第 209 話 似た者同士
「……エ・グ・デン! エ・グ・デン!」
わき起こる数万の大歓声……
開かれていく江口の視界を通し、篤樹は自分が幌の無い馬車の貨車に乗っている事を知った。街道を埋め尽くす多くの人々に江口の視界は向けられた後、左手にかかる湖水橋へと向けられる。
ここは……王都?
視界はやがて、真っ直ぐに橋を渡る景色を映す。橋の先には篤樹も見覚えのある湖水島と王城が見えた。
……まだ「王宮」とかは建って無いんだ……
湖水島の中央に立つエグデン王城……遠くには長城壁の一部が見える。どうやら長城壁もまだ完成していない様子だ。
馬車が王城の前に着くと、掛け階段が貨車の横板にかけられた。江口がその階段を下り始めると、脇に立っていた兵士が小声で語りかける。
「評議会からの者がお越しです……」
「……そうか……そろそろ良い知らせを聞きたいものだな……」
江口の声がすっかり「おじさん声」に変わっていることに気付き、篤樹は一瞬「また別の誰かの中か?」と思った。だが、その思いを否定するように江口の思考が流れ込んでくる。
サーシャ……いつになれば君とまた会えるのか……。そんな魔法が……果たして本当に発明されるのだろうか……。俺がやって来たことは……正しいのだろうか……
「エグデン国王陛下……お帰りをお待ちしておりました」
王城の2階突き当りにある大きな扉の前で、フードを被った3人の人物が出迎える。
こいつらが……ユーゴ魔法院評議会の……
「……遣いの者か……だがまたも朗報では無いようだな。……入れ」
江口が立ち止まらずに扉まで進むと、衛兵が扉を開く。そのまま進み、部屋の真正面に置かれている大きな椅子に江口は荒々しく腰かけた。目の前には先ほどのフードの3人と衛兵2人が立っている。
「この者たちと話がある。お前たちは外で控えよ」
衛兵たちは敬礼すると、即座に室外へ出て行き扉を閉めた。
「……さて……研究の成果をそろそろ見せて欲しいものなのだが……その様子では、まだ待たねばならぬようだな?」
エグデンの視線が三人を順に見る。真ん中の男がフードを取った。50歳前後の眼光鋭い男だ。
「王よ……先代大法老よりの密命により組織された我ら評議会において、日夜研究は進めております。王の助言により読み解かれたユーゴの書に従い、魔法術は大きな進歩を遂げております。エグデン王国建国にも我らが法術による働きは多大であったかと……」
「そんなことは百も承知だ……。俺が知りたいのは、死者の再生と不老不死の法術研究の進捗具合だ。お前たちが願う通り、この国の支配が及ぶ範囲なら人命でさえ全てを自由にさせているのも、この法術完成のため……。どうなんだ?『理解』を出来たのか?『発現』出来るのか?」
江口は穏やかに尋ねた。しかし篤樹には激しい感情の渦の籠る厳しい怒りの声に聞こえる。
「……残念ながらユーゴ様が遺された原理の全てを解明し理解するには、まだ時は必要であると御認識いただきたい」
男は本題を切り出せたことで一定の安堵を感じているように見える。江口も予想通りの回答に対し、大きな落胆も怒りも無いようだ。むしろ「可能性」がゼロではないという一点に心の平安を得た様子で言葉を続ける。
「そうか……ま、俺も『今まで』聞いた事も無い分野の話だからな……とにかく契約は互いに守ろう。互いの平和と安定のためにも……な」
江口が「今まで」と語った時、意識が一瞬「元の世界」を思い出していたのを篤樹は感じた。同時に自分たちの「元の世界」のまともなニュースで、死者を生き返らせたり、人間を不老不死に変える……なんて話は確かに聞いた事が無いと同意する。
「で? 今回はそんな経過報告のためだけに? それとも王都防御壁の建設の件か?」
「いえ……実は……」
江口からの問いかけに、真ん中の男が右隣の男から小箱を受け取り見せる。
「ユーゴの書が新たに見つかったのですが……どうも術が施されているようで……」
男は小箱を持ったまま近づいて来た。
「王にお委ねせよとの 命を大法老より仰せつかり参った次第です」
目の前で男が小箱の蓋を開いた。江口の視線が箱の中に移る。
あっ! これ……
「ん?……おいっ!」
