第 181 話 王都の夜2
「結局、お前には事務職なんか似合わないって事だよスレイ!」
ジンは鉄製の杯にワインを 手酌で注ぎつつ、笑いながらスレヤーに語りかけた。スレヤーは自分の杯を目の前に掲げ、施された紋様を眺めながら口を開く。
「そりゃそうだろよ。俺だって最後の給金もらうまでの『つなぎ職』のつもりだったしな……」
「それならすぐに王宮兵団に転属を願えばよかったのにぃ!」
2人の 傍で飲んでいる兵士が私見を述べると、別の兵士も呼応するように持論を口に出す。
「そうですよスレイさん! ジン隊長だって軍部にかけ合ってくれたはずですよ。ねぇ?」
「そりゃな……」
ジンは兵士の言葉に応える。
「コイツが泣きついてくりゃ、すぐに迎えるつもりでいたさ。でも何にも相談無く、勝手に軍部の辞令に従って王都からいなくなりやがってたんだよ!」
恨めしそうに言うと、手元に転がっていた1粒の葡萄をスレヤーに向かって投げつける。スレヤーは上体を後ろにずらし、葡萄弾を避けた。
「お前ぇの許可は要らんだろ? 別に……。俺も色々考えたんだよ」
「そうかぁ? しかしビックリしたぜ! 今朝目にした探索隊メンバーの訂正資料にお前の名前を見つけた時は! 元々は別の奴が就くはずだったんだろ? 何をしたんだ?」
ジンの問いにスレヤーは笑顔のまま無言で軽く手を振る。
「ま、事情はどうあれ、こうしてお前は王都に戻って来た! これがお前の運命ってことだ!」
ジンは嬉しそうに笑うと、自分の杯をグイッと傾ける。
王宮に隣接する王宮兵団舎一角にスレヤーは通されていた。ジンを隊長とする剣士隊30名程が、スレヤーの「歓迎酒宴」の席を設けていたのだ。スレヤーの脳裏に、数週間前の部下達の死が甦る。
あいつ等と……もうこんな風に酒を酌み交わす事は無い……
ジン達も当然、スレヤーの決断の根拠は知っている。その上で、あえてこのような形の席をもうける事で、スレヤーの思いを労おうとしてくれているのは痛いほどに分かっていた。自分を「仲間」として認め、迎え入れようとしてくれている姿には感謝もするが……それ以上に「うっとうしさ」を感じるのも正直なところだ。
「お前ほどの腕があれば、メルサ様だってすぐに兵団への転属を認めて下さる。いい加減に軍部でくすぶるのはやめにしてウチに来いよ?」
ジンは真剣な眼差しをスレヤーに向ける。
「そうですよ……」
先ほど宮内を先導したムンクが、酒壷をもってスレヤーに近付いて来た。スレヤーは自分の杯を一気に空けるとムンクに差し出す。
「スレイさんなら、すぐにジンさんの片腕どころか、ジンさんに代わってこの隊の隊長にだってなれますよ!」
「んだとぉ、テメェ! 軍曹のくせに生意気だなぁ!」
ジンは笑いながら、手近に有った食べ残しの骨を投げつける。骨はムンクの肩に当たったがムンクは気にもせずに続けた。
「なんですかぁ、大佐のクセに 大人気ないなぁ! 軍部特剣隊に3年連続負け越してるのは事実でしょう? スレイさんのほうが格上ってことですよ!」
ムンクが臆する事無く言い放つ。
「今年は絶対に負けないで下さいよぉ!」
周りの兵たちも 囃し立てる……が……スレヤーの表情に気付いた兵から順に押し黙っていく。スレヤーはムンクから注がれた杯をグイッと飲み干した。
「……今年はお前ぇらの勝ちさ……ウチの面子は……もう揃わねぇからな……」
「……すまん。おいムンク!」
ジンは真顔でスレヤーに詫びると、剣術大会の話題を出したムンクを 諌めるように名前を呼んだ。
「すみません……そんなつもりじゃ……」
ムンクは申し訳無さそうに言葉を濁しながら詫びると、空になったスレヤーの杯に酒を注ぎ離れて行った。他の兵士たちも目線を外し、それぞれで別の話題に移っていく。
「いいさ……現実だ……」
スレヤーは口の端に自嘲気味な笑みを浮かべ呟く。
「スレイ……」
ジンは話題を変える良いタイミングとでも言うように、スレヤーの横に寄り声をかけた。
「俺たちは……この国を変えたい」
唐突なジンの告白にもスレヤーは動じる事無く応じる。
「危ねぇ話を振って来るねぇ……王宮兵団の隊長さんがよぉ」
「この国は……」
スレヤーが茶化す言葉にも乗らず、ジンは話を続ける。
