第 180 話 王都の夜1
「じゃあ……行くよ、エシャー。父さんも1週間で戻る予定だから……帰ってきたらすぐ会えるよう、大臣にもお願いしておくよ」
ルエルフ村を出て以来4度目となる「 父娘の別れ」を、ルロエは 名残惜しそうにエシャーに告げる。
「うん! じゃあ、気を付けてね」
対するエシャーはあっけらかんと答えた。こちらは逆に4度目ともなると「父娘の別れ」にも慣れ、まるで日常的に父親を送り出す程度の態度だ。ルロエはこの短期間で我が 娘の「親離れ」が一気に進んだ様子を感じ取り、寂しいような嬉しいような、複雑な笑顔を浮かべた。
「ではルロエさん。お嬢さんはこちらで安全にお預かりしますのでご心配なく」
色の抜けかかった金髪が多く見受けられる初老の女性がルロエに声をかける。丁寧な口調ながら、その声には「保護者」に早々の退場を促す厳しさを含んでいた。
「ええ……では……よろしくお願いします。じゃあな、エシャー」
ルロエは踏ん切りをつけるため、最後の挨拶という感じでエシャーに声をかけると、背後に停車してある馬車の扉を開き乗り込んだ。車内には大臣ビデルが座り書類に目を通している。
「終わったか? では行こう……」
扉が閉まる間際にビデルの声が聞こえた。馬車は静かに進み去っていく。数十メートルほど見送ると初老の女性が口を開いた。
「さあ、では中へ入りましょうか? エシャー」
女性の促しに従い、エシャーは鉄柵に囲まれた寄宿舎の庭へ歩み出す。
「食後のミーティングで皆さんにはご紹介しますから、先ずは部屋で着替えてらっしゃい」
「はい……ミリンダ……さん?」
エシャーは確認するように答えた。しかし、女性は前方を向いたまま歩みを止めず、事務的な口調で応じる。
「エシャー。私の事は『学長』とお呼びなさい。自己紹介で名乗ったのはあなたに対してではなく、お父様に対してです。それもビデル大臣自らが、国王直々の特令書を御持参なさったからに他なりません。たとえ僅かな期間とはいえ、あなたには学舎の決まりを守っていただく義務があることを覚えておきなさい」
ミリンダは静かに歩きながら厳しく教え 諭す口調でエシャーに告げる。エシャーは勝手の違うこの女性の雰囲気に戸惑いながらも、改めて答えた。
「はい……学長……で良いんですか?」
ミリンダはピタリと足を止め、冷ややかな目でエシャーを 見下す。
「ええ。宜しくてよ。もう覚えたわね?」
エシャーはコクリと頷いた。ミリンダも小さく頷き返すと、再び建物に向かって歩み出す。
なんだか……おもしろそうな人だなぁ……
エシャーは自分が知らないタイプの大人の女性に興味を抱き、ミリンダの真っ直ぐに伸ばした姿勢の良い背中を見つめながらその後について行った。
―・―・―・―・―・―・―
「では皆さんにご紹介いたします」
エシャーはミリンダに連れられ、寄宿舎食堂の正面に立たされていた。夕食の時間だったという事もあり、無人の寄宿舎をサッと案内され自室へ通された。用意されていた指定の室内着の上から紫色の室内ローブを着ると、すぐに連れられて来たのだ。
「ルエルフ族のエシャーです。ルメロフ王の特令により2週間、こちらに寄宿生として滞在されることとなりました。15歳ですから10回生の皆さんと同じクラスとなります。学舎は初めてですので、分からないことも多くあろうかと思います。王都学舎の名に恥じないよう、親切にお世話をしてあげて下さい。よろしいですね?」
「はい。学長」
シンと静まった食堂に集まる60人ほどの学生は、ミリンダからの紹介が終わると声をそろえて答えた。
「よろしい」
その返事を満足そうに受け止めたミリンダはエシャーに顔を向ける。
「あなたからもみなさんにご挨拶をなさい、エシャー」
エシャーは促され、学生たちに目を向けた。全員が人間の女の子だ。だが歳にはかなりのバラつきがある。6~7歳くらいの子たちから、エシャーよりも年上っぽい学生たちもいるようだ。
「えっとぉ……こんばんは」
「ご挨拶」と言われ、エシャーは「夜の挨拶」をした。学生たちは一斉に声を合わせて応じる。
「こんばんは!」
その声量に 気圧され、エシャーは続きの言葉に詰まってしまった。
「以上で終わりですか?」
ミリンダが厳しい口調でエシャーに尋ねる。
「あの……よろしく……お願いします……」
「よろしくお願いします!」
再び学生たちの一斉返答が起こる。エシャーはもうこれ以上、何を言うべきかが分からない。ミリンダもエシャーの様子から判断し挨拶を打ち切る。
「では私からの報告は以上です。エシャー、そこの空いてる席にお座りなさい」
ミリンダは向かって右側手前のテーブルにある空席を指さし、エシャーに着座を促した。言われるままにエシャーは席に向かう。
「それではそれぞれの連絡をお願いします」
エシャーの着座を待たずにミリンダが声をかけると、4名の学生が前に進み出た。明日の学舎での予定や寄宿舎での生活注意などをそれぞれが順番に伝え始める。
アッキーの「学校」も、こんな感じだったのかなぁ?
