第145話 望郷
女客の証言を聞いた兵士は、探るようにエグザルレイを睨んでいる。明らかに疑いを抱いている視線だ。しかしエグザルレイは涼しげな笑みを浮かべ応じた。
「ああ……これですか?」
カウンターの下から折り畳んだ紙を取り出し見せる。兵士はカウンターに駆け寄ると、エグザルレイの手から奪うようにその紙を取り上げ開いた。
「なんだ……この数字は?」
「来週の数字選択富クジの予想番号です。メフィリムさんの予想は結構当たるみたいで、店長が時々お願いしてるんですよ。今夜は会合に出られてるので私が預かったんですが……書き写されていきますか?」
エグザルレイは酒棚に置いてある 炭筆と紙を取る素振りを見せる。
「要らん! それよりここの店長は……」
「モリヤですねぇ」
兵士の一人が手にした手帳を開いて答えた。
「モリヤ?……ああ、アイツか……それじゃ関係無ぇか……クソッ!」
兵士はそう言うと今度こそという勢いで店から出て行った。
さて……
エグザルレイは視線を「女客」に向ける。
「あら、ごめんなさいねバーテンさん。悪気は無かったのよぉ?」
女はエグザルレイと視線を合わせ、カップを持ち上げて軽く謝罪の言葉をかけた。
「ついでに、お代わりいただけるかしら?」
「あ……でも……」
同席の男が一瞬慌てた様子で女を制止しようとする。しかし、すぐに声色を変えて続けた。
「おい。もう今日は良いだろう? 店を出よう。すみません、お勘定を!」
エグザルレイはこの「カップル」が偽装だと、途中から見抜いていた。仕草から見て普通のカップルでは無い事は分かる。本来の上下関係のまま偽装していれば気付くのも遅れただろう。だが「男が女をリードする」というこの町の習慣に合わせるためだろうが、本来は下位の男が上位を装って会話をしていた。女のほうは自然に下位を演じていたが、それは普段が上位者だからこそ成し得る余裕の賜物だろう。当然、 偽装された「会話」からも、綻びが端々に聞き取れていたのだ。
何のための偽装なのか……まだ目的は不明だが、不都合が生じそうな情報をあの兵士に与えたところをみると、監視対象はもう一組居る3人の男客ではなく、この店……標的は……私か……
「2500ギンになります」
にこやかに請求の声をかけ、男女の様子を確認する。
やっぱりね……
女が男に向かい、もの凄い視線で睨みつけたのをエグザルレイは見逃さなかった。
女としては、これから私を探るための「会話」を始めようとしていた所だったのに、男は女が「悪酔いし始めた」と判断してやめさせてしまった……急造の偽装カップルのために呼吸が合わず、作戦を邪魔され怒ってるってとこでしょうか。彼は……外で相当絞られるんでしょうね。
男が支払いを済ませる間も女は苛立ちを隠せない様子だったが、「素性」がばれるのを嫌がってなのか、口を閉ざして男に従い店から出て行く。
「こっちも勘定たのむ!」
もう1組の男客3人も、程よい酔い具合という笑顔で談笑をしながら会計を済ませ店を出た。エグザルレイは客を送り出すと表の看板を店内に入れて扉の鍵を閉じ、店内の窓板を全てはめると、いつもより丁寧に閉店の片付けを済ませた。
「さてと……いよいよ潮時ですかね……」
エグザルレイはカウンターに戻り、折り畳まれた紙を 2つ取り出す。
「こういうのは、なかなか当たらないものです……」
先ほど兵士に見せた紙を開き中を確認すると、きちんと畳み直してカウンターの上に置く。昼間、たまたま店長のモリヤが予想をメモして置いていたのをエグザルレイが保管していたものだ。メフィリムとは無関係のそのメモのおかげで、ひと騒動をやり過ごすことが出来たのは運が良かったかも知れない。
そしてもう1枚の紙……メフィリムから受け取った紙を開いて確認する。
「……やはり手薄なのは海岸線の『柱』ですか……」
紙には簡単な地図……グラディー領を示す地図が描かれ、その周囲に20の印と、それぞれの印の横に警備規模を示す数字が書かれていた。
―・―・―・―・―・―
充分に夜も更けた頃、エグザルレイはモリヤの酒場の裏戸から静かに外へ出る。この数ヶ月の間、いつでも移動出来るよう備えていた。イグナの王宮を抜け出したあの夜の事を思い出す。
師匠……ケパさん……。私をグラディーの地へ導いて下さい……
エグザルレイは祈るように目を閉じ、右手をギュッと握り締めた。
ユーゴ魔法院の法術士達……全てでは無いが一部に「あの頃」と同じ流れにある組織が今も存在している。エグデン王国を……この「共和制エグデン王国」に統一した奴等が、今も王室を裏から操っている……エグザルレイは手に入れた様々な情報を元にそう推測していた。
「『グラディーの悪邪物語』……ですか……」
こちらに戻り何度か耳にした「グラディーの悪邪物語」……エグデンにとって都合の良いように脚色・編集された「昔話」を思い出し、エグザルレイはフッと笑う。
師匠の言われていた通りの「 虚文社会」ですね……誰も疑う事無く、グラディーの戦士達を「大陸を荒らした巨悪の民」と信じています。あの「壁」を作るための「柱」に使われた 義兄さん達を踏み台に、魔法院の法術士が「英雄柱」等と呼ばれ、人々から賞賛されている世界……
エグザルレイは悔しさと怒り、そして望郷の想いから足を早めた。
バロウさん…… 呪縛を必ず……解いてみせますから!