「俺たち『王宮兵団』も……王族も貴族も議会も全て……ヤツラに操られている」
「……こんまま聞かなきゃならねぇかい?」
スレヤーは面倒だなぁという態度を示しながらジンに問う。
「ああ……頼む。聞いてくれ」
……ったく……興味無ぇんだけどなぁ……
スレヤーは仕方無く了解の意を表す。
「俺たちは……もちろん王宮兵団としてこの剣士隊は王への忠誠を誓い、王のために日々鍛錬し、有事が生じないように……有事には即応出来るように与えられた使命に生涯を捧げている。だがな……」
ジンは杯から一口飲み喉を潤し、言葉を続ける。
「ヤツラの……魔法院の連中に忠誠を誓った気なんざサラサラ無い。それを……ルメロフ様は、兵団の忠誠心を軽んじられておられる!」
国王への不満を出すかねぇ……王宮兵団の隊長ともあろうヤツが……
スレヤーは口元の笑みを浮かべたままポツリと答えた。
「俺を巻き込むんじゃねぇよ……」
「スレイ! そうではない!」
ジンはスレヤーのなだめを突き返し、尚も語り続ける。
「軍部も同じだぞ? お前も……お前の部下……元の部下たちも、いや、この国全体が……あの評議会の連中に良いように操られているのだ! すでに巻き込まれ続けていたんだよ!」
熱いねぇ……
スレヤーは黙って杯を傾ける。
「俺は……この国は間違ってるのだと思うようになった……知らなかったのだ! ここまで……まさかここまでエグデン王国が腐敗していたとは……」
いつの間にか30人ほど集まっていた兵士たちの雑談も止んでいた。兵士らの視線と耳がジンに向けられている。
「スレイ……メルサ様の 御心痛は察するに余りあるものだ。正王妃であられるがゆえに、この国の行く末を真に憂いをもって見ておられる。我らは……メルサ様に忠誠を誓う王宮兵団剣士隊としてこの国難に立ち向かう。是非お前にも加わってもらいたいのだ!」
メルサ「様」ねぇ……
スレヤーは謁見の間で見た正王妃の姿を思い出す。
一体コイツらに何を吹き込んだのやら……気にはなるなぁ……
「正王妃の心痛とやらはよく分かんねぇけどよ……確かにルメロフ王にゃあ、初代エグデン王みてぇな風格は全く感じねぇよなぁ……だが……」
スレヤーはジンたちの申し出に対する是も否も答えず、自分の思う所を述べる。
「まさか兵団で『クーデター』でも起こそうってぇ腹積もりじゃ無ぇだろうなぁ?」
「それも考えはした……」
ジンはスレヤーが話に乗り始めたと思い嬉しそうだ。
「だがな、この隊だけの反旗で事が成せるなんて俺たちも考えちゃいない。軍部の連中との共闘も考えたが……軍部はユーゴの評議会にガッツリ縛られてるからな……同志を増やす手立てが無い。信頼して声をかけれるのはお前くらいだよ」
スレヤーは杯を空にすると、自分とジンに注視している兵士たちを見渡した。
若い……情熱に燃える瞳……まるで燃え上がったばかりの焚き木の炎のようだ。こんな火じゃ、旨い肉まで炭になっちまうなぁ……
「軍部の中堅以上の連中はダメだ……」
ジンは話を続ける。
「階級と……地位と権力を『エサ』として与えられた連中は、飼い主に逆らう牙を持たない。だがな、軍部の兵でも志を持って志願した者達の中には、未だこの国を思う熱い使命を持つ者達が多くいる。そして……その若き兵士たちにとってお前は今も『進むべき道を示す光』だ」
「買いかぶりなさんなって……」
スレヤーは苦く笑みを浮かべる。
「軍規違反で三隊連長の任を解かれ、暴走した挙句に優秀な特剣隊3つを潰しちまった死神を慕う馬鹿なんか……いてたまるかよ……」
「お前こそ自分を過小評価すべきじゃ無いぞスレイ!」
ジンは身体の向きまで変えてスレヤーの説得に入る。
「王都防衛に当たっている軍部の若き兵たちは、あの大群行の後、ますますお前の指揮を求めている! 自己の欲を満たし守るためユーゴ評議会の飼い犬となっている軍部の動きに対し、不信感を高めているのだ。彼らは我々と同じ志を持つ者たち……国家体制エグデンを守るのではなく、エグデンの 国民を守るために忠誠を捧げた者たちだ!」
ジンは兵士らを見渡し同意を確認する。皆が頷くのを見るとひと呼吸をおき続けた。
「だが、彼らを導く光が無い……だからこそ、お前が必要なんだスレイ!」