先に気付いた篤樹に少し遅れ、江口が男の手から小箱を奪うように受け取り凝視する。随分と古びた姿となっているが……手の平に収まる大きさの長方形の小さな冊子……濃紺の表紙は一部崩れ、金色の文字もボロボロに剥がれ落ちているが……まだハッキリと読める……。「市立南町中学校生徒手帳」と。
「こ……れは……『ユーゴの書』で間違い無いんだな?」
小箱に納まっている生徒手帳から目を離さず、江口は男に確認する。
「はい。……魔法院のユーゴ記念塔内整理中に、その木箱は見つかったとのこと……。ただ発見した法術士が箱を開き、その書に触れたところ……激しい攻撃の封に打たれ……腕を失ってしまいました」
腕を吹き飛ばす法術……「渡橋の証し」にガザルが打たれたような……
「……これを……俺に?」
手帳に手を伸ばそうか迷っていた江口は、男からの情報を聞くと小箱を男にゆっくりと差し出した。男は自分が持ったままだった蓋を箱の上に被せる。
「大法老の見立てでは、魔法院の何者にも触れられぬ術が施されておろうと……。しかし、エグデン王ならば、あるいは『適合者』とみなされて触れられるのではないか……とのことでしたので、お預けに参った次第です。いかがなさいますか?」
江口は蓋を閉ざした小箱を両手で大事そうに握る。篤樹は江口が「一人で」これを開きたいのだと理解した。
「……俺はまだ腕を失うわけにはいかん。だが面白い……時がくれば試みてみよう。これはこのまま俺が預かっておく」
江口の返答は男がいくつか想定していた回答の一つだったようだ。すぐに男は笑みを浮かべ 頭を垂れる。
「……ではこのまま王の手へ。……時が来りて、その書から何かの手がかりを得ましたならば……速やかにご報告いただくということで、よろしいですかな?」
「そうだな……もしも何か役立ちそうな情報があればな。それ以前に俺が『適合者』なのかどうか……この腕をかけて試さねばならんというのが、文字通り試練だな」
男は江口の返答に薄笑いを浮かべ頷き、元の位置へ退く。
「ではエグデン王……エルフ族協議会との会談も上手く運びますようお祈り申し上げます。我らも尽力いたしますゆえ」
そう言うと深々と頭を下げ最敬礼を表し、3人は部屋を後にした。
江口は扉が閉ざされたのを確認すると立ち上がり、部屋の端に備え付けられている良く磨かれた光沢ある石製の棚に向かう。棚には様々な宝飾品が並べられ、棚の上には恐らく水晶加工魔法で作られたであろう「鏡」も立てかけられていた。
鏡に映った江口の顔に視点が定まる。
江口……やっぱり……お前なんだよな?
篤樹はすっかり「王の威厳を放つ中年顔」となっている級友を見ると、心に痛みを感じた。ただ「老けた」というだけではない。両の頬と額にクッキリと 痕る大きな傷跡が、江口がこれまでどれほど過酷な戦いを経て来たのかを物語っている。
「ふ……さすがに老けたな……。『五十にして天命を知る』……か。四十どころか六十を前にしても迷い続けている俺に、果たして天命などがあるのか……」
江口はそう言うと自嘲気味に笑い、鏡の前に置いた小箱を愛おしそうに右手の指で触れる。
「……生徒手帳に『死者の再生』だの『不老不死』だのなんて書いてるワケ無いよな……でも……」
随分古びてしまってたけど……この位の状態なら中身は大丈夫だよな……
篤樹と江口の思いが重なり合う。2人の思いは同じだった。
「現代魔法を発明した伝説の大賢者『ユーゴ』様……か」
江口は小箱の蓋を開く。
生徒手帳の中身が無事なら……ケースの中に学生証が入ってるはずだよな……顔写真付きのやつが……
篤樹も自分目線で箱の中の生徒手帳を凝視する。
「なんで『ユーゴ』なんて名前になっちまったのか……教えてくれよ」
江口は躊躇なく箱の中に手を差し入れ、生徒手帳を掴んだ。攻撃魔法の封は発動しない。やはり同級生は「適合者」と認められていたのか……篤樹は江口と共に安心した。同時に、江口はすでに「ユーゴ」が誰なのかという見当も抱いていることを感じとる。
「……あんなクソ難しい『化学』だの『物理』だのなんて、俺らのクラスじゃお前しか興味持って無かったもんなぁ……」
手にした生徒手帳の状態に気をつけながら、江口はパラパラと最後のページまでめくり、手帳を挟むケースに差し込まれている学生証を確認する。
磯野!?……お前が……「ユーゴ」?
