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第 232 話 黒水晶の娘

「なぜ……私の名前を……」


「あら? 有名人ですもの。皆さんご存じですわ」


 目を見開き驚いているミッツバンに向かい、レイラは微笑みを浮かべ、当然のように答える。


「エルフの……御婦人でしたか……」


 ミッツバンの目に疑いの色が広がって行く。レイラは視線をそらさずしばらく笑顔を向け、その変化を見ていた。


「……特別居住区の……どちらへお越しで?」


 レイラからの返答を予想しながら、それが思い過ごしに終わる事を期待しつつミッツバンは尋ねる。


「この状況で、私が他の方に用事がある……なんて思われますの?」


「バスリ……」


 ミッツバンはバスリムに向かい、馬車を停めるよう指示をだそうとした。だが、レイラの右手がしっかりと攻撃魔法態勢を整え、自分に向けられている姿をみて口を閉ざす。


「あの御者さんのお名前は?」


「……バスリムだ。なぜそんなことを聞く? 私に用があるんだろ? 御者には関係が無い。巻き込まないでやってくれ」


 レイラは笑みを浮かべたまま右手を下げる。しかしミッツバンも法術士ゆえに、それで安全になったとは考えない。いつでも強力な攻撃を仕掛けて来られるだけの大きな法力を感じ、仕方なくレイラに従う。


「ミゾベさん……お顔だけでなくお名前も変えられたのね」


「ミゾベ?」


 レイラの呟きにミッツバンが顔をしかめる。


「あら? ご存じなかったのですの?……そう……」


 ミッツバンの様子から、レイラは何かを感じ取ったように満足気にうなずいた。


「何が目的だ? エルフ族協議会に睨まれるようなことは何もしていないぞ? まさかエルフともあろう種族が金品目当てということもあるまい……。人間ならまだしも、エルフから個人的な怨みを買う覚えも無い!」


 高齢とはいえ法術士でもあるミッツバンは、眼光鋭くレイラを睨みつけながら尋ねた。


「まあ、心外な……。法術士なら、私がそのような 下賤(げせん)な理由でここに居るなど、 微塵(みじん)も感じられるはずがございませんわ」


 レイラは変わらず、涼し気な笑みを浮かべたまま答える。


「私がお伺いしたいのは……『ガラス錬成魔法』についてですわ」


「ガラス錬成? そんなもの……今じゃ私よりも職人法術士達のほうが詳しいぞ? ガラス錬成をしたいのなら良い職人を紹介して……」


「ベルクデさんのこと……」


 拍子抜けしたように語り出したミッツバンの言葉を、レイラは一言で断ち切った。


「……ベルクデ?」


 しばらくの沈黙の後、ミッツバンが尋ねるようにベルクデの名を繰り返す。予想外の名が出されたことで困惑したが、レイラの意図を探るためにも話を聞く心の準備が必要だった。


「テリペ村でお会いしたのですのよ。あなたの師匠ベルクデさんに」


 レイラは穏やかに語るが、その微笑みとは裏腹に、ミッツバンの表情の変化をわずかにも見逃さない鋭い視線を向けている。


「ああ……あの人のことか……。まったく、とんだ大ボラ吹きの男だよ。何だい? あんたもアイツに騙された口か? 以前にも何人かが騙されて、わざわざ私に確認に来た連中もいたが……」


「私を (あなど)ってらっしゃるのかしら?」


 嘲笑を浮かべ説明を始めたミッツバンに向かい、レイラは冷ややかに言い放つ。


「エルフの眼を、まさか人間の言葉で誤魔化せるとでもお思い?」


 ミッツバンの瞳に恐怖の色が浮かんだ。


「あ……いや……」


「ベルクデさんは『たまたま』チガセの御夫婦から特別なガラスの球を手に入れた……それは真実。御本人はその組成を自分が解き明かしたとおっしゃってたけど、それは嘘。あなたなのでしょう? ガラス錬成を完成形にまで整えたのは」


