第144話 バーテンダー
「エルさん。この先は申し訳無ぇが小舟を下ろしますんで……」
船体に当たる波音も穏やかな、新月の闇夜の海上……星明りさえ雲で隠れた漆黒の空間で船長の声が静かに聞こえた。
エグデンの沿岸警備に見つからないよう、船内の灯りを全て消しての危険な航海。アルビの友らにこれ以上の危険を 冒させるわけにもいかないとエグザルレイも考えていた。
「こちらこそすみません。こんなに近くまで運んでいただいて」
「本当なら俺達も一緒に行ってエグデンのヤツラを 蹴散らしてやりたいんですがね!」
少し離れたところから 狼獣人船員の声が聞こえる。その周りにいる何人かの船員達も相槌をうつ。
「馬鹿野郎! 戦争仕掛けに行くわけじゃ無ぇんだから黙ってろ!」
船長が発した一喝にも船員達はヘラヘラと笑い声で答え、それぞれの作業を続ける。
「ホントすみません。ご先祖さまたちを追い出した憎い敵国って、昔から聞かされてるもんで……ホントはただ、自分たちのルーツがどんなところなのかって興味津々なだけなんですよ」
船長がエグザルレイに語りかけた。
「私も興味津々ですよ。何せ400年振りの生まれ故郷ですからね。それに……」
エグザルレイも楽しそうな声で答える。
「ベルブとの戦いで……私の内に溜まりに溜まっていた怒りや憎しみは、随分と放出されてしまったようです。戦争をしたいわけでも、誰かと戦いたいわけでもありません。ただ、知らなければならない事、探さなければならないモノが突然、数多く出来てしまいましたから……それらを見つけ出すための私的な旅です」
そう……いくつもの「宿題」を抱えてしまった。ミツキの森への新しい入口を見つける事……フィリーに色々と報告しなくちゃ。それに……ミツキさんでも知らない「フィリーを元に戻す方法」だって見つかるかも知れない。私自身についても……ベルブが言っていた「アイツ」とは何者なのか? サーガの実なんてモノをベルブに食わせた奴が、なぜ私を「面白い素材」と呼んでいるのか? 結局、ベルブからは何も情報は得られなかった。その上……奴を消し飛ばしてしまったのだから、手がかりは何も無い。「アイツ」とやらを見つけ出し、その真意を確かめること……これも大事な「宿題」だ。
ザボンッ!
小舟が海上に下ろされる音が聞こえた。
よし……行くか!
エグザルレイは 瞼を閉じた。途端に船上の様子がハッキリと瞼の裏に映し出される。ミツキの特訓により得た「研ぎ澄まされた五感と法術」によるイメージ投影だ。
小舟に下ろされた 縄梯子を降りながら、エグザルレイは甲板を見上げる。
「アルビの皆さんに宜しくお伝え下さい! 必ず、またお伺いしますと!」
小舟に降り立ったエグザルレイは、舟尾に備えられている 櫓の横に座り、櫓腕を押し引きしながら船を離れて行く。船上で見送る狼獣人達の姿を目視出来なくなるまで何度も振り返りつつ、エグザルレイは櫓を漕ぎ進んだ。
船の姿が見えなくなって30分が過ぎる頃、前方にエグラシス大陸西岸の黒い影がハッキリと海面に浮かび上がって来た。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「400年振りの故郷の大地ですか……」
スレヤーは、想像を超えるエルグレドの「半生」に溜息をつきながら口を開く。
「アッキーが言ってた『ウラシメタ』ってヤツより、100年も長く留守にしてたって感じですかねぇ……」
「ウラシマタロウよスレイ。ま、比較対象にはならないわね」
レイラが冷静に突っ込みを入れ、エルグレドに尋ねる。
「エグラシスの西海岸って事は……キボクの辺りかしら?」
キボク?……あっ! エルグレドさんが最初に予定していた探索隊の順路で名前が挙がってた町だ……ミシュバット遺跡の後に向かうって……
篤樹はタグアの宿での最初のミーティングを思い出しながら、頭の中で位置を探る。
ルロエさんから見せてもらった地図にも、確か大陸西岸に町の印が描いてたよなぁ……
「上陸したのは、キボクより少し南の海岸でした。町に近すぎると漁民に見つかる可能性も高いので、数キロ南を目指したんです」
