第 190 話 抗う者
メルサの指示を受け、篤樹たちを囲んでいた兵の内2人が剣を鞘に収めて即座にアイリに近づく。その気配を察知したアイリは謝罪姿勢を解き、必死に懇願した。
「メ……メルサさま! お赦し下さい! どうかお慈悲を! お願いしますっ!」
立ち上がって慈悲を乞うアイリの背後に2人の兵は回り込み、左右の腕をそれぞれが一本ずつ掴むと、無理やり地べたにひざまずかせる。剣を抜いた兵が1人アイリに近づくと、その剣を振り上げた。
ここに来て篤樹は、この状況が冗談でも脅しでもなく「粛々と進められている処刑」であるとの認識をもつ。
そんな……こんなこと……何やってんだよ!
「ちょ……ちょっと! ワーッ!」
困惑と混乱と怒りと……篤樹は自分でもよく分からない感情のままに立ち上がると、叫びながらアイリとその背後に立つ2人の兵の「 塊」に突進した。
「うおっ!」
屈強な兵士たちも、自分たちの持っている「常識」から考え、まさかこの状況で反撃を受けるとは思っていなかったのだろう。篤樹の全身をぶつけるタックルは見事に3人の「 塊」を分散させた。すぐに篤樹はアイリを抱きかかえ転がり、態勢を立て直す。
「ちょっと待って下さい! ストップ! 落ち着いて下さい!」
剣を振り上げ攻撃を繰り出そうとしている兵士たちに向け、篤樹は大声で制止する。即座に粛清に動き出した兵たちも、まだ若い「丸腰の少年」と、さらに若い侍女をそのまま斬り殺すことを一瞬躊躇した。その隙に篤樹は再び大声で叫ぶ。
「そんな……いきなり死刑なんて! 理由がよく分かりません! すみません! 何がなんだか……とにかくホントに、ただの間違いなんです! 話を聞いて下さい!」
一気にまくし立てると、機先を削がれた兵士たちも改めてメルサに視線を向け指示を仰ぐ。篤樹のこの行動はメルサにとっても予想外だったようで、冷ややかな薄い笑みの消えた驚きの表情を見せている。
「あの……メルサ様……」
篤樹は少し声のボリュームを押さえ語りかけた。
「ホントにすみませんでした。僕の不注意です。アイリが……侍女がここで剣を持つ事がそんなに悪い事だと知らなかったんです。赦して下さい。僕がこの 娘に剣を渡して……調子にのって使い方を教えてたら手の力が抜けたみたいで……ホントに悪気は無かったんです!」
とにかく精一杯の謝罪と事情説明を重ねる。状況を認識したメルサの顔に再び冷ややかな笑みが浮かびあがって来る。
「ミラ従王妃の客人……となっておりましたわねぇ、カガワアツキ。他の世界から来ただの伝説のチガセだのとの噂は聞き及んでおりますよ。ただ……」
メルサはひと呼吸つくと、教え諭すように続けた。
「『知らぬ』では通用しない定めがあるのですよ、ここには。その者は定めを犯した。ゆえに規律に従い罰せられねばならないのです。これ以上の理由は不要でしょう?」
「でもダメです!」
篤樹は思わず叫ぶ。
「こんな……こんなことで人を……アイリを殺すなんて、絶対に間違っています! そんな判断はやめて下さい!」
メルサの口元から笑みが消える。
「従王妃ミラの客人と言えど、正王妃なる我に逆らうは王に逆らうも同じ……エグデン王国への反逆行為……分かっておるのか?」
「そんな……僕は別に……ただ! こんな形で簡単に……大事な侍女を殺そうとするのはおかしいんじゃないですか!」
篤樹は自分でも分からない内に涙が溢れて来た。感情のコントロールが効かなくなっている。こんな理不尽な死刑宣告を黙って見ているなんて出来ない!
