第 230 話 ミラの外出
「ボルガイルさんの部隊ですね……」
ミラの居室に戻って来たアイリからの報告を受け、エルグレドは呟いた。
「ボルガイルって……あの隻眼野郎とピュートと組んでるヤツですか?」
スレヤーは野宿地で出会った内調部隊の 面子を思い出す。
ピュート……あいつかぁ……
篤樹も記憶を呼び覚ました。
「最高法院での決定が下ったのですから、エルグレド補佐官の調査も打ち切りのはずよね。それなのにまだ狙われてるってこと?」
疑念に満ちたミラの感想に、エルグレドは笑みを浮かべて答える。
「ボルガイルさん達は内調のクセに、狙った獲物に対し自分達の存在を知らせるという、変わった趣味をお持ちみたいです。魔法院からの指示なのか、それとも彼ら自身の作戦なのかは不明ですが……とにかく、まだ私に対する興味は薄れていないようですね。充分に気を付けるとしましょう」
「そうね……」
ミラは一瞬何かを考えるように視線を落としたが、すぐに笑みを浮かべ顔を上げた。
「私は今から島外に出ます。何か起こってもすぐには対応できませんから、くれぐれも用心して行動されて下さい。夕食前には戻りますから、食後、お互いに報告の時を持ちましょう」
篤樹はミラの言葉に何となく違和感を感じる。スレヤーも意味深な笑みを浮かべてうなづいていた。
「ワケありの外出……ってことですかい?」
「スレイ……」
エルグレドが笑顔で首を横に振りながら、スレヤーの 不躾な質問を制す。
「では、ミラ従王妃……夜の会合を楽しみにしておきます。さ、私達は昼食まで部屋に戻りましょうか? 食後は楽しい宝物庫見学ですし、ね?」
篤樹とスレヤーを見ながらエルグレドがウインクをする。
どうしたんだろう? 急に……エルグレドさんらしくないなぁ……
「よっしゃ! そんじゃ、部屋に戻りますか! ミラ様もお出かけお気を付けて! ホラッ、アッキー。行くぜ」
スレヤーに 急かされながら、篤樹は室内に残るアイリとユノンに顔を向ける。アイリと一瞬だけ視線が合うが、すぐにそらされてしまった。
「あ……えっと……じゃあ、また……」
ミラへの挨拶もそこそこに3人は部屋を出た。今日の衛兵にフロカは立っていない。顔見知りになっている女性衛兵達が、笑顔で3人の退出を見送った。
「……何か有ったんですか?」
来賓客室へ向かう階段を上りながら、篤樹は小声でエルグレドに尋ねた。
「アイリさんに法術が仕込まれていました」
「えっ?」
足早に進むエルグレドからの思いがけない答えに、篤樹は言葉を失う。
「そういう事でしたかい……何事かと思いましたよ」
スレヤーも声を落とし反応する。
「んじゃ、とりあえずアッキーの部屋で……」
篤樹の肩にスレヤーは腕を載せた。篤樹は鍵を取り出し扉の鍵穴に差し込み、そのまま扉を押し開く。室内に入るとエルグレドが後ろ手に扉を閉める。
「で? どんな法術が?」
「正確には分かりませんが……恐らく盗聴系のモノではないかと」
スレヤーの問いにエルグレドは楽しそうに答える。
「えっ! そんな……アイリはその事……」
「気付いていない様子でしたね。でも驚きました。まさかミラ従王妃も法術使いだったとは……」
「え……そうなんですか?」
エルグレドの話の展開に付いて行けない篤樹は、キョトンとした声で尋ねた。
「あの侍女……アイリさんに法術が施されていることを感じ取られた様子でした。しかも盗聴系だとも 判られたようですね。ある程度の法術士でなければ気付けないレベルのモノに気付かれた……それで、彼らの狙いを探るため、あのような言い回しをされたんです。なので私もそれに応えて退室した、というワケです」
やはり意味が分からない。篤樹は 唖然として、何を問えば良いのか分からなくなった。
「つまりは、だ……」
そんな様子に気付いたスレヤーが、篤樹の肩を軽く揉みながら説明する。
