第134話 2人の時間
「ミツキさんは協力者となったエルフ達と共に『別空間』を、まずは試験的に創るつもりでした。ところが……結果として『賢者の森』を創り出し、自らがその森の中に閉じ込められてしまうという事態になってしまったんです」
篤樹はエルグレドの説明に「ポカン」と口を開く。
「失敗……でしたの?」
レイラが尋ねた。
「……どうでしょうか……『時の流れの違う別世界』を生み出す、という途方も無い法術は発現されたわけですから『失敗』ではなく成功でしょう。しかし……その特別な世界……『賢者の森』に入ったのは発現法術士のミツキさんただ1人だけだったという点……それと……その空間に『出入口』が整えられていなかったという点では……失敗でしょうね」
は?…… 三月……お前、何をやってんだよ!
定期試験の答案を返してもらった時に、三月が先生から注意されていた言葉を篤樹は思い出した。
『三月ぃ、お前はまた見直しをすっ飛ばしただろぉ? 式の立て方は合ってるのに途中の計算でミスしたまま続けるから答えを間違うんだよ。なんで6×8が42になるんだ? 今回も 凡ミス失点が勿体無かったなぁ……』
凡ミス失点……こんな大事な場面で……やらかしちまってたのかよぉ……
「あと……」
エルグレドは話を続けた。
「 湖神様が創られたルエルフ村は、外界との時間の流れはおよそ10分の1という安定した空間だそうですが……ミツキさんの『賢者の森』は……安定していませんでした。外界時間に対して数百分の1の時もあれば数万分の1の時もある……かと思えば外界とほとんど変わらない流れの時もある。……あの森の中だけで生きるのであれば問題ありませんが、外界との交流を考えるなら、あまりにも不安定な『時間制御』でした。……まあ、そんな裏事情は誰も知らなかったので『賢者の森』についての伝説はミツキさんが語っていた理論と実際に彼が『どこかへ消えた』という事実に尾ひれがつき後世に伝わっていったんです」
「……でも……アルビ大陸には『出入口』があったんでしょ?」
篤樹はエルグレドに尋ねる。
「ミツキさんも、長い時の間にあの森で何もせず手をこまねいていたわけでは無いんです。何をどう間違ったのか、どうすれば良いのか……何時間も考えたそうです。陽が沈まず昇りっぱなしの森ですから『何日』とか『何年』という数え方も出来なくなったそうですが……長い時の間に……身に付いた賢者の知恵を用い色々試したそうです。創り出せるもの、出せないもの……作れるもの、作れないもの……そんな『実験』を繰り返す中で、アルビの森とつながる 洞は創り出されたそうです。でも……」
エルグレドはひと呼吸を挟む。
「ようやく出来た『出入口』を通り、彼は外界に出ました。しかし、一歩外に出た 途端『死期』を感じたそうです。賢者の森の中では『死の病』を忘れて過ごせていましたが、外界に出れば、彼は数時間も経たず死に飲まれる寸前の状態にまで病が進んでいたのです。その事を悟ると、彼は急いで『賢者の森』に戻りました。それ以来……彼は『外』に出る事はしていません。そのまま……『外界』の時は流れ、 湖神様によって『制御の整ったルエルフ村』が創られ、大賢者ユーゴが現れ……人間の歴史は積み重ねられていきました」
「その大賢者ミツキが作った『森』に、エルは運び込まれた……」
レイラの言葉にエルグレドは頷く。
「ミツキさんはフィリーに『賢者の森』の成り立ちを伝えました。そして……自分が持つ知識と法術をその森の中で用いれば……私を回復出来る可能性もあるだろうと……」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「……ミツキさま……話は理解しました。この森は……何人ものエルフの『生命力』を用いて創られたのですね……」
フィルフェリーはミツキの説明を受け、改めて周囲を見渡す。人間を愛したエルフ達の「命」によって創られた世界……何千年も昔のルエルフ達の愛が支えている森……
「そう……僕の中に流れ込んで来た『創世七神の最上神』の思念っていうのかな……知識や理論を……エルフの生命力という力を使って形作った空間……それがこの『賢者の森』なんだ。彼らの思いがここには満ち溢れている」
「それじゃ……」
フィルフェリーはジッとミツキを見つめる。
「彼らの生命力で……エルは回復出来る……という事でしょうか?」
ミツキはフィルフェリーの視線を真っ直ぐに受け止め、視線をそらさずに答えた。
「残念だけど……そうはならない。……生命力を分けてくれた彼らの思いの中に、エルくんの回復を願う思いは含まれていないから……」
「エルの……回復を願う……思い?」
ミツキは申し訳無さそうに頷き応じる。