「まだ言うか……下民が……。構わぬ! 首をはねよ! 2人ともだ!」
正王妃ミラからの正式な審判が下されたことを確認し、兵たちにもはや 躊躇いは無い。自分たちこそが正義の執行者であるという誇りをもって剣を構え直し、篤樹とアイリを取り囲む。
これ……逃げ場が無いじゃん……
篤樹は急に、自分が冷静に状況把握を出来ていることを感じた。
「ごめんね……アイリ……なんか……こんなことになっちゃって……」
アイリの顔を見つめ篤樹は微笑むと、落ち着いた声で語りかけた。言葉を失っていたアイリも「その時」が迫っているのを感じたのか、怯えながらも笑顔を見せる。
「アツキ……ありがとうな……ゴメン……巻き込んでしまった……」
「へっ……しゃあないよ……」
そっか……ここで俺は死ぬのか……ま……「あの事故」でとっくに死んでたんだろうから……今さらだよな……。でも……何か悔しいなぁ……ただ殺されるのって……
アイリの膝元に石が転がっている。握りやすそうな石だ。
何だっけ? 鼠が噛みつくってことわざがあったじゃん? 猫がキューとか……。とにかく……俺たちが悪いわけじゃ無いんだから、ちょっとくらい抵抗したって良いよな? どうせ殺されるんだし……
篤樹はその石をそっと右手で握る。穏やかに死を待つ者のような「静」の動きから、篤樹は一気に生者の動きにギアを上げた。
「こぉのぉ!」
抜き身の剣を構え迫っていた兵の顔面を目がけ、篤樹は握っていた石を振り向きざまに力一杯投げつけた。石は見事なまでに兵の顔中心辺りにぶつかる。
「ぐあっ!」
突然の石弾に襲われた兵士は、剣を落とし両手で顔を押さえた。篤樹は石を投げた勢いのまま、その兵士目がけ駆け出し体当たりで弾き飛ばす。そのまま、地面に落ちた剣を拾い上げると、唖然とする兵たちに向けて構える。
とにかく……やるだけやってやらぁ!
訓練された兵たちは一瞬、何が起きたかの情報を整理するが、次の瞬間には「武器を持つ襲撃者」となった篤樹に向かう粛清行動へ移る。振り下ろされて来た剣に篤樹は何とか反応し、両手で構える剣でそれを受けた。だが、重みのある衝撃打に手の骨が折れるような痛みが走る。
クッ!……ダメだ……
篤樹はその衝撃に弾かれるように、まだ地べたに座ったままのアイリのそばまで後ずさった。視界の端にアイリの姿が映っている。この状況で2人とも無事で済むはずはない。いや……確実に2人とも殺されるだろう。
でもせめて……アイリが殺される姿を見ないためにも……俺が先に……
篤樹は覚悟を決めると、アイリをかばうような態勢で立ち位置を決めた。スレヤーから教わったばかりの「基本の握り」で剣を構え、前面の立ち並ぶ兵士らに決死の形相で顔を向ける。兵士たちはかなり驚いた表情で篤樹を見ている……いや?……俺じゃ……ない? 後ろを?
「朝っぱらから、なぁにやってんだぁ、アッキー?」
普段と変わらない、そのふざけた調子のひと声が、篤樹にとってどれほど大きな安心を与えたかは測り知れない。幼い日に家族で出かけたデパートで迷子になり、呆然と立ち尽くしていた時のような不安……絶望的な悲しみに泣き出しそうになっていたあの時、すぐそばに立って名前を呼びかけてくれた父の声のようだ。
「……ちょっと……色々ありまして……」
説明したい事情、助けてもらいたい願望、様々に伝えたい気持ちはあるが、その全てが今はどうでもいい。スレヤーさんが背後にいる……それだけで……
「スレイさん! お退き下さい! この者らは……王への反逆行為により直ちに処刑せよとの 命です!」
スレヤーの登場に動揺する兵たちが「正義」の説明をする。
「反逆行為ぃ? アッキーがか?」
呆れたような声で応えながら、スレヤーはゆっくり篤樹の横を通り抜け一歩前に立つ。そのまま、剣を両手で握っている篤樹の手に自分の右手を乗せると、ゆっくり下に向けて押さえ付けた。篤樹はスレヤーの力の介助を受けて剣を下ろす。
「下がりなさい、スレヤー伍長」
やりとりを打ち切るようにメルサが声をかける。篤樹はハッとして周りを見た。いつの間にか王宮兵団の兵士の数が増えている……いや! 勢揃いと言っても良いくらいに周りを取り囲んでいる!