「盗聴ってのは相手にバレなきゃ有効な情報収集の方法だがよ、相手が実は気付いていたら……どうよ?」
スレヤーの言葉で、数日前に内調の盗聴を「騙した」記憶が篤樹の中に甦る。その表情を見たエルグレドが笑顔で頷く。
「そういうことです。ピュートくんの盗聴に気付いたからこそ、あえてミラ従王妃も私も『今日の予定』をお伝えしたんですよ。知りたがっていたそうですから、ちょうど良いですしね。さて……彼らはどちらに姿を現すでしょうか?」
「え……でも……気が付いたんなら……解除とか出来なかったんですか?」
「大丈夫だって! アイリちゃんに害のある法術じゃあ無ぇって!……ですよね?」
エルグレドは篤樹の懸念を理解した。
「スレイの言う通り、人体に仕掛ける盗聴系法術は攻撃魔法ではありませんから。サレンキーとマミヤさんが使った盗聴魔法は空気中の物質を利用し音を集めて聞くタイプでしたから、ある程度強力な法力が注がれていました。しかし、アイリさんに施されているものは、恐らく彼女の鼓膜の振動を利用するタイプだと思います。 繊細な神経を利用するのですから、強力な法力をかけるわけにはいきません。 蜘蛛の糸のように細く弱いものでしょうから、被術者への影響は無いでしょう」
理解は出来ないが、エルグレドが自信に満ちた表情で説明するので、篤樹としても納得する他ない。
「とにかく、解除そのものは簡単です。いつでも出来ますから、しばらくはあちらに『情報』を伝える手段として協力していただきましょう」
篤樹は何となく後ろめたさを感じたが、それがエルグレドの作戦なら、きっと間違いないのだろうと了解した。
でも……なんだかアイリに悪いなぁ……
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「フロカ……お願いね」
ミラは王族用の馬車では無く「貴族用の馬車」に乗り込みながら、御者台に向かうフロカへ声をかけた。ミラは貴婦人の服装、フロカは男性御者の服装で顔をフードで隠している。馬車置き場の職員らも、ミラの「お忍び外出」には慣れている様子で、特に気にかける者もいなかった。
ルメロフの王宮寝所に通されるまで、一年間の「観察期間」が定められている。その間、着心地の悪い「貞操着」を着せられ続けるストレスを理由に「気分転換」としてお忍び外出の許可をミラは得ていた。だが、あと数日もすれば「その日」を迎えることになる……
馬車は壁内王都南西部の特別居住区に向かった。貴族や富裕層のために整備された居住区で、面積に制限のある壁内であるにもかかわらず、1つ1つの屋敷は互いに広い土地が与えられている。
「内調の御用事は、どうやら補佐官のようね……」
移動の車内から後方を常に注意していたが、馬車を追って来る者の姿は確認出来なかった。安心したようにミラは溜息をつく。しばらくすると、馬車は特別居住区の中でも比較的大きな屋敷の庭へ入って行った。
「御予約のお客様でしょうか?」
屋敷の扉前に馬車を停めると、警備要員らしき3人の男と共に身なりの整った初老の男性が近づき声をかけた。馬車の窓を開き、ミラはフロカに1通の封筒を渡す。
「ミッツバン氏からの招待状だ」
フロカは受け取った封書を男性に向かい提示した。男性は封書の裏に貼付されている 刻蝋を目視で確認すると笑顔でうなづいた。
「お聞き及んでおります。どうぞこちらへ……馬車は移動させていただきます」
男性は改めて丁寧にお辞儀をする。フロカは手綱を置くと御者台から降り立った。入れ替わりに警備要員が1人御者台に座る。フロカは馬車の扉を開いた。
「ありがとう……」
ミラはフロカに礼を言いながら馬車を降りると、真っ直ぐ男性に顔を向ける。
「お屋敷の執事をさせていただいておりますコートラスと申します。お待ち申し上げておりました、従王妃ミラ様」