篤樹から聞いた中学校のイメージと、この場の雰囲気が大きく違う気がしながら、エシャーはその様子を眺めている。一通りの連絡が終わり、全員がそれぞれの席に戻って行った。
「では今夜のミーティングは終了です。各自お部屋に戻りなさい」
ミリンダはそう言い残すと、食堂から出て行く。学生たちはミリンダを見送り終わると、途端にざわつき出した。何名かの学生が、次々にエシャーの周りへ集まり始める。
「よろしくね、エシャーさん」
「綺麗な髪だね、お姉ちゃん」
「ルエルフ村ってどこにあるの?」
「エルフ族と仲が悪いって本当ですか?」
急に周りを学生たちに囲まれ、矢継ぎ早に挨拶や質問やらの波に飲まれたエシャーはまともに返事も出来ない。
「みなさん!」
突然、 凛としたよく通る女学生の声が響いた。皆が一斉に静まる。
「自習の時間ですよ。自室にお戻りなさい」
少し音量は下がったが、やはり緊張感を誘い出す口調でその女学生は食堂内の学生たちを促す。エシャーの周りにいた学生たちもそそくさと食堂出口へ向かい動き出した。
「まったく……驚いたでしょ?」
学生たちの壁が消え、ようやくエシャーは声の主の姿を確認する。肩にかからない程度の栗色のカールがかかった髪をフワフワ揺らしながら、その女学生はにこやかにエシャーに歩み寄って来た。
「あ……ありがとう」
「どういたしまして。私、10回生のサレマラよ。よろしくね」
サレマラはエシャーのそばまで来ると手を差し伸ばす。エシャーもその手を握り返した。
「ありがとう! 急にみんなに話しかけられて困ってたから……助かったよ! 10回生ってことは……同じ?」
「そうよ。学長からあなたの『指導』を仰せつかってるの。部屋も同じよ!」
「え? ホント!」
エシャーの目が輝く。
「うん! おいで。案内してあげるわ」
サレマラは握ったままのエシャーの手を引き、食堂出口に向かって歩き出した。
「ここは初めてでしょ?……っていうか王都が初めてよね?」
「うん。村を出て2週間くらいだから、まだ全然こっちのことが分からないんだぁ……」
サレマラの案内で寄宿舎内を歩きつつ、エシャーは学生たちからの好奇の目に 晒される。なんだか気恥ずかしい気分だ。
あーあ……早くみんなと会いたいなぁ……アッキーは平気かなぁ?
エシャーは廊下の窓から遠くに見える王城の影を見つめつつ、慣れない「学校生活」の始まりに不安を感じていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
レイラは机の上に飾ってある球体の水晶を右手で優しく撫でながら、その表面に薄っすらと浮かんでは消える指跡の曇りを眺めていた。背後には室内中央に置かれたローテーブルを挟んで2本のソファーが置かれている。1本にはミシュラとカシュラが並んで座っていた。
「レイラも座ったら?」
レイラの様子が「気になる」のか「気にいらない」のか、ミシュラがぶっきら棒に声をかける。
「結構よ。このままのほうが落ち着くわ」
レイラは顔も向けずに答えた。
「あなたに立たれてると、見下げられてるみたいで嫌なのよ」
カシュラがイライラとした声を投げかける。レイラはニッコリと微笑みながら振り返った。
「目線が高いほうが良いなら、あなたもお立ちになられれば?」
「その態度の事を言ってんの!」
カシュラが噛み付くように声を荒げる。
「あら? どういう意味かしら?」
静かな微笑を 湛えたまま、レイラはカシュラに向かい首を傾げた。カシュラは怒りを 顕わに立ち上がろうとしたが、隣のミシュラがそれを制止した。
「カミーラ様の御縁者だからって、いつまでもお高く留まっていたら、いつか後悔する事になるわよ」
引きつったような笑みを浮かべるミシュラから投げかけられた言葉に、レイラの微笑が消える。ミシュラは挑むような眼つきでレイラを睨んだまま「言ってやった!」という満足感と、レイラから発せられる危険な雰囲気に対し「マズイかも……」という不安が入り混じった複雑な笑みを見せている。しかし、レイラが見せた冷徹な瞳の光は、一度瞼が閉じられた後には消えていた。
