第 217 話 ミゾベ
ミラの居室中央に置かれた円卓を挟み、一方のソファーにはスレヤーが1人で、反対側には篤樹とアイリが座っている。アイリは篤樹の右腕を自分の胸の前に両手で包み、治癒魔法を続けていた。入口の扉左右にはチロルとユノンが立ち控えている。
「……腕はどう?」
正面の長ソファーに腰かけているミラが微笑みながら尋ねた。
「あ……大丈夫です……」「かなり酷い状態です……」
篤樹とアイリが同時に答え、同時に言葉に詰まる。
「なんだぁ? 息ピッタリじゃねぇか!」
スレヤーが笑いながら冷やかすとミラも笑いながら続けた。
「大怪我だけど大丈夫ということね? 他はどうだったのアイリ」
今度は回答者を指名しミラが尋ねる。
「腕の骨折は少し複雑に骨が散ってますので、今夜は続けての法術が必要かと思います。頬骨と鼻骨はきれいに修復出来ましたし、血管と細胞もほぼ修復しましたので後は自然治癒で大丈夫かと診ています。頭部の打撃による骨や内部への損傷はありませんでした」
アイリの答えをミラは満足そうに頷き、視線を篤樹に向け直す。
「 満身創痍とは言え、見事な勝利だったわね。それだけの怪我で、よくあのような一撃を打てたものね」
「んだぜ、アッキー。あの『突き』はなかなかのモンだった。俺でも実戦じゃ滅多に撃てねぇくらいに決まったじゃねぇか。どこで習ったんだよ?」
スレヤーも不思議そうに尋ねた。
「あ……いや……習ったことは無いですよ。……ただ……スレヤーさんが言ってた話を思い出して……『ここじゃ剣の切れ味よりも、突きと叩きに重きを置いてる』って……それで右腕のことを考えたら……打ち合うのは無理だし……で、『突き』しかないなって思ったんです」
「……思っただけで打てるもんじゃねぇべ?」
篤樹の説明に納得いかない様子のスレヤーがさらに尋ねる。
「ですよね……。僕もそう思います。でも……あの時……『突き』のイメージが浮かんだんです。昨夜宝物庫で見た夢……江口の……エグデンの記憶なのか伝心なのか分かりませんけど、あの時にアイツの中で『体験』した感覚が……そうしたら自然に体が動いたんです」
「初代エグデン王の剣術……ね」
確信は持てずとも自分の解釈を語る篤樹に、ミラは相槌を打つように答えた。
「にしてもよ、打ち込みのタイミングといい、狙い場所と言い……ドンピシャだったな! 俺じゃなくても模擬剣で人を殺められる完璧な一撃だったってこった!……っと……危うくな」
感服した声で篤樹を誉めていたスレヤーは、最後の言葉を言い改める。
「……ホントに……無我夢中で集中してましたから……力加減なんか分からなかったし……あの時、ミゾベさんが来てくれて良かったです……」
複雑な笑みを浮かべながら篤樹は答え、ふと思い出したように続けた。
「ミゾベさん……どうなるんでしょうか?」
「あのような形でメルサ正王妃の 逆鱗に触れたからには、お咎め無しとはならないでしょうね……内調解任どころか、王室公務からは外されるでしょう。それだけでなく、命も危うい立場になったわね……『彼』も……」
「ヤツぁ何者なんですかい?」
スレヤーはミラの言葉含みを嗅ぎ取り尋ねた。ミラは一瞬驚いた表情を見せたがすぐに笑みを浮かべ口を開く。
「本当に鼻が利く方ですわね……お察しの通りよ。ミゾベは私ともつながりがあるわ……と言っても、互いの情報を利用し合うだけで表向きには無関係ですけどね」
「あの……どういうことですか?」
関係性が飲み込めない篤樹が尋ねると、ミラはひと息をついて答える。
「王宮内には色々な力が働いてるのよ。お互いの動きを 牽制し、確認し、上手く利用して自分の益を得ようとする力が……それだけでなく、そうした王宮内や省庁の情報を常に監視してる『情報屋』というのもこの国にはいるわ。内部情報というのは、それだけ価値があるものなのよ」
頷きながら話に聞き入る篤樹にミラは微笑む。
「ミゾベは恐らくそうした外部情報屋の手先……『コウモリ』と呼ばれる内通者の一人なのでしょう」
「コウモリか……アイツにピッタリの呼び名ですねぇ」
スレヤーが楽しそうに相槌を打つ。
「そうね……」
ミラも意味深に呟き語る。
