第129話 森での出来事
エグザルレイは不思議な時間を過ごしていた。
エルフ兵による 騙まし討ちに 遭って意識を失った後、次に意識を取り戻したのは見慣れない森の中だった。そこで30歳前後の男……「ミツキ」と名乗る人属法術士から、自分は介護を受けていた事を知った。
「柱」はどうなったんだ? グラディー領は? エグデンとの戦いは?…… 姉様達は……みんなは……フィリーは?
確認したい情報が次々頭に浮かんでくる。しかしミツキに何を尋ねても、納得のいく説明を受けられない。
「僕が知る範囲の事なら教えて上げられるけど……とにかく今は身体を元の状態に戻すこと以外は考えないほうが良い。回復が遅れてしまうよ」
「……今すぐに知りたいんです……教えて下さい……」
エグザルレイは精一杯の殺気を込めて 脅すような気持ちで尋ねる。
「ハハッ! そう殺気立つなよ。それに、どんなに凄んだって君には無理だね。僕を『力』で言いなりにさせようなんてのは。……僕の言う事が聞けないんなら……いっそしばらく君を、強制的に話が出来なくしてしまおうかな?」
ミツキは楽しそうに微笑みながらエグザルレイをいさめる。エグザルレイも自分の状態を自覚することは出来ていた。この状態では、ミツキを 捻じ伏せてでも情報を聞き出そうとは思わない。いや……たとえ身体が万全であっても、この男と戦って勝てる気はしなかった。
絶望的な 諦め気分の中ではあったが、とにかく、一刻も早く身体を元の状態に戻し戦線に戻らなければと、気持ちばかりが焦る。
「……ミツキ……さん……今日は何月何日なんですか……」
エグザルレイは考えていた。意識を取り戻してから……一体何時間……いや、何十時間も経っているような気がする。それなのに…… 木漏れ陽がいつまでも注ぎ続けているのだ。夜が来ない……大怪我でしばらく意識を失っていた後遺症かも知れないが……時間の経ち方が……明らかにおかしい……
「……さあ? 僕にも分からないよ……そんなこと……」
ミツキは面白くも無さそうに、ぶっきらぼう答えた。しかし、すぐに思い直したように言葉を改める。
「本当に……知らないんだよ……。『外』から客が来れば教えてもらえるかも知れないけど……ま、ここに来る『客』が、君の使っていた 暦を知ってるかどうかは分からないけどね……すまないね。さあ、とにかく身体を元に戻すんだ。そうすれば……『彼女』が全てを教えてくれるよ」
「彼……女?」
ミツキの返答にエグザルレイは驚き聞き返す。
「君を連れて来た 娘だよ。エルフの女の子……フィルフェリーさん」
エグザルレイの目が大きく見開く。
そ……そんな……フィリーが……私を?
「……こ……す……」
「ん?」
大きく目を見開いたままエグザルレイはボソリと問いかけた。声を聞き取れず、ミツキは聞き直す。
「どこです!……フィリーは? 彼女は!」
エグザルレイは出し得る限り精一杯の大声を発したつもりだが、か細いかすれた声しか出てこない。その声に、ミツキは笑みを浮かべ首を横に振る。
「……回復すれば……全てを知る事が出来るから……今は回復に努めなさい」
その返答に、エグザルレイは立ち上がりミツキを捻じ伏せようと思った。しかし起き上がれない。立てない。叫べない。
クソッ!