 レイラはミッツバンの恐怖を 払拭(ふっしょく)するように、穏やかな口調で語った。ミッツバンは驚いた表情でレイラを見つめ、フッと笑みを浮かべると肩の力を抜く。


「参りましたな……いつからエルフ族協議会は内調の真似事を始めたのですかな?」


「ただ単に私個人の興味でしたわ。ガラス錬成技術の発祥が世に広められている事実と違うとなれば、是非とも真実を知りたいと思いましたの。初めはね」


 ミッツバンがピクリと反応を示す。


「『初めは』と? では今は別の理由が?」


「そう。初めはただ単に、私個人の知識欲を満たしたかっただけでしたの。でも、ある友人から『ガラス』にまつわる興味深いお話を聞いて……少し見方が変わりましたの」


 レイラは視線をミッツバンからそらさずに続けた。


「貴方が聞かれたお話しはグラディーの 怨龍(おんりゅう)?……それとも暗黒時代の黒魔龍?」


 ミッツバンの目が大きく見開かれた。


「やはり関係がおありのようね」


「し……知らん! そんな……神話以前の黒魔龍の話など……」


「あら? 暗黒時代の黒魔龍のお話しを聞かれたのね?」


 レイラが嬉しそうな声を上げると、ミッツバンの動揺の色が濃くなっていく。


「ガラス錬成魔法の原理をうかがって、不思議に思いましたの。なぜこの程度の原理に、人間種だけでなく妖精種までもが数千年ものあいだ気づかなかったのだろうって。水晶は太古の昔からあるのだし、組成的にはかなり類似してるのだから、誰かが気づけばすぐにでも錬成に辿り着けたはずのものですわ。それなのに、なぜ? と」


 ミッツバンはレイラから顔を背けた。


「……あなたにガラス錬成を教えた『女性』にお会いしたいの」


「なっ……」


 レイラの問いは、ミッツバンの顔を自発的に向けさせるに十分な効果が有った。


「お父様と一緒にお会いしたのでしょう?」


 畳みかけるようなレイラのひと言に、ミッツバンはついに観念したように深い溜息をつく。


「……どこまで調べがついているのか分からんのなら……全てを語れ……ということですかな」


「時間を無駄にはしたくありませんの。それに、私はこう見えて案外『情に厚い女性』と評価してくださる方もおられましてよ。あなたのお力にもなれるかも知れませんわ」


 レイラは極上の笑みをミッツバンに向けて答える。


「私の父は……」


 ミッツバンは張りつめていたモノから解放されたように、穏やかな表情で語り始めた。


「……水晶加工法術士として生計を立てていました。ベルクデさんと同業者ってことですな。私は幼い頃から父の仕事を手伝い、共に水晶採掘の旅を繰り返しながら過ごしておりました」


「ベルクデさんと同業者? お知り合いでしたの?」


「いえいえ! 水晶加工法術は個々人の 生業(なりわい)ですから……父とベルクデさんに面識はありませんでしたよ」


 レイラの問いかけに答えたミッツバンは話を続ける。


「良質な水晶が南方で採掘されたとの噂を聞き、私と父はその洞窟へ向かいました。しかし、噂の広がりは早いものでしてね……同業者に採り尽くされた洞窟を諦め、さらに南方へ向かうことにしたのです……」


「禁を冒すほどの南方へ?」


 ミッツバンの言葉尻に 躊躇(ためらい)を感じたレイラが、呼び水を差し向ける。


「……はい。グラディー 抑留地(よくりゅうち)には、同業者達もさすがに入ってはおりませんでしたので……制限線ギリギリまでなら大丈夫だろうと……。しかし、私達が見つけた地下洞は思いのほか奥深くまで続いておりまして……恐らく……制限線を越えて進んだのだろうと思います」


 エルが言っていた「監視のための結界魔法」が及ばないほど、深い地下洞だったということかしら? レイラはうなずきながら話を聞く。


「地の熱を感じるほどに深い洞窟の先に、小さな村なら1つは収まりそうな空洞域を見つけました。そこは巨大な氷柱を思わせるほどに美しい水晶が無数に地より生え出で、天井も壁も、いくつもの水晶で埋め尽くされている伝説の『水晶の谷』だったのです」