「こんな夜更けにどちらまでいかれるのかしら? バーテンさん」
町の外に広がる森へ続く道を目前にして、女の声がエグザルレイを呼び止めた。エグザルレイは大して驚きもせずに立ち止まる。
「おや? 酔い 醒ましのお散歩ですか? お客さま」
姿を見せたのは閉店前に店にいた「偽装」カップルの女だった。
姿を隠してるのは……6……いや……樹上に2人……。彼女と合わせて9人で待ち伏せですか……
「こんな夜更けに、私のような女性が1人でお散歩をする……と本気でお思いかしら? バーテンさん」
若さと共に落ち着きを感じさせる女性……見た目以上のお歳かも知れませんが……女性に年齢を尋ねるわけにもいきませんね。何より……
「お1人でも、並の強盗相手くらいでしたら、あなたなら大丈夫なのでは?」
エグザルレイは優しくにこやかに応答する。女も会話を楽しんでいるように応じた。
「何を根拠にそう思われますの?」
「私も法術を少々身に付けていましてね。法力を計る目も、ある程度は確かだと自負してるんです」
薄雲が流れ行き、月明かりが増して来た。女は口元に笑みを浮かべ、ジッとエグザルレイを見つめながら口を開く。
「見かけによらずいやらしい方ですこと。男性にエスコートされている女性客を、そんな目で見ていらしたの?」
「いえ……お連れの方の『演技』が少し気になったので……彼は?」
「あら? やっぱり?……仕方無かったのよ。他の『強面連中』じゃ、あまりにも私との釣り合いが悪くって……。もう少し『演技指導』をしておくべきだったわね」
女の言葉の中に攻撃前の呼吸を感じ取る。薄雲が再び月明かりに幕を張り始めた。
「したかた無い」ですねぇ……
エグザルレイは故郷グラディーへの想いからか、幼少期のミルカとの会話を思い出し微笑んだ。攻撃態勢に入ろうとしていた女は、エグザルレイのその笑みの意味が分からず一瞬「え?」という表情を見せた。次の瞬間……女の目の前に立っていたエグザルレイの姿は、まるで霧が晴れるように掻き消える。荷物袋だけがドサッ! と音を立てて道に落ちたのを、女は呆然と見つめた。
すぐに周囲から男たちの声が響く。
「ヤツは?!」
周りに隠れている部下達は、お互いにエグザルレイの所在を確認し合う。
ドサッ! バタッ!
月明かりの途絶えた薄闇の中、辺りで立て続けに何かが……いや……間違いなく部下達が倒されていく音と気配を女は感じとる。
あの男が……
女は急いで防御態勢をとった。
「すみませんね……」
しかし、背後をエグザルレイにとられ耳元で囁かれる。
この男……とんでもない……
エグザルレイの発した法力量を感じ取り、女の顔が恐怖に歪む。
「風邪をひかないと良いんですが……」
耳元で優しく囁かれたその一言を認識すると同時に、女は自分の意識が遠のいていくのを感じた。
やら……れた?……フフッ……でも、 部下達とは違って、ちゃんと腕を添えてくれているようね……。あら……やっぱり見た目通りに紳士じゃない……
エグザルレイは意識を失った女を両腕で抱え上げると、道の脇に建てられている納屋に向かい歩き出す。
「さて……と」
納屋に置いてあるワラ束の上に女をそっと寝かせ、エグザルレイは襲撃者達から抜き取った身分証を一枚ずつ確認していく。
「文化……法暦省……ですか……。こちらは……ユーゴ魔法院?……なるほど……特別編成チームって事ですね。お若いのに、ずいぶんと出世されていますね、ミッシェル上級法術士さん」
法術によって眠りに落ちている女に視線を向け、エグザルレイは静かに語りかけると、その手に全員の身分証明カードを握らせた。
「それでは、ごきげんよう……」
エグザルレイは納屋に置いてあった布をミッシェルという名の上級法術士にそっとかけ、路上に落とした自分の荷物を拾い上げると、森へ続く道へ戻って行った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「……そんな連中に手を出したのは、マズかったんじゃないですかい?」
自由奔放とは言え、国の組織に属しているスレヤーはエルグレドの話に驚き、目を見開いて尋ねた。「特別チーム」を知るがゆえに、事の重大さを篤樹達以上に感じ取ったのだ。
「法暦省と魔法院の合同チームっていや、王室直属の 内調部隊って事でしょ?……まあ……今と同じ制度なら……」
「今よりも危険な組織でしたよ」
エルグレドはカップのピピを飲み干し答えた。
「先々王時代に暴走気味になった内調部隊への 粛清がありましたからね……それ以降は、職務遂行に不要な暴力もずいぶん減少していますよ」