目の前に開かれたページに現れた学生証の証明写真に、篤樹の視線は釘付けになった。法術の効果なのか管理状態が良かったのか、磯野真由子の顔写真は色あせることなく微笑みを向けている。
「……ビーンゴ……」
江口は予想していた答えが確定したことに、どこかホッとした様子だ。
「……K市市立南町中学校3年2組出席番号3番……磯野真由子……」
学生証の記載事項を見つめながら江口が呟く。
「聞けば100歳を超える大往生だったそうじゃねぇか……こっちの世界でそんだけ生きて……それでもまだ生き足りなかったのかよ?……不老不死の研究なんかやってよ……」
江口の視線はジッと磯野真由子の顔写真を見つめている。
「……俺は……人殺しさ……こっちに来た日からずっとな。……何人なのか何百人なのかも覚えちゃいない……。サーガや野獣だけでなく……獣人も……人間も……何人も何人も……」
篤樹は胸が苦しくなって来た。江口の痛みが心を刺すように広がって行く。
「殺やらなきゃ殺られてた……誰かを守るために……自分を守るために……」
江口は瞼を閉じる。視界が閉ざされるが、その分、江口の脳裏に浮かぶ映像が走馬灯のように篤樹の頭の中にも流れ込んでくる。数々の出会い……笑い……仲間……別れ……いくつもの戦場……
「俺は……本名を封じた……。ここで生きているのは江口伝幸ではない……『エグデン』という男だと自分に言い聞かせて……」
「同じだねぇ……」
突然、シワ枯れた声が聞こえ、篤樹はハッとした。しかし江口の視界は、その声がかけられることを予期していたかのようにゆっくり開かれる。目の前に見知らぬ老婆の顔があった……いや……目の前の水晶鏡の中に、その顔は映し出されていた。
「よぉ、磯野……久しぶり。老けたな?」
「江口君こそ……すっかりおじさんになってるじゃないの……」
2人は鏡越しに笑い、やがて涙を流し、それぞれの鏡面に手を合わせる。
磯野……何だよお前まで……本当に魔法使いのお婆さんになっちまって……
篤樹も江口の中で同じように再会を喜び……そして……涙を流していた。しばらくの嗚咽の後、磯野真由子が口を開く。
「『ま』抜けの真由子はおっちょこチョイ……」
「……そういう事かよ」
どういう事だよ?
会話が噛み合ってる2人に乗り遅れ、篤樹はキョトンとした。
「小学生の低学年の頃だったかなぁ……算数の計算とか漢字とかの宿題を祖母ちゃんが見てくれててねぇ……。分かってる問題をうっかりミスで間違える度に言われてたんだよ。おっちょこチョイの『ま』抜けの真由子は『ゆこ』ちゃんと呼ぼうかねぇ……ってね」
ゆこちゃん?……あ! そういうことね……
「今じゃ『リュシュシュ』って呼ばれてる村があってねぇ……私のせいで多くの人が死んでしまったのさ……。私も……この手で……ね。耐えられなかった……『ま』抜けの真由子が生み出してしまった惨劇がねぇ……」
リュシュシュのリュネ長老が話してた事件のことか……
「磯野真由子としては、その惨劇を受け入れられなかったのさ……。この惨劇は自分のせいじゃない……『ま』抜けの真由子……『ゆこ』のせい……私は磯野真由子に 非ず……『ゆこ』なのだと……それ以来、誰にも『真由子』とは呼ばせず自らも名乗らなかった」
「……『ゆこ』じゃ呼び難いよな……それで『ユーコ』から『ユーゴ』か……そりゃ誰だか分かんねぇよ」
「私ら2人……似た者同士だねぇ……」
水晶鏡に薄っすら映る江口と、ハッキリ映る真由子の表情は……穏やかな笑顔だった。