立ち去って行くミツキの背中を 睨みつけながら、エグザルレイは一刻も早く回復を果たす事を……完全で無くても自由に動けるだけの体力を取り戻すことを当面の目的に 据えた。
それからさらに時は進んで行く。しかし陽は 沈まない。不定期ではあるが、ミツキが食事や飲み物をエグザルレイの 傍に運んで来た回数は100回を優に超えていた。さすがにエグザルレイも自分がいるこの森が「普通ではない」と感じていた。
逃げ出さなければ……あの男……ミツキは「敵」の気配こそ無いが……危険だ!……フィリーを見つけ出し、一緒に逃げ出さないと……
腕にも脚にも充分に肉が戻って来た。 強張っていた筋や骨々も充分に動かせる。
剣は無いが……フィリーと逃げるくらいは何とか……
エグザルレイはさらに数十回の食事を終える頃には「以前の自分」の身体感覚を取り戻した気がした。立ち上がり、歩く事は出来る。走るのは……まだ不安が残る。気持ちは 焦るが、身体の回復がその思いに追いつかない事が 苛立たしい。
「ミツキさん……お願いです。フィリーに……会わせて下さい!」
いつものように、また 断られるかと覚悟しつつ、エグザルレイは食事を運んで来てくれたミツキに改めて願い出た。
もしダメでも……自力でフィリーを探し出す! そんな決意をミツキは感じ取ったのかしばらくエグザルレイを見つめ、やがて口を開く。
「……それじゃあ……ちょっと 診てみようか……右手を出してごらん」
ミツキは食事を 載せた木の板をエグザルレイの横に置き、屈みこむと右腕手首を両手で 掴んだ。
「じゃあ、こっちを見て……」
今度はエグザルレイの目をジッと見つめる。
「うーん……どうかなぁ……」
ミツキは困ったような顔を見せた。
「エルくん……僕としては……まだ少し早い気がするんだが……」
「大丈夫です!」
何が「大丈夫」かは分からないが、エグザルレイはミツキの 診立てに意見を発する。今までに無い良い感触の雰囲気だ。この機会を……もう先延ばしにしたくない! エグザルレイの必死の表情をジッと見つめ、ミツキも諦めとも言うべき決心を苦笑で表す。
「……そうだね。この状態なら……うん、いいだろう! これ以上時間を延ばせば、君自身の心が保てないかも知れないしね……」
ミツキはそう言うと木の板に載せた食事をエグザルレイに渡し、そのまま自分も傍に座った。
「まずは食べて」
エグザルレイは言われるがままに食事を口に運ぶ。ミツキはそんな様子を見ながら静かに語り出した。
「……ここはね……君ももう分かっているとは思うけど……『特別な森』なんだよ。僕のために作られた……特別な森」
エグザルレイは早くフィリーに会いたい一心で食事を頬張るが、ミツキが語る内容も気になる。
「フィリーさんの話が終わったら……うん……そっちのほうが理解しやすいと思うから 詳しくは後で教えるけど……この森はね……『外の世界』と時間の流れが違うんだ」
外の世界? 何を言ってるんだ……この人は……
一塊の肉を最後に口の中に押し入れ数回噛むと、カップの水で流し込む。
「あーあ……貴重なお肉なのに……もっと味わって食べてくれよ」
ミツキは苦笑いをした。しかしエグザルレイは居ても立ってもいられない。
「この森の中ではね……ある程度の栄養は自然に全身で吸収出来るようになってるんだ。この空気の中に、肉体を維持する栄養素も含まれているんだよ。だから飲み食いそのものは 必須ではない……とはいえ、やっぱり『食べる事を楽しむ』ってことそのものが、健康に生きる 糧になるものだよ。それなのに……そんなに急いで早食いってのは、良くないなぁ……」
「ごちそうさまでした! さ、ミツキさん、行きましょう!」
エグザルレイはミツキの苦情に聞く耳も持たず、ヨロヨロと立ち上がった。
「どこに?」
ミツキはそんなエグザルレイの姿に 溜息交じりで応じる。
「……どこにって……約束しましたよね? 食事を終えたらフィリーに会わせてくれるって!」
エグザルレイの心に急激に不安が湧き上がった。
まさか……約束をまた先延ばしにするつもりじゃ……
「座りなさい、エルくん」
「約束を……破るんですか……」
エグザルレイの中に怒りと不安の感情が頭をもたげ始める。
「約束通りフィリーさんには会わせて上げるよ。だから……座りなさい」
疑いの色が浮かぶエグザルレイの瞳を見上げ、ミツキは仕方無いという表情でそばに立つ1本の樹を指さした。
「その樹……それが……今のフィリーさんだ」