「賢い男よ。……正王妃にも取り入っていたし、グラバの周辺とも上手くやってたわ……私とも……ね。文化法歴省に中途採用されて、もう10年近いはずよ。ミシュバにいながらにして、王都とも上手く連携を保ってたところをみると……かなり大きな組織の1員だったようね」
「そんなに……凄い人だったんですか?」
篤樹は驚いたように尋ねるがミラは笑って首を横に振る。
「『凄い人』って話じゃないわ……ただ『優れた情報屋組織』の中の『優れたコウモリだった』って話……」
ミラは濁すように言葉を切った。スレヤーはその様子を見ると、少し上体を前に屈め確認する。
「そんな立場を捨ててまで『あんな行動』を奴が選んだ理由に……心当たりは?」
「……無いわ。あなたは何か思いつく?」
スレヤーの問いにミラは溜息混じりに答えた。
ミゾベさんがタリッシュさんを助けた理由……ただの「人助け」ってワケじゃなかったとしたら……
篤樹はふと思い出したように口を開く。
「あの……」
「ん? どしたい、アッキー?」
「何か思い当たることでもある?」
「いや……そんな大した情報じゃないですけど……あの時ミゾベさんが言ったんです。僕やタリッシュさんを『ここで死なせるワケにはいかない』って……。だから……僕やタリッシュさんを死なせないために飛び込んで来たんだと……」
語りながら、自分の情報には何の価値も無いのではないかと段々消極的な気持ちになり声が小さくなる。
「人死に嫌いな王様の前で……って言ってたあれかい?」
スレヤーが静かに応じた。やはりすでに周知の情報に過ぎないのかと、篤樹は口をつぐむ。だが、ミラはその言葉の意味を探るように、手を口に当て集中し語り出す。
「……それが理由だとしたらあまりにも弱くお粗末ね……でも……『王前での人死に』ではなく……『あの場所での人死に』そのものを防ぐためだとしたら……」
「……どう違うんですかい?」
スレヤーが困惑顔で尋ねる。ミラは自分の考えを整理するように言葉を紡ぎなおす。
「ルメロフ王は全く関係無しってことよ。言い訳のための権威付けに名を出しただけ……王前であろうが何だろうが……『あの場』で人死にが起きては困るような何かが有った……あの場……『あそこ』で人が死ぬことにより何かが起きる……そんな情報を、もしミゾベが掴んでいたとすれば……その『何か』を起こさせないためにも『ここで死なせるワケにはいかない』から、自分のキャリアの全てを捨ててでもと判断した……というのはいかが?」
最後のひと言は、自分でも確信の薄い推察を茶化すように笑顔を浮かべ、スレヤーと篤樹に顔を向けた。
「『あの場』での人死に……『命の犠牲』によって発現するような法術……とかってことですかい?」
スレヤーはミラの推察を満更でも無いと受け止め、笑顔で頷き応じる。
「まあ、 奴さんも正王妃とジンたちから無制限の尋問を受けりゃ、その内に口も割るでしょうや……それか、お得意の『情報交換』で上手いこと逃げきるか……とにかく今はまだ、ここで考えてたって答えは解んねぇって事ですね」
「そうね……」
ミラも自分を納得させるように強く頷く。
「ミゾベが、なぜあのような大胆な行動をとったのか気にはなるけど……早晩ハッキリすることでしょ。さて……と」
ミゾベの行動心理考察の終了を宣言するように、ミラはソファーから立ち上がる。そのまま、壁際に置かれている棚へ歩み寄った。
「チロル、ユノン……アイリ……あなたたちを呼んだのは……」
棚の上に置かれた装飾品箱の中から、ミラは折りたたまれた紙を取り出す。
「エルグレド補佐官の『作戦』のお手伝いをお願いしたいからなの」
「え? 大将の?」
「エルグレドさんの?」
思いがけない提案に、スレヤーと篤樹が 素っ 頓狂な声で復唱する。チロルは静かに拝受の礼を示したが、ユノンは意味が分からずアイリとチロルの対応を窺う。
「どのようなお手伝いをすればよろしいのでしょうか?」
篤樹の右腕を両手で包み掴んだままアイリが尋ねる。
「試合の後にね……アツキとスレヤー伍長が世話になっているお礼をと言われて……ルメロフ王の許可を受けて献身礼の手甲口づけを……省庁職員とは思えない、洗練された儀礼動作だったわよ。あなたたちも 倣うといいわ」
話の途中で矛先が篤樹とスレヤーに向けられ、2人は苦笑いで応えた。