「仰せのままに……とは、さすがにいきませんねぇ。こんな朝っぱらから大事な友だちが処刑されようとしているのを黙って見過ごすこたぁ……無理です。一体、アッキーが何をやらかしたってんですか?」
「スレイ!身をわきまえよ!正王妃メルサ様に対して無礼だぞ!」
スレヤーの問いに応えたのはメルサではなく、篤樹も見覚えある王宮兵団剣士隊隊長のジン・サロン大佐だった。ジンはメルサの横に立ちスレヤーを一喝する。しかしスレヤーは口の端に笑みを浮かべ、頭を掻きながら応じた。
「……事情も分かんねぇままやり合うってのも、気持ち悪く無ぇか? ジン。一旦、剣を収めようぜ?」
「メルサ様……」
スレヤーの提案に対しジンはメルサに判断を仰ぐ。
「……スレヤー伍長。その男……カガワアツキを連れてこちらへ。罪に問われておるのはそこの侍女。その男の介入の罪、此度は見逃そう」
メルサが示した提案が妥当なのかどうか確認するように、スレヤーは篤樹に顔を向ける。篤樹は剣を握りしめ下段に構えたままアイリの前へスッと移動した。スレヤーはフッと笑みを洩らす。
「そいつぁ、飲めねぇ提案のようでさぁね」
「ならば……ジン!……討ちなさい!」
メルサの指示が下ると、ジンは鞘から剣を引き抜いた。スレヤーは左手を開き、篤樹の面前に差し出す。
「アッキーはその 娘を包んでてやりな……俺が……終わっちまうまでは守ってやるからよ」
篤樹は無言で頷き剣をスレヤーに渡した。そのまま右手で握り拳を作り、スレヤーに向かって差し伸ばす。
「お? アッキー……いいねぇ!」
スレヤーは嬉しそうに言うと、自分の右拳を篤樹の拳に軽く合わせた。
「すいませんねぇ、メルサ正王妃さま。王族前での 刃傷沙汰なんて不本意なんすがね……」
両手でしっかり剣の握り柄を掴んだスレヤーから、信じられないほどの殺気が広がって行く。剣士隊も護衛兵らも、その気に押されたように一歩後ろに下がる。ジンの額から汗が滴るのを篤樹は確認した。
「一同控えよ! ルメロフ王陛下の 御見来なるぞ!」
メルサの背後から突如宣告の声が響く。メルサと共に、篤樹やスレヤーに対峙していたジンや剣士隊、その他の従者たちが反応し、一斉に脇に退き道を開いた。メルサはウンザリしたように一度目を閉じた後、口元に笑みを浮かべ目を開き、ゆっくり背後へ身を向ける。
槍を持った護衛兵2人に両脇を支えられ、ルメロフが湖岸斜面を上がって来た。
「一体なにごとなのだ? メルサ。いつまで待っておれば……うわっ!」
斜面を上り切ったルメロフは、眼前に広がっている異様な光景に驚きの声を上げる。
「ひ……控えよ! なん……なんだ? 何をしておる? 剣を収めよ! ダメだぞ! 王前だぞっ!」
抜剣していた剣士・兵士たちが慌てて剣を鞘に収め礼の姿勢をとる。ジンも剣を鞘に収めると、王に向かって礼の姿勢をとった。ルメロフは自分の指示に皆が従っているのを確認すると安心したのか、改めてメルサに語りかける。
「まったく……何がどうなっておるのだ? メルサよ」
「先ほど投剣を行いました賊を捕らえましたので、処罰を下そうとしておりましたところです。陛下」
メルサが静かに答えた。
「ああ……捕らえたか? 一体何者が……あやつらか?」
