第140話 黒いエルフ
「妖精王と『面白い素材』か……」
エグザルレイとタフカの正面にゆっくり回り込みながら「そいつ」は呟いた。2人は、意思に反し全く身体を動かすことが出来ない。夕闇に包まれ始めた草原の中の木立……残された薄い陽の光に照らされた「そいつ」の外見はエグザルレイも良く知るエルフ族の姿だった。だが……グラディーのエルフ戦士とも、北のエルフとも明らかに違う。
「はじめまして、お2人さん。俺は 闇エルフと言われている『エベンの地のエルフ』……いや『元』と言ったほうが良いな。今は自由を手に入れ、真の存在となったのだから」
それは明らかにサーガだった。奴ら特有の「命の欠片も感じられない」 禍々しい気配と、死と滅びに 憑りつかれ崩壊しかかっている肉体の悪臭、他者の命と尊厳を踏みにじる事だけを求める眼光……
「『固めたまま』じゃ面白くないな……少し 緩めるか……」
そいつはドス黒く変色し一部が腐れ落ちた 頬に、引きつったような笑みを浮かべると、右手の人差し指を2人に向け軽く 孤を空中に描いた。
「グッ……貴様……」
「何だ……お前は……」
即座にタフカとエグザルレイは声を発する。しかし身動きは取れないままだ。
「ああ! やっぱり良いな。その声、その視線……心地良し!」
そいつは嬉しそうに頷く。
「そうだな……しばらく付き合う事になるだろうから……ベルブ……とでも呼んでもらおうか?」
「ふざけるな! 貴様の名前など、どうでもいい! 一体何なんだ!」
タフカが声を荒げる。しかしベルブはお構いなしに続ける。
「エベンの地を『解放』した。クシの連中もな。でもここは……お前らがいるせいでなかなか時間がかかっている。だから俺が直々に来てやった」
「何を……言ってるんだ? お前は……」
意味不明な説明を語るベルブにエグザルレイが問い直す。ベルブは引きつった笑みを口元に浮かべたまま応じた。
「面倒くさいから説明は省くぞ。とにかく『アイツ』から、お前は『面白い素材』だから『残しておけ』と言われてる。だから残しておいてやる。妖精王は……どうせここで殺しても転生するしな。せっかくだから2人そろって残しておいて『この地の解放』を見届けさせてやろう。そうすりゃ、お前自身もようやく『解放』されるかもな」
エグザルレイとタフカに向かい、ベルブは交互に視線を向けながら語る。
「さあ……『解放』の時だ!」
そう叫び、ベルブは姿を消した。
「待て!」
その場に残された2人は、一体何が起きたのか……そして、何が起きようとしているのか理解出来ないまま、ただ、間違いなく「最悪の展開」に事態が動き出したと直感していた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「黒い……エルフ?」
レイラはエルグレドの話に現れたベルブの情報に興味を示す。
「エグラシスとつながりの無い、別の大陸に 褐色肌のエルフ…… 闇エルフと呼ばれる種族が昔いたと聞いた事がありますけど……その『ベルブ』ってサーガは、その種族出身だったってことかしら?」
「エベンの地ってのはアルビと大海を 隔てた北方の大陸でしょ? 海図で見たことがありますぜ」
スレヤーが位置関係を思い描き、口を開く。
「ええ……」
エルグレドは2人の言葉を受け取り、話しを続ける。
「ベルブはエベンの地に住む『闇エルフ』でした。しかし彼はそこで特殊なサーガへ変異し、サーガを群れ化し支配する能力を持つ者となったのです。彼が言う『解放』というのは……生ける者らの大虐殺……。そして……新たなサーガを生み出し、支配する事でした」
「『サーガ』を生み出す?」
レイラが確認するように尋ねた。