「ねぇ! キボクもお魚食べられるんでしょ?」
エシャーが身を乗り出し尋ねる。エルグレドに代わってレイラが応じた。
「そうよ。海の魚は東岸のミルベか西岸のキボクかって言われるくらい有名な漁業の町よ……その頃にはもうかなり栄えていたんじゃなくて?」
「ええ……さすがにこちらの歴史には精通されてますね。……確かにキボクは漁業の盛んな町として発展していました。おかげで色々な情報も手に入りやすかったですね」
「色々な情報?」
スレヤーが聞き返す。
「はい。定番の『グラディー族の悪邪物語』や、その当時も『壁』を守り続けている『20人の英雄柱』の情報とか……」
エルグレドの声に込められた殺気を感じ取り、スレヤーは目をそらした。表情も声質も変わらないのに「込められた殺気」を篤樹でさえ感じる。しかし、すぐにエルグレドは頭を振りいつもの雰囲気で語り出す。
「未だに……ミツキさんからはダメ出しをされるでしょうね。この程度の自制能力では……。さて……とにかく私の旅の第一の目的地は、もちろんグラディーの地でしたから……キボクで現状の確認をしばらく続け、情報を集めました」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
キボクの南町外れにある酒場———気性の荒い漁師たちを相手にする 町中の酒場と違い、ここは商人御用達の店だ。
エグザルレイは「共和制エグデン王国」の現状を探るため、初めは客としてこの店に訪れた。しかし、たまたま居合わせた客同士のトラブルを、事も無く収めた実力を店主に買われ、今は「用心棒兼バーテンダー」として住み込みで働いている。
「エグザルレイ君。スマンが、今夜は後を頼めるかい? 会合が入ってる事をすっかり忘れてて……」
「ええ。構いませんよ。お出かけ下さい。終わったら閉じておきますから」
エグザルレイはここで本名を名乗っていた。400年という月日が経っているのだから、さすがに本名から素性がばれてしまう恐れは無いと考え、下手にボロを出すくらいならとあえて本名を名乗ることにしたのだ。
キボクは漁業を中心に栄えている町なので、漁民は代々この地に生まれ住む者達で顔馴染みばかりだ。しかし、大陸の大部分を占めるエグデン王国の一部となり、流通網もつながったおかげで商人達の出入も多くなり、「 他所者」に対する警戒心や閉鎖的雰囲気は無くなっていた。エグザルレイも「よくいる流れ者の1人」として、すんなりとこの町に溶け込むことが出来た。
店長はエグザルレイに後を任せると、急いで店から出て行った。店内には3人の男達のグループと、1組の男女のカップルがそれぞれのテーブル席で談笑している。
ガチャッ!
店の扉が開く音にエグザルレイは顔を上げた。薄汚れた格好の中年の男は、店内の客には目もくれず、一直線にカウンター席まで進み、エグザルレイの正面の椅子に腰を下ろした。
「いらっしゃい、メフィリムさん。いつもので?」
店内の客たちは一瞬、この男が何者なのかと興味をもったようだった。しかし、エグザルレイがにこやかに接待する姿を見て「ああ、常連か……」とでもいうように、またそれぞれの会話を始める。
エグザルレイは木彫りのカップを棚から取り出すと、樽入りのお酒を注ぎ入れ男の前に置く。
「例の情報だ。いくら出す?」
男は小声でエグザルレイに語りかけた。エグザルレイはサッと店内を見回し、同じように小声で応じる。
「……店を閉めてから改めて」
「追われてる。時間が無い。10万ギンでどうだ?」
男は薄汚れた外套の中から折り畳まれた一枚の紙を取り出しカウンターの上に置く。
「巡監隊じゃない……軍の連中だ……早いとこ身を隠したい」
エグザルレイは男の切羽詰った様子を受け入れ、交渉を始めた。
「今、手持ちは3万しかありません。部屋に戻ればあと3万は有りますが……」
「クソッ! いいよ! 6万で!」
「では店を閉めるまで待っててくれますか? 今夜は私ひとりなんで抜けられないんです」
男は唖然とした表情でエグザルレイを見る。エグザルレイはニッコリ微笑みながらもう一度告げる。
「今の手持ちは3万です」