「……軍部の若い連中を、お前らのクーデター計画に引き込むために……かよ?」
恐らくジンは覚悟を決めてこの計画をスレヤーに持ちかけたのだろう。王宮兵団をジンが、そして軍部の若い兵たちをスレヤーが導き「この国を変える」という計画……さてさてどうしたもんかねぇ……スレヤーはジンと兵士らの期待に輝く瞳を受け止めながら思案する。
「我々の計画に、お前や軍部の若者たちを利用するつもりではない。共にこのエグデンを在るべき姿に生まれ変えさせようと 蜂起を呼びかけてるのだ」
ジンの目は真剣そのもので一点の曇りも無い。自身の掲げる「正義」に何の迷いも持っていない、確信に満ちた輝きだ。そう……自己を絶対正義と信じる「狂信者の目」だ。
「……どんな国に変えたいんだよ?」
スレヤーの問いにジンは大きく頷く。
「ユーゴ評議会の影響を完全に排除し、王室が全権を掌握し司る国。やつらの 傀儡として据えられただけのお飾りではなく、この国と 国民を愛しみ、守り、繁栄を導く真の王制国家。1王4妃制などという便宜的な共和国体制維持ではなく、唯一の王による完全なる統治国家。初代エグデン王が築いた真のエグデン王国再興こそが我らの目指すところ……」
「『あの王様』がそんな器かねぇ?」
スレヤーはジンの熱い演説にあえて水を注す。ジンは想定していた当然の質問とでもいうように笑みを浮かべる。
「ユーゴの傀儡として立てられたルメロフは王の器では無い。お前も見ただろ? ヤツラが扱いやすい人形……王の器で無い者が、代々この国の王に据えられて来たんだ。だがこれからは違う!『真聖エグデン王国』の始まりに相応しいのは、ただお一方しかおられない!」
「正王妃かい?」
スレヤーの問いにジンは笑みを浮かべ応じた。
「そう! 生まれ変わった『真聖エグデン王国』を導く王、メルサ様に女王としてお立ちいただく。あの方以外に希望は無い!」
兵士たちが同意の声を上げる。スレヤーは「志に燃える者たち」に囲まれる中で思いを巡らす。
さてさて……こういう真っ直ぐさってのは嫌いじゃないんだけどなぁ……どうにもメルサが 胡散臭ぇ……んなこと、こいつらに言えば穏やかには済まないだろうな。真っ直ぐというよりゃ愚直な妄信……生まれたての 雛どもがメルサを「親」だと信じて突き従ってるって感じかよ……
「なあ、スレイ……」
志に騒ぐ兵士たちを笑顔で見渡しながら、ジンが語りかける。
「俺たちと共にこのエグデンを建て直す勇士となってくれ」
「……断ったら?」
ジンは「心外」とでもいうような驚きを見せたが、すぐに笑顔を取り戻し答えた。
「その時は、お前を斬るだけさ!」
スレヤーはジンの心構えを笑顔で受け止めると、杯に残っていた酒をグイッと飲み干した。
やっぱり……面倒臭ぇヤツだなぁ……。とにかく、しばらくは様子見か……
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「エルグレド補佐官……すみません。こんな囚人室に……でも規則なもので……」
鉄扉に開かれた鉄格子の小窓から、警備兵が声をかけて来た。エルグレドは四面石積み造りの王城半地下牢にいる。その壁に据え付けられた簡易ベッドに腰掛けたまま、エルグレドはにこやかに警備兵に応えた。
「大丈夫ですよ。お気遣いありがとうございます。充分快適ですよ……」
ホントに……語りかけてくれる番兵がいて、石床に直接ではなくベッドで眠れるんですからね。
イグナの王城地下牢で過ごした少年時代を思い出しながら、エルグレドは微笑んだ。
それに……孤独と絶望の「死」に呑まれていたあの時とは違う……
半地下の壁上部には20cmほどの高さの窓が設けられている。鉄格子がはめこまれてはいるが、外気を吸えるというだけでも気持ちが休まった。その窓から、影を映すほどの月明かりが牢内を明るく照らしている。
これでピスガさんでも来てくれれば、最高の「宿」なんですけどね……
懐かしき 戦友らの姿を思い、エルグレドは笑みを浮かべる。
「さて……みなさんは王都の夜を楽しんでますかねぇ……」
鉄格子越しに見える真っ白な月に目を向け、エルグレドは 現在を共に生きる戦友らの無事を祈った。