「あれでですか?!」
スレヤーは自分が知る「内調部隊」の暴力的職務遂行を思い出し、ますます驚きの声を上げた。
「そんなに怖い人達なんですか?」
篤樹は事情が分からないので、とりあえず「どのくらい危険なのか」が気になる。
「王室の権限を持っていますからね。ルールを後からでも変えられる人達、と言えば分かりやすいでしょうか? やりたい放題やってもお 咎め無しなんですよ、彼らは」
「その代わり……」
エルグレドの言葉にレイラが被せた。
「結果を出さないと自分達の命が危ないって事でしょ? あの方々は」
「そういう事です。だから彼女も……ミッシェルさんも気が気じゃ無かったんです。あの頃の私はそこまで思い至ってませんでしたから、単純に『追っ手を 撒いた』くらいにしか考えていなかったんですが……」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「本当に困ります。これ以上やるというなら……さすがに無傷で済ませるってワケにはいきませんよ?」
エグザルレイはウンザリしていた。
何なんでしょうか? この 女は……
「イヤよ! もう……私にはあなたを頼るしか無いんだから!」
ミッシェルは両手の平を体の前方に重ね合わせ、内在法力を高めていく。
まったく……困った女ですね……これが人にモノを頼む態度ですか?
「あなたを捕り逃したおかげで……私は降格させられたのよ! もうお終いよ!」
「そんなこと知りませんよ! 大体、あなた方が勝手に私を調べたりするから……」
「調べて無いわよ! 調べようとしてただけよ! それなのに……調べられもする前にあなたが逃げ出したりするから!」
ミッシェルは重要容疑者を取り逃がした責任を組織から問われていた。しかも、ただ取り逃がしただけでなく「逃亡を見過ごした」と部下達に虚偽の証言をされたため、内調部隊から粛清対象とされてしまったのだ。
一度組織に疑われてしまえば、もはや弁明の機会も余地もない事をよく知っている。行動の自由がある内に逃げ出すしかなかったのだ。自分が知り得る最強の人間……あの「とんでもない法力量」を持つ男を味方につけるしか生き延びる道はないと判断し、エグザルレイの後を追った。
生き延びるために……アイツを味方に付けないと!
「……どうしても……一緒に連れて行ってもらうわよ……」
お?どうやら溜まったみたいですね。では……
エグザルレイはミッシェルの声の響きから、彼女の 渾身の一撃が繰り出されようとしているのを感じ取った。
「私の人生の……責任をとれー!」
ミッシェルの手の平から、虹色に輝く光の攻撃魔法がエグザルレイ目がけて放たれる。
ま、それでもこれが彼女の限界値なんでしょうね……
光はエグザルレイの身体を全て包み隠すほどに膨らんだが、貫けない事を悟ったかのように四方へ弾き飛ぶ。エグザルレイは防御態勢をとることさえなく、満面の笑みを見せ、元の場所に立っている。
「私の旅の邪魔をしないでくれませんか? 同行者は不要なんです」
圧倒的な力の差を見せ付けられたミッシェルは、呆然と目を見開きエグザルレイをしばらく見つめた。やがて目を閉じ口元に微笑を見せる。
やれやれ……諦めてくれましたか……
エグザルレイはこの「不毛な争い」がようやく終わったと安心し、背を向けてその場から立ち去ろうとした。その背を見つめるミッシェルの顔からは微笑が消え、表情が歪む。
「ま……て……」
背後から聞こえる呟きにエグザルレイはうんざりした。
もう……いい加減に……
溜息をつき、エグザルレイはミッシェルに「失神魔法」でもかけようかと振り向き左手を向けた……が……ミッシェルと目が合う。悔しそうに唇を噛み締め、目に涙を一杯に溜め、真っ直ぐにエグザルレイを見ている……いや「睨み」つけている?
「まってよ……待ちなさいよぉー!」
ミッシェルはそう叫ぶと、大声で泣き出した。充分に魅力的な大人の女性が、こんな稚児のような泣き方をするのを始めて見たエグザルレイは、あまりに突然の事で呆気にとられてしまう。
「もう……もうお 終いよー! あんたのせいで……うわ~ん!」
ミッシェルはそのまま地面にペタンと座り込むと、左右の手で無造作に地面の土を 掴んではエグザルレイに向け投げ撒き、尚も大声で泣き喚き始めた。
なんだ……この 女は……こんな泣き方……まるで……トッパのような……
エグザルレイはあまりにも予想外なミッシェルの「最終攻撃」の前に為す 術を失い、ただ、その姿を呆然と見ていた。