「ホントに……すまないね。……僕がもう少し先々の事まで考えて法術を発現させていれば良かったんだけど……ここはある意味で『状態保持』しか出来ないんだ。僕の病状もここでは進行しない。エルくんも……キミからの『血分け』をしなくても、このままの状態で長く生きる事は出来ると思う。だけど……彼の回復を願う力があれば……『状態保持』以上の回復も……」
「エルの回復を……願う力があれば……元通りに?」
ミツキはしばらくフィルフェリーを見つめた後で小さく頷いた。その頷きの先に待つ切ない選択を、フィルフェリーは肌に感じ取る。
「エルの声を……また聞けるんですね?」
「……キミが……ここまで弱ってさえいなければ……ここで2人とも長く生きられたと思う……」
「……今の私では?」
ミツキはジッとフィルフェリーを見る。
「キミの内に残っている生命力は……それほど大きなものでは無い。しかしそのほとんどを使えば……エルくんの状態を『現状維持』から『回復』へ転換する事は……可能だ。ただし……君自身は……そのままの姿を維持出来なくなる」
「……どう……なるんですか?」
ミツキは周りを見た。森の中の木々が風も無いのにザワつき葉を鳴らす。
「 僅かに残された生命力でも……木は長き時を生きられる。キミはエルフだから……肉体と木霊の 間……この森の一部となって生きる事になるだろう」
「森の……一部……」
木々がさらに激しくざわめく。フィルフェリーはそのわざめきの中に『エルフ達の思い』を聞いたような気がした。
「ミツキさま……お願いします。エルに……回復の力を。私の残されている命を使って……」
ミツキはフィルフェリーの瞳をジッと見つめる。思いつきでも勢いでもなく事態を全て理解した上での選択……。エグザルレイの延命のために削り続け、細く消えかかった自分の残りの命を、さらにエグザルレイの内に注ぎ込むことで『共に同じ時を生きる』のだと決意している。
単なる自己満足の犠牲心ではない……2人で生きていくという強い誓い……これなら……
「では……彼を 膝枕で支えてくれるかな……」
フィルフェリーはミツキの指示に従い、エグザルレイの頭を自分の膝の上に載せた。細く痩せ細った愛しい人の頬を両手で包む。
「エル……あなたの声をもう一度聞きたい……その腕で抱きしめて欲しい……あなたの温もり……あなたの笑顔……あなたの思いを……」
ミツキは2人から少し離れ立つと、両手の平を合わせ目の前まで持ち上げる。合わされた手の平の中にゆっくり息を吹き込み、しっかりとフィルフェリーに目線を定めた。フィルフェリーは「その時」が近付いている事を感じつつも、エグザルレイに語り続ける。
「いつか……また2人で飛びたいなぁ……だから……生きて……エル……」
賢者の森を照らす温かな陽の光が眩しさを増してくる。ミツキは手の平に込めた法力を、やさしくフィルフェリーに向け解き放った。
「あなたは……生きて……お願い……生きて……」
陽の光の眩しさは全ての影を呑みつくし……全てのものが白い光の中に溶け合っていく―――
「……やだ……イヤだーっ!」
エグザルレイは叫びながら目を見開いた。開けた草地のすぐ先に木々が立ち並んでいる。
ここは……いつもの「森」……だけど……
本人の意思によらない涙が、エグザルレイの目から溢れ流れていた。左肩に載せられている誰かの手……ゆっくり振り返ると、そこにはミツキがいた。エグザルレイは独り言のように声を洩らし尋ねる。
「……フィルフェリーは……この樹に……?」
「眠り続ける君に……ずっと生命の息吹を注ぎ続けながらね」
ミツキは優しくそう告げた。
「彼女の記憶……彼女の情報……その思いを……目覚めた君に必ず伝えると僕は約束していた。……受け止められたかい?」
エグザルレイは黙ってフィルフェリーが化した樹木を見上げる。彼女の思いの大きさ、優しさ、その愛を、その姿が重ねあわされていく。
どうして……なんで……君だけが……
「……んで……だ」
「ん? なんだい?」
やはり……まだ早かったか……
ミツキはどのような状況にも対応出来るよう、態勢を整えながらエグザルレイに問いかけた。
「……して……なんで……君が……」
事実を「見て」きた事で意識が混乱してるのか……仕方無い……
「……あなたが……フィリーに……」
エグザルレイの視線がミツキに向けられる。その目は哀しみと憎悪と……恐れに満たされている。
「うわぁー!」
次の瞬間、エグザルレイは全身でぶつかるようにミツキに向かい体重を移動し、殴りかかってきた。ミツキは予測通りのエグザルレイの行動に対し 慌てることもなく身を 避ける。拳の着地点を見失ったエグザルレイの身体は崩れたバランスを補正することも出来ず、上半身から前のめりに草地に倒れた。
もう一度……来るか?