ルメロフは兵たちに囲まれている篤樹とスレヤーに気づく。しかし、すぐに衛兵の背後に隠れて叫んだ。
「あ! ほらっ! そこのお前! 剣を収めよ! 王前だぞ!」
スレヤーは自分が握っている剣に視線を向けると、篤樹に鞘の所在を尋ねるように視線を移した。篤樹は首を振る。仕方が無いという感じでスレヤーは剣を握り直し、目の前の地面に剣身半分ほどまで突き刺した。
「鞘が見当たりませんので、これで御勘弁を!」
豪快な収剣に周囲の兵たちはさらに一歩退く。しかしルメロフは、それでも「自分の指示に従った」という事実だけで安心したようで笑顔を見せた。
「うむ。良いぞ!……して? あの者たちがそうなのか?」
ルメロフは斜面下に剣を投げた犯人の確認をメルサに問う。
「いえ。地に伏しておる、あの侍女めにございます」
「侍女?」
メルサの言葉を受け、ルメロフは篤樹の背後で地に伏している人影に初めて気づいた。
「なぜ侍女が我に向かいて剣を投げたのだ?」
純粋に疑問に感じたことを尋ねる。
「違います! 王様!」
篤樹がその問いを受け取り答えた。
「アイリは……この侍女は剣を投げたのではなく、僕……私と剣術の練習をしていて、誤って手から剣が飛び出してしまっただけです! ワザとじゃないんです!」
唐突な話にルメロフはキョトンとしながら首を傾げる。
「あ……そうなの。では以後気を付けて……」
「証人はおりません!」
メルサがルメロフの言葉を厳しく遮った。
「王よ……この者たちの言葉を証明する者はおりません」
一旦、ルメロフの発言を封じると、メルサは続けて優しく語りだす。
「王の御散歩時に投剣にて御身を狙った反逆の企てである可能性もある以上、規律に従い処罰すべきと考えました」
「そ……そうか……。うん……ならば……そうだな。処罰は必要だ」
メルサに気圧されルメロフは頷いた。
「だからと言って、ここで今すぐ死刑なんて 酷過ぎます!」
篤樹が間髪を入れずに訴える。ルメロフは篤樹に顔を向け目を見開く。
「し……死刑? 殺すのか? その者を?」
「はい! 今ここでこの侍女の首を斬り落とせとメルサ様が……だからそれはやめて下さいとお願いしてるんです!」
ルメロフは驚いたように目を丸くし篤樹の訴えを聞くと、恐る恐るという感じでメルサに顔を向けた。
「本当に? そういう処罰が必要なのか?」
メルサは笑顔のままだが、その表情には苛立ちの色が浮かんでいる。
「死にあたる罪ですので……」
「そう……なのか? でも……なんだか……可哀想ではないか?」
ルメロフが消え入るような声で呟く。篤樹はハッと思いついたように訴える。
「それにしてもです! このアイリはミラ従王妃が最も信頼を置いている大切な侍女ですよ? その大切な侍女が、ミラさまが知らないところで首を斬り落とされて死刑にされたなんて聞いたら……ミラさまは無茶苦茶悲しみますよ!」
「ミラ王妃の?」
ルメロフの表情が変わった。その声を聞いたメルサの顔からも笑みが消える。
「あ、じゃあやっぱりダメだ! 殺すのはダメ! な? メルサ」
よし! うまく伝わった! ミラさんの話だと、王様はミラさんに嫌われたくないと思ってる……本当だったんだ!
当面の危機を脱することが出来た空気を感じ、篤樹は心の中でガッツポーズをとった。




