第158話 驚愕の宣告
「カ……ナ?」
篤樹はその名前が一瞬誰なのか分からなかった。だがすぐに「ハッ!」と思い至る。
「カナ……柴田……加奈? あの……転校生の?」
エルグレドは苦笑して首を横に振った。
「そう言われましても……分かりません。言ったでしょ? 私が聞いたのは『カナ』と呼びかけた自分の声……あの『女』が叫んだ言葉だけなんです」
柴田を呼んだ?……ってことはやっぱりバックミラーを「分心」にしてたのは先生?……いや! それよりなんで……
「なんでアッキーのドウキュウセイが、そんな恐ろしいバケモノになってたの?」
篤樹が疑問の言葉をまとめる前に、エシャーがエルグレドに尋ねた。
「バケモノと言うか……『分心』ですよ。創世神話に出て来るあの『黒魔龍』のね」
「黒魔龍の分心!?」
レイラが珍しく大声で聞き返す。レイラだけでなく、スレヤーもエシャーもかなり驚いている。
「あの……」
相変わらず「こちらの世界の話」にほとんどついていけない篤樹は、その驚きを早く共有したい。
「黒魔龍というのは……」
エルグレドが篤樹の思いを受け止めて説明を始める。
「古代の邪悪な龍の呼び名です。天地の初めの時から存在し、暗黒時代を支配していた巨大な龍のことです。地上の命ある者は黒魔龍のエサ、 蹂躙の対象とされていました。人もエルフも妖精も獣人も……全て命在るものにとっての絶対的な恐怖の存在……自分以外の命を消し去る事だけを目的に、世界を徘徊していた忌まわしき巨大な蛇……」
「その黒魔龍を封じたのが創世七神よ」
落ち着きを取り戻したレイラが話を引き取る。
「この世界は黒魔龍に支配されていた……というよりは黒魔龍がいたため、誰も自由に生きられない世界だった。徘徊する黒魔龍に見つかれば女も子どもも関係なく全ての命が瞬殺されていた世界……そこに現れたのが最上神に率いられた伝説の創世七神よ。彼らと黒魔龍の戦いは海を沸き立たせ大地を砕き、空を引き裂くほどの激しいものだった……と言い伝えられてるわ」
「そんで黒魔龍は地の深くに封じられた。創世七神も奴を抑え込むために地の柱となってる……ってのが創世神話でよく聞く話さ」
スレヤーも自分が知っている創世神話を篤樹に教える。篤樹はしばらく呆然と話を聞き、やがて改めて尋ねた。
「でも……なんで柴田が……そんな龍に……世界を蹂躙してたって……は? 意味分かんねぇし……」
「そうですね……」
エルグレドは困惑する篤樹に、優しい口調で応じる。
「太古の出来事ですから、事実とは多少違った話になり後世に伝わって来たのかも知れません。私も……何種類かの言い伝えを世界中で耳にしました。まあ、大方は同じ系統の……今お話を聞いた内容の神話ですが、微妙に食い違いがあったり登場人物も違うんですよ。七神ではなく八神であったという伝説や、最上神が双子の女性だというものもありました。ただ……総合的に考え導き出される結論として、地に封じられた黒魔龍の残思は地上に在り、何かをきっかけに……そのきっかけが『ガラス』の存在らしいのですが、それに気づくと雷雲の黒蛇となって現われ『ガラス』を消滅させて来たワケです」
ガラスは嫌い……どうして……勝手にガラスを作ってしまったの……
篤樹の頭にタグアの宿で聞こえたあの声が思い出される。誰の声なのか分からなかった……でも今はハッキリと柴田加奈の声として認識するようになっている。
なんで……あの柴田が……
「まあ、それで私も『ガラス錬成魔法』が実用化された事に大変興味をもっていたんですよ。自分でも何度か試したんですが、どうにも上手く作り出せませんでしたし『彼女』が再び力を蓄えて現れるのではないかと気になっていたんです」
エルグレドが語る言葉にもうわの空で、篤樹は尚も理解出来ない「この世界の話」に呆然とした表情を浮かべている。
「それで? 結局その黒蛇の雷雲ってのはどうなったんですか?」
スレヤーにとっては柴田加奈の話より、「この戦闘の行方」のほうが気になるようだ。
「ああ……そうですね」
エルグレドも話を戻す。
「私の口から発せられたあの 女の呼びかけに、黒蛇は反応しましたよ。押さえ付ける力が消え、私は一瞬、助かったのかと安堵したのですが……」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
黒蛇の雷雲は明らかに動揺しているようだった。人格を持たない思念としての存在で在りながら、同時に「自分」という存在へ声をかけてきた者に対する驚きと不審感、その中に薄っすらとした「安堵」をエグザルレイは感じた。だが、すぐにそれらの「感情」は感知出来なくなった。
「さあ……準備を始めて……」
エグザルレイの意識の中で、「あの女」の緊張した声が響く。言語能力の主導権は戻されたようだ。黒蛇の雷雲が、エグザルレイを圧し下げた地中から薄れていく。
「何をするつもりでしょうか?」
雷雲が完全に穴の中から消えたと感じたエグザルレイは、直径10mほどのクレーター最深部から空を見上げた。黒蛇の雷雲が、まるでとぐろを巻くように上空で稲光を発しながら渦巻いている。
「気をつけて……来るわ!」
黒蛇の雷雲は巨大な滝のように一気にエグザルレイを目掛け降下して来た。
「ミラーを!」
女性の声が響く前から、エグザルレイは「予言の鏡」滅焼に取りかかっていた。だが、鏡は真っ赤な熱の塊になり始めてはいるが、まだ形を保っている。
間に合わない!?
