第 25 話 告白ゲーム
篤樹とエシャーはエルグレドに案内され、開廷までの控え室に入った。低いテーブルを 囲む3人掛けのソファーが2本と、1人用ソファーが2つ置いてある以外は何もない部屋……窓さえもない 殺風景な部屋だ。
「私は一度、裁判長とビデルさんの所に戻り、おふたりが重要証人の役を引き受けてくれたことを報告して来ます。……30分くらいで戻って来られると思いますので、それまでこの部屋で待っていて下さい」
エルグレドはそう言い残し、部屋から出て行ってしまった。エシャーと2人きりになった篤樹は、なんだか変な緊張感を覚える。エシャーはまだ不安そうにうつむいていた。別に……ただ友だちの女の子といるだけ……女の子とは言っても、ただの友だちだ。卓也と2人でいるのと同じだ!……そう思っていても、何だか変な緊張に襲われる。
あの時も……こんな感覚だったよなぁ……
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
中学2年の 晩秋―――陽が沈むのが急に早くなってきた時期……町を歩くと、あちこちからクリスマスソングが聞こえて来る。ついこの間までハロウィン一色だった店頭に、サンタクロースやクリスマスツリーが並び出す。
元々、 陸上競技が好きで陸上部に入ったわけではない篤樹だったが、秋の地区大会で「準優勝」の高成績を出して以来、「ちょっと本気で部活に取り組んでもいいかな」なんて思い始めていた。しかし……
「賀川ぁ! ハードルの片付けを手伝って欲しいのじゃ!」
高山遥が、グラウンドの隅に立つ篤樹に向かい声をかけてきた。
「無茶言うなよ。まだ『これ』だぜ?」
篤樹は 松葉杖を持ち上げ、自分の足の 怪我をアピールする。
秋季大会後、一応「地区2位」の成績を出したことで、短距離走へ取り組むやる気を持ち始めたのも 束の間、急に寒さが強まった先日の練習中に 大腿屈筋群断裂の怪我を起こし、3週間の安静を言い渡されてしまった。いわゆる「 肉離れ」……たかが肉離れ、されど肉離れである。怪我をした直後は、太ももを引きちぎられたような痛みだった。
顧問の岡部から、練習に対する準備不足を部員全員の前で 叱責された。確かに気温の変化を 考慮せず、いつも通りのウォームアップだけで、しかも、岡部が来ていないのを良い事に部活仲間での「シャトルラン・バトルロワイヤル」をやった自分の 愚かさを否定は出来ない。
しばらく部活を休もうかとも思っていたが岡部からは「見学」を言い渡された以上、走れなくても部活に出ないわけにはいかなかった。
「それにしても松葉杖とは 仰々しいのぉ。普通に歩けんのかぁ?」
「まだ痛いし、普通には歩けないんだよ!」
遥の心無い突っ込みに篤樹は腹が立った。
マジで痛いんだよ!……松葉杖は自分でも 大袈裟だとは思うけど……
「やれやれ…… 障害走は好きなんだけど、毎回のハードル出し入れは 身体に堪えるぞ。なぁ、賀川。復帰したら障害に 転向せんかぁ?」
「はぁ? ヤダよ」
遥からの突然の申し出に、篤樹は即座にダメ出しをする。
「障害にも男子がおればなぁ……」
篤樹たちの部の障害走選手は現在女子のみ……遥の他には1年女子2名の3名しかいない。
「お前、俺をハードル 運搬係にしたいだけだろ!」
「いやいや、お 主は見所あると思って 誘っとるんじゃ。……なあ、一台だけでも運んでくれんかのぉ?」
「イヤだよ!」
遥は大袈裟なタメ息をつくと、グラウンドに並べているハードルに向かってトボトボと戻っていった。確かに体育用具倉庫から一番離れた場所が障害走組みの練習コースというのは可哀想な気もする。元気な時にはたまに手伝ってやったりもするが……今はさすがに 勘弁してくれよ!
「賀川ー! 今日はもう上がっていいぞー! 先生戻って来ないってさー!」
少し離れた場所で練習後のストレッチをしている集団の中から、3年生が声をかけて来た。引退後も可能な限り駆り出されるのが陸上部の伝統になっている。
何だよ! 岡部が終了ミーティングに来ると思ってたから残ってたのに!