執事の言葉に、ミラとフロカは一瞬身を固めた。
「御心配なく……。この者達も『雇われ』ではなく『同志』に御座いますので……」
コートラスは笑みを浮かべる。警備要員たちも小さくうなづいた。
「……そう。まさかガラス錬成富豪のミッツバン氏が、このような 企てをなされているとは夢にも思いませんでした」
ミラは 一抹の不安をも悟られないよう、姿勢正しく 凛とした声で様子を窺う。コートラスは執事らしい笑みを浮かべたまま目を伏せた。
「『企て』に関しましては、私からは何とも申し上げられません。どうぞ、中へ……」
警備要員の1人がコートラスの前に進み出て屋敷の扉を開く。ミラとフロカはコートラスの後に従い、屋敷の中へ足を踏み入れた。ミラの従王妃宮よりも少し大きな屋敷だ。外観で確認したところ、3階建てになっている。
コートラスは1階最奥の部屋にミラ達を通した。
「ミッツバン氏は?」
通された室内にミッツバンの姿が無いことを不審に感じたフロカが、御者服の下に隠し持っている 剣柄を握りコートラスに尋ねる。
「ミッツバン様は所用で出ております」
予想外のコートラスの言葉にミラは言葉を失う。代わりにフロカが御者服の下から剣を引き抜き構えコートラスに向ける。
「ミッツバンからの招待で出向いたのに、当の本人が不在とは何ごとだ! ミラ従王妃に対する不敬行為だぞ!」
フロカの発言とほぼ同時に、警備要員の男が右手を突き出し攻撃魔法態勢をとった。だが、コートラスはその攻撃を制するように右手を横に伸ばし、笑顔のまま落ち着いた声で答える。
「本日お招きいたしましたのは、ミッツバン様では御座いません。もちろん、ミッツバン様も了解されてはおられます」
「では、どなたが私を呼んだのですか?」
フロカの背後に立つミラが、コートラスを睨みつけながら尋ねた。
「すいませんねぇ、従王妃……」
コートラスが答える前に、背後から声がかけられる。即座にミラとフロカは身構え、声の主へ振り返った。
室内に入った時には誰もいないのを確認した……しかし今、部屋の奥に造り付けられている暖炉の前には2人の男が……1人は顔を包帯で 覆っているために体格から「男」と判断したが……いつの間にか現れ、ミラ達に顔を向けている。
入口前に立つコートラスと警備要員……奥に2人の男……挟まれた!
「騙したのか!」
フロカはミラを背に隠すように後退し、剣を左右の男達に向ける。
「おいおいコートラス! お 前ぇ、どんな説明したんだよ!」
暖炉前に立つ男が驚いた表情でコートラスに尋ねた。コートラスは悪びれる風でもなく答える。
「私が説明を致します前に、こちらの女剣士様が剣を抜かれたのでございます」
「ふざけんな! その『執事しゃべり』は俺の前ですんじゃねぇよ!」
「な、な、貴様ら……」
男達のやり取りにフロカは混乱し、剣先を誰に定めるべきかを迷う。背後のミラに視線を向けると、ミラも事情を呑み込み切れていないようだ。しかし、右手をフロカの肩にそっと載せ、落ち着くようにと思いを伝える。
「……すまないね。そういえば『考える前に動け』と、むかし教えたものでね……」
包帯巻きの男が口を開く。
えっ……
ミラとフロカはその「声」に反応し、暖炉前の男達へ顔を向けた。男は顔の包帯を解きながら言葉を続ける。
「……だが、あれは剣術での話だ。どうもお前の……早とちりは治ってないようだな……フロカ」
暖炉前に現れた男達……情報屋オスリムと……
「 兄……さん……」
「ゼブ……ル……ン」
包帯を解き終えたゼブルンは、両手で顔を拭くように軽くほぐす。その顔を確認したフロカとミラは目を見開き、声が続かない。
「どの道、説明するよか、こっちが早いか……」
オスリムは苦笑を浮かべて頭を 掻きながら呟いた。




