい。
エルグレドの 配慮で、エシャーとルロエは父娘の時間を少しでもゆっくり過ごせるようにと、空いている従業員家族部屋を使わせてもらっていた。一応「ビデルと同じ宿舎」なので問題は無い……との判断だ。
階段を下り、吹き抜けのホールに立った篤樹は、改めて宿の正面入口にも「ガラスの窓」が使われていたことに気付いた。
「……ガラス」
「え?」
エルグレドが篤樹の呟きに気付く。
「あ……ああ、そうですね。珍しいですよね。初めてですか?」
「え?」
篤樹は、エルグレドが何を言っているのか一瞬理解出来ず首をかしげる。
「いえ、『ガラス』でしょ? 驚かれたのは。王都でも、まだあまり使われていないですからね。こんな地方の、しかも『宿』で使ってるなんて珍しいなと……違いますか?」
エルグレドは、篤樹と自分の会話の内容がズレているように感じたようだ。
「ガラスは 練成魔法によって20数年前に生み出されたものなのですが……」
「20…数年前? それまでガラスは無かったんですか?」
篤樹の驚きに、エルグレドは興味深そうに笑みを浮かべる。
「ええ。それまでは 貴重な水晶を使った練成魔法しかありませんでしたから……一部の特別な施設や富裕層しか所有出来なかったものですよ。アツキくん……君の世界にもガラスはあるんですね?」
「ええ。有りますよ! 普通に……」
「普通にと言うと?」
「え? いや……そりゃ……色んな所にです。家にも学校にも町中に……」
「 凄い! そんなに……」
エルグレドは目をまん丸に見開き驚いている。
え? だって……ただのガラスでしょ?
篤樹は何だか、自分がエルグレドよりも「上」の気分になった。つい調子に乗ってしまう。
「普通の家の窓には、全部ガラスが入ってますよ。窓だけじゃなくって、コップとかお皿とか……あとガラスで作ってある置物とかも!『ビー玉』っていうガラスの 球のオモチャもありますよ!」
そうか! この世界ではガラスはまだ珍しいものなんだ!
篤樹は自分の生活レベルがこの世界よりも高く、文明が進んでいるということに 優越感を感じた。エルグレドは関心したように頷く。
「そうですか……いやぁ、きっとすごい法術士がたくさんおられるんですねぇ……アツキくんもガラス練成魔法は使えますか?」
え? いや……魔法使いじゃなくって……
「ん? でも、『そちら』の世界には法術士……というか『魔法』は存在しないと聞いたんですが……どうやって『ガラスを練成』してるんですか? それほど大量に」
ガラスの……練成? 作り方ってこと?
「えっと、ガラスは……ガラス屋さんが作って……いや、持って来て……いや、えっとぉ……」
篤樹は必死になって考えた。あれ? ガラス? ガラスって……どうやって作ってるんだ?
「私もガラスの練成魔法に挑戦してはみたんですけど、とにかく素材の 抽出や配合比率が難しく、なかなかうまく練成出来ませんでしたよ。 透明度はどうです? この窓のガラスと比べて?」
篤樹は急に恥ずかしくなって来た。あちらの世界にはガラスがあちこちにある……それは本当の事だ。透明度だって、この窓よりは 透き通ってるものもあれば…… 磨りガラスだってある。ステンドグラスだって在る! でも……
「あの……スミマセン。僕……よく分かりません……作り方……」
これまで自分が「当然そこにあるモノ」として見ていた「ガラス」について、何の説明も出来ない無知を自覚し、篤樹は急に恥ずかしくなった。
何も知らないくせに……まるで自分の 手柄のようにエルグレドさんやこの世界より自分が「上」とか……一瞬でも思ったりして……俺って馬鹿だ……
「ん……そうですか……」
エルグレドは篤樹の様子に何かを感じとり、口調を変える。
「それは残念です。何か『ガラス練成魔法』のヒントでも得られれば、と期待したんですが……さ、それよりも皆さんお集まりですから急ぎましょう!」
笑顔でそう言うと、エルグレドは吹き抜けのホールの奥にある広間へ向かって歩き出す。
「あの! エルグレドさん……」
篤樹はエルグレドを呼び止めた。どうしても聞いておきたいことがある。
「ん? どうされましたか?」
「実は僕……お伝えしていない事が……」
エルグレドは足を止めて振り向いた。
「ルエルフの村を出る時にせんせ……湖神様から『タクヤの塔を目指せ』って言われているんです……今回の探索で……行けるでしょうか?」
エルグレドはスッと真顔になった。
「『タクヤの塔』ですか……大陸北部の半島にある古い塔ですが……王国に属していない場所にあるんです。今回は『守りの盾』の回収が最優先事項の探索なので、未属地の北部まで足を伸ばせるかどうかは……難しいですね……」
「そう……ですか……」
「ではこうしましょう! 今回の探索後に私が同行しますよ。『タクヤの塔』まで。ですから今回は『守りの盾』を一刻も早く持ち帰ることに御協力いただけませんか?」
篤樹の落胆をみてエルグレドは「交換条件」を提示し、ニッコリ微笑んだ。
……そうか……すぐには無理か……でも、今回の探索が終われば行けるんだ! よし、今は……
「あの……分かりました。大丈夫です! ありがとうございます。じゃ、今回の探索が終わったら……よろしくお願いします!」
篤樹もエルグレドに笑顔で答える。どうせ1人で「タクヤの塔」へなんか行けやしないんだから……仕方ないや! この世界の事も……なんでこの世界に来たのかも……何にも知らないんだから……とにかく今はやれる事から一つずつやっていくしかないや!