「はーい! お 疲れしたー!」
篤樹は見学という名の 無駄な時間を一秒でも早く切り上げようと、すぐにグラウンドに背を向けて立ち去ろうとした。
「あ、賀川君。ちょっといい?」
振り向くとそこに、同じクラスの 渋谷しずと妹尾涼香が立っている。
「おおっと! 渋谷と妹尾か。どした?」
2人とも、2年から同じクラスになったクラスメイトだ。1年の時の印象は……全く無い。2年になってからも、言葉を交わした記憶も特にない2人だ。いつも渋谷・妹尾とあと1人、氷室鈴の3人が、磁石のようにかたまって過ごしている姿を見かけるだけだ。3人とも女子バドミントン部に入ってるってのは知ってるけど……。今日は氷室は一緒じゃないんだ?
「あのね、賀川君。ちょっと質問なんだけど……」
「俺に? 何?」
このような形で、女子から 改まって声をかけられる経験など無い篤樹は、段々と緊張してきた。
何だろう? 何か怒ってるのかなぁ?
篤樹の緊張を気にもせず、渋谷しずと妹尾涼香は何故か2人で小突き合い始めた。話がまとまったのか涼香が一歩前に出る。
「あのね? 賀川君、あのさ……遥ちゃんと……付き合ってるの?」
はぁ? 何を言ってんだ?
篤樹は一瞬にして頭の中がグルグル混乱した。その目の前で2人は変な盛り上がりを見せ、キャイキャイと騒いでる。
と、とにかく、何か知らないけど変な誤解があるみたいだ、打ち消さなきゃ!
「お、べ、はぁ? そんなん、全然無いし……。何だよそれ。え? 俺が高山と? 有り得ねぇ!」
これで事実を伝えられただろうか? いや、ホントにマジで有り得ないから!
「え、じゃあ違うんだね? そんな雰囲気だからてっきり……」
涼香がニヤニヤしながら答える。それに 被せる 様にしずが口を開く。
「じゃあさ、好きな子とか、いる?」
は? コイツら一体何を聞いて来てんだ? 好きな子?……って、なんだ? 好きな女の子って事だよなぁ? そんなの……
「いや、別に……。いないけど……」
あ、別にちゃんと答えてやる必要なんてないじゃんよ! なんで俺、個人情報を簡単に教えちゃってるわけ?
篤樹は全く不慣れな場面に 動揺してしまい、なんだか2人にグイグイと押されてしまう。
「ホント! じゃあさ、ちょっと待ってて!」
2人は篤樹の返事も聞かず、キャイキャイはしゃぎながら 校舎の2年生用出入口に駆け込んで行った。ややしばらくすると「3つの人影」が出てくる。かなり辺りが暗くなっていて見えにくいが、渋谷しずと妹尾涼香の2人に連れられるように一緒にいるのは……
「あ、ゴメンね。お待たせ! ちょっとさ、 鈴が話があるって!」
しずはそう言うと篤樹の前に氷室鈴を押し出し、自分たちは小走りで2年生用出入口へ戻って行く。
「もう!……あ、ごめんね賀川君……。2人が変なこと言わなかった?」
氷室鈴は申し訳無さそうに篤樹に謝った。
「いや、別に……」
篤樹はこれから起こるであろう出来事に何となく 薄々勘付き始める。これって、アレだよな? マンガとかテレビとかで見る……
「あのね、えっとぉ……」
鈴は発する言葉を一生懸命頭の中で選んでいるようだ。
氷室鈴かぁ……
同じクラスだけど全く印象に残ってない子……別に可愛いとか可愛くないだとかの評価を、篤樹自身も感じたことが無いし、他の男子から聞いた事もない。普通によくいる女子……。篤樹にとって氷室鈴の印象は良くも悪くもない。「女バドの3人組」という一塊で認識しているクラスメイトに過ぎない。
そんな子から? まさか……
「えっとね、この間 しいちゃんとりょっ子と話してた時にぃ、気になる男子の話になってね、で、私が、賀川くんとかカッコイイなぁって言ったら、なんか2人から告白したらぁみたいな話になっちゃって……」
ほら! ほら来ちゃったよ! どうするよ? 俺!
篤樹はなるべく平静を 装おう努力をした。だが、その努力がかえって心身のバランスを 崩させてしまう。
「え、あ、そういうこと? あ……ありがとね。えっと、あ!」
しどろもどろに答えている間に、松葉杖に変な体重のかけ方をしてしまい「ガクン!」と後ろ向きにヨロけ、尻もちをついてしまった。うわっ! かっこ悪ィ!
「あ、大丈夫? 賀川君!」
鈴は篤樹が立ち上がるのを助けようと、しゃがんで腕を 握る。
「痛てて……。あ、ごめん。ありがとう。大丈夫だから……」
篤樹は変な倒れ方をした事と、こういう形で女子に腕を持たれた恥ずかしさで早くこの場を立ち去りたくなった。校舎の2年生用出入口からさっきの2人の笑い声が聞こえる。
クソッ! なんか見世物にされてるじゃん!