「先ほど……ミツキさんの森から出た後の私の状態が『まるでサーガのよう』だったと言いましたよね。サーガを狩ること……他者の命を奪う事で自分という存在を確認出来る戦いの中で、私が『生きている 悦び』を味わっていたと。自分の悦びのために他の者から何かを奪う事を、まるで『当然の権利』であるかのように行使する存在……私の内にも潜在的にサーガの性質が宿っていました。人がサーガに成ることは歴史上確認されていません。でもそれはサーガ化する必要もなく、人間は誰もがサーガの性質を持っているから……なのかも知れません」
「でも他の種族は……」
篤樹の呟きにエルグレドは応える。
「人間はあえてサーガ化せずとも、その性質を元から持つ存在……なのかも知れません。でも他の種族にはその性質は『元々』からは無い、という事でしょう。とにかく、ベルブが言うには『悦び』を求める者に『サーガの実』が『アイツ』から与えられるのだと……そして、その種を自らの内に取り入れサーガに変異した者は、サーガを生み出す者となり……サーガの支配者となる、という事でした」
「『サーガの実』って……妖精王が食べたやつ?」
タフカとの戦いの中で聞いた覚えのあるアイテムについてエシャーが確認する。
「そうです。タフカも『その実』を手に入れることになったんです。ま、随分後の話でしょうけどね。とにかく、その時点では私たちはベルブが何を言っているのか理解出来るだけの情報がありませんでした。ただ草原の木立の中でベルブによってかけられた『拘束魔法』に自由を奪われたまま……奴の蛮行を見つめ続けるしか無かったんです……」
「ベルブは……何をしやがったんですか?」
スレヤーは自分が想像する通りの結末であるかどうか、エルグレドの口から確認したいというように尋ねた。エルグレドはそんなスレヤーの思いを理解し語る。
「スレイの想像通りの……大虐殺ですよ。草原に集結していた異種族連合軍の兵士達……あそこには500人はいました。タフカの子ども達や獣人族の戦士、ドワーフや半獣人族の戦士……ほぼ全てが、僅か30分足らずの間に奴の手にかかりました」
「500人を……たった一人で……」
篤樹は頭に浮かんだ惨状を振り払うように目を閉じた。スレヤーは自分の戦闘経験からも想像のつかないベルブの攻撃力に言葉を失っている。
「相当の……法力の持ち主だったわけですわね。そのベルブとやらは」
レイラの言葉にエルグレドは頷く。
「ええ……奴はそれだけの攻撃を終えた後でも、息一つ乱さず私たちの所に戻って来て、自分の戦果を報告しましたからね。恐らく、あの時たとえ2000の兵がいても太刀打ち出来なかったでしょう」
一同は言葉を失い静まる。その沈黙を破ったのはエシャーだった。
「でもさ、そいつを倒したからエルは今、ここにいるんでしょう? ねぇ、どうやって倒したの? そんな強いやつを」
そうだ! エルグレドさんとタフカはアルビの大群行を止めたんだ! ベルブを倒したんだ! でも……一体どうやって……
篤樹はエルグレドの話の続きに期待し、目を向けた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ベルブは2人にかけた拘束魔法をそのままに、丘の上に向かって駆け出して行った。2人の視野で見えている範囲だけでも、相当数の味方がベルブに倒されていくのを確認した。いくつもの虹色の光が天に昇っていくのを、身動きも出来ない状態で見せられる。
タフカは自分の「子ども達」が倒されていくのを全身で感じ取り、怒りと悔しさに叫び声を上げ続けた。
狂気の蛮行が終わり、辺りを死の静けさが包むと、ベルブは2人の前に再び姿を現した。
「雑魚共は始末して来たよ。お前の子ども達も1人残らずな」
「貴様……」
子ども達の「死」を感じとり、苦しみ 悶え抜いたタフカは、血の混じる涙を流しつつベルブを 睨みつける。
「さて……と。お前らを 殺ったらどうなるのか……妖精王は殺り甲斐は無いにせよ『面白い素材』を殺ったら『アイツ』はどうする気なのか見てみたい気もするが……」
ベルブは舌なめずりをしながらエグザルレイを見つめる。
「っと! 冗談だよ!」
しかし、ベルブは急に頭を押さえ苦しみ、悔しそうな表情を浮かべた。
こいつは……何を言ってるんだ?