「まあ……さぞや美しい光景だったでしょうね」


「ええ……40年前……まだ20歳そこそこの頃の事ですが……今でも目を閉じると、あの神秘的な空間を目の前に見ているように思い出しますよ。あの美しさと……あの恐怖を……」


 一瞬の笑みの後、ミッツバンの表情が強張る。


「そこで……何があったの?」


「私と父は歓喜に溢れました。一生かけても採り尽くせない宝の山を見つけたのですから。しかし……人の欲とは恐ろしいものです。さらに奥へと続く道を見つけた私達は、迷わず前進したのです。その奥で……黒く輝く、見たことも無い水晶を見つけました」


「黒水晶? モリオンのこと?」


 ミッツバンは首を横に振る。


「モリオンのような透明感の無い黒水晶ではありません。何と言うか……漆黒の闇のようでありながら透き通っておりましてね。高さは3mほどだったでしょうか……柱のようなその黒水晶に、私達は吸い寄せられるように近づきました。そして、気づいたのです」


 その時の光景を思い浮かべるように、ミッツバンは目をしばらく閉じ、気持ちを整える。


「その黒水晶の中に……人影が見えました。人が……若い娘がその中に閉じ込められていたのです」


 ミッツバンは、レイラが自分の言葉を疑っているのではないかと思い、エルフの眼で真偽を確認させるように、自分の目をレイラにしっかりと向けた。


「続けて下さいな。真実を……」


「……信じ難い話ですが……全て真実です。黒水晶の中に閉じ込められていた娘は……生きておりました。構造は全く読めませんでしたが、硬い水晶の中に在りながら、娘は眠っていたのです。呼吸で胸が動いているのを見た時……私は恐ろしくなり後ずさりました。しかし、父は逆に引き寄せられるように黒水晶に近づき、両手でその表面に触れたのです」


 ミッツバンは言葉を選ぶように息をついた。


「……一瞬の出来事でした。父の身体が小刻みに震え出し……粉々に弾け飛んだのです。私は (そむ)けた顔を戻しました。その時、黒水晶の中の娘の目が開いているのを見ました。私はその場から動くことが出来ませんでした。娘の目が、私に向こうとした時……直感しました。私も父のように砕け散って死んでしまうのだと」


「……でも、助かった……どなたかに助けられたのかしら?」


「はい。……不思議な方でした。突然現れたのです。その女性は……その身体はまるで光の粒が密集して形を成しているような姿でした。私からは触れることは出来ないのに、彼女は私を (つか)むことが出来るのです。彼女は私の腕を掴み、黒水晶から遠ざけるように、先ほど話した水晶の谷まで急いで引っ張って行きました」


「光粒体の女性……お名前は伺えたのかしら?」


 レイラは、この女性がエルグレドの話していた「鏡の中の女性」だと直感的に理解した。篤樹が語っていた湖神……小宮直子と同一人物なのか興味を抱く。


「いえ……ただ、その方から黒水晶の中の娘の事を聞いたのです。あの時……父の突然の死と、恐怖によって半狂乱となっていた私を憐れんだのか、彼女はしばらくそばに居て、語ってくれました」


「そう……。お名前が聞けなかったのは残念でしたわ。それで? どのようなお話を?」


「黒水晶の中の娘こそが、あの黒魔龍の本体だということ。それを押さえるために、彼女は神話時代から数千年に渡りグラディーの地底深くで封印の務めを果たしていると。でも……その封印の力が段々弱まって来てしまっていること……などを聞きました」


 レイラはミッツバンの目を見つめる。


「別に……誤魔化すつもりはありませんよ。順を追って話してるだけです」


 責めるような視線を感じたのか、ミッツバンは言葉を整え直す。


「その時……黒魔龍が『ガラス』を恐れ、忌み嫌い、執拗に破壊する性質があると聞きました。私はその時初めて『ガラス』という存在を知ったのです」


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