ミツキは次の動きに備えた……が……エグザルレイは倒れ伏したまま起き上がって来る事もせず、 ただ地に伏して嗚咽している。
想定以上のダメージか……まあ……仕方無い。後は任せたよ……フィリー
ミツキはフィルフェリーの化した樹を見上げるとニッコリ微笑み、その幹を軽く左手の平でポンと叩くとその場から立ち去って行った。その後しばらくの間、エグザルレイの魂を絞り出すような 嘆きの声が賢者の森に響き渡った。
―・―・―・―・―・―
「……また口もつけないままか……」
フィリーの樹に背中をもたれたまま、ボンヤリ座っているエグザルレイに向かい、ミツキは呆れ声で語りかける。エグザルレイの横には、木の板に載せた前回の食事が手付かずのまま残されていた。
「……現状維持なんでしょ?……この森の中なら……食べなくても死なないって……」
「うーん……そうじゃ無いんだけどなぁ……」
ミツキは苦笑いをしながら応じる。
「前にも言ったけど、食事ってのは栄養を 摂るか摂らないかってだけのものじゃなくてさぁ……身体と心を『楽しませる』って働き……栄養もあるんだよねぇ。味を楽しむとか、食感を楽しむとかさぁ。……ただ『食べりゃ良い』ってだけのもんじゃ無いし……」
「……どうでもいい事です……もう……私には……どうでも……」
ミツキは困り果てた表情でフィーリーの木を見上げた。風の無い「賢者の森」の中で、木々は時々葉を揺らしざわつく。フィリーの木も静かに葉を鳴らした。まるでフィリーが申し訳無さそうに……それでも「もうしばらくは許してやって欲しい」とでも語っているようなその葉音を聞いてミツキは微笑む。
「……甘やかし過ぎだよ……キミは……」
そう言うと、手つかずのまま残されていた食事を持ち、自分の小屋へ戻っていった。
フィリーに会いたい……
エグザルレイは木にもたれたまま願い続ける。
会いたい……君に……会いたい……抱きしめたい……語り合いたい……なのに……
「……ずるいよ……フィリー……君だけ……」
エグザルレイは樹上を見上げ呟いた。フィリーの樹が大きく葉音を鳴らす。
「……ごめん……分かってる……つもりなんだけど……ね」
何時間も何十時間も、エグザルレイはフィリーの樹の下でただボンヤリ過ごした。最初の頃はミツキに対する怒りもあった。彼がフィリーに何も提案しなければ……彼女は残された命の時間をここで長く過ごせたはずなのに……
しかしそれは同時に、彼女にとって苦しみと悲しみを負わせ続ける時ともなっていただろうとも理解していた。
いつまでも目覚めることの無い痩せ細った私を診続ける長い時……そんな苦しみを負わせずに済んだのも、ミツキが私を回復させる術を施してくれたおかげだ……
「……いっそ私も君の横に並び立つ樹になりたいよ……フィリー……」
エグザルレイの切なる思いに、フィリーの樹は優しい葉音で応える。こんな時間をもう何十時間も過ごしていた。
穏やかな陽が注ぎ続ける賢者の森の 静寂を破る「叫び声」が響き渡るその時まで……