エグザルレイはベルブの奇行に疑問を抱く。
「さっきから何を言ってるんだ? お前は……」
ベルブは視線をエグザルレイに向け直した。
「知らねぇよ! いつか『アイツ』に自分で聞け! なんでテメェだけが『特別』なのかをよ!」
吐き捨てるようにそう答えると、ベルブは木立から立ち去って行く。
「待て!」
「貴様! 戻ってこい!」
エグザルレイとタフカは大声で叫んだが、ベルブの姿は2人の視界から完全に離れて行ってしまった。
「タフカ! この魔法を解けないのか!」
身動きの取れない身体を何とか動かそうと、エグザルレイは意識を全身に向けつつ隣のタフカに問いかける。
「無理だ! ヤツが何をしたのかも分からないんだぞ? 解き方など分かるか!」
タフカも怒鳴り返すが、その声は悔しさと怒りに満ちている。
「向こうに……誰か残っていないか? おーい! 誰かいないかー!」
エグザルレイは生存者に助けを求め声を上げた。タフカは目を閉じ、気配に集中する。
「……ダメだ……周囲に生命の気配は無い……全滅だ。諦めろ」
「クソッ!」
タフカが言うのだから、間違いなく周囲5km内には誰も「生きている者」はいないのだろう。エグザルレイは焦る気持ちを必死で抑えタフカに尋ねた。
「……ハルミラルや子ども達は?」
「……奴の攻撃を受け、子ども達が死にゆく痛みを感じた……ハルも兵士達もあの丘の上にいたのだから……くそッ……」
奴の術がいつ解けるのか……そもそも解かれることがあるのか? このまま……いつまでもこのままという事も有り得るのか?
とにかく身体の自由を取り戻す方法が何か無いかと、エグザルレイは必死で方法を探るが何も思い浮かばない。
「……おい、エル。奴が言っていた『アイツ』とは何者だ?」
タフカが静かに尋ねて来た。
「……分からない……奴の話は……全く理解出来なかった……」
そう……ベルブが「アイツ」と呼ぶ何者かの意思に従い、奴は私を殺さなかった。私が「面白い素材」? どういう意味なんだ……
「とにかく……サーガ共に見つかるか……野の獣の餌とされるのか……それとも他に散っている兵達に発見してもらえるのか……しばらく休んで経過を見るしかあるまい」
そう言うとタフカは目を閉じる。
「おい……タフカ! お前……寝るのか?」
エグザルレイは呆れたように尋ねた。
「ああ。当然だろう? 今は何を考えても、何が起こってもどうしようも無いこと位分からんのか? ならば無駄にエネルギーを費やすより、次に備え休みを取るのが得策というもの。幸い、身体の感覚が全くないおかげで、こんな姿勢でも眠れそうだしな」
タフカは目も開けずにそう答えた。
こんな姿勢のまま……
エグザルレイはタフカの行動に呆れながらも、確かに無駄にエネルギーを浪費するよりは蓄えるべきと判断し目を閉じる。
クソ! 戦闘力がまるで違いすぎる!……あんな奴に……勝てるのか? そもそもこの状況から、どうやって反撃に移る事が出来る? 500もの兵達を失った。……あの狼獣人……ウィルも……。あいつの「夢」さえ一閃で奪った奴の力……私の剣術や体術では……敵わない……
自分の無力さに無性に腹が立って来る。そして……哀しみを覚えた。
グラディーのあの森の中でも……一瞬の気の 緩みから全てを失ってしまった。 姉さま……トッパ……ピスガさんや仲間達……。私にもっと力があれば……フィリーをあんな樹の姿にする事もなかったのに……
憎い……あの北のエルフが……あの黒いエルフが……私の未熟さと弱さが……憎い……
エグザルレイは目を閉じたまま、抑えきれない苛立ちと憎しみ、自らの弱さを責め続けた。
「……来たぞ」
タフカが不意に口を開く。その声に反応し、エグザルレイはハッと目を開いた。 宵闇に包まれた草原の木立の中、ベルブに仕掛けられた拘束魔法によって硬直して立つ2人のもとに、2つの人影が近付いて来ていた。




