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第 273 話 光

 行かなければ……部隊長からの命令に応えなければ……


 スヒリトの知性と理性が、必死に身体の向きを変えようとする。しかし、どうしても向きを変えられない。顔を背けることが出来ない。


 なぜって?


 光る「膜」の向こうに……押し迫る背後からの殺戮の恐怖に、顔を歪め泣き叫んでいる少年の姿を見つけてしまったから……。その横で、事情も分からず、困った顔をこちらに向けている幼い少女と視線を合わせてしまったから……


「軍曹! 聞こえないのか! 早く来いっ!」


 背後から響く部隊長の怒鳴り声は、しっかり耳に届いている。だが……


「う……うわぁー!」


 叫びながら防壁魔法の「光の膜」に向かい、スヒリトは駆け出した。


 マズいって……マズいって! 部隊長に背を向けて、俺は何をやってんだよ! 撤収命令だぞ!「壁」が閉ざされるんだぞ! こんな命令違反なんかやったら、昇任試験どころじゃねぇぞ!


 頭の中で自分を叱責し、なだめ、教え諭そうとするが、全く無理だった。


「無理だ……無理だ、無理だーっ!」


 声に出して泣き叫びながら、厚みを増して来た防壁魔法の膜にスヒリトはぶつかって行く。


「軍曹っ!」


 スヒリトの行動に気付いた部隊長が怒声を発し呼びかける。しかしスヒリトは振り返る事が出来ない。グシャグシャに顔を歪め泣き叫びながら、光の膜に腕を挿し込む。


 膜の向こう側で、スヒリトの行動に気付いた少年が、真っ直ぐ視線を向けて叫んでいる。他の騒ぎに混ざって聞き取れないが、その表情は必死に助けを求めていた。その少年の上着の裾を握ってこちらを見ている幼い少女は、スヒリトの姿をむしろ恐れているようにさえ見える。


「来い……お前達だけでも……早く……こっちへ!」


 厚みが2メートルを超えた「膜」に、スヒリトの両腕は肘まで挿さっている。だが、少年側からは1ミリも押し入ることが出来ない様子だ。先ほどまでの「薄さ」であれば突き抜けられたであろう男性避難民も、もう今は誰ひとり進入を試みようともせず、慌てふためいているばかりだ。


「グゴァアーーー!」


 大きな叫び声が間近に聞こえた。スヒリトは視線を少年から外し、少し上げる。群衆の向こうに、ハッキリとサーガの姿を確認した。「膜」で足止めされている人々も振り返り、自分達の命の終わりが近づいて来たことを察したのだろう、受け入れを拒む「防壁魔法」の前から一斉に立ち去って行く。だが、少年と少女はスヒリトを見つめ、助けを求め続けていた。


「スヒリト! もう諦めろ! 行くぞっ!」


 部隊長がスヒリトを引き戻しに来た。


「隊長! あの子達を……あの男の子と女の子を……お願いします……なんとか……助けたいんです!」


「無理だっ!」


 状況を把握した部隊長だったが、スヒリトの腰ベルトを後ろから掴み引きずり倒した。


「貴様ッ! 何様のつもりだッ! 自我を捨てろ、軍人だろうがっ!  要場(かなめば)へ急げっ!」


 要場……防壁魔法で……あの子達を防ぐために? そんなの……


「早くしろっ!」


「イヤですっ!」


 予想外のスヒリトの反抗に、部隊長は絶句する。


 防壁魔法は、法力増幅素材を用いることにより発現する法術……物理的にも強固な空間凝固魔法である……完全発現によるその強度は、あらゆる物理的・法術的攻撃をも寄せ付けない……。「完全発現した場合」には……


 スヒリトは命令拒否を宣言した直後から、試験に備えて学んで来た知識を必死に呼び覚ましていた。


「な……なんだと? 貴様……」


 部隊長からの叱責はもう耳に入らない。スヒリトは、法力充填呼吸と発現準備体勢に入っている。


 「壁」の発現が不完全な今の状態ならどうだ? 空間凝固がまだ完成していない……空間が固まる前の今なら……貫ける?