「高老大使は私よりあなた方を高く評価なさっておられますわ。もっと自信をお持ちになられてもよろしいのでは?」
レイラはニッコリ微笑み、ミシュラとカシュラに告げる。
「あら? 噂をすれば……お戻りになられたようですわよ」
扉に向かいレイラは視線を移す。ミシュラとカシュラは、ほんのひと時向けられたレイラからの「殺意」に圧倒されていたが、気を取り直したように扉に顔を向けた。
開かれた扉から、カミーラを先頭にビデルとルロエが入って来る。ミシュラとカシュラはソファーからすぐに立ち上がると、レイラと同じように執務机の前に立ち並び入室者を迎えた。
「かけたまえ……」
カミーラはミシュラとカシュラが座っていたソファーに座りながら、対面のソファーに座るようビデルを促す。ルロエはビデルのソファーの後ろに立つと、チラッとレイラに目線を向け笑顔で会釈した。レイラも小さく会釈を返す。
「さて……それで?」
カミーラは「話の続き」を尋ねるようにビデルへ語りかける。入室前に会談は始まっていたのだろう。
「エルグレドの件は……まあ内調の勇み足でしょうから……『守りの盾』の探索は引き続き彼の隊に任せたいと思います」
「まだ何の糸口も見つかってはおらんのだろう? なあ、レイラ」
ビデルの発言を受け、カミーラが確認するように尋ねた。
「ええ。ご報告した通りですわ」
すでに探索隊メンバーであるレイラから情報を入手していたカミーラは、勝ち誇ったような笑みを見せる。
「ルロエ……そういうことらしいぞ?」
「しつこい男だなぁ、君も……」
ルロエは失笑混じりにカミーラに答えた。
「3ヶ月の探索期間が終わるまでは諦めはしないし、彼らの働きを期待して信じて待つよ」
「とにかく大使……」
ビデルが話を引き取る。
「先の内陸地震により崩壊した5ヶ所の渓谷橋修復についてですが……やはり協議会から出されました『負担割』については……御再考いただきたいというのが閣僚会議での結論となっております」
「どの程度で話がまとまりそうだ?」
「方針は6対4……上限で7対3になるかと……サーガの大群行による被害もまだ全容が見えない状況下でもありますので……」
カミーラは頷きながら話を聞く。
「お前はどのラインで折れる?」
ビデルを品定めするように鋭い目線を向け、カミーラは問いかけた。
「そうですね……」
ビデルは少し考える素振りの後、視線をカミーラに向けて答える。
「8対2程度なら……もちろん労務協力として、エルフ族からの人的拠出も加えていただくことが条件にはなりますが……」
「なるほどな……いいだろう。ヒーズイットとはその線で話を進めることとしよう」
カミーラは納得した様子で答えた。
「ヒーズイット大臣との次の交渉はいつに?」
「一週間後だ。ヤツも軍部大将として色々忙しいそうでな……まあ、こちらも『間』をもって再交渉に臨むが益だろう」
「では……やはり今回は我々と御一緒に?」
「破損具合を直に確認した上での交渉となれば、ヒーズイットも納得だろう。お前らの調査に同行すれば『協力』の姿勢も示せるしな」
ビデルはチラッと背後のルロエに顔を向けた。その仕草に気付いたカミーラは、軽く頬を緩めて口を開く。
「ふん……別にそいつと一緒でも、こちらは構わんということだ」
ルロエは苦笑いを浮かべる。
「私はビデル大臣の護衛としての任務に専念するだけです」
ビデルはルロエとカミーラの言葉に頷くと、席を立つ。
「……わかりました。では高老大使、明朝9時に出発ということで省へお越し下さい」
「了解した」
ビデルはカミーラに一礼し、ルロエと共に扉に向かう。
「お前も下がれ」
扉を開きビデルを通したルロエは、背後でカミーラがレイラに発した声が聞こえ振り返った。指示された通り、レイラも扉に向かって歩き出す。ルロエはレイラが出て来るまで扉を開いたまま待っていた。
「ありがとうございます、ルロエさん」
レイラは微笑みながらお礼を述べる。
「こちらこそ……エシャーがお世話になっています」
ルロエも笑みを浮かべて答える。後ろ手に部屋の扉を閉める間際、カミーラの声が聞こえた。
「さて……ミシュラ、カシュラ、始めようか……」
レイラの顔からスッと笑みが消えた。