「え?」
発っせられた言葉の意味を理解出来ず、エグザルレイは 呆然とミツキを見つめる。
何を言ってるんだ……この人は……フィリーに会わせるって……え? どういう……
「おいで……」
ミツキは立ち上がると、エグザルレイの背後に立つ木———彼の寝床に常に日陰を作っている大樹に寄った。
「さあ。君の手で……触れて上げなさい」
エグザルレイは振り返り、目の前の大樹の幹を見つめ、次にミツキに視線を向ける。ミツキは温かな笑みを浮かべたまま、静かに頷く。エグザルレイは恐る恐る右手で樹の幹に触れた。その途端、風も感じないのに大樹の枝が音を立てて動き、ザワザワと葉音を響かせる。
「……どういう……こと……です……か?」
ミツキは樹上でざわつく枝葉を嬉しそうに見上げながら応えた。
「さ……彼女の準備も良さそうだ。君もそこに座りなさい」
エグザルレイは言われるがまま、樹の幹に背中を寄りかからせ根元に座る。ミツキはエグザルレイの左肩上に自分の左手を載せ、右手で樹の幹に触れた。
「目を閉じて……」
指示に従い目を閉じる。途端に、まるで身体が背後の樹の中へ沈み込んでいくような不思議な感覚に 陥った。しかしそれは不快な感覚ではない。それはまるで……あの夜……宿営の外れでフィリーと寄り添い過ごした時のような、温かく平安な感覚だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
グラディーの森の中———エルフの避難民宿営地の中を、フィルロンニの息子ヴェザが駆け回っている。
「フィリーはどこに行ったの?」
大人たちは皆、忙しそうに動き回り、ヴェザの質問に答えてくれる者はいない。
「フィリーさんならさっき、東の森に入って行ったよ」
ヴェザはしばらく尋ね歩き、ようやく大きな袋を両手に抱えて歩く一人の若い人属戦士から情報を得られた。
「えー! 傷の治り具合を 診るから来いって言ってたのにぃ……」
口を 尖らせて文句を言うヴェザに、その戦士は応じる。
「エルさんが東部の 援軍に行っちゃったから、彼女も追いかけて行ったんじゃないか? もう帰って来ないかもなぁ」
そう言うと笑いながら立ち去って行った。ヴェザは面白く無さそうに両手を頭の後ろに組むと、足元の小石を 蹴り転がしながら宿営の奥へ歩き出した。
―・―・―・―・―・―
なんだろう……なんだろう……すごく嫌な気持ち!……ドキドキしてる……もの 凄く不安……
フィルフェリーは宿営地東に広がる森の中を、何かに引き寄せられるように駆け抜けていた。かなり遠くまで走って来たが、胸の苦しみ……嫌な予感が収まらない。宿営地に戻るべきだという理性と、とにかく何かを感じる方角へ向かうべきだという直感が 葛藤する中、今までに味わった事のない 研ぎ 澄まされた感覚を全身に感じていた。
突然、全く聞き覚えの無い声……誰かの「 伝心」が脳裏に響く。フィルフェリーは立ち止まり、その伝心の「声」に集中した。
『……居るのだろう? 出て来い。エルフが人間のようなゴミなんかと 交わってちゃいかんのだよ。さあ……出て来い!』
伝心の最後の一言は、ただの「言葉」ではなく、伝心を受けるエルフに対する「攻撃」として飛び込んで来た。
「キャッ!」
フィルフェリーは今まで体験したことの無い「伝心による攻撃」に驚き、声を上げ耳を押さえる。
……何?……今の「伝心の使い方」は……私達の仲間じゃ無い!
この伝心に応答してはならない、という直感が働く。嫌な予感はさらに強まっていた。
……とにかく……この先に何があるのかを……
フィルフェリーは森と北の 荒野の境界近くまで自分が来ている事を改めて確認する。森はこのままグラディー領を守るように東部まで続く。これ以上進めば、戦線の 真っ只中にまで入って行く事になる。
「上から……何か見えるかも……」
少しの間、次の行動を考えていたフィルフェリーはそう 呟くと、木々の合間に見える空へ顔を向けた。
大丈夫だろうか……飛べるだろうか……そんな不安が頭をよぎる。エグザルレイを抱え、初めて空を飛んだあの時以来のチャレンジだ。
イメージは出来ている。大丈夫……飛べる!
フィルフェリーは大きく息を吸い込み、心の中で祈るように呟いた。
『……ケパ様……私を あの人の元へ……』
まるで、軽く跳び上がって頭上の果実を 掴むようにフィルフェリーは片足で地を 蹴ると、そのまま、木々の間に広がる空に向かい 垂直に飛び上がっていった。