圧倒的な恐怖が頭髪に触れるほどまで近づいたその時、エグザルレイは大きな「力」が自分の法術に加えられたのを感じた。
予言者の……力……ですか?
尋ねる間もなく、鏡が溶解し蒸発するのを確認する。それは同時に黒蛇の雷雲をも蒸発させる巨大な力だった。ほんの一瞬の出来事だった。目の前を真っ白な光が満たす。
これは……
エグザルレイは感じた。あの北のエルフから騙し討ちを食らった瞬間にも見た光景だ。
……これは……死の幕が……開く……光……
グラディー山脈中北部の山腹に、真っ白い巨大な光の柱が立ち上った。
―・―・―・―・―・―
一体……どう……なったんでしょうか……
エグザルレイは真っ白な世界の中で身動きがとれずにいた。方向感覚もない。自分が動いているのか、止まっているのかも認知出来ない。だが……前回の「死」との違いは……ハッキリとした意識がある事だ。
少しずつ少しずつ、その意識の中で状況分析が進んでいく。
あの時……咄嗟に防御魔法は発動した。でもそれは豪雨の下で1枚の葉を頭にかざすようなものだった。あの破壊的爆発の中で身を守れるような強度は無かった。でも……「死ななかった」というのが現実……
白い世界の中に、やがて何かの輪郭が白の濃淡で見え始める。視覚の回復だけでなく、自分の呼吸にも気が付いた。
私の……身体が……在る……
認知し始めたエグザルレイの全身に、突然、耐え難いほどの激痛が走った。
「グワァ!」
あまりの激痛に、思わず叫び声を上げる。と同時に「生きている」という実感を覚えた。痛みのために閉じたまぶたを、恐る恐る開く。先ほど「見た」白い濃淡の輪郭が、今はしっかり色分けされて見えている。
穴の…… 縁?……空が……
エグザルレイは、自分がクレーターの最深部で仰向けに倒れていることを理解した。
「……すごい回復力ね……」
あの女の声が意識の中に響く。
「クッ……まだ……おられたのですか……」
口が開き声も出せた。ひどい怪我を全身に負っていることは分かるが、まだ細部まで確認は出来ない。だが、声が出せることを確認できただけでもホッとする。
「すぐに……消えるわ……多分……」
女の声は残念そうに聞こえた。
「私は……一体……」
エグザルレイは少しでも早く状況を確認したかった。死なずに済んだのなら……まだやるべき事が……
「安心して……再生してるわ」
再生?
「あの黒蛇の雷雲は打ち払った……というよりも、加奈さんの思念は私の力とぶつかり合ってかなり薄れた……あの姿を現すほどの力はもう……しばらくは失ったはずよ」
女の説明を聞き流し、エグザルレイは尋ねる。
「再生とは……どういう意味です?」
「あなたは『死なない』わ。いつまでかは分からないけど……特別な存在……選ばれた戦士……『面白い素材』だから……」
「えっ?」
女の声が薄れながら語る言葉にエグザルレイは驚いた。
面白い素材……「アイツ」と同じことをこの 女が……
「待って! それはどういう意味でグッ……」
消えゆく女の声を追いかけ、身を起そうと呼びかけたために、エグザルレイは全身の激痛に襲われ身を転がし、苦痛に耐える。痛みが収まった時には、もう予言者の声も気配も感じられなくなっていた。
死ぬことのない特別な存在……選ばれた……「面白い素材」……
痛みに耐えるエグザルレイの頭の中を、女の言葉がグルグル巡り回る。アルビの戦いにおいても、エグラシスに戻ってからの戦いの中でも感じていたこと……傷の治癒力が格段に上がっていることは認識していた。
その要因には間違いなくフィリーから受けた「エルフからの輸血」が影響しているのだろうと考えていた。それだけでなく、ミツキから教えられた法力により治癒魔法のレベルも高まっているからだと……だが……それだけでは無かったらしい。
「死なない……と言われましてもねぇ……」
エグザルレイは声に出し、気持ちを整理する。高い自己治癒能力を持つエルフであっても「瞬殺」攻撃を受ければ絶命するものだ。あのフィルロンニも、人属の手による瞬殺の攻撃で死んだという話を思い出す。黒蛇の雷雲を打ち払ったあの爆発的衝撃はまさに「瞬殺」を下す威力……滅殺級の法撃だった。
それなのに……
手足の感覚を確かめながら、エグザルレイは自分の肉体の破損レベルを確認する。
なるほど……消し飛んだはずの肉体が、今は「瀕死の重傷」って状態までに「再生」している、ということですか……
「痛感神経の再生は最後でいいんですけどねぇ……そんなに都合良くは無いってことですか……」
今の自分の身体状態を考えるなら、あの女の声が語った内容は真実なのだろうと受け入れるしかない。
「いつまでかは分からない」と言っていたことから考えれば「当面の間は 不死者」、ってことですか……宿題を片付けるには丁度いいですね……
我が身に起きている事実に対し否定しても仕方がない。エグザルレイは「当面の不死者」であることを受け入れた。
「あとは……面白い素材……ですか……」
「面白い素材」は、ベルブから聞いた「アイツ」が語った言葉……同じ単語を彼女が私に使ったのは……なぜだ?
「ま……いずれ答えを見つけてみますよ……不死者なのですから……時間はありそうです……」
巨大な穴の底で大の字に手足を広げ、エグザルレイは全身の力を抜く。目の前には、真っ青なグラディーの空が広がっていた。
雷雲は…… 祓われたようですね……