 スヒリトの両腕に、過充填された法力光が増していく。不思議と落ち着いていた。これまで生きて来た中で、これほど落ち着いて法力呼吸に集中したことはない。スヒリトは光の膜の向こうにいる少年と少女に視線を向け微笑んだ。そして、法力の溜まった右手を軽く横に振ると、少年はコクリとうなずき少女を抱えるように少し右へ身体をずらした。


「スヒリト……?!……軍曹! やめろ! 何をするつも……」


 部隊長が言葉を発し終わる前に、スヒリトの両腕に溜まった法力光が一塊の大きな球体へ変わり、眼前の防壁魔法に向け放ち出される。球体は周囲の空気を巻き込みながら「膜」に当たると、らせん状に回転して突き進み、触れている「膜」を捻じ切って行く。


「うおぉぉーー」


 その球体をさらに後押しするように、スヒリトは背後から法力を当て続ける。膜内を進む光球の速度が加速し、ついに膜を突き破って飛び出して行った。その軌道上にいたサーガ達も、突然の法撃により吹き飛ばされる。


「早くっ!」


 直径1メートルほどに開かれた「膜のトンネル」に向かいスヒリトが叫ぶと、脇で待機していた少年が幼い少女を抱きかかえ駆け込んで来た。その後ろから、近くにいた他の避難民も何人か続く。


「スヒリトっ! 離れろっ!」


 駆け込んで来た少年と少女を自分の両腕に抱きしめ屈んでいるスヒリトに向かい、部隊長が怒鳴りつける。子どもらと抱き合って泣き叫んでいたスヒリトは目を開いた。


「キャーッ!」


 開かれた「膜のトンネル」をくぐろうとしていた女性が、背後から伸びるサーガの手につかまれ、引きずり出されていく姿……スヒリトは、目に飛び込んで来た光景に言葉を失う。


「来るぞ! 離れろっ!」


 小型のサーガが、崩れた顔面を嬉しそうに歪ませながらトンネルに駆け込んで来た。


 マズイッ!


 スヒリトは子ども達を抱えたまま急いで立ち上がり、開いた穴の直線上から身を避けた。直後に小型のサーガが穴を飛び出し、スヒリト達へ跳びかかる。


「伏せろ!」


 剣を抜いて駈け込んで来た部隊長の姿を真正面に確認したスヒリトは、素直に指示に従い頭を下げた。部隊長の剣が頭上を水平に通過する風圧を感じる。勢いでバランスを崩したスヒリトは、子ども達を前に投げ出し地面に倒れた。


「早く対応しろ! また来るぞ!」


 部隊長の声に反応したスヒリトは身を起こし、背後を確認する。部隊長の剣で、頭部を斜めに斬り分けられた小型のサーガが地面に仰向けに倒れ痙攣していた。その先では、剣を構えた部隊長が穴を抜け出て来る小型サーガを、また1体斬り捨てたところだった。


「はいっ!」


 スヒリトは「膜」から少し距離をとり穴の正面に回ると、すぐに両手に法力充填を終え、狙いを定める。


「ゲシュラファァー!」


 部隊長の剣を逃れた1体が、真っ直ぐスヒリトに跳びかかって来たが、即座に攻撃魔法を放って粉砕する。トンネル内に居た3体ほどを排除する頃には穴もかなり塞がり、防壁魔法は1枚の巨大な壁へと完成の姿を見せ始めた。