篤樹を助け起こした鈴は心配そうにもう一度「大丈夫?」と聞き、改めて口を開いた。
「それでぇ……あのぉ……もし良かったら、付き合ってもらえませんか?」
―――・―――・―――・―――
「で? あんたどうしたの?」
家に帰った篤樹は「女の子部屋」に入り、姉の 綾香と話してる内に人生初の告白を受けた報告会をする 羽目になっていた。いや、自分からそのネタを話したかったのかも知れない。妹の文香は母と一緒にリビングでテレビを観ている。
「そりゃ……どうすりゃ良いか分かんなかったから、とりあえず『ゴメン』って言って断ったよ……」
「あーあ、やらかしちゃったねぇー! このリア充崩れめ!」
「なんだよそれ!」
篤樹は「断った後」の鈴たちの姿を思い出す。「泣きながら走り去る少女」を演じる役者のように、2年生用出入口にかけ戻った鈴……迎え入れたしずたちは、もうキャイキャイと笑ってはいない。
花壇の横に置いていたカバンを取り、松葉杖をつきながらゆっくり校門に向かう篤樹に聞こえる大きさで「サイテー……」なんて声を投げかけられた。
なんだよ、それ!
「それって俺が悪いの?」
篤樹は姉に食ってかかる。あの3人には明日、何て言われるか分かったもんじゃない。どうせ何も言い返せやしないんだろうから、とにかくこんな理不尽な扱いへの 抗議を誰かにしたかった。綾香はそんな篤樹の心情を察してうなずく。
「そりゃ、断るにしても言い方とかタイミングとかあるでしょよ?」
「じゃ、なんて言えば良いんだよ! 別に好きでもなんでもない子と付き合うなんて出来ないだろ? 断り方なんて分かんないよ!」
「女心の研究がお前には足りないんだよ!」
何だよ、女心の研究って! 知るかよ! メンドクセーなぁ!
篤樹は「人生初の告白」を受けた事自体は、自分でもどこかで喜んでいた気はする。でも、そのための対応を研究するなんてのは面倒臭くって絶対にいやだと思った。
「ところで姉ちゃんはさぁ……その……告白とかしたことあんの?」
年頃の男女とは言え、生まれた時からの付き合いの姉弟は 喧嘩もするが仲も良い。篤樹は「身近な女子」の気持ちを聞く良い機会だと思った。
「私はねぇ、告白された側なんで。テヘッ!」
「はぁ? いつ?」
「夏休みに。部活の先輩からね」
初耳だ……
「そ、それで?」
「付き合ってるよ。今」
篤樹は姉から渡されたスマホを手に取って見た。……まあ、何というか……
「のび太?」
バフッ!
綾香の手にしていたクッションが、勢いよく篤樹の横っ面に叩きつけられる。
「痛ぇな!」
「失礼なヤツめ! すごい先輩なんだぞ! 頭も良くってA大学の 推薦ももらえそうなんだから! 何より、あんたと違って大人で優しくって面白い!」
それからややしばらく綾香の彼氏自慢が続いた。篤樹も人の恋愛話を聞くのは嫌いじゃない。特に姉の話なので途中途中で茶々を入れながら姉の「恋愛デビュー話」を楽しむ。
「でもさ……」
ひとしきり綾香と彼氏さんの馴れ初めからの話を聞いた後、篤樹はまた自分の話に戻した。
「姉ちゃんは4月からその先輩と部活で一緒に過ごしててさ、どっかで『いいなぁ』って思えてたわけじゃん? 俺の場合はホントに急な話だったんだからさ、やっぱ俺が悪いわけじゃなくね?」
「そぉねぇ……」
「大体さ『好き』ってなんだよ? 全然分かんないだけど。姉ちゃんは先輩のこと『好き』なんだろ?」
「う~ん、何かあんたの言う『好き』ってのと私の『好き』ってレベルが違う気がするんだよねぇ。あんたら中学生の『好き』は食べ物の『好き』レベルの感覚しかないんじゃないかなぁ? ゲーム感覚っていうかなぁ……。高校に上がればそんなレベルの『好き』とかじゃない感覚が分かると思うけど……」
綾香は真面目に答えてるつもりだろうが、篤樹は姉が上から目線な態度で語っているように感じムカッとする。で、お決まりの口喧嘩に発展し、やがてリビングから母が怒鳴り込んでくる事態になってしまった。
なんだよ!「ゲーム感覚の好き」ってさぁ! そんなんでサイテー呼ばわりなんか、ザケンなよっ!
篤樹はその夜、結局、ムカムカした気分で床についた。