「クソッ……分かった! 手持ちの3万を今渡せ。ほとぼり冷めたらいつか残りを寄こせ!」
そう言うと、男は目の前のコップを口に運んだ。エグザルレイはカウンターの下から小さな袋を取り出し、店内の客に気付かれないように男の前に置いた。同時に男の手から紙を受け取る。
「……俺達みてぇなヤツの情報を値切って手に入れようなんざ……見かけによらずだな」
男は文句というようより、呆れたように呟いた。エグザルレイは微笑みながら応じる。
「私の収入では今はそれが限界なんですよ。お金を稼ぐってのは大変なんですねぇ」
「……ったく。どこの金持ちのボンボンのセリフだよ。まあ、世の中、金が無きゃ何にも手に入ら無ぇってことだ。情報だってな!」
男はエグザルレイから渡された小袋を外套の内側に急いでしまう。
「お前も気をつけろ。『例の不審な小舟発見』以来、軍の中に不審者捜しの部隊が出来たそうだ。他所者は狙われるぞ。お前もワケありの身だろ?」
エグザルレイの心配をするように男は尋ねたが、それは同時に「新しい情報」を得るための「カマ掛け」でもある。王国の情報やグラディーの情報を集めるエグザルレイと、数ヶ月前に発見された不審な小舟……旧グラディー漁民仕様の小舟とに「何かの関連」がありそうだと男は考えていた。もちろんエグザルレイは男のそんな思惑は百も承知の上だ。
「故郷でちょっと……ま、随分昔の話ですけどね」
男が求めるような情報は渡さない。男もそれ以上探るのは諦める。
「それじゃ、また……いつかどこかで会った時にな」
男はコップに残っている酒を最後まで一気に飲み干すと、カウンター席から立ち上がった。
「350ギンになります」
エグザルレイはにこやかに会計を促す。男はポカンとした目で見返す。
「えっと……冗談だろ? ここは普通は……なぁ?」
「お代はお代です。私のお金ではなくお店のお金ですから。350ギン」
男は一瞬文句を言いたそうな表情を見せたが、思い直したように指定された額の小銭をポケットから出し、カウンターの上に乱暴に置く。
「分かったよ、ほら。ったく……」
「ガメついヤツめ……」と呟きながら、男は店を出ていった。数秒も間を置かず、閉まったばかりの扉が勢いよく開かれる。
「今この店から出て行った男とここで一緒にいた者は誰だ!」
飛び込んで来たのは3人の男……エグデン王国軍の制服を着た兵士達だった。
「私が接客しましたが……何か?」
エグザルレイは少々驚いた表情を浮かべながら兵士に応える。
「他には?」
「私だけです。最近よくお出でになられるメフィリムさんの事でしょう? 今、このカウンターで一杯飲まれてすぐ出て行かれましたよ」
兵士は店内に入ると、ズカズカとカウンターまで近付いて来た。
「何を話した?」
「え? 大した会話は……最近の景気の話を少々……後は今日の分のツケ払いを相談されたんですが、お断りしてキチンと支払っていただきました」
カウンターの上にまだ置かれたままのお金に視線を向け、エグザルレイは兵士に示す。
「何かあったんですか?」
「クソッ……どこに行くとか言ってなかったか?」
「さあ……しばらく旅に出るような話はされてましたが……そんな人のツケ払いなんか認めるはずも無いのに……」
エグザルレイは呆れ声で溜息をつくと、カウンターに置かれたままのカップと代金を手に取る。
「もう……しばらくはお出でになられないと思いますよ」
そう告げると、カップを洗い始めた。兵士はしばらくエグザルレイにまだ何か言いたそうだったが、舌打ちをすると向きを変え、後ろの2人の兵に声をかける。
「共謀者とは合流しなかったようだな。まだ近くにいるはずだ! 探せ!」
兵士達は急いで店から立ち去ろうとする。
「でもあなた。何か『紙』を受け取ってたわよね?」
テーブル席に座っていた男女のカップル客……その女が唐突に声を上げた。その言葉を聞き逃さず、兵士は立ち止まる。
「何の話だ? 女」
「このバーテンさん、さっきの男から何か『紙』を受け取ってたわよ?」
女の証言を受けた兵士が振り返った。その視線はカウンターの中に立つエグザルレイを鋭く睨みつけていた。