「……でもそれ以上に驚いたのは……これよ」
ミラは折りたたまれた紙を広げる。
「あまりにも自然に……上手に渡されて来たから、そのまま隠し持って来て先ほど中を確認したわ」
そう言うとスレヤーの手に紙を渡す。スレヤーは文面を読みながら段々ニヤニヤとし始め、チラッとアイリに目を向けた。
「気疲れで倒れたりしないのかしら? あなた方の隊長さんは」
ミラがスレヤーに笑顔で尋ねる。
「あの人は、色々策を講じるのが生き甲斐みてぇなとこがありますからねぇ……ま、大将が指示出しする事にゃ間違い無いって信頼してますからね、俺らも……な?アッキー」
「あ、はい……あの? それ……」
会話が前後していることに篤樹は困惑しながら、スレヤーが握っている紙を見つめた。
「補佐官は今日、特別保釈の身だそうよ」
ミラが説明を始める。
「ルメロフ王の保護下での夕食後、房に戻されるまでの2時間ほど、あなたたちとの面談が許可されたらしいわ」
「え! 面談って……会えるんですか! エルグレドさんに?」
篤樹は一気にテンションが上がった。
「但し、面談場所は内調の連中が指定した王城内の一室だそうだ」
スレヤーの説明の意味を篤樹はすぐに理解する。
「……僕らの会話を……盗み聞きするつもり……ですね」
「エルグレド補佐官は秘密保持能力の高いお方だそうね。ルメロフ王の命令で拷問や暴力的尋問は禁じられているらしいけど……たとえそのような手段を用いても口を割らないだろうと思われたんでしょ」
ミラは楽しそうに微笑む。
「仲間内であれば、何らかの情報が交わされるだろうと……そこで気を緩めさせるために、今回の保釈を利用しあなたたちとの面談を仕組んで来た……と補佐官は読んだみたいね」
「じゃあ……会ってもあまり詳しい話は出来ませんね……」
残念そうに篤樹は呟く。ミラとスレヤーはその様子を見ると2人で目を合わせて笑みを浮かべた。
「だから策士の大将が一計を案じて、ミラ様に託されたってワケだ」
一計……作戦ってこと?
「補佐官は大陸一の法術士……『声変え術』もおできになるそうよ」
「声変え? えっと……どういう……」
「つまりは……だ」
スレヤーがかみ砕いて説明する。
「大将が遮音魔法で俺たち3人だけの空間を作ってる間、外で俺らの声で別の3人が会話をしてりゃ、盗聴してるヤツに疑われずキッチリ話が出来るってぇ作戦さ。面白ぇこと考えるぜ、大将はよ!」
「そういう事よ。あなた方も理解できたかしら?」
ミラは侍女たちに確認する。
「面談が終わりましたら、元の声に戻していただけるんですよね?」
チロルが真面目な口調で尋ねるが、表情はどこか楽しんでいるように見えた。
「当然よ。それでね……チロル……補佐官はあなたに『 自分の声』をお願いしたいそうよ」
「わかりました。精一杯務めさせていただきます」
「オレ……私はアツキの声が……アツキさまの声を担当いたします」
アイリが急いで立候補をしたが、ミラは首を横に振る。
「アツキの声はユノンにお願いするそうよ。どう? ユノン……アツキの話し方を真似出来るかしら?」
「え……あ、はい……何とか……頑張ってみます」
「……ってことは……」
アイリが恐る恐るという感じでスレヤーに視線を向けた。
「ってこったな、アイリちゃん! 俺の声担当、よろしく頼むぜぇ」
「……は……い……頑張ります……」
明らかに失望した声でアイリは答える。
コンコン!
居室の扉を叩く音に一同はハッと視線を向けた。スレヤーはエルグレドからの指示書をすぐにミラに返す。受け取ったミラは、それを自分の胸元に隠しながらチロルとユノンに合図を送る。
「失礼いたします」
開かれた扉からフロカが数歩前進し敬礼を表す。
「どうしたの? フロカ」
ミラは部外者がそばにいないことを確認すると、安心した声で問いかけた。
「メルサ正王妃より遣わされた剣士隊3名が、従王妃宮内を調べさせて欲しいと来ております。……ルメロフ王よりの協力依頼書も持参しております。いかがいたしましょうか?」
「王の?……断る理由も無いけれど……何事なの?」
「……先刻、剣士隊に身柄を拘束された男の姿が『消えた』とのことです」
え? ミゾベさんが……逃亡?
フロカの報告に居室内の全員が唖然とし、それぞれの顔を見回した。