「おじちゃん!」


 ひと安心の空気が伝わったのだろう。少年と幼い少女が、法力充填を解いたスヒリトに向かい駆け寄って来た。スヒリトは両手を広げ子どもらを抱きしめる。


「……移動するぞ、スヒリト。壁が厚くなって来た」


 部隊長は息の整った落ち着いた声で語りかけた。


「勝手な真似をしやがって……」


「すみません……でも……」


 左右の手で子ども達それぞれと手をつなぎ、スヒリトは部隊長の後に続いて歩き出す。


「あの女性は……外の人々は……」


 スヒリトの脳裏に、先ほど目にした女性の顔……恐怖と絶望に涙を流しながらサーガに引きずり出された女性の姿が浮かんだ。


「……助けられませんでした」


 再び、涙が頬を流れ落ちる。そんなスヒリトの顔を幼い少女は不思議そうに見上げ、少年は唇を噛みしめ涙をこらえていた。


「スヒリト……」


 部隊長が立ち止まり振り返る。


「つかめなかったモノを嘆くのではなく、つかみ取ったモノを喜べ……。お前の腕は2本しか無い。その両方でつかんだ勝利を今は喜べ! でなきゃ……しんど過ぎるぞ……」


 スヒリトが左右の手それぞれで強く握りしめている子ども達に、部隊長は笑顔を向けた。そして、スヒリトの肩に手を置く。


「さっきの命令は撤回だ、スヒリト軍曹。新たな命令を与える。この騒ぎが落ち着くまで『未来の光』となるこの子達を守れ! 良いな?」


 こらえていた様々な感情が、ついに崩壊する。スヒリトは、部隊長と子どもらの前で恥も外聞も無く 嗚咽(おえつ)しながら応じた。


「グ……グズッ……ス、スヒリト……軍曹……よろ……こんで……拝命……いた……します!」



◆  ◆  ◆  ◆  ◆


 壁外防衛前線から撤退して来た部隊や負傷兵に中央軍部基地は溢れていた。基地内療養棟に収容しきれない傷病者は屋外テントだけでなく、路上に敷いたシートの上に寝かされ、医療法術兵による治癒魔法を待つ状態が続いている。


 ヒーズイットは中央司令棟作戦指令室の窓から、路上にまで広がっている傷病兵処置の状況に溜息を洩らす。


「この後……どうなってしまうか……予想はつくかね?」


 隣の窓から同じように外を見つめるビデルに、ヒーズイットから声をかけた。


「さあ? 仮にこのままの籠城が可能だとしても、壁内の備蓄食料では1週間ももたんでしょうなぁ。そのことに気付いた者達が奪い合いを始めるまでに……3日とかからんでしょう。各地に散っている兵力が援軍として集まって来るかどうか、それも怪しいものです。指揮系統が完全に断たれてますからな」


「そんな…… 他人事(ひとごと)のように……」


 ビデルの回答に、ヒーズイットは呆れて頭を振った。


「ふん……共喰いでも始めるか? 愚かな短命種どもは」


 ウラージが椅子に腰かけ、足をテーブルの上に投げ出した姿勢で口を挟む。


「緊急伝令です!」


 突然扉が開かれ、兵士が駆け込んで来た。


「緊急であってもノックくらいはせんか!」


 床に転がしているユフの民の女性を屈んで観察していたヴェディスが、驚きのあまりに飛び上がって注意する。


「は……? あっ! 失礼いたしました!」


 兵士はヴェディスに気付いて謝罪を述べると、すぐにヒーズイットに向き直り姿勢を正す。


「なんだ?」


「はい! 長城壁の防壁魔法は無事に発動し、各要場にも続々と法術士が集結しております。……ただ、完全発動以前に、北門と西門から数十体のサーガが壁内に侵入したもようで、各地で剣術兵を中心に応戦しております!」


 伝令を終え、特にヒーズイットからの返令がないことを確認すると、兵士は速やかに退室して行った。


「共喰いで滅びる王国か……この国らしい最期なのかも知れませんな」


 ヒーズイットは誰にともなく自嘲気味にそう語ると、再び窓の外へ顔を向けようとした……その瞬間、真昼の陽の光よりも眩しい真っ白な閃光に、王都全体が包まれた。


